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松井稼頭央」を以下のとおり復元します。
*#32 松井稼頭央
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-本名は松井和夫。
-1975年10月23日生まれ 大阪府出身 右投両打

-走・攻・守、三拍子揃ったどころか、走塁・巧打・長打・強肩・好守と5ツール揃ったプレーヤー。
-現役時代の[[こさっち>小坂誠]]とはどちらが守備が上か、昔から議論されている。
-90年代のパ・リーグを代表する遊撃手。
-全試合出場していた西武時代とは異なり、MLB時代からスペ気味の傾向がある。
-2009年に名球会入り。楽天に在籍した選手での名球会員は初となる。&br()ちなみに、コーチを含めると、[[駒田徳広]]が初。

-PL学園時代は投手で、1993年にドラフト3位で西武ライオンズに入団。
-プロ入り後内野手に転向し、またスイッチヒッターとなった。3年目には石毛からショートのレギュラーの座を奪う。
-西武時代、3年連続で盗塁王に輝いているが、特に1997年は62の盗塁をあげている。初めて3割を打ったのもこの年。&br()その翌年、こさっちと熾烈な盗塁王争いを繰り広げている。&br()最終的には双方43盗塁でタイトルを分け合ったが、故意ボーク疑惑まで起こったほどだった。
-当時のパ・リーグでは、2人の盗塁王&ゴールデングラブ賞争いが見ものだった。
-[[鉄平]]はオールスターに初出場した際、記憶に残るASとして1997年にカズオが成功させた1試合4盗塁をあげている。&br()今でもオールスター記録として残っている。また、4つすべての盗塁を古田敦也から決めた事も有名。

-2004年、FA権を行使しMLB挑戦。ニューヨーク・メッツが獲得した。
-そして開幕戦にて、メジャー史上初の&bold(){開幕戦・新人・初打席・初球HR}を打つ。&br()デビューこそ鮮烈だったが、その後は守備・打撃共に大不振に陥り、怪我も繰り返すように。
-その後は、コロラド・ロッキーズ(2006-2007)、ヒューストン・アストロズ(2008-2010)でプレー。&br()ロッキーズ時代にはワールドシリーズ進出に貢献した。
-2010年はさっぱり打てず、5月20日にはアストロズから自由契約公示された。&br()ロッキーズとマイナー契約を結んだが、結局メジャー昇格はかなわず、3Aでシーズンを終える。
-日本復帰を決め、檻などとの争奪戦の末、11月楽天へ入団することが決まった。
-そしてその直後、[[渡辺直人]]が金銭トレードで横浜へ移籍。&br()&del(){一部ファンが松井叩きに走るなど、}スレはもちろんネット上で大騒ぎに。&br()もちろん、カズオは悪くない。

-背番号の「32」はプロ入りしたとき最初に背負った番号。&br()この番号はこれまで、[[前田忠節]]、[[沖原佳典]]、こさっちがつけている。即戦力遊撃手専用になりつつある。
-キャンプでも、さすがというシャープな動きを見せ、OP戦や練習試合でもコンスタントに安打を記録。&br()解説者からも「衰えの幅が少ない」の言葉が出た&del(){(ただし発言は広澤克己)}。
-メジャーでは二塁手だったが、遊撃手に「復帰」した。
-4月15日、甲子園でのホーム開幕戦では初回先頭打者アーチをかけ、スレは大いに湧いた。
-年齢による衰えもあるのか、「元メジャー」の肩書きを考えると打率や守備も今ひとつ。&br()しかしチームトップの決勝打を放っている。
-定期的にスタメンを外し、休養を取らせる起用法になってからプレーも安定。&br()疲労がたまりやすいのは、しかたのないことか。
-大活躍してもお立ち台にはめったに上がらず、他の選手に譲ることが多い。&br()人柄は控えめ、やらかしで落ち込む選手がいたらそっとフォローするなど、人望はうなぎのぼり。ただしソースは東(ry
-7月26日に日本通算1500安打史上最速達成記録を達成。やっぱりそこらへんは超一流選手と言えよう。
-怒らせるとめちゃくちゃ怖いらしい。

-プロデュースメニューとしてフィリーチーズステーキサンド(アメリカ名物)を出した。&br()アメリカらしく非常に食べ応えがあるのでぜひ一度お試しあれ。

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