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■中部経典 第4経 「恐怖経」



〈 和 訳 〉

── このように私は聞きました。

ある時、世尊は、サーヴァッティ近くの「ジェータ王子の林」にある、
祇園精舎〈アナータピンディカ僧院〉に住んでおられました。

ある時、ジャーヌッソーニ・バラモンは、世尊がおられるところへ近づいて行きました。
行って、世尊と喜びの挨拶を交わし、喜ばしい印象に残る話を取り交わすと、一方に座りました。
そして、一方に座ったジャーヌッソーニ・バラモンは、世尊にこう言いました。

 「ゴータマ尊よ、この良家の息子たちはゴータマ尊を指定し、信仰により、家を捨てて出家しています。  
  ゴータマ尊は、彼らの先導者です。
  ゴータマ尊は、彼らの援助者です。
  しかもその人々は、ゴータマ尊の見解に従っております。」

 「バラモンよ、それはその通りです。バラモンよ、それはその通りです。
  バラモンよ、かの良家の息子たちは私を指定し、信仰により、家を捨てて出家しています。 
  私は、彼らの先導者です。
  私は、彼らの援助者です。
  しかもその人々は、私の見解に従っております。」

 「ゴータマ尊よ、森や山林の遠く離れた臥坐所は、実に耐え難いものです。
  遠離 は行ない難いものです。
  専一に楽しむことは難しいものです。
  諸々の林は、禅定を得ていない比丘の心を奪うように思えます。」  

 「バラモンよ、それはその通りです。バラモンよ、それはその通りです。
  バラモンよ、森や山林の遠く離れた臥坐所は、実に耐え難いものです。
  遠離 は行ない難いものです。
  専一に楽しむことは難しいものです。
  諸々の林は、禅定を得ていない比丘の心を奪うように思えます。」と。  

 「バラモンよ、私も、成道以前の悟りを得ていない菩薩であった時に、次のような思いが生じました。
  〈 森や山林の遠く離れた臥坐所は、実に耐え難いものだ。
    専一に楽しむことは難しい、諸々の林は、禅定を得ていない比丘の心を奪うように思える。 〉と。


1.身による行為浄められずに 〈 身の戒 〉


  バラモンよ、またその私には次のような思いが生じました。

  〈 どのような沙門・バラモンであれ、身による行為が清められずに、
    森や山林の遠く離れた臥坐所に親しむならば、身による行為が清められない欠点のゆえに、
    その尊敬すべき沙門・バラモンたちは、必ず不善の恐怖を招くことになる。
    しかし私は、身による行為が清められずに、森や山林の遠く離れた臥坐所に親しんでいるのではない。
    私は身による行為が清められている者である。
    私は、実に身による行為が清められて、森や山林の遠く離れた臥坐所に親しむ聖者たちの一人である 〉と。

  バラモンよ、私はこの身による行為が清められていることを自己の中でよく観て、
  森に住むことにいよいよ安らぎを覚えました。

2.語による行為浄められずに 〈 語の戒 〉


 バラモンよ、またその私には次のような思いが生じました。

  〈 どのような沙門・バラモンであれ、語による行為が清められずに、
    森や山林の遠く離れた臥坐所に親しむならば、語による行為が清められない欠点のゆえに、
    その尊敬すべき沙門・バラモンたちは、必ず不善の恐怖を招くことになる。
    しかし私は、語による行為が清められずに、森や山林の遠く離れた臥坐所に親しんでいるのではない。
    私は語による行為が清められている者である。
    私は、実に語による行為が清められて、森や山林の遠く離れた臥坐所に親しむ聖者たちの一人である 〉と。

  バラモンよ、私はこの語による行為が清められていることを自己の中でよく観て、
  森に住むことにいよいよ安らぎを覚えました。


3.意による行為浄められずに 〈 意の戒 〉


  バラモンよ、またその私には次のような思いが生じました。

  〈 どのような沙門・バラモンであれ、意による行為が清められずに、
    森や山林の遠く離れた臥坐所に親しむならば、意による行為が清められない欠点のゆえに、
    その尊敬すべき沙門・バラモンたちは、必ず不善の恐怖を招くことになる。
    しかし私は、意による行為が清められずに、森や山林の遠く離れた臥坐所に親しんでいるのではない。
    私は意による行為が清められている者である。
    私は、実に意による行為が清められて、森や山林の遠く離れた臥坐所に親しむ聖者たちの一人である 〉と。

  バラモンよ、私はこの意による行為が清められていることを自己の中でよく観て、
  森に住むことにいよいよ安らぎを覚えました。  


4.生活が浄められずに 〈 戒の護持 〉


  バラモンよ、またその私には次のような思いが生じました。

  〈 どのような沙門・バラモンであれ、生活が浄められずに、
    森や山林の遠く離れた臥坐所に親しむならば、生活が浄められない欠点のゆえに、
    その尊敬すべき沙門・バラモンたちは、必ず不善の恐怖を招くことになる。
    しかし私は、生活が清められずに、森や山林の遠く離れた臥坐所に親しんでいるのではない。
    私は生活が清められている者である。
    私は、実にこの生活が清められて、森や山林の遠く離れた臥坐所に親しむ聖者たちの一人である 〉と。

  バラモンよ、私はこの生活が清められていることを自己の中でよく観て、
  森に住むことにいよいよ安らぎを覚えました。  



5.欲貪にして諸々の欲に強く染まり 〈 貪欲蓋の滅 … ここから、五蓋の滅が説かれている 〉


 バラモンよ、またその私には次のような思いが生じました。

  〈 どのような沙門・バラモンであれ、欲貪にして諸々の欲に強く染まり、
    森や山林の遠く離れた臥坐所に親しむならば、欲貪にして諸々の欲に強く染まっている欠点のゆえに、
    その尊敬すべき沙門・バラモンたちは、必ず不善の恐怖を招くことになる。
    しかし私は、欲貪にして諸々の欲に強く染まり、森や山林の遠く離れた臥坐所に親しんでいるのではない。
    私は欲貪のない者である。
    私は、実に欲貪がなく、森や山林の遠く離れた臥坐所に親しむ聖者たちの一人である 〉と。

  バラモンよ、私はこの欲貪がないことを自己の中でよく観て、
  森に住むことにいよいよ安らぎを覚えました。  


6.怒りの心と邪悪な思いをもって 〈 瞋恚蓋の滅 〉


  バラモンよ、またその私には次のような思いが生じました。

  〈 どのような沙門・バラモンであれ、怒りの心と邪悪な思いをもって、
    森や山林の遠く離れた臥坐所に親しむならば、怒りの心と邪悪な思いがある欠点のゆえに、
    その尊敬すべき沙門・バラモンたちは、必ず不善の恐怖を招くことになる。
    しかし私は、怒りの心と邪悪な思いをもって、森や山林の遠く離れた臥坐所に親しんでいるのではない。
    私は慈心のある者である。
    私は、実に慈心があり、森や山林の遠く離れた臥坐所に親しむ聖者たちの一人である 〉と。

  バラモンよ、私はこの慈心を自己の中でよく観て、
  森に住むことにいよいよ安らぎを覚えました。  


7.沈鬱〈ちんうつ〉と眠気に纏〈まと〉わり付かれて 〈 惛沈睡眠蓋の滅 〉


  バラモンよ、またその私には次のような思いが生じました。

  〈 どのような沙門・バラモンであれ、沈鬱〈ちんうつ〉と眠気に纏〈まと〉わり付かれて、
    森や山林の遠く離れた臥坐所に親しむならば、沈鬱と眠気に纏わり付かれている欠点のゆえに、
    その尊敬すべき沙門・バラモンたちは、必ず不善の恐怖を招くことになる。
    しかし私は、沈鬱と眠気に纏わり付かれて、森や山林の遠く離れた臥坐所に親しんでいるのではない。
    私は沈鬱〈ちんうつ〉と眠気から離れている者である。
    私は、実に沈鬱と眠気から離れて、森や山林の遠く離れた臥坐所に親しむ聖者たちの一人である 〉と。

  バラモンよ、私はこの沈鬱と眠気から離れていることを自己の中でよく観て、
  森に住むことにいよいよ安らぎを覚えました。  


8.浮つきと静まらない心をもって 〈 掉挙悪作蓋の滅 〉


  バラモンよ、またその私には次のような思いが生じました。

  〈 どのような沙門・バラモンであれ、浮つきと静まらない心をもって、
    森や山林の遠く離れた臥坐所に親しむならば、浮つきと静まらない心がある欠点のゆえに、
    その尊敬すべき沙門・バラモンたちは、必ず不善の恐怖を招くことになる。
    しかし私は、浮つきと静まらない心をもって、森や山林の遠く離れた臥坐所に親しんでいるのではない。
    私は心が静まっている者である。
    私は、実に心が静まり、森や山林の遠く離れた臥坐所に親しむ聖者たちの一人である 〉と。

  バラモンよ、私はこの心の静まりを自己の中でよく観て、
  森に住むことにいよいよ安らぎを覚えました。  


9.疑いと惑いをもって 〈 疑蓋の滅 〉


  バラモンよ、またその私には次のような思いが生じました。

  〈 どのような沙門・バラモンであれ、疑いと惑いをもって、
    森や山林の遠く離れた臥坐所に親しむならば、疑いと惑いがある欠点のゆえに、
    その尊敬すべき沙門・バラモンたちは、必ず不善の恐怖を招くことになる。
    しかし私は、疑いと惑いをもって、森や山林の遠く離れた臥坐所に親しんでいるのではない。
    私は疑惑を超えている者である。
    私は、実に疑惑を超え、森や山林の遠く離れた臥坐所に親しむ聖者たちの一人である 〉と。

  バラモンよ、私はこの疑惑の超越を自己の中でよく観て、
  森に住むことにいよいよ安らぎを覚えました。  


10.自分を誉〈ほ〉め、他人を貶〈けな〉して 〈 慢を捨てる・平等心 〉


  バラモンよ、またその私には次のような思いが生じました。

  〈 どのような沙門・バラモンであれ、自分を誉〈ほ〉め、他人を貶〈けな〉して、
    森や山林の遠く離れた臥坐所に親しむならば、自分を誉め、他人を貶す欠点のゆえに、
    その尊敬すべき沙門・バラモンたちは、必ず不善の恐怖を招くことになる。
    しかし私は、自分を誉め、他人を貶して、森や山林の遠く離れた臥坐所に親しんでいるのではない。
    私は自分を誉めず、他人を貶さない者である。
    私は、実に自分を誉めず、他人を貶さず、森や山林の遠く離れた臥坐所に親しむ聖者たちの一人である 〉と。

  バラモンよ、私はこの自分を誉めないこと、他人を貶さないことを自己の中でよく観て、
  森に住むことにいよいよ安らぎを覚えました。  


12.恐れ戦〈おのの〉いて 〈 平静・平常心 〉


  バラモンよ、またその私には次のような思いが生じました。

  〈 どのような沙門・バラモンであれ、恐れ戦〈おのの〉いて、
    森や山林の遠く離れた臥坐所に親しむならば、恐れ戦く欠点のゆえに、
    その尊敬すべき沙門・バラモンたちは、必ず不善の恐怖を招くことになる。
    しかし私は、恐れ戦いて、森や山林の遠く離れた臥坐所に親しんでいるのではない。
    私は身の毛のよだちを離れている者である。
    私は、身の毛のよだちを離れて、森や山林の遠く離れた臥坐所に親しむ聖者たちの一人である 〉と。

  バラモンよ、私はこの身の毛のよだちを離れたことを自己の中でよく観て、
  森に住むことにいよいよ安らぎを覚えました。  


13.利得や尊敬や名声を求めて 〈 少欲・知足 〉


  バラモンよ、またその私には次のような思いが生じました。

  〈 どのような沙門・バラモンであれ、利得や尊敬や名声を求めて、
    森や山林の遠く離れた臥坐所に親しむならば、利得や尊敬や名声を求める欠点のゆえに、
    その尊敬すべき沙門・バラモンたちは、必ず不善の恐怖を招くことになる。
    しかし私は、利得や尊敬や名声を求めて、森や山林の遠く離れた臥坐所に親しんでいるのではない。
    私は少欲の者である。
    私は、実に少欲にして、森や山林の遠く離れた臥坐所に親しむ聖者たちの一人である 〉と。

  バラモンよ、私はこの少欲を自己の中でよく観て、
  森に住むことにいよいよ安らぎを覚えました。  


14.怠惰にして精進なく 〈 努力精進 〉


  バラモンよ、またその私には次のような思いが生じました。

  〈 どのような沙門・バラモンであれ、怠惰にして精進なく、
    森や山林の遠く離れた臥坐所に親しむならば、怠惰にして精進のない欠点のゆえに、
    その尊敬すべき沙門・バラモンたちは、必ず不善の恐怖を招くことになる。
    しかし私は、怠惰にして精進なく、森や山林の遠く離れた臥坐所に親しんでいるのではない。
    私は努力精進の者である。
    私は、実に努力精進して、森や山林の遠く離れた臥坐所に親しむ聖者たちの一人である 〉と。

  バラモンよ、私はこの努力精進を自己の中でよく観て、
  森に住むことにいよいよ安らぎを覚えました。  


15.失念し正知せず 〈 正念正知 〉


  バラモンよ、またその私には次のような思いが生じました。

  〈 どのような沙門・バラモンであれ、失念し正知せず、
    森や山林の遠く離れた臥坐所に親しむならば、失念し正知しない欠点のゆえに、
    その尊敬すべき沙門・バラモンたちは、必ず不善の恐怖を招くことになる。
    しかし私は、失念し注意がなく、森や山林の遠く離れた臥坐所に親しんでいるのではない。
    私は専念している者である。
    私は、実に専念して、森や山林の遠く離れた臥坐所に親しむ聖者たちの一人である 〉と。

  バラモンよ、私はこの専念しいることを自己の中でよく観て、
  森に住むことにいよいよ安らぎを覚えました。  


16.心が安定せず散乱して 〈 専念・禅定の成就 〉


  バラモンよ、またその私には次のような思いが生じました。

  〈 どのような沙門・バラモンであれ、心が安定せず散乱して、
    森や山林の遠く離れた臥坐所に親しむならば、心が安定せず乱れている欠点のゆえに、
    その尊敬すべき沙門・バラモンたちは、必ず不善の恐怖を招くことになる。
    しかし私は、心が安定せず散乱して、森や山林の遠く離れた臥坐所に親しんでいるのではない。
    私は禅定が成就している者である。
    私は、禅定が成就して、森や山林の遠く離れた臥坐所に親しむ聖者たちの一人である 〉と。

  バラモンよ、私はこの禅定の成就を自己の中でよく観て、
  森に住むことにいよいよ安らぎを覚えました。  


17.無知蒙昧〈むちもうまい〉にして 〈 慧を備える 〉


  バラモンよ、またその私には次のような思いが生じました。

  〈 どのような沙門・バラモンであれ、無知蒙昧〈むちもうまい〉にして、
    森や山林の遠く離れた臥坐所に親しむならば、無知蒙昧の欠点のゆえに、
    その尊敬すべき沙門・バラモンたちは、必ず不善の恐怖を招くことになる。
    しかし私は、無知蒙昧にして、森や山林の遠く離れた臥坐所に親しんでいるのではない。
    私は慧を備えている者である。
    私は、実に慧を備えて、森や山林の遠く離れた臥坐所に親しむ聖者たちの一人である 〉と。

  バラモンよ、私はこの慧の備わりを自己の中でよく観て、
  森に住むことにいよいよ安らぎを覚えました。  


恐怖の到来


  バラモンよ、そこで私は次のように考えました。
  〈 さあ、私から、半月の14日・15日・8日と特定されるそのような夜に、
    恐ろしい身の毛もよだつ、諸々の霊園・霊林・霊木といったそのような臥坐所に住んでみてはどうであろうか。
    おそらく私は、その畏怖を見ることが出来るであろう 〉と。
  そこでバラモンよ、私は後刻、半月の14日・15日・8日と特定されるそのような夜に、
  恐ろしい身の毛もよだつ、諸々の霊園・霊林・霊木といったそのような臥坐所に住みました。
  バラモンよ、そのような処に住む私のもとへ獣が来たり、孔雀が木切れを落としたりしました。
  風が落ち葉を吹き上げたりもとました。
  そこで私に、
  〈 この来ているものが、その畏怖なのだ 〉
  との思いが生じました。
  バラモンよ、またその私に、次のような思いが生じました。
  〈 いったい何故、私は恐れを待って住んでいるのか? 
    むしろ私から、その恐怖が私にやって来る通り、その恐怖をそのままに取り除いてはどうであろうか 〉と。


  バラモンよ、瞑想歩き〈経行〉をしているその私に、その恐怖がやって来ました。
  そこでバラモンよ、私は、瞑想歩きをしているまま、
  その恐怖を取り除かないうちは、立ち止まることも、坐ることも、臥すことしませんでした。

  バラモンよ、立ち止まっているその私に、その恐怖がやって来ました。
  そこでバラモンよ、私は、立ち止まっているまま、
  その恐怖を取り除かないうちは、瞑想歩きををすることも、坐ることも、臥すことしませんでした。

  バラモンよ、坐っているその私に、その恐怖がやって来ました。
  そこでバラモンよ、私は、坐っているまま、
  その恐怖を取り除かないうちは、臥すことも、立ち止まることも、瞑想歩きををすることもしませんでした。

  バラモンよ、臥しているその私に、その恐怖がやって来ました。
  そこでバラモンよ、私は、臥したまま、
  その恐怖を取り除かないうちは、坐ることも、立ち止まることも、瞑想歩きををすることもしませんでした。


迷妄の無い生ける者が世に現われている


  バラモンよ、ある沙門・バラモンにして、夜を昼であると思い、昼を夜であると思う者たちがいます。
  バラモンよ、私は、夜を夜であると思い、昼を昼であると思います。
  バラモンよ、もし語る者がいて、
  『 多くの人々の利益のために、多くの人々の安楽のために、世界への憐みのために、
    人天の目的のため、利益のため、安楽のために、迷妄の無い生ける者が世に現われている 』
  と語ろうとするならば、それは私について、
  『 多くの人々の利益のために、多くの人々の安楽のために、世界への憐みのために、
    人天の目的のため、利益のため、安楽のために、迷妄の無い生ける者が世に現われている 』 
  と語る場合にのみ、正しく語ることになります。


四禅定


  バラモンよ、また私の努力精進は不動であり、念は現前して失われず、
  身は軽安〈軽快〉にして激することなく、心は安定して統一されていました。
  バラモンよ、それ故、私は諸々の欲〈主に五蓋を指す〉を確かに離れ、諸々の不善の法を離れ、
  大まかな考察のある、細かな考察のある、遠離 〈五蓋から離脱したこと〉から生じた喜びと楽のある、
  第一の禅定に達して住みました。

  大まかな考察、細かな考察が消え、内心が清浄の、心の統一された、
  大まかな考察、細かな考察の無い、心の安定より生じた喜びと楽のある、
  第二の禅定に達して住みました。

  喜びをまた離れていることから、平静を備え、念を備え、正知を備えて住み、楽を身体で感じ、
  聖者たちが『平静を備え、念を備え、楽に住む』と語る、
  第三の禅定に達して住みました。  

  楽を断ち、苦を断ち、以前にすでに 喜び と 憂い〈 = 心の苦しみ 〉 が消滅している ことから、
  苦も無く楽も無い、平静による念の清浄 のある、
  第四の禅定に達して住みました。 


夜の初分、宿明智の獲得


  このようにして、心が、安定し、清浄となり、純白となり、汚れなく、
  付随煩悩を離れ、柔軟になり、行動に適し、確固不動のものとなると、
  その私は、過去の生存を想起する智〈宿命智〉に心を傾注し、向けました。

  その私は、種々の過去における生存を、例えば、一生でも、二生でも、三生でも、四生でも、五生でも、
  十生でも、二十生でも、三十生でも、四十生でも、五十生でも、百生でも、千生でも、十万生でも、
  また、数多〈あまた〉の破壊の劫でも、数多の創造の劫でも、数多の破壊と創造の劫でも、次々思い出すのです。

  『そこでは、これこれの名があり、これこれの姓があり、
   これこれの食べ物があり、これこれの苦と楽を経験し、これこれの寿命があった。
   その私は、そこから死んで、ここに生まれ変わっているのである』と。

  このように、具体的に、明瞭に、種々の過去における生存を思い出すのです。

  バラモンよ、これが、夜の初分に私が証得した第一の明智です。
  怠けることなく熱心に、自ら励み、住む者にふさわしく、
  無明は滅ぼされ、明智が生じたのです。闇は滅ぼされ、光が生じたのです。

夜の中分、死生智の獲得


  このようにして、心が、安定し、清浄となり、純白となり、汚れなく、
  付随煩悩を離れ、柔軟になり、行動に適し、確固不動のものとなると、
  その私は、生けるものたちの死と再生の智〈死生智〉に心を傾注し、向けました。

  その私は、清浄にして超人的な天の眼によって、生けるものたちが、
  劣ったもの・優れたものとして、美しいもの・醜いものとして、
  幸福なもの・不幸なものとして、死に変わり生まれ変わりしているのを見て、
  生けるものたちが、その業に応じて行くのを知るのです。

  『友らよ、実にこちらの生けるものたちは、
   身による悪業があり、語による悪業があり、意による悪業があって、
   聖者を誹謗し、邪な見解を持ち、邪な見解による業を引き受けている。
   彼らは、身体が滅ぶと、死後、苦処・悪道・破滅の地獄に生まれ変わった。
   しかし、あちらの生けるものたちは、
   身による善業があり、語による善業があり、意による善業があって、
   聖者を誹謗せず、正しい見解を持ち、正しい見解による業を引き受けている。
   彼らは、身体が滅ぶと、死後、善道の天界に生まれ変わった。』と。

  このようにして、清浄にして超人的な天の眼によって、生けるものたちが、
  劣ったもの・優れたものとして、美しいもの・醜いものとして、
  幸福なもの・不幸なものとして、死に変わり生まれ変わりしているのを見て、
  生けるものたちが、その業に応じて行くのを知るのです。

  バラモンよ、これが、夜の中分に私が証得した第二の明智です。
  怠けることなく熱心に、自ら励み、住む者にふさわしく、
  無明は滅ぼされ、明智が生じたのです。闇は滅ぼされ、光が生じたのです。


夜の後分、漏尽智の獲得


  このようにして、心が、安定し、清浄となり、純白となり、汚れなく、
  付随煩悩を離れ、柔軟になり、行動に適し、確固不動のものとなると、
  その私は、諸々の煩悩を滅する智〈漏尽智〉に心を傾注し向けました。

  その私は、

  『これは苦である』と、如実に知りました。
  『これは苦の生起である』と、如実に知りました。
  『これは苦の滅尽である』と、如実に知りました。
  『これは苦の滅尽に至る道である』と、如実に知りました。
  『これは煩悩である』と、如実に知りました。
  『これは煩悩の生起である』と、如実に知りました。
  『これは煩悩の滅尽である』と、如実に知りました。
  『これは煩悩の滅尽に至る道である』と、如実に知りました。

  このように知り、このように見るその私には、
  欲の煩悩からも心が解脱し、生存の煩悩からも心が解脱し、無明の煩悩からも心が解脱しました。
  解脱したとき、解脱したという智が生じました。
  『生まれは尽きた。梵行は完成された。為すべきことは為された。もはや、この状態の他にない』と知ったのです。

  バラモンよ、これが、夜の後分に私が証得した第三の明智です。
  怠けることなく熱心に、自ら励み、住む者にふさわしく、
  無明は滅ぼされ、明智が生じたのです。闇は滅ぼされ、光が生じたのです。


バラモンの帰依


  ところでバラモンよ、そなたにこのような思いがあるかも知れません。
  〈沙門ゴータマは、今でも、貪りを離れていないのではないか。
   怒りを離れていないのではないか。愚痴を離れていないのではないか。
   だから、森や山林の遠く離れた臥坐所に親しんでいるのだ〉と。
  しかし、バラモンよ、これはそのように見られるべきではありません。
  バラモンよ、私は、二つの意味をよく見て、森や山林の遠く離れた臥坐所に親しんでいるのです。
  すなわち、自己の現世の楽住をよく見ること、そして、後に続く人々を憐れむこと、の二つからなのです」と。

 「確かにこの後に続く人々は、阿羅漢である正自覚者による通りに、ゴータマ尊から憐みを受ける性質の者です。
  ゴータマ尊よ、素晴らしいことです。ゴータマ尊よ、素晴らしいことです。
  例えば、ゴータマ尊よ、倒れたものを起こすかのように、
  覆われたものを取り除くかのように、迷った者に道を教えるかのように、
  『眼の見える者たちは、諸々のものを見るであろう』と、暗闇に燈火を掲げるかのように、
  まさにそのように、ゴータマ尊は、多くの方法で法を説いてくださいました。 
  この私は、ゴータマ尊に、また法に、比丘僧団に帰依いたします。
  今より以後、生涯、ゴータマ尊は、私を帰依する者として、お認めくださいますように」と。


〈 和 訳・おわり 〉




● 解 説


ののの

























































( 編集中 〉