──嗚呼、こんなにも容易く
掌に残ったのは拍子抜けした呆気なさと、微かな後悔。
こんなにも容易かったのか。
こんなことなら、もっと早く気づけばよかった。
もっと早く気づいていれば──
「り、凛世?」
この胸の傷はもっと小さく済んだだろうに。
「お、おい。どうした……」
行動に移せばそれはとても呆気なく終わった。
ソファに座る貴方様の肩をぐいと押し、仰向けに沈める。そこに凛世が跨る。
たかがそれだけの行為を、凛世はずっと無理だと、決して能わぬ行いだと勘違いをしていた。
やってしまえば、こんなにも呆気なかったのに。
「凛世……?」
貴方様の瞳が映すのは、戸惑いの色。
その瞳は、凛世の胸をずきりと痛めつける。
何度、この瞳に傷を抉られただろうか。
想いが通じなかった時、すれ違った時、決まって貴方様はこの瞳を見せ、凛世を拒んできた。
だから勘違いしてしまった。
「貴方さまが……」
いつも凛世を導いてくれたから、勘違いをした。
いつも共に歩んでくれたから、勘違いをした。
「貴方さまが、悪いのです……」
だから無理だと、凛世が押し倒しても、振り払えてしまう人だと勘違いをしてしまった。
本当はこんなにも容易く、組み敷かれてしまうのに。
「凛世、よせっ」
凛世の瞳に危うさを感じたのか、慌てて手を振るう貴方様。
しかしその手首を掴み、ぐいとソファに押さえつければ、もうぴくりとも動かせない。
こんな凛世の細腕でも振り払えないほどに、貴方様はか弱い。
レッスンで体力も付けば、力もつく。
それは自然の道理。その当たり前の事実は、皮肉にもこうして貴方様を組み伏せたことで証明してしまった。
後は凛世の思うがまま、ゆっくりと顔を近づけ貴方様の──
「……冗談じゃ済まないぞ」
未だに凛世を無垢と信じて、優しく諭す言葉。
けれど──
「……冗談?」
ここまできて冗談とは、なんと滑稽なことか。
その純真さに呆れを通り越して苛立ちすら覚える。
「これが……冗談と、お思いですか……?」
そのまま苛立ちを唇に乗せ、貴方様の唇を塞ぐように重ねた。
唇と唇を挟み、舐り、擦り付け、乱暴に貴方様を味わう。
貴方様は止めようと首を横に振ろうとするが、凛世が犬歯で唇を噛むと、ビクッと身体を震わせて従順になった。
強く噛みすぎたのか、噛んだ唇を舐めると仄かに鉄の味が漂った。
十分に舐り、唇を吸い尽くすと、息を荒げてこちらを見つめる貴方様。
──嗚呼、こんなにも容易く
唇を吸う度、頼れる想い人の虚像は蜃気楼のように霞んでいく。
張りぼての幻想は枯れ枝のように、容易く手折れていく。
貴方様が悪いのです。
こうすれば良いと、凛世に気付かせてしまったのだから。
最終更新:2020年12月07日 21:23