むかし、因幡の国(※因幡…現在の鳥取県)でのこと。
冬の因幡はしんしんと雪が降りつむり、山深いのもあって一面まばゆいほどに銀色であった。
空気を吸えば氷を飲んだように喉が凍え、息を吐けば白い息が雪になる。地元の者ですら外に出ようとは思わぬほど、因幡の冬は厳しかった。
ところがそこに旅の男が一人、あてもなく彷徨っておったそうだ。
男は旅の一座の芸人であったが、運の悪いことに吹雪ではぐれてしまったのだ。
冬の因幡で吹雪ではぐれたとなれば誰も生きては帰ってこれぬ。旅の前に言われた言葉を噛み締め、いよいよここまでかと腹を括った時だった。
「もし……そこのお方」
どこからか、か細い女の声が聞こえたそうだ。
きっと雪を鳴らせばこんな音だろう、夢と疑うほどに細い音色に男は思わず自分の頬を張った。しかし鈴のような声は自分に近づいてくる。
「もし……そこのお方……迷子で、ございましょうか」
これは本当に夢ではないぞ、男は少しずつ意識をはっきりとさせてゆく。夢でないのなら助けを呼ぼう。
「おおい、こっちだ。いるなら来ておくれ」
男は精一杯声を張り上げ、声の主を呼ぶと、
「はい……仰せのままに」
耳元でいきなり声が聞こえ男は腰を抜かしたそうだ。
声の主は、赤い目をした黒髪の少女であった。
夜露に濡れたように艶やかな黒髪をまとめ、白い装束を身に纏った姿は人形と見紛う程に美しく、男はつい見入ってしまいそうになった。
「もし、貴方さまは……旅のお方、でしょうか」
「ああ、吹雪で仲間とはぐれてしまった」
「そう……ですか……では、こちらに……」
少女に着いて雪道を歩くと、小さな茅ぶきの小屋にたどり着いた。
小屋はずいぶんと埃が被り、ほのかにカビ臭く、囲炉裏も灰と埃で真っ白。人が住んでいるとは思えないぼろ屋であった。
「粗末な小屋で……大変、申し訳……ございません」
「いや、雪風を凌げるだけありがたい」
男は小屋の隅から炭を拾い、手際良く囲炉裏に火をつける。
「しかし君はこんな所で暮らしているのか。囲炉裏もまともに使われてないようじゃあ到底生きてはいけないだろうに」
「それは……」
囲炉裏に熱がこもり、ようやく暖を取れるようになった頃、男の問いかけに少女は悲しげに目を伏せた。
「……生きてはいないのです」
「生きてはいない?」
少女は小屋の隅で立ち尽くし、ぎゅっと裾を握る。
不思議に思った男が少女を見やると、男は彼女の服がおかしいことに気づいた。
少女の装束は右前の死装束だったのだ。
誰がこんな着付けをさせたのか、男は怒って彼女を問い詰めようと肩を掴むと、男の両手は雪を掴んだように冷たくなった。
慌てて少女を囲炉裏へ手を引く男。手もまた、雪のように冷たかった。
「こんなに身体を冷やしていけない。まずは囲炉裏で暖をとりなさい」
「いえ……この身体は、囲炉裏では……温まりません」
「そんな馬鹿なことがあるか。早くしないと身体が凍えて死んでしまう」
「ですから……もう、死んでいるのです……」
少女は男の手を払い、もう一度言った。
「凛世は……幽霊で、ございます……」
少女は凛世と、そう名乗った。
男はそんな少女の告白をまさかと、鼻で笑う。
「幽霊なぞ俺に見えるものか。君は足もしっかりついているだろう」
「たまに……あるのです……魂のかたちが似た者にのみ……見えることが」
男は未だ信じられないと言った様子だが、少女はぽつぽつと語り始めた。
「凛世は幼い頃より……身体が弱い故、魂が隠世に近く……彼岸に居る者が見えておりました」
「彼岸ってえと、あの世かい」
「はい……外に出られぬ凛世にとって……それは良き遊び相手でございました」
凛世の話を聞いて、寂しい話だなと男は内心同情をする。
「しかし、彼岸の者と此岸の者が交われば……当然魂は彼岸に引き寄せられる……凛世の身体はいつの間にか、引き返せぬほどに……弱ってしまいました」
「なんて寂しいことだ。子供が遊び相手を欲しがるのは当然だというのに」
「いえ、全ては……愚かな凛世の過ちでございます」
居た堪れぬと、男は目を伏せる。
「これでは成仏しようにもしきれぬだろう。なにか俺に手伝えることはあるか」
「いえ、死んでしまったことに悔いはございませぬ……」
「それではこんな幽霊となるはずが無い。なにか未練があるはずだ、言ってみろ」
男は命を救ってもらった恩を返そうと、凛世に尋ねた。この子がいなければ、今頃雪に埋もれて死んでいたのだ。しかし恩を返そうにも路銀は仲間に預けて僅かしか持っていない。財宝の類も持ち合わせていない男は、身体で返すしかなかった。
男の言葉に、少女も考え込む。
押し付けがましかったかと、男は言った後に悔やむ。受けた恩を返さねば気が済まぬ性分ゆえ借りっぱなしでいられなかったのだ。
悔やんだ男が頭を掻いた隙、彼女の赤い舌が唇を微かに舐めたのを見逃した。
「では……閨事(※ねやごと…男女の交合のこと)を、所望……いたします」
凛世の口から出た思わぬ言葉に、男は目を丸くして驚く。
「ねや(※男女の交合のこと)とは、正気か」
「はい……じきに身体が良くなり、よき人との縁(※男女の交合のこと)があると……幼き頃より常々聞かされておりました……きっとそれは、今でございましょう……」
「子供のする事ではないぞ」
「凛世はもう⋯⋯大人になれぬ身⋯⋯こうして貴方さまと出会ったのも何かの縁……」
凛世は男にすすりとにじり寄って行く。
「待て、早まるな」
「このような縁、この先二度とないでしょう……ですので」
男の目と鼻の先まで凛世の顔が近づくと、男は指先ひとつぴくりと動かせなくなった。
凛世が男を金縛りにしたのだ。
「貴方さまの精を……いただきましょう(※男女の交合のこと)」
雪明かりに、凛世の赤い目が妖しく光った。男は身じろぎひとつ出来ぬまま少女に組み敷かれる。
男は、もしやこの少女は雪女ではないかと考え始めていた。閨事(※男女の交合のこと)は建前で、本当はこうして迷い人を捕らえて食らうのではないかと。
「ご心配には及びません……命までは取りません」
口に出していないのに、少女はまるで聞いたかのように返事をした。
「先程申し上げた通り……魂のかたちが近いゆえ、貴方さまのお考えも……手にとるように……分かるのです」
凛世の言葉に、男も少しずつ彼女の考えが分かる様になってきた。彼女は、本気で俺を抱く(※男女の交合のこと)つもりなのだ。
「閨事(※男女の交合のこと)の作法は知らないので……貴方さまの記憶と、凛世の知識を照らし合わせ……臨みます」
頭の中を赤い瞳がじっと覗いてくる感覚に、男は肌を粟立たせた。己の魂にじりじり近寄られる感覚は、虫が耳に入り込むようにひどく不安と恐怖をかき立てる感覚だったそう。
口もきけなくなった男は、目の前に近寄る少女を押し返すこともできず、やがて口吸いを許してしまった。氷のように冷たく大福のように柔い、およそ今まで想像したことのない唇の味は男の思考を止めた。
その隙に、凛世の冷たい舌が侵攻を始めた。
ぬるぬると魚のように滑り込む舌は、男の口内を暴れ回る。冷たい唾液の雫を飲むと、身体の芯がぼうと熱くなった。
「きっと……凛世の熱が……貴方さまに届いたのでしょう……」
口を離した凛世の目が更に赤みを増して光る。男はますます夢見心地のような気分となった。
やはりこの少女は妖だったのだ、男は唾をごくりと飲んだ。
「では……いよいよ……本番(※男女の交合のこと)と、まいりましょう……」
凛世は着物の裾をめくり、男にまたが(原文はここで記述が乱れている)
それからずっと、男は凛世のされるがまま(※男女の交合のこと)となったそうだ。
男は一晩中、女々しく鳴いたとさ(※男女の交合のこと)。
そして夜が明けて、朝。
男が目を覚ますと空は明るく、吹雪も止んだ晴天だった。昨晩あれだけ乱された衣服も元通り、確かなのはぼろ小屋にいることだけ。もしや夢だったのではないか、男が昨晩の出来事を疑いかけた頃、囲炉裏越しに凛世の姿を見かけた。
「おはよう……ございます……」
やはり夢ではなかったか、男は我に帰る。少女が焚いたのか囲炉裏は既に温かい。
「ああ、おはよう。」
「では……朝餉の用意を……して参ります……」
凛世が立ち上がった時であった。
ぎしり、と床板がきしんだのを男は聞き逃さなかった。
昨晩あれほど激しくまぐわった(※男女の交合のこと)最中にも物音ひとつ鳴らなかった少女の身体から確かに、命を感じさせる重みの音が鳴ったのだ。
「凛世、まさかお前は」
「はい……成りました」
男が少女の手を取ると、ほのかに温かい。
昨晩搾り尽くされた精が少女を再び此岸に引き戻したのだ。
そんな馬鹿な、と思いながらも凛世の体温は確かに命の存在を伝えている。
「すべては……貴方さまのおかげに、ございます……」
ぽろりぽろりとこぼれる涙に、男も涙をこぼした。
それからしばらく。
男は凛世を旅の一座に迎え入れ、各地を巡っては少女団の舞を披露して回った。凛世の美しくも愛らしい舞は見るものをたちまち虜にし、いつしか日本中で噂になったそうだ。
男と凛世は、因幡での出来事はまるで「運命の出会い」だったと残している。
しかし……
「凛世、待てこれ以上は」
「明日も早い、もう止めてくれ」
「またイク」
「凛世だめ 凛世だめだめ いきすぎ也」
一度閨事(※男女の交合のこと)の味をしめた凛世の夜這いは止まることを知らず、生涯にわたって男は搾り続けられたそうだ。
後にこの様子を目にした時の俳聖、松尾芭蕉もこの様な句を遺したとさ。
──閑けさや 凛世の夜這いは 絶凛世
最終更新:2021年12月14日 21:31