幸子ちゃんとポケモンGOをする話

 これは、ポケモンGOが世界的にヒットし、町行く人たちがみんなポケモンGOを楽しみ始めたある夏の出来事である。

 ポケモンGOが日本でも社会現象となった頃、輿水幸子も話題に乗りポケモンGOを始めたのだ。幸子はカワイイポケモンをゲットしては自信と可愛さ比べをする日々を過ごしていた。
 しかし彼女は決して仕事は疎かにせず、歩きながらプレーするといった行儀の悪いことはしなかった。ロケ地で休憩の合間を縫ってポケストップに寄り、プレーする。そんな楽しみ方を意識せずやっていたのは、ひとえに彼女の育ちの良さから来るものであろう。マナーを守ったプレーを彼女は続けていた。
 そんなある日、いつものように事務所を訪れると、いつものように出迎えてくれるふじえるの存在が見えなかった。更に奇妙なことに、デスクが何故か綺麗に片付いている。業務中は書類をデスクに広げ、帰り際に急いで棚にしまうような雑な整頓をする彼がこの時間にデスクを綺麗に片付けるはずがない。
 違和感の正体を確かめるべく、幸子はふじえるのデスクを漁り始めた。この様子がちひろさんに見つかれば叱られるだろうが、すぐ済ませてしまえば問題ない。幸子は素早くふじえるの引き出しに手をかけた。

 そこには、一枚の白封筒が、静かに入っていた。封筒の中心には「幸子ちゃんへ」と創英角ポップで記されている。
 幸子が不思議に思いながらも封筒を開くと、中に一枚の便箋が入っていた。そして、その便箋には、ふじえるの懺悔が淡々と書かれていた。


 輿水幸子さん

 あまりにも突然のことで驚かれていると思います。こんな形でしか言葉を伝えられずすみません。僕は常日頃から貴女をお慕いしていました。ひょっとすると日々の言動からそれらを察されていたかもしれません。いえ、既に察していたからこそ、僕は貴女の優しさに甘えられていたのでしょう。貴女と歩む日々はまさしく夢のようでした。その中で信頼、絆、そういった感情が結ばれていったと僕は感じています。
 しかし、僕はそれを何をしても許される免罪符だと勘違いしてしまいました。きっかけはご存知の通り、ポケモンGOです。
 位置情報と拡張現実を組み合わせたこのゲームは、スマートフォンを通してまるでそこにポケモンがいる世界があるかの様に感じさせる夢のようなゲームでした。画面を通せば、カメラに写るいつもの日常にポケモンがいる。日常の中にポケモンがいる世界を作り出したポケモンGOに世界中の人は魅了されました。僕も、貴女もご多分に漏れずポケモンGOに没入していたことでしょう。
 僕はポケモンGOをプレーしていることを口実に、貴女に数々の蛮行を働きました。スマホを持った手を貴女の服の裾に突っ込んだり、貴女のスカートの中に潜り込んであまつさえ下着を奪い取ろうとしたり、入浴中の貴女の更衣室や浴室に押し入ったり、ポケストップだ!と叫びながら貴女の胸を執拗に横にスワイプしたりと数えればきりがありません。そうした愚行の数々に貴女の心がどれ程傷ついたか、その心の傷の深さは僕には邪推することも憚られるほどに計り知れないものと思います。しかし短慮な僕はそれすら今に至るまで考えることもしませんでした。
 きっかけは貴女に頬を叩かれたことでした。貴女の痛烈な一撃の中に僕に対する怒り、嘆きを感じました。その一発を受けてようやく、僕は取り返しのつかないことをしてしまったのだと気付くに至りました。
 しかし、しかしながら、僕は貴女に償うにはあまりにも遅すぎたのです。最早貴女の眼からは共に仕事をこなす仲間としての信頼の色が消え、知能の消え失せた犬畜生を見るような、そんな侮蔑の色しか残っていませんでした。それすら、気付くには遅すぎました。
 僕はこれより職を辞して、どこか遠い、貴女の目に触れない程遠い地で静かに眠ります。どうか許して欲しいとは言いません。ですが嘗て貴女と語り合ったトップアイドルへの道、それだけは本物だと弁解させてください。このような形で貴女と別れることになるとは思いませんでした。貴女の夢を台無しにしてしまって申し訳ありません。
 そして、今後ポケモンGOをプレーされるユーザーが、僕のような愚行を犯さないように、どうか気を配ってあげてください。これ以上ポケモンGOの為に夢を諦める悲劇はあってはなりません。どうか、歩きスマホには十分気をつけてポケモンGOをお楽しみください。

ふじえる


 ええぇ……なんで……、幸子は呆れ返った。いい大人が中学生に粗相を働いた上にそれを当人から咎められただけで辞職するなど聞いたことも見たこともない。幸子は困惑した。その程度で遺書を書くまで精神的に追い詰められる人間がなぜ今の今まで社会でやっていけたのであろうか。
 よくわからない人だったなあ、幸子は空を見つめ溜め息をついた。

最終更新:2016年08月01日 21:07