幸子ちゃんがぼくの死体とともに数日過ごす話

「ふじえるさん、おはようございます」

 幸子の挨拶がふじえるの部屋に響く。

「今日は生憎の曇り空ですが、ボクのカワイさには一点の曇りもありません!そうでしょう?ふじえるさん?」

 幸子はいつもの調子で、自身をカワイイと言い、いつもの調子でふじえるに同意を求める。

「こんな天気じゃカワイイボクの姿を外にお披露目することはできないですねえ。ああ、なんて可哀想な空なんでしょう」

「でも安心してください、ふじえるさんは幸運なことにこのボクが部屋にいるんですから、ボクのカワイさを十分、いえ二十分に堪能できますよ!よかったですね!」

 幸子はまくし立てるように口を開いてはふじえるに話しかける。しかし部屋の主からの返答はない。

「ですから……、…………ですから……」

「目を開けてください、ふじえるさん……!」

 幸子が話しかけていた相手、ふじえるは既に事切れていた。


 ふじえるが急病により事務所を休み始めたのはつい前月のことであった。その間幸子の仕事は今をときめくスーパーカリスマつよいプロデューサー武内が一任することとなり、幸子はふじえるの体調を心配しながらも仕事やレッスンに励んでいた。

 幸子が不審に思い始めたのは先週のある日、ちひろからふじえるの休職を告げられたときからであった。単なる風邪の類いで、数日もすれば復帰できるだろうと考えていた幸子はふじえるの容態を尋ねようとするが、ちひろは困ったような申し訳なさそうな顔をして言葉を濁すばかりで知ることはできなかった。

 堪えかねた幸子は土曜日のある日にふじえるの家を訪ね、ふじえるの容態を直接聞き出そうとした。

 しかしそこで待ち受けていたのはあまりに残酷な現実であった。

「ふじえるさん……!どうしてそんな……」

「……幸子ちゃん。来て、しまったんだね」

 顔から生気が抜け落ち、死相が色濃く出ていたふじえるがそこにいた。

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 というわけで幸子ちゃんがぼくの家に来たはいいんだけどぼくは既に死にかけてたときの話をするね。とりあえずどうしてこんなことになったのか話そうか。

 理由は簡単で、幸子ちゃんのファンの中に呪術師の方がいらっしゃってて、ぼくの幸子ちゃんに対する度重なる粗相にとうとう業を煮やしたらしくぼくに死の呪いをかけたのね。当然呪術の心得もなく解呪できそうな人にも心当たりがないぼくは大人しく死を受け入れる他ないわけよ。まあこんなこと話しても信じてもらえないだろうなあって思ってたけど、こういった事例は少なくないらしく武内くんとちひろさんは悲しそうな顔をしてぼくに休むよう告げるのよ。まあそりゃそうか。こんだけ大きな事務所だもの。ファンの呪術師に殺されるプロデューサーの一人や二人いたっておかしくないよな。

 ただ幸子ちゃんのファンがぼくを殺したと知ったら幸子ちゃん悲しみそうだし、この事は幸子ちゃんには伏せてほしいとお願いして、ぼくは残り少ない余生をゆっくりと過ごすことにしたわけ。

 そしたら幸子ちゃんがおうちに来てビックリ。

 だけど幸子ちゃんに真実を話すわけにもいかないから難病を患ったということにして話したのね。

 ついでに先が長くないからこれ以上来ない方がいいよってことも伝えたら幸子ちゃんがボロ泣きするのよ。

「ふじえるさん……っ、なんでっ、なんでボクに言ってくれなかったんですか……!なんで……こんな……」

 って言いながら泣くんだけど、幸子ちゃんに言ったところで事態がどうにかなるものではないからぼくは何も言えずに「ゴメン……」と謝るばかりなのよ。

 そうこうしているうちに夜になって、ぼくの生命力がいよいよ限界になってきたのね。そろそろ立ち上がるのも億劫になってきて、布団に寝そべりながら幸子ちゃんと今までのことについて語るのよ。初めて会ったときのこと、初めて仕事をしたときのこと、初めてスカイダイビングしたこと。その間幸子ちゃん気を緩めたらすぐ泣き出しそうになって、それでぼくは慰めたのね。

 話し込んでるうちにどんどんと眠くなってきて、寝ようかなと思ったんだけど、どこかで「ああ、今夜で終わりだな」って気づいてしまったわけ。じゃあせっかく幸子ちゃん来てくれたし1個くらいわがまま言っても許されるよなって考えて幸子ちゃんに頼み事をしたのよ。

 手を繋ぎながら眠りたいって。

 幸子ちゃんはその言葉から全てを察して、ぼくの右手を優しく両手で包みながら、

「しょうがない人ですね。ボクは優しいので、今日だけですよ。明日からはまたいつも通り、元気な姿を見せてください」

 って言うわけ。ああ、幸子ちゃんはなんて優しいんだろう、そう考えながら、ゆっくりとまぶたを閉じて、ゆっくりと眠りについて、ぼくはそのまま息を引き取りました。めでたしめでたし。

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 「ふじえる、さん……」

 ボクはふじえるさんの部屋でいつの間にかふじえるさんの布団の側で寝てしまっていたようです。行儀が悪いなんて言われそうですけど、元はと言えばふじえるさんがボクと手を繋ぎたいなんて言うからですよ。悪いのはふじえるさんです。

 まったく、仕方のない人ですね。朝ですし起こしてあげましょう、ふじえるさんはボクにゾッコンですから、3秒もしないうちに起きてくれるはずです。カワイイボクの声で起きれるなんて、なんて幸せ者なんでしょうふじえるさんは。

 そんなことを考えながらふじえるさんを起こそうとしましたが、ふじえるさんは目覚めてくれません。まるで固まったようにピクリとも動かず、眠ったままです。握った手も力がなく、なんだか冷たいような気もします。

 ……こんなの嘘です。だってふじえるさんはこないだまで元気にしてたじゃないですか。ボクにちょっかいかけて、笑って、カワイイと言ってくれて。きっとドッキリですよね。どうせすぐに本物のふじえるさんがこの部屋に押し掛けてくるに決まってます。それで、もしボクが泣いてたら泣いてるボクもカワイイなんて茶化して、そんないつものパターンなんてお見通しですよ。

 ですから、ボクは絶対に泣きません。ふじえるさんが音をあげるまで、根比べです。どうせしびれを切らしたふじえるさんがやって来るに違いありません。それまでボクは全力でふじえるさんの家でくつろぎますからね。

 ですから、早く来てください、ふじえるさん……

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 どうもー、ゴーストと化したふじえるでーす。いやー、死んじゃったねぼく。幸子ちゃんのプロデューサーを続けられなかったのは残念だけど、大人しく天から武内くんと幸子ちゃんのアイドル譚を見守らせてもらおっかな。あっやべっ俺地獄だった。てへ。

 ゴーストになってからいつ自我が芽生えたのか確認しようとしたら、なんとぼくが死んでから3日経ってたのよ。ぼくが死んだのは土曜の深夜だから、もう火曜日じゃん。あーもう葬式とか告別式とか終わったし骨になってるかなーと思ったら、なぜかぼくの死体が部屋に残ってるのね。しかも氷を張り詰めた水風呂に入れられてるんよ。

 あれっ?誰がこんなことしたんだろう?普通は棺桶に入れられてるはずだよなあ、って思ったら誰かがぼくの家に来たのね。

「ふじえるさん、ただいま戻りましたよ!」

 幸子ちゃんじゃん。おいおい、この異常事態見たら悲鳴あげるんじゃないのってドキドキしたけど、幸子ちゃんなんか普通にぼくのいる風呂場に入ってきたのね。

 幸子ちゃんは風呂場に入ったと思ったらぼくの入ってる水風呂に氷をドカドカ投入していくのよ。そして氷を入れながら

「ふじえるさん、なかなか来ないですねえ。いい加減にしないとボクの家になっちゃいますよもう……」

 なんて呟いてるのよ。

 あっこれあかんやつだ。精神がおかしな方向いっちゃってる。

 どうやら幸子ちゃんぼくが死んだことを必死に認めようとしたくなくて、ぼくの死体を腐らせないように冷やしながらぼくが来るのを待ってるらしいのよ。多分友達の家に泊まると言ってるんだろう、何着か着替えも持ってきてて、完全にぼくの家を根城としようとしてるわけ。

 ぼくは必死に幸子ちゃんに、もう死んだんだ、早くぼくが死んだことをみんなに伝えてくれ、現実を認めてくれって叫ぼうとするんだけど幽霊だからどうしようもないのよ。

 なので、ぼくはぼくの帰りを必死で待つ幸子ちゃんに心を痛めながら幸子ちゃんを見守ることしかできなかった。

 だけどこのままじゃ幸子ちゃんによくないことしか起きないだろうから、夜になって幸子ちゃんが布団を敷いて眠りについたときに夢枕に立ったのね。

 夢の中で幸子ちゃんはぼくを見た瞬間わっと泣きながらぼくに抱きついてきたのよ。そして涙声で「ふじえるさんっ、やっと来てくれたんですね。待ちくたびれましたよ……!」なんて感極まって言うんだけど、ぼくは幸子ちゃんに別れを告げなければならない。

 だけどぼくがなにか言おうとする度に幸子ちゃんは遮ってぼくに話しかけるのよ。ぼくが幸子ちゃん聞いてくれ!って言ってもイヤです!!ってはねのけて話を聞こうとしない。

 そんな幸子ちゃんを見てようやくぼくは理解した。幸子ちゃんはぼくが死んだことを頭では理解してるんだけど、心だけが必死に認めようとしない、あべこべの状態だったんだなってことを。

 ぼくの死体にまるで生きてるかのように話しかけながら死体を保存させようとしたのも、ぼくの家にいながらもぼくの死体をどこか物のように扱っていた節があったのも、全部ぼくが死んだことを頭で理解しながらも心が認めたくなくて意地を張ろうとしてたんだ。そう考えると、死に目に会わせてしまって申し訳ない気持ちで一杯になったのね。

 でもぼくはもう戻れないんだ。幸子ちゃん、ごめんねって呟いて夢から去ったのよ。幸子ちゃんは行かないでください!!ボクを置いてかないで!!!って叫ぶんだけど、振り切った。その後、強い怨念のすごいパワーを使ってなんやかんやして、短時間だけ実体化したのね。そして寝ながら涙を流す幸子ちゃんを抱えて、家まで送り届けるのよ。幸子ちゃんのお母さんに、幸子ちゃんをよろしくお願いしますと渡して、最後の力を振り絞って武内くんにぼくの逝去を伝えて、ぼくは成仏しました。

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 目が覚めると、ふじえるさんの部屋じゃなくてボクの部屋のベッドにいました。ボクは確かにふじえるさんの部屋で寝ていたはずです。なんで……

 リビングに降りたらお母さんから、昨晩ふじえるさんが迷子になったボクを送り届けてくれたと教えてくれました。ボクは迷子になった覚えなんてありません。ふじえるさんが来たことも、いたことも、知りません。

 ふと、昨晩見た夢を思い出しました。ふじえるさんとやっと会えた夢。だけどそれはほんの短い時間で、ふじえるさんはすぐにいなくなって、ボクが待ってと叫んだ夢。

 夢を思い出した瞬間、よく分からないまま、涙が出てきて、ボクは自分でもよくわからないのに泣き出してしまいました。昨日からおかしいことだらけです。なんで、あんな夢を見たんですか。なんで、涙が止まらないんですか。なんで、ふじえるさんはボクを帰したんですか。悲しくなんてないです。つらくなんてないです。ふじえるさんにからかわれるから、絶対に泣くつもりなんかなかったんです。なんで、涙が出るんですか。止まってください……なんで、なんで、なんで……

 泣いてる間、お母さんとお父さんがボクの背中や頭を優しく撫でてくれて、それが余計にふじえるさんを思い出させて。また涙が出てきて、ボクは結局泣き疲れて学校を休むことになりました。

 その日の午後、CPのプロデューサーさんから、電話でふじえるさんの訃報を聞かされました。そして同時に、担当プロデューサーが変わるため、お仕事の引き継ぎのためにボクは一週間お休みになることも告げられました。

 その時には不思議なことに、あれだけ死んでないって思っていたのが嘘のように、ふじえるさんが死んだことが認められるようになりました。どうしてでしょう。ボクもよくわかりません。

 ふじえるさん……。ふじえるさんがいなくなったあの日から、世界にぽっかりと穴が開いたような気分でした。でもふじえるさんはその穴を埋めようとしたんですね。少しずつ、その穴が埋まって、ふじえるさんのいない日常が、ボクの日常として溶け込んでいきます。でも、ふじえるさんがいたこと、ボクと一緒に頑張ったことは絶対忘れません。ですから、見ててくださいね。ボクが世界一のアイドルになるその姿を!


……という感じの文章を幸子ちゃんに見せたら「ふじえるさんが死ぬ原因雑すぎじゃありません?」という的確な突っ込みが入りました。
最終更新:2016年06月29日 21:12