幸子ちゃんってえっちだよね。ほんとカワイイしえっちだし大変理性が保たない。というわけで今日はぼくの理性が大変なことになった話をするね。
事件はとあるライブ後に起きた。幸子ちゃんが無事ライブを成功させて楽屋に戻ってきたとき、一番にぼくのもとに駆け寄って「どうです?今日のボクもカンペキだったでしょう?もっと褒めてくれてもいいんですよ!」って言うのよ。
その屈託のないニコニコとした笑顔とライブ後の火照った身体のせいか頬も少し赤くしてぼくを見つめるわけよ。
その瞬間、ぼくの理性が意識と共にふっと押し込められる感覚を覚えた。そこからは本能がぼくを自動操縦するように身体を動かした。頭の中は幸子のことしか考えられず、ただぼーっと動かされる自分の身体に従ってるような、一種の夢見心地な催眠状態に陥った。このまま目の前にいる少女を襲ってしまおう、犯してしまおう、貪って、獣欲の赴くままに--
「ふ、ふじえるさん?」
幸子ちゃんの怯えた目を見た瞬間、ぼくは意識を取り戻した。気が付けばぼくは幸子ちゃんの両肩を強く握り、幸子ちゃんをジッと睨めつけていたらしい。その状態に気付いたぼくは誤魔化すように
「す、っっっごい良かった。完璧だった。流石幸子ちゃん!」
って褒めたのね。そしたら幸子ちゃん安心したようにホッとした表情浮かべた後にすぐさまいつもの不敵な笑顔を見せて
「そうでしょうそうでしょう!ボクはカワイイですから!このくらい造作もありません!!もっと褒めてくれてもいいんですよ!」
って得意気になるのよ。その後は幸子ちゃんをベタベタ褒めておだてて猫可愛がりしたのね。
でも、頭の片隅で「そろそろ限界か……」という考えていた。
その晩、ぼくは346のエースプロデューサー、武内くんを静かなバーに誘ったのよ。
そこで武内くんに今日のことを打ち明けた。意識を失いかけて幸子ちゃんを襲いかねなかったことを。だから幸子ちゃんのプロデューサーを辞め、引き継ぎ先を武内くんにしようと考えていることも話した。
武内くんは少し目を見開いて驚いたような表情をした後に、申し訳なさそうにぼくに目線を外して「そうですか…………残念です」と呟くのよ。その後、この事は幸子ちゃんに打ち明けないようにしてほしいことも話して、その日を終えたわけ。
その翌日、ぼくは事務所に簡単な連絡をして346プロダクションを去りました。
「どうしてですか!!?ふじえるさんはどうしていないんですか!!!?納得できません!!!!」
ふじえるが去った日の午後、事務所に来るなり担当プロデューサーの変更を告げられた幸子は困惑していた。当然だろう、昨日ライブを成功させて二人で喜んだばかりなのだ。ライブ後の突然のふじえるの辞職。青天の霹靂とはこの事を言うのだろう。
「ですからお話しした通り、ふじえるさんは実家の都合により、急遽蕎麦屋を継がなければならず地元へ戻られました。大変残念な話ですが」
「そんな話信じられるわけないでしょう!ふじえるさんと話をさせてください!」
「しかしふじえるさんが地元に帰られた以上連絡することは……」
「できないってことですか!?ウソですよね!?だってそんな話聞いたことありませんよ!だいいち……」
「幸子はん、もうその辺にしとき」
「紗枝さん……」
「確かに幸子はんに伝えなかったふじえるはんが悪い。だけど、近くにいるからこそ、話したくても話せなかった、その気持ちも酌んであげんと」
「ですけど……」
「幸子はん」
「……っ、はい……」
「それでは、輿水さんはしばらくは私が担当させていただきます。よろしくお願いします」
幸子は納得できないまま、納得する他なかった。たとえここで駄々をこねても、どうしようもない。ふじえるが戻ってくることはない。どうしようもない、やりきれない思いが、事務所内の全員に波紋のように広がっていった。
数日後、とある土曜日の雨の日、幸子は傘を差してふじえるの家に向かった。一度ふじえるの家にお見舞いに行ったきりであったが、記憶というものはあやふやながらしっかりと覚えていたらしい。何となく見覚えのある風景をたどった先に、幸子はふじえるの家に辿り着いた。
幸子がふじえるの家に向かったことに特に理由はなかった。一度お見舞いに行ったとき、インターホンを鳴らせばふじえるが出てきた、その感覚が頭の片隅で残っていたから。そんな淡い希望にすがりつくような、理屈の通らない考えが幸子を駆り立てただけであった。
インターホンを鳴らす。返ってくる音はない。
もう一度インターホンを鳴らす。やはりなにも返ってこない。
もう一度インターホンを鳴らそうとして、幸子は窓から覗く、床板と壁だけの何もない部屋の様子に気づき、鳴らすのを止めた。
もう、ふじえるはここにいない--
その事を改めて認識させられた幸子は、扉の前で泣き崩れた。
「どうしてですか……!ふじえるさん…………!!なんで…………いなくなっちゃうんですかあ…………!!!」
「ボクといっしょに…………がんばるんじゃなかったんですかあ……!!!ふじえるさんのうそつきい…………!うそつきうそつきうそつき…………!」
「やです…………ふじえるさあん…………!!やだあ……」
メソメソと泣き続ける幸子に、重い足音が近づいてきた。幸子はまさかと振り返る。
しかしそこにいたのは、武内Pであった。
「……ふじえるさんでなくてすみません、輿水さん」
「ですが、ふじえるさんについてのお話をしに来ました。輿水さんなら、ここに来るだろうと思って」
「どういうことです……?」
幸子は涙を拭いながら武内Pに尋ねる。
「本当は口止めされているのですが……。ですが、ふじえるさんの存在は輿水さんに、ふじえるさんが思っている以上に大きなものと化している。話さなければ、きっと輿水さんは笑顔を曇らせ続けてしまうと、私が勝手に判断させていただきました」
「輿水さん、聞いてください」
武内Pは幸子にふじえるの真実を話した。
ふじえるは代々異形の血を宿せし一族の分家であった。ふじえるの一族は人の影に棲まい、その者の影としてその身を自由に変え、時には盾となり時には矛となる、「影衣(かげきぬ)」の異能を持つ一族であった。
しかし、影衣の力を発現させるには、影衣の力を持つ者と影を宿す者とが"肉体の契り"を結ばなければならない。また、影衣の一族は元服から8年以内に宿主を見つけなければ、やがて死に至ってしまう。そのため、影衣の一族は宿主となる肉体を求め、理性で抑えきれぬ程の獣欲を遺伝子に刻まれている。
ふじえるはその血の宿命に逆らうため家を飛び出し、理性ある人間であると証明するためにあえてアイドルと触れるプロデューサーを始めたのだ。しかしいつ何が起こるかわからない。そのためふじえるは、自分が本能に抗えなくなったときのために武内Pには事情を話していた。
そして案の定ライブ後の幸子を見て危うく襲いかけたふじえるは血に抗えない自分に恐怖し、限界を悟ったため事務所を後にしたのだ。
幸子を襲わないために、幸子に嫌われないために、幸子を自分に縛りつけないために--
「--以上がふじえるさんの全てです」
幸子はあまりにも突拍子のない、あまりにも残酷なお伽噺に息を呑んだ。余りにも非現実的で、空想的だが、それを一笑に付せない迫力を武内Pから感じた。間違いない、この人は嘘を言っていない、幸子は確信した。
しかし、だとしたら--
「ふじえるさんは、もうすぐ死んでしまうんじゃないですか……?」
「そう、なります……」
「だったら!」
「だったら、輿水さんはどうするのですか。ふじえるさんを救うために、その身を尽くすつもりですか。それを拒んで、ふじえるさんは輿水さんのもとを離れたのですよ」
「っ……」
「よく、考えてください。どうすべきか」
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一族の話を聞かされたのはぼくが14のときだった。母の影から伸びる父の姿を見たとき、ぼくは父が母に巣食う寄生虫にしか見えなくなった。おぞましい。ぼくはそんなおぞましい化け物になりたくない。あんな化け物から生まれたことを認めたくない。おぞましいおぞましいオゾマシイ--
その日以降、嫌悪と恐怖に縛られながら日々を過ごしたぼくは気が付けば18となり、父への嫌悪を募らせたまま家を出た。ふざけるな、ぼくはあんな寄生虫になどならない、なってなるものか。寄生虫として生き長らえるより、俺は人間として生を終えてやると思っていた。
しかし現実はそう簡単にぼくの決意を許してはくれなかった。
あの日、幸子ちゃんを見た瞬間、身体中の細胞が幸子ちゃんを襲えと総毛立ち、血液が沸騰を始めた。襲え、押し倒せ、抱け、犯せ、精を吐き出せ、と。すんでのところで踏み止まり意識を取り戻せたものの、ぼくは悟ってしまった。
どう足掻いても、血の宿命から逃れられなかったことを。
その後ぼくは、引き継ぎを武内くんに頼んで事務所を去り、この山奥の小屋でひっそりと暮らし始めた。母の話が本当ならば、どうせぼくは数ヶ月もしないうちに死ぬだろう。ここで静かに1日を過ごすと自分の生が薄れていくのを感じる。それまで誰にも会わず静かに余生を過ごせば、きっと誰からも忘れられて死んでいく、それが血に抗えなかった、ぼくの最後の抵抗だった。
でもそんなささやかな抵抗すら、ぼくには許されなかったらしい。
インターホンを鳴らす音が聞こえて、誰かと戸を開けたら幸子ちゃんが立ってたのよ。なんで!?と思ったら幸子ちゃんが「ふじえるさん……会いに来ました」って言うのよ。この時点で、武内くんが幸子ちゃんに漏らしたなって気付いたけど、幸子ちゃんぼくの居場所知ってるならなおさらぼくが顔合わせられない事情知ってるだろうにって思ったから「悪いけどぼくのことはもう聞いているだろう。帰ってくれないか」って突き放そうとするのね。だけど幸子ちゃんは食い下がった。
「イヤです……だってふじえるさん、このまま死ぬつもりなんでしょう?」
「……そこまで知ってるなら尚更だ。帰ってくれ」
「イヤです」
「嫌とかそういう問題じゃないんだ。ぼくはもう人間に戻れない。こんな化物がもう一度事務所、いや社会そのものに戻れるわけがないだろう。だからぼくは、人間として生を終える」
「いいえ、ふじえるさんには戻ってもらいます」
「あのね幸子ちゃん……」
「ふじえるさんは、ボクの身体にいてもらいます!!」
ぼくの恐れていた言葉が、幸子ちゃんから発せられてしまった。
「……本気で言っているのか幸子ちゃん。冗談じゃすまされないんだよ」
「はい、ホンキです」
「どういう意味で言ってるのかわかってるのかい」
「……はい、ボクは、その、ふじえるさんと…………するんですよね」
「だったら!軽々しく口にできる言葉じゃないことくらい分かるだろ!幸子ちゃんの身体に取り憑くんだぞ!!幸子ちゃんを縛る、鎖になるんだぞ!!自分のことを軽々しく扱うんじゃない!!」
「ふじえるさんこそ!なんで自分を軽々しく捨てようとしてるんですか!!ふじえるさんはボクのプロデューサーなんですよ!!ボクのプロデューサーが!ボクとここまで一緒にいて!!今更自分一人だけでなんて勝手な理屈が通ると思ってるんですか!!」
「っ!!」
「ふじえるさんがいたから!ふじえるさんが……いたから……!ボクはここまで進んでこれたんですよ……?ボクをカワイイって、いつも言ってくれたから、頑張れたんですよ?分かんないんですか……?」
「幸子ちゃん……」
「それを急にいなくなるなんて……ボクを傷つけないためになんて建前で、ボクから逃げて…………」
「違うんだ、逃げるなんてつもりじゃなかったんだ」
「ボクになにも告げずに、いきなり去ることを逃げる以外に何と言うつもりですか……!」
「……ごめん」
「ふじえるさん、もういなくならないで……」
どんどんと声が震え、目に涙を溜めてきた幸子ちゃんをぼくは必死で慰めたのね。その時、ぼくは幸子ちゃんを悲しませた自責の念でいっぱいだったけど、それでもやっぱり、影衣の宿主として、幸子ちゃんを選ぶわけにはいかなかった。
「幸子ちゃん、本当にごめん。だけど、こんな化物を宿したら……」
「化物だろうとなんだろうと、ふじえるさんはふじえるさんです。ボクはまた、ふじえるさんの顔が見たいんです。また、ふじえるさんと話したくて、ふじえるさんと手を繋ぎたくて、それができなくなる方がイヤなんです。もう二度と、ボクから離れるなんて許しません」
「だからもう一度だけ言います」
「ふじえるさん」
「ボクと一緒にいてください」
ぼくは幸子ちゃんの頑固さに根負けして頷いてしまいました。でもどこかで安心した自分もいたのね。虫の良い話だけど、自分から幸子ちゃんを突き放しておいて、それでも幸子ちゃんはぼくを受け入れてくれて、ぼくを肯定してくれて、泣きそうになったけど堪えたのよ。
なんで父さんを宿した母さんが笑顔だったのか。その理由も少しわかった気がした。影衣は取り憑く力じゃない、共に生きる、支える力だったんだ。幸子ちゃんの決意は自己犠牲なんかじゃなかった。凝り固まったぼくの誤解、憎悪が氷解していくのを感じた。
でもまあ、契るってことはさっきも言った通りで、ぼくと幸子ちゃんがごにょごにょするわけなんだけど、二人とも知識に乏しいのね。だからどうしようかなってたどたどしくなるんだけどここでぼくの本能が暴走を始めて意識を失い、気がついたらボーッと虚ろな目をして頬を真っ赤に染めた幸子ちゃんが荒い息を吐いて倒れ伏してました。(後で聞いたらぼくものすんごい幸子ちゃんをガンガン容赦なく責め立ててたみたい、ごめんねって謝ったら「……バカ」って返ってきました。えっち)
だけどこないだまで薄れていた生の実感がまた色濃く戻ってきて、同時に幸子ちゃんと繋がってる感覚を感じるわけよ。だからぼくはつい泣いちゃった。あれだけ見捨てたはずの自分の命がまた戻ってこれたことに、幸子ちゃんに救われたことに涙した。
その後、ぼくは幸子ちゃんの文字通り第2の手足となり幸子ちゃんを支え続けました。めでたしめでたし。
最終更新:2016年05月30日 22:02