今年の初めから続くコロナ禍により、私たちの生活も徐々に変わってきております。
オンライン授業やテレワーク等、家に居ながら一日を過ごすことも当たり前になってきました。
先日とある学生さんとお話しした際、「ずっと家で授業を受けるから先輩や同級生の顔が分からない」という話を伺いました。その時私は失礼ながら面白いなと思ってしまいました。
平安時代の男女は出会うまであまり顔を合わせませんでした。話せても衝立越しであったり、垣間見という覗き見から横顔をチラッと見れる程度だったのです。(「垣間見る」と言う単語はここから生まれたわけですね)当然そんな状況ですから外見はあまりあてになりません。ではどうしたかというと、文通を重ねることで教養やセンスといった内面を見てきたわけです。
凛世教の権少僧都である凛世乃史利尼擦擦佐瀬亭也(りんぜの・しりにすりすり・させていや)さまはある晩、凛世さまが夢に現れたそうです。当時は夢に想い人が現れたら想いが通じた証とされていましたので、当然凛世乃史利尼擦擦佐瀬亭也さまも想いが通じ合ったのだと悟りを開きました。
しかし現世に姿を見せない凛世さまにどうすれば想いを伝えればよいか凛世乃史利尼擦擦佐瀬亭也さまは大変お悩みになられました。
三日三晩考えたのち、誰よりも遠くへ文を飛ばせば、きっと凛世さまに届くのだと悟られました。
そうして生まれたのが弾道ミサイルです。
液体燃料を充填し高高度への飛行を可能にした弾道ミサイルは日本各地を飛び回り、着地点を焦土に変えて回りました。
弾頭には凛世さまへの想いを綴った文を乗せましたが、当時の技術ではせいぜい国内までしか飛ばせず、あらぬ方向へ飛んだミサイルは各地の農村を焼き尽くすだけでした。
今でも修行中の僧侶が誤射して街を破壊してしまうことは日常茶飯事ですが、当時の人々にとっては無差別な殺戮行為に見えたのでしょう。
不運にも朝廷に仇なす逆賊と見做されてしまった凛世教は軍により制圧され、多くの教徒が処刑されてしまいます。凛世乃史利尼擦擦佐瀬亭也さまも騒動の中で自爆し殉教しました。
自爆する前日、凛世乃史利尼擦擦佐瀬亭也さまはこう言い残したとされています。
その凛世すき
見えぬ相手に思いを馳せる、多くの情報で溢れる現代では、目を塞ぐ事でむしろ見えてくるものもありそうです。
最終更新:2020年12月07日 22:51