ここには河星のうち具体的に旭日地域の歴史を記していく。


歴史

太古

前星紀

人類の出現と旭日族の誕生

およそ4万5000年前、河星に現れたとされる人類は今のマルテア大陸の中央部から西へ東へと広がり、狩猟生活を営んで過ごしていた。やがて前3万年ほど前に短い全球氷期に突入する。この時我々の祖先はセアシア大陸、旭日列島に侵入し、やがて旭日族となって1万2000年ほど前に氷期が終了。氷の融解によって旭日の人類は海に閉じ込められた形となった。

稲作の伝来、くにの誕生

およそ前800年前にセアシア大陸から漂着した人々が稲作を伝え列島東部に浸透。人々が定住を始めた。その後前200年頃から次第に小さな集落だったものが大きくなり小さな「くに」を作っていき、やがてそれは次第に大きくなり100あまりの国ができたとされる。このころから争いも並行して起こるようになった。

古代

旭日と帝の登場

1星紀ごろ、このころはまだ国内の歴史的記述はない。しかし、このころセアシア大陸に存在した燐王朝の残す資料によれば、「東卑」という名前はこのころに決まったとされている。その後2星紀に入るとセアシア大陸の華王朝の文章に「帝・みかど」という単語が現れる。この時点で帝が「○○代」であることも明記されており、正確な証拠として根強く提唱されている。

セアシア王朝の変遷と旭日の国号

華王朝の崩壊に伴い、旭日は東卑という蔑称を東の太陽を意味する東日に改める。輝王朝がセアシア北部の統一を始めると東日は同盟を申請。対等な関係を築くべく国号を今の旭日のもととなる「旭日(あさひ)」として同盟を締結する。

旭輝貿易と旭日文化の礎

輝王朝の間は、旭輝貿易によって華文、製鉄技術、楽器(音楽)などが伝えられ、今日の旭日の伝統文化の礎になった文化的条項が非常に多い。

中世

貴族、士族、そして幕府へ

輝王朝の崩壊に伴い旭日は外交ルートを寸断。旭日では貴族などが誕生し、領土の範囲も北に拡大し始める。およそ一星紀にわたって貴族が強い権力を持ち、独自の言語や後の士族の武器となる曲刀も誕生した。しかし、もともと貴族の警護を行っていた「士族」が力を強めはじめ、星紀末には貴族と武士が対立。貴族の◯◯家と△△氏の対立によって起こった◯◯合戦は士族の勝利で終わり、以後貴族は歴史の表舞台からしばらく姿をひそめるようになる。

大伴幕府の発展

◯◯合戦に勝利した△△氏は帝から「軍将」の称号を授かり、また帝は自身の軍事に関わる権能を軍将に明け渡した。セアシア大陸の混乱の流入を防ぐために国境の警備を任され、セアシアが辰王朝に統一されてしばらくは幕府は平常だった。

大伴幕府の暴走と南北朝

しかし大陸統一後次第に幕府はその余ってしまった権力を横暴に振りかざし始める。民衆の忠誠心もこれに応じて離れ初め△△氏は没落の道をたどり始め、別の北方の士族であった□□氏がこれを帝宮に指摘し、帝宮は幕府擁護派の別符南朝と、幕府討滅派の皇京北朝に分裂し対立。この対立は数年をかけて次第に激化し、最終的に全面戦争になり大伴の町が焼かれ、結果南朝が敗北した。

南北朝統一と松城幕府

南北朝の対立は大伴幕府の崩壊によって無意味となり、南北朝はのちの松城幕府の軍将となる□□氏の仲介のもと北朝側に統一された。数年後□□氏が軍将になり、松城幕府が誕生した。松城幕府は順調に当時は統一国家を持たない北方のアイン族を北へ追いやり旭日の領域を拡大していた。

大雲帝国の旭日侵攻

セアシア大陸の南方で興った大雲帝国は、その独特な戦法によって辰王朝など、ほとんどのセアシア大陸の国家を傀儡もしくは併合し超巨大帝国と化していた。松城幕府が安定し始め北方攻勢を一時的に停止した頃のある年の夏、大雲帝国から旭日の帝の大雲皇帝への従属化及び国家の併合を求められる。しかし旭日はこれを無視した。その年の秋から冬にかけて幕府と帝宮の話し合いの元アイン族と停戦講和。そしてその冬から徹底的な防戦のために岩塁を沿岸に建て大雲帝国側がしびれを切らすのを待った。大雲帝国は予想通り翌年の春に旭日に対し宣戦。始めは猛烈な攻勢や新型の兵器に苦しめられるも何とか耐えきり、途中で相手側の兵器の技術を旭日側が獲得。これによって戦況は次第に旭日側に有利になり、その年の年末に大雲帝国側が攻勢をあきらめた。この戦いを「雲旭戦争」と呼んでいる。

松城幕府の滅亡と帝政回帰

雲旭戦争ののち、幕府は深刻な財政難に陥り徳政令を発令。しかしこれが返って幕府の財政難を招き幕府が急速に弱体化。またここでアイン族との停戦が期限切れとなり、アイン族の激しい攻撃である「松伐作戦」によって松城が陥落。幕府が倒れてしまう。国民が混乱する中、帝が国政をすべてとり行うべきという「帝政回帰」の風潮が始まり、翌年「原点回帰令」が発令され国号が「旭日帝国」となった。

氷帝戦争と中央世界

旭日が帝政回帰したことでアイン族は国家というまとまりがなかったために劣勢になるも、これに対抗しアイン族も部族をまとめ統一国家「アインクォック」となって再び攻勢をかける。旭日はこれにより劣勢になるも、東方世界に関心を強めていた中央世界のイステリーヤ王国の大砲やの技術を借りて再び攻勢。最新兵器によってアインクォックが敗走し降伏した。降伏直前にアインクォック側にイステリーヤに対抗していたポートリア王国も加担しようとしていたという情報も残っている。またこの一連の戦争を「氷帝戦争」と呼ぶ。

異教排除と閉国時代

イステリーヤやポートリアの中には宣教師がおり、クロッシア教が流入した。しかし宗教が広まると次第に帝を乗っ取ったりしようとする海外勢力の出現によって「帝への忠誠心を損なわせる」という理由をつけて宣教師の来航を禁止した。その後はいくつかの中央世界の国家(ボルオン朝フランソワール、ヴィリタイア連合王国など)と交易をし、宗教問題が発生しては来航を禁止した。こののち以前アインクォックの最後の首都があった藍恵須(アイエス)島を拠点として限定的に海外への門戸を開放するようになり、そして最終的には「ネーデリオン王国」のみが中央世界の国家の中で旭日との貿易を続けた。この時代を「閉国時代」と呼ぶ。このごおよそ1星紀にわたって平和な時代が経過していく。
この時旭日が外交している国家はネーデリオン王国、靈王朝、(璃宮王国)である。

近代

現代


人物関係


海外関連国家

セアシア大陸

歴代半島国家

歴代紫亜国家

中央世界

エウロペア国家

西方世界

アメリマーズ国家

歴代の帝と元号の年表

最終更新:2018年03月22日 18:26