大浦和日報2007 - (2007/04/18 (水) 19:13:30) の編集履歴(バックアップ)
- 2007/03/04(Sun) J1開幕 横浜FC戦
- 2007/03/11(Sun) J1 新潟戦
- 2007/03/18(Sun) J1 甲府戦
- 2007/04/07(Sat) J1 磐田戦
- 2007/04/14(Sat) J1 柏戦
- 2007/04/29(Sun) J1 鹿島線
- 2007/05/13(Sun) J1 ガンバ大阪戦
- 2007/06/10(Sun) A3 城南戦
- 2007/08/01(Wed) J1 広島戦
- 2007/09/15(Sat) J1 広島戦
- 2007/09/22(Sat) J1 横浜M戦
- 2007/10/07(Sun) J1 大分戦
- 2007/10/20(Sat) J1 千葉戦
- 2007/10/24(Wed) ACL準決勝 城南戦
- 2007/11/14(Wed) ACL決勝 セパハン戦
- 2007/12/01(Sat) J1 横浜FC戦
- 2007/12/10(Mon) CWC セパハン戦
- 2007/12/13(Thu) CWC準決勝 ACミラン戦
- 2007/12/16(Sun) CWC3位決定戦 エトワールサヘル戦
- 2007/12/18(Tue) ワシントン帰国
2007/03/04(Sun) J1開幕 横浜FC戦
三日土曜日午後帝国赤軍は首都近辺にて無断に海上要塞を築き上げたる横浜航空隊を制圧せり。 同日各地の勢力にも衝突があり帝国政府は赤軍の対亜細亜侵攻を契機とする内乱の端緒との懸念を 深めたり。折りしも先月零楠島近辺にて不穏な動きを見せたる大阪脚軍に対し艦隊を差し向け見事 脚軍の戦闘序列や性能諸元等の情報収集に成功するも猶叛乱の動向収まらず今回の措置に繋がれ り。戦闘は横浜高木隊長の指揮の下消波堤戦術なる布陣にて自陣を固め久保大佐の単騎特攻に賭ける 無謀な戦術を執り能く赤軍の攻撃に持ち堪えたるも帝国の誇る飛燕隊の攻撃の前に遂に陥落せり。 尚帝国政府は特別宣言を発布し今後亜細亜戦線に進軍するも帝国近辺で擾乱の疑いあれば仮借なく 之を鎮圧すると各軍に通達せり。
[大浦和日報]
2007/03/11(Sun) J1 新潟戦
昨未明帝国赤軍は新潟白鳥軍に不穏な動向を感知し主力艦隊の北上作戦を敢行せり。永井隊長の 示威攻撃により開始したる戦闘はワシントン級主砲も炸裂し敵防衛艦"ながた""ちよたんだ"の防衛 線を苦も無く突破せり。新潟はその後天馬博士の開発したる人造兵士の投入等で反撃を試みるも 赤軍の狙いは飽くまでも威嚇にあり夕刻には戦闘を終結し本土へ帰投せり。ワ級は先水曜の尼国 ペルシク・ケディリ艦隊との戦闘中途において突如戦闘放棄し戦列を離れるなどの行動に及びよもや 叛乱かと司令部を騒然とさせたるもセルケイラ艦長の涙の謝罪あれば将軍もこれを赦し帝国艦隊の 士気も更に高まり昨日の圧倒的戦闘に結実せり。
[大浦和日報]
2007/03/18(Sun) J1 甲府戦
昨未明帝国赤軍は国境線を越えて侵入せる甲府騎馬軍に対し赤軍本隊を出動させ之を撃退せり。 元より騎馬軍団と我が帝国赤軍に格段の戦力の差あれど再三の降伏勧告に従わぬ甲府の態度に業を 煮やし遂に帝国第二十一艦隊による殲滅作戦を決行せり。本年の帝国赤軍は司令官の交代もあり 調練の度合いに問題在りと指摘され事実本戦に於いても直掩隊なれど掩護行動の希薄な山田中佐に 対しマルクス級田中艦長が激しく叱責するなど隊内に大小の齟齬が散見せる状態なり。然れども ワ級の主砲は錆びつかず機関部に瑕疵在りと謂えども威力は健在なり。尚赤軍本隊は戦闘後直ちに 南方に向けて大遠征を行い遂に豪大陸の制覇への一歩を進める構えなり。
[大浦和日報]
2007/04/07(Sat) J1 磐田戦
先土曜帝国領内に侵入せる磐田飯軍を帝国赤軍撃退せり。オジェック将軍の構想の下戦術及び 布陣に変化在ればこれに戸惑い防衛面では飯軍の侵攻を許すも攻撃面は小野少佐と第二十一艦隊 並びにポンテ提督及び飛燕戦闘隊が連携し敵陣を縦横無尽に切り裂きたり。特に小野少佐は非情 にも清水士官学校の先輩川口大佐率いる飯軍第一艦隊への集中攻撃を指示、遂には川口大佐の搭乗 せる旗艦"蒼兎"にワ級主砲が命中即沈没し川口艦長の生死は不明なり。更には磐田特殊暗殺部隊の 隊長と目される光学迷彩使用の敵兵を坪井大尉が迎撃し当戦闘での勝利を確定付けたり。豪州での 激戦以降国内外にその覇を轟かせる我が帝国赤軍であるが遂には眠れる獅子中国よりの宣戦布告を 受け迎撃の準備を整えたるも無敵を誇る不落の美園要塞あれば帝国臣民も安寧なり。
[大浦和日報]
2007/04/14(Sat) J1 柏戦
先土曜帝国統治下にある東京霞ヶ丘要塞近辺まで柏陽光軍主力部隊が侵攻せるのを契機に 帝国赤軍との戦闘に突入せり。柏軍は本年破竹の進撃にて各軍を破り遂には我が帝国に宣戦する等 不遜な姿勢が見られ帝国議会は討伐を決定せり。敵将フランサ提督はかつて独国の特殊薬物部隊 にて我等がポンテ提督と共に戦い抜きし盟友同士なり。然れども本戦に於いてはポ提督の指揮が 冴えに冴えワシントン級及び小野隊が怒涛の攻撃を見せつけたり。柏軍は善戦せるも"炎の虎"李 軍曹や格別の成長を見せる菅沼少尉らを欠き赤軍の圧倒的戦力の前に敗退せり。本勝利により 帝国の大陸侵攻作戦がいよ々々現実の物となりつつあるも亜細亜戦線に於いて浦川同盟を結び たる川崎開拓軍に不穏な気配を察知し先ずは川崎側の意向を確認すべく慎重な態度を見せり。
[大浦和日報]