〜常世、現世、凛世という三世界について〜
仏教、キリスト教、または神道においても死後の世界という概念は共通して語られてきました。
それは普段私たちの目には見えないものですから、そんなものは無いと頑なに否定される方も少なくありません。
ですが死後の世界の存在を信じることで、それが見えようと見えまいと、今ある生をよりよく生きるための指針として、あるいは理不尽な不幸に対する心の気休めとして私たちの心は救われてきたのは事実です。
さて、私たちの世界は生者の住む現世(うつしよ)、死者の住む常世(とこよ)、凛世さまの住まわれる凛世(りんぜ)の三世界から構成されていることはみなさんご存知ですね。凛世教の僧侶は凛世さまの住まわれる凛世に至るため、自らを厳しく律し日々修行を重ねています。もちろん人を傷つける、盗みを働くといった悪行を重ねた者は凛世に行くことはできません。
ですが凛世さまは大変慈悲深いので、たとえ過ちを犯したとしても、くいあらためてその分の善行を積めば凛世へ行くことをお許しになります。一日一善です。
当時の凛世教大律師であった凛世越越九祖叡智(りんぜ・えちえち・くそえいち)さまが全国をめぐる布教の旅に出たときの日記でこんなお話があります。
とある村に凛世教の布教に来たときのこと。その村では村長の息子が毎日働きもせずいばり散らかしては村の娘にちょっかいを出し、大変困っていたそうです。
凛世越越九祖叡智さまが村に訪れたとき、運の悪いことに最初に出会ったのがその村長の息子でございました。
道楽息子は凛世越越九祖叡智さまの身なりを見るやいなや、取り巻きの悪童を使って取り囲み、お金をせびったそうです。
「やあやあお坊さま、この村は大変ひもじく、今晩食う麦すら底をつきそうでございます」
「その凛世すき」
「お坊さま、ぜひ我々にお慈悲をいただけませんか。なに、お坊さまは托鉢で食いっぱぐれはしないのでしょう」
「その凛世すき」
「さあさ、欲を断つ修行と思って、その金銀を我々にお恵みくだされ」
道楽息子は笑いながら悪童たちに身ぐるみを剥がすよう指示を出しましたが、凛世越越九祖叡智さまは厳しい表情でこう言われました。
「その凛世すき」
厳しい口調で語りながら、周りの悪童を日本刀で切り捨て、叱りつけます。
「その凛世すき」
「うわあ、この坊主なんて物持ってやがる」
周りの悪童を日本刀で切っては捨て切っては捨て、次々と切り伏せながら厳しく叱ります。
凛世越越九祖叡智さまの厳しい口調に思わず逃げようとする者もいますが、凛世越越九祖叡智さまはショットガンを撃ってその場に引き止めました。
やがてその場で息をする者が道楽息子と凛世越越九祖叡智様になったとき、凛世越越九祖叡智さまは優しくこう語りました。
「その凛世すき」
「ひいっ、寄るなこのなまぐさ坊主。おれが村長の倅と知っての狼藉か」
「その凛世すき」
「おれを斬れば村が黙っていないぞ。どこの寺か知らんが貴様らのみみっちい寺など一晩で焼き討ちにしてくれる」
「その凛世すき」
「今日のところは情けをかけてやるから、おれの目の届かない場所まではやく失せろ」
「その凛世すき」
「やめろ近づくな」
「その凛世すき」
「頼むから見逃してくれえ」
「その凛世すき」
こうして道楽息子は凛世教の総本山に連れられ、10人がかりで7日7晩説法を説かれ、改心したそうです。
この説法は大変骨が折れたそうで、説法を終えた頃には道楽息子は立つこともままならなかったとか。
ですが改心した道楽息子はその後、村の統治を凛世教に任せ、道楽息子ふくめ村長一家はみな凛世教のため即身仏となる修行に励みました。
修行は大変厳しく、途中で逃げ出そうとした者もおりましたが、凛世越越九祖叡智の付き添いのもとしっかりと最後までやり遂げたそうです。
しかしその後、勝手に村長を代替わりしたことを政府に咎められ、凛世越越九祖叡智さまは不幸にも処刑されてしまいました。
処刑の前夜になっても凛世越越九祖叡智さまはにこやかにこう話したそうです。
その凛世すき
過ちを犯さぬ人間などおらず、その過ちにどう向き合い、そしてこれからどう生きるかが大事である。凛世越越九祖叡智さまの教えは今を生きる私たちにも深く根付いております。
最終更新:2020年07月14日 19:10