ー1ー
これは、とある雪の洋館での一幕である。
吹雪の雪山の中、灯りを頼りに一組の男女が古びた洋館に辿り着いた。男の方は身長が高い短髪の青年で、女の方は対照的に背が低く、雪山に咲く一輪の花のごとく可憐な美少女であった。青年の名前はふじえるといい、アイドルであるこの少女、輿水幸子のプロデューサーをしている男であった。
彼らは休暇を利用してスキー場に行く途中に雪山で吹雪に見舞われ、迷い込んだ先にこの洋館に辿り着いたのだ。
洋館は明治時代の洋風ホテルの様な風貌で、堅牢な印象を与える一方、外壁の所々に錆びつきやひび割れを見せ、中世の牢獄の様な不気味さだけを残していた。
2人はその不気味さに足をすくませるものの、吹雪を凌ぐにはここに入るほかはなかった。
「まったく……ふじえるさんが車にスキー板を取り忘れたなんて言うから……」
洋館に入った幸子は雪を払い落としながらふじえるに文句を言う。
「ごめんって。まさかスキー場にたどり着く前にこんな猛吹雪に見舞われるなんて思ってもみなかったじゃん」
「ボクとスキーに行けるというのに万全の準備をしないふじえるさんが悪いんです!あぁ、ボクのカワイイスキー姿を見ることができないスキー場はなんてかわいそうなんでしょう……」
むくれる幸子を宥めながらふじえるは慎重に洋館を見回す。
洋館の中は薄暗く、くすんだ深紅のカーペットに埃っぽいベージュの壁紙が、とうに廃れた廃墟であることを物語っている。ふじえるは幸子を後ろに連れながら、ランタン型の懐中電灯をかざしてゆっくりと洋館の中へ進んでいった。
小一時間探索したところ、この洋館はかつては小さなホテルだったらしく、客室が4つと共同の浴場とダイニングルーム、オーナーの部屋と物置がある。小規模なので、ホテルというよりはペンションに近い建物であることが分かった。
探索を終え客室の一つを借り、2人は息をつく。この探索中、2人とも怯えに怯えきって疲労困憊であった。特に幸子の方は探索中ほぼ目を閉じてふじえるの服の裾を掴んで付いて回っており、いつも以上に神経と体力を消費しきっていた。
「ね、ねぇ、ここ早く出ましょう……?やっぱりなんか怖いです……」
怯えきった幸子が提案する。
「そうは言っても、まだ吹雪は止みそうにないし車は置いてきたし、今から取りに戻る方がずっと怖いよ。まだここで留まってた方がずっといいよ」
「だ、だったら!雪が止んだら直ぐ出ましょう!!いいですね!!!」
「ま、まあ……」
幸子のあまりの怖がりように気圧されながらも、ふじえるは窓の外の吹雪を眺め、一晩はここで過ごさなきゃならないだろうなと考えていた。
洋館の中に電気やガスは通っていないものの、地下水を汲み上げる水道と薪木があるため、暖を取るには困らなかった。
ダイニングの暖炉で火を起こした後、ふじえるは火の管理を幸子に任せ、屋敷に使えるものがないか再度探索に行った。幸子は心細さから引き止めようとも思ったが、荷物は少なく物資に乏しいためふじえるの提案を受け入れる他なかった。もしこの吹雪が止まなかったら。凍死を逃れても食料が尽きてしまったら。一時の恐怖とは比べ物にならない最悪の想像が頭をよぎり、幸子は文句を呟きながら渋々ダイニングでの留守番を引き受けるのであった。
それから一時間が経ったであろうか。独り言に飽きた幸子は静かにふじえるを待っていた。ダイニングは暖炉の灯りだけが光であり、薪を燃やす音と外の風の音だけが静かに響いている。
幸子は暖炉で体を温めながら、未だ帰ってこないふじえるの身を案じていた。たった一時間だが、辺りを支配する静寂と暗闇は時間を悠久に感じさせる。そんな闇の中、幸子の不安は膨れ上がり、今や幸子の心を押し潰さんとばかりに恐ろしい想像を思考になだれ込ませていた。ふじえるさんはボクを見捨てたのではないだろうか、ふじえるさんは雪に流され死んでしまったのではないだろうか、洋館の中でふじえるさんの身に何か起きたのでは、洋館に誰か居たのでは、いや、"ナニカ"がいたのではーー
「ふぎゃーーーー!!」
幸子は恐ろしい方向へ加速していく思考に怯え、堪え切れず叫んだ。叫び声はダイニングを反響した後静寂にかき消されるが、幸子の不安が拭われることはなかった。
もう限界、これ以上は耐え切れないーー
幸子がふじえるを探しに行こうと立ち上がったとき、
「大丈夫かっ!?」
待ち侘びたふじえるの姿が戻ってきた。
一瞬呆気にとられる幸子であったが、ふじえるの姿を確認した途端、我慢していた寂しさや孤独感、やっと戻ってきた安堵感が幸子の心に一気に押し寄せ、
「ふじえるさん……ふじえるさぁん……」
幸子はふじえるの体にすがりつきわんわんと泣き始めてしまった。ふじえるも幸子のいきなりの行動に驚きつつも寂しい思いをさせてしまった申し訳なさから、謝りながら優しく抱き止め幸子をなだめていった。
しばらくして、ふじえるは涙を流しきった幸子と一緒に暖炉に温まりながら、屋敷内で見つけたものを1個ずつ見せていった。
多少古いもののアルミの鍋ややかんはまだ使える状態で残っており、水の煮沸に利用できそうであった。タオルや部屋着、使い捨ての洗面用具もかなりの量残っていたため、衛生面でもある程度融通は効きそうだ。そして何より幸子が驚いたのはーー
「……ここ、ホントに廃墟なんですよね?」
「ああ、そのはずだ。僕も驚いたんだが……これでしばらくは飢えも凌げそうだ」
ーー賞味期限が過ぎていない、缶詰などの保存食だった。
ー2ー
ふじえるが見つけた食料は携帯食料パンの缶詰やキャンディ、金平糖だけでなく、保存用の野菜ジュース缶、焼き鳥の缶詰、レトルト食品など多岐にわたっており、それらがダンボールの中に無造作に詰め込まれていたらしい。ふじえるは食料を発見して喜んでいるものの、幸子はあまりの都合の良さにこの事態を訝しんだ。
ーー怪しい。缶詰の保存期間は5年前後の筈です。それらが全て期限内ということは数年以内にこの建物に人が立ち入ったと考えられます、しかもわざわざ缶詰を残して。ここ2,3年で住んでいた人が立ち去ったとしてもここまで色々な保存食をダンボールにしまったまま置いていくでしょうか?期限が切れて無駄になってしまうのに?まるで、ここでしばらく過ごさせる事を考えて残したようなーー
ぐぅぅ、と鳴る幸子の腹の虫とともに幸子の思考は中断された。思えば夕方から何も食べていない。スマートフォンは圏外のままであるものの時刻は20時前を指している。スマートフォンの時間が大きくズレていなければ夕食を食べるのにちょうどいい時間だ。そんな幸子にふじえるは軽く笑いかけながら、缶詰を開いたりレトルトパウチをお湯で温めるだけの簡単な夕食の準備に取り掛かった。
缶詰とレトルトの食事は普段と違って新鮮味があった。当然ながら食料が新鮮というわけではなく、普段の食事とはまた違う味だった、という意味でだ。このような保存食が食事になったことなんて、給食で入れ替えの為に非常食が出されたとき以来であろうか。味も悪くなく、特別美味とまではいかないものの普段の食事に出されても違和感のないレベルであった。なるほど、最近(?)の非常食はここまで進化しているものかと、こんな状況ながら考える余裕も幸子に生まれてきていた。
食事を終えた後、二人は暖炉で温めたお湯と濡れタオルを使って身体を拭き、見つけた部屋着に着替え、着ていた服を洗って乾かし、また暖炉の前で丸まった。しばらく静かに過ごしていたが、ふじえるが探索時の話を切り出した。
「幸子、そういえばここの中歩き回ったとき色々と珍しいものを見かけたんだけど、聞きたい?」
「……怖い話じゃなければいいですよ」
「物置部屋に錆だらけの武器や古びた人形がずらりとあったんだけどーー」
「いきなり不穏すぎません?ボクの話聞いてました?」
「多分武器は前の主人の趣味だったんだろうな。人形はその奥さんのコレクションだと思う。主人っぽい写真があって持って来たんだ、ほら、洋館の前で笑ってるおじいさんとおばあさんがいる。あと謎の黒い人影」
「最後の一言さえなければ見る気あったんですがもう結構です」
「あと孫っぽい子供が沢山いるんだけど何故かみんな中にいるんだよな。無表情で窓からこっち見てるの。写真映りも悪いせいかみんなぼやけてるし」
「次々と不穏な説明するのやめてくれません!?見せなければいいってわけじゃないんですよ!?」
「ハハ、幸子は元気だなあ。物置部屋の話に戻すね。武器なんだけど、中世のバスタードソードって言うんかな、すっごい長い剣とかでかい斧とか、もうダークソウルかってくらい仰々しくてすごかったよ。さすがに重くて持ってこれなかったから見せられなくて残念だけど……明日見に行く?」
「ふじえるさん、ボクたちはここに泊まりに来たんじゃないんですからね?なんでそこまで楽しんでるんですか」
「スキーは確かに残念だったけどもうこうなったらこれも旅行のいい思い出だと思って楽しんだ方が得じゃん?」
「……確かに、こんな経験なかなか無いですが、ボクたちはあくまで吹雪の避難のために来てるんですからね。ちょっとは緊張感も持ち合わせてください!」
「はいはい……じゃあ次はどこ見ても必ずなにかしらの人形と目線が合うしめっちゃ見られてる感覚がして落ち着かなかった話でもしよっか」
「だから不穏な話をやめてください!」
「明日見に行く?」
「行きません!!!」
先ほどの弱気は何処へやら、幸子はふじえるが戻ってからはいつもの調子を取り戻していた。そしてふじえると話し込んでいるうちに、これまでの疲れからかいつの間にか眠りについてしまった。その寝顔にはさっきまでの不安や怯えが無い、緊張の抜けきった様子が伺える。先ほど緊張感を持てといった当人にこの寝顔を見せたらどう思うだろうか、ふじえるはそんなことを考えながら幸子を広々としたソファに寝かしつけ、物置から持ち出した毛布を寝苦しくならない程度に何枚かかけた。
ふじえるは窓を見る。夜が更けた今も吹雪の音は鳴り止まず、雪の粒が激流のような風に流されている。果たして朝になったら、この吹雪は止むのだろうか。吹雪の音に聞き慣れすぎたせいで吹雪が止む姿を想像できない。ふじえるは幸子を心配させないように明るく話すことに努めたが、その胸には一抹の不安がしこりのように残っている。
明日になったら考えようーー
ふじえるは明日に備え、暖炉の火を消し、毛布にくるまりカーペットの上に横になった。
夜が明け、窓から射し込む朝日が幸子を目覚めさせる。いつの間にか寝ていたらしいことと、ふじえるが毛布をかけてくれたらしいことに気づき、朝に弱いふじえるを起こそうと周りを見渡すが、ダイニングにふじえるの姿が見えない。
幸子は昨晩の話を振り返り、ふじえるが物置部屋に興味津々だったことを思い出す。もしかするとふじえるさんは起きてすぐそっちに向かったのかもしれない。
ーーやれやれ、ボクをほっぽってまた一人にするなんてふじえるさんは本当に女の子の扱いがなってませんね。ちょっと叱ってあげましょう。でもボクは優しいので、謝ったらそれで許してあげましょうーー
そんなことを考えながら、勝手の分からない洋館に戸惑いながらも幸子は物置部屋に辿り着いた。そして物置部屋の扉を開け、中を確認する。
物置部屋を見た途端、幸子は驚愕し、膝から崩れ落ちた。
そこには、錆びれた大剣で胸を刺し貫かれ、床に縫いつけられたふじえるの死体があったーー
ー3ー
「ふじえるさん!ふじえるさん!!嫌、嫌です!!!なんで!!! 」
幸子は半ば錯乱したように物言わぬ死体に呼びかける。
「嫌、ねえ、起きてくださいよ……ふじえるさん!ふじえるさん……ふじえるさあああん!!」
幸子はふじえるの死を否定したくて近づくが、血を流し切った青白い肌の色、胸から流れ出ている赤黒い液体の鉄臭さ、温もりだけを失ったいつもの身体の感触、全てがふじえるが現実に死亡し、ここに死体として佇んでいることを残酷に証明するのみであった。
幸子はふじえるの胸に刺さった大剣を引き抜こうとするが、床に深く突き刺さっているのか大剣はビクともしなかった。
何故、ふじえるさんが死ななければならなかったのか。何故、こんな死に方をしなければならなかったのか。ボクたちは二人でスキーをしに来ただけだったのに。何故、何故、何故ーー。
幸子は昨日から次々と襲い来る理不尽に対し、その場で涙することしかできなかった。
ようやく涙が涸れ果てた頃、幸子は部屋の様子を見る余裕ができた。が、すぐに部屋の異様な様子が目に入り、幸子は戦慄した。
壁一面に大きく、赤い血文字で乱雑な殴り書きがされている。
「コノ部屋ニ 二度ト立チ入ラナイデクダサイ」
「立チ入ラナイデクダサイ」
その2文が人形が赤い血で汚れるのも厭わずでかでかと書かれていた。
更にふじえるの死体の傍に、胸を大きな釘で打ち抜かれた西洋人形が置かれてあった。人形に刺した釘にはメモ用紙も留められており、幸子が手にとって読むと、そこには黒いペンでこう書かれていた。
ーー今晩はお前だ。縛り首にして館に捧げる。もう逃げられない。逃げられると思うな。
逃げられると思うな。逃げられると思うな。逃げられると思うな。逃げられると思うな逃げられると思うな逃げられると思うな逃げられると思うな逃げられると思うな逃げられると思うな
恐怖の余り幸子は用紙を投げ捨て、一目散に部屋を飛び出した。この洋館はやはりおかしかった。早く出なきゃ。ただひたすらそれだけを考え、幸子は玄関へと急いだ。
しかし廊下を走っているとき、幸子は猛烈な眠気に襲われた。酷く意識が朦朧とし、動くことすらだるくなっていく。思考すら鈍重になっていく中、それでも必死に逃げなければと足を動かす。
もはや幸子の意識は限界に近かったが、最後の気力を振り絞って玄関まで辿り着いた。もうすぐ逃げられる、ただそれだけを希望に体を動かし、ドアノブに手をかけた。
しかし、扉は開かなかった。
いくらドアノブを回しても、押しても引いても、扉が開かない。必死にドアノブを回し、体重をかけても扉は開く様子を見せない。幸子は必死に扉を開けようとするものの、その努力は全て無駄に終わっていく。やがて限界を迎えた幸子の意識はゆっくりと闇の中に落ち、玄関前で幸子は倒れ伏した。
ー4ー
幸子がゆっくりを目を開けると、そこは武器と人形、そして血文字にまみれた物置部屋だった。幸子は意識を失う前のことを思い出し、また逃げようとするが、身体を動かすことができない。幸子は自分の身体を見ると、椅子に縛り付けられていることに気付いた。いくら暴れても椅子と手足を縛るロープは緩みそうもない。どうすることもできない、逃げられない恐怖を徐々に意識させられ、幸子は絶望を抱き始めた。
それでも幸子は逃げる手段はないかと部屋を見回すと、目の前に何か大きな物体がぶら下がっていることに気づいた。薄暗い部屋のためうまく見えないが、目を凝らすとそのシルエットや細部が見えるようになった。
それは、縛り首になったふじえるの死体だった。
幸子はまた恐怖し悲鳴をあげそうになったが、すんでのところで声を止めた。どうしてふじえるさんがまた、と困惑するがいくら考えても答えはわからない。どうして、なんで、と思考が混乱し、幸子は正常な思考を保てなくなっていた。
そこに、部屋の外から足音が響いてきた。
コツ、コツ、コツと革靴が木の板を叩く音が聞こえる。幸子はその音に気付くと、それまでの混乱した思考が一気に恐怖へと変わった。もうどうしようもない、という絶望から幸子は声を出せずにただ静かに涙を流すしかできなかった。
やがて、ガチャリとドアノブを回す音が響きドアが軋むような音をあげるとともに部屋に光が差し込む。そこには複数の人影が映っている。体格から察するに、どうやら男らしい。その男たちは幸子の姿を確認すると、こう言った。
ー5ー
「ドッキリでしたー!」
はい、というわけで今回のスキー旅行は全部ドッキリだったんです。もともとぼくことふじえるが持ちかけた企画で、偽のスキー旅行に幸子ちゃん誘って途中で吹雪を巻き起こし、謎の洋館でサスペンスを体験してもらおうっていう流れだったんよ。洋館の武器も人形も写真もミスリード。というわけで最初から説明するね。
まず、適当な雪山に洋館のセットを作って、武器やら人形やら作った小道具を用意するのね。写真は適当にスタッフの祖父母の写真と子供の写真をフォトショで合成したの。ついでに洗面用具やら毛布やら食料やらも用意して、これで謎の洋館の完成。
で、旅行当日なんだけど、スタッフの中に気象を操作できる人がいたから僕たちの周囲だけ猛吹雪にしてもらって、あとは僕が洋館に向かうように誘導するのね。で、スタッフさんには悪いんだけど幸子ちゃんが寝るまでは吹雪いてもらったわけ。
じゃあ殺人事件はどうやったのかっていうと、幸子ちゃん置いて探索したときあったじゃん?そのときに暖炉の火を任せるという名目で幸子ちゃんを残して、僕一人で物置部屋に行った後、僕の血を抜いた輸血パックをペンキ代わりに部屋に文字を塗って、人形とメモをセットしておくのよ。で、幸子ちゃんが眠ったときにまた物置部屋に行って、今度幸子ちゃんが入ったときに洋館中に催眠ガスが充満するような仕掛けを組んだ後に、バスタードソードを自分の胸に突き刺し後に剣先を床の割れ目に食い込ませたのよ。なのであれは正真正銘ぼくの死体。
最後に幸子ちゃんが部屋を出た後、洋館の窓やら扉を出られないようにロックして、幸子ちゃんが眠ったらスタッフさんにぼくの死体を縛り首にしてもらって、幸子ちゃんをその目の前に運んでもらってネタバラしっていうわけ。どうよ?
ネタバラしした後の幸子ちゃんはちょっと呆れてもぉー!って行ったけど安心してスタッフと一緒に家に帰りましたとさ。めでたしめでたし。
最終更新:2016年05月30日 06:45