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■中部経典 第20経 「考相経」




〈 和 訳 ・但し 超訳 〉

── ある時、世尊は次のように、比丘たちに言いました。

  比丘たちよ、勝れた心を実修する比丘は、
  『 五つの相 』 を ケース・バイ・ケースに合わせて思惟すべきです。

  その『五つ』とは何か?


  1.ある「相(思考の根拠)」によって相を思惟をしていたら、
    欲や怒り、愚かさを伴った思惟が生じてしまったならば、その「相」から離れて、
    その「相」とは別の、善を伴う「相」の思惟にチェンジさせなさい。
    そうすれば、それまでの「欲・怒り・愚かさ」を伴った「相」は断たれ、消滅してしまうのです。
    そして、それらが断たれることにより、内に心が確立し、静まり、統一し、安定するのです。

    例えば、それは有能で勝れた木工職人やその弟子が、細かい楔(くさび)を使って
    粗い楔を打ちこわし、取り出し、引き抜くようなものです。

    それと同じように、によって相を思惟をしていたら、
    欲や怒り、愚かさを伴った思惟が生じてしまったならば、その「相」から離れて、
    その「相」とは別の、善を伴う「相」の思惟にチェンジさせなさい。
    そうすれば、それまでの「欲・怒り・愚かさ」を伴った「相」は断たれ、消滅してしまうのです。
    そして、それらが断たれることにより、内に心が確立し、静まり、統一し、安定するのです。


  2.しかし、その新しい「相」によって相を思惟しても、
    前回と同じように「三毒」が付随して生起してきてしまったのならば、
    その時は、その「考え」の「危難」を観察するのです。

    〈 このように、これらの考えは不善のものである。
     このように、これらの考えはまた罪過があるものである。     
     このように、これらの考えはまた苦の果報があるものである。〉

    ── と、その「考え」の「危難」を観察している彼には、
    もろもろの悪しき不善の考えは、三毒の伴ったもの全てが断たれ、消滅します。
    そして、それらが断たれることにより、内に心が確立し、静まり、統一し、安定するのです。


    例えばそれは、若い青年のおしゃれな女性か男性が、
    蛇の死骸や、犬の死骸や、人間の死体を首にかけられることによって、
    悩み、恥じ、嫌悪するようなものです。

    それと同じように、その新しい「相」によって相を思惟しても、
    前回と同じように「三毒」が付随して生起してきてしまったのならば、
    その時は、その「考え」の「危難」を観察するのです。

    〈 このように、これらの考えは不善のものである。
     このように、これらの考えはまた罪過があるものである。     
     このように、これらの考えはまた苦の果報があるものである。〉

    ── と、その「考え」の「危難」を観察している彼には、
    もろもろの悪しき不善の考えは、三毒の伴ったもの全てが断たれ、消滅します。
    そして、それらが断たれることにより、内に心が確立し、静まり、統一し、安定するのです。


  3.しかし、危難の観察をしていも、さらに同じように、
    「三毒」が付随して生起してきてしまうような考えが、生起するようであるのならば、
    その時は、それらの考えを憶念せず、思惟しないようにする〈思考の停止〉べきです。
    そうすれば、それまでの「欲・怒り・愚かさ」を伴った「相」は断たれ、消滅してしまうのです。
    そして、それらが断たれることにより、内に心が確立し、静まり、統一し、安定するのです。

    例えば、眼の見える人が、視野に入ったもろもろのものを見たくない時、
    彼は眼を閉じるか、別のものを眺めるかします。

    それと同じように、危難の観察をしていも、さらに同じように
   「三毒」が付随して生起してきてしまうような考えが、生起するようであるのならば、
    その時は、それらの考えを憶念せず、思惟しないようにする〈思考の停止〉べきです。
    そうすれば、それまでの「欲・怒り・愚かさ」を伴った「相」は断たれ、消滅してしまうのです。
    そして、それらが断たれることにより、内に心が確立し、静まり、統一し、安定するのです。


  4.しかし、思考の停止を試みたにも関わらず、
    さらに 「三毒」が付随して生起してきてしまうような、不善の考えが起きるのならば、 
    その時は、何故その考えが生起してまうのかという、
    「考え」を形成する「相〈根拠・原因〉」を思惟すべきです。
    そうすれば、それまでの「欲・怒り・愚かさ」を伴った「相」は断たれ、消滅してしまうのです。
    そして、それらが断たれることにより、内に心が確立し、静まり、統一し、安定するのです。

    例えば、ここに急いで走っている人がいて、彼がこう思ったとします。
    〈どうして私は走っているのだろうか。ゆっくりと歩いてみてはどうだろうか〉と。
    そこで彼は歩きます。そしてさらに、こう思ったとします。
    〈どうして私は歩いているのだろうか。立ち止まってみてはどうだろうか〉と。
    そこで彼は立ち止まります。そしてさらに、こう思ったとします。
    〈どうして私は立ち止まっているのだろうか。坐ってみてはどうだろうか〉と。
    そこで彼は坐ります。そしてさらに、こう思ったとします。
    〈どうして私は坐っているのだろうか。臥してみてはどうだろうか〉と。
    そこで彼は臥します。
    このように、彼は、粗い思考順路を徐々に回避して、細かい思考順路を順々に行ないます。

    それと同じように、思考の停止を試みたにも関わらず、
    さらに 「三毒」が付随して生起してきてしまうような、不善の考えが起きるのならば、 
    その時は、何故その考えが生起してまうのかという、
    「考え」を形成する「相〈根拠・原因〉」を思惟すべきです。
    そうすれば、それまでの「欲・怒り・愚かさ」を伴った「相」は断たれ、消滅してしまうのです。
    そして、それらが断たれることにより、内に心が確立し、静まり、統一し、安定するのです。


  5.しかし、何故その考えが生起してまうのかという、
    「考え」を形成する「相〈根拠・原因〉」を思惟しても、
    さらに 「三毒」が付随して生起してきてしまうような、不善の考えが起きるのならば、
    その時は、歯に歯を置き、舌で顎を圧し、
    心で心を抑えるべきであり、押さえつけるべきであり、砕くべきでなのす。
    そうすれば、それまでの「欲・怒り・愚かさ」を伴った「相」は断たれ、消滅してしまうのです。
    そして、それらが断たれることにより、内に心が確立し、静まり、統一し、安定するのです。

    例えば、力の強い人が、力の弱い人の頭や首や肩を捉まえて、
    抑え、押さえつけて、砕くようなものです。

    それと同じように、何故その考えが生起してまうのかという、
    「考え」を形成する「相〈根拠・原因〉」を思惟しても、
    さらに 「三毒」が付随して生起してきてしまうような、不善の考えが起きるのならば、
    その時は、歯に歯を置き、舌で顎を圧し、
    心で心を抑えるべきであり、押さえつけるべきであり、砕くべきでなのす。
    そうすれば、それまでの「欲・怒り・愚かさ」を伴った「相」は断たれ、消滅してしまうのです。
    そして、それらが断たれることにより、内に心が確立し、静まり、統一し、安定するのです。


── と、このように、五つのケースについての「対処法」を、釈尊は弟子たちに教えたのです。


  比丘が、相を相によって思惟している時、もろもろの悪しき不善の考えが、
  欲を伴ったものでも、怒りを伴ったものでも、愚かさを伴ったものでも起こった場合、 


  1.その相とは別の、善を伴った相を思惟する。

  2.その考えの危難を観察する。

  3.それらの考えを憶念せず、思惟もしない。

  4.それらの考えの、「考えを形成する相」を思惟する。

  5.ヨーガ的な力技で、歯を歯に置き、舌で顎を圧し、心で心を抑えて、押さえつけて、砕く。


という、このような『五つの相』によって三毒の伴った心を静め、断ち、消滅させるのです。


   比丘たちよ、この比丘は、もろもろの考えの法門の道に自在の者と言われます。
   すなわち、希望する考えを考える者です。
   希望しない考えを考えない者です。
   渇愛を断った者です。
   束縛を取り除いた者です。
   正しく慢を止滅し、苦の終わりを作った者です。


これを聞いた比丘たちは、大いに喜び、世尊が説かれたことに歓喜したのでした。




── これが、中部経典20経『考相経』を、シンプルに表現した内容なのです。


〈 超 訳・おわり 〉




● 解 説


現在示している訳文は、「超訳〈シンプルにまとめた意訳〉」です。
いずれ、経典の本文に沿った「和訳」を掲載する予定です。





























〈 編集中 〉