幸子ちゃんの穴を間違えて入れてしまう話

「こっちに足跡があったぞ!追え!」

 男の怒声が森にこだまし、いくつもの靴音が木々を駆け抜ける。

 少女は岩陰に身を隠しながら、靴音が通り過ぎるのを待った。

ーーどうしてこんなことに

 少女はこれまでの半生を振り返りながら、自らの運命を呪った。



 少女はごく普通の家庭に生まれた、ごく普通の少女だった。決して裕福とは言えないものの、両親に愛され、周囲の人に可愛がられる少女の表情にはいつも笑みが浮かんでいた。

 少女の生活が一変したのは、国の有力者、"熾天使公"デューク・フジエルに見出された時からだった。

 フジエル公に見初められた少女はフジエル公の真っ直ぐな誠意と熱烈なアプローチに押されながらも受諾し、正室として迎え入れられた。少女は初めてばかりの環境に戸惑いながらも、フジエル公の愚直さに安心しつつ、共に二人で歩む未来を描き始めていた。


 しかし、2人の感情だけで全てが解決できるほど、世界は甘くなかった。


 フジエル公に選ばれなかった者たち、熾天使公の座を狙う者たちの嫉妬、欲望、怨恨……全てをない交ぜにした悪意の奔流に二人は曝され続けた。
 ある者は謀略を以ってフジエル公の地位を脅かし、ある者は刺客を放って少女の命を狙い、ある者は虚偽を流布して2人を貶めた。

 そうした数々の悪意を振り払うには、二人は余りにも不器用すぎた。
 やがて少女は「公爵を篭絡し傀儡に変えた淫売」とされ国中から命を狙われる存在となり、フジエル公も「一人の少女に心奪われた哀れな無能公」とされ熾天使公の名を剥奪された。


 国中から命を狙われた少女は頼る者も無く、一人草陰に潜んでいた。現在は目の前の2人の兵士が通り過ぎるのをただ必死な思いで祈り続けている。

 そんな折、その2人の兵士の会話から思いもよらない会話を耳にした。

「そういえば、今回の捜索にはフジエル様も出られるらしい」

「本当か!?あの方は隠居されていた筈じゃ……」

「ああ、どうやらあの女豹と離れたことで洗脳が解けたらしく、罪滅ぼしにと前線をきって捜索に乗り出したらしい」

「そうなのか……ああ、あの女に惑わされてさえいなければフジエル様も今頃は名君であっただろうに」

「おい、言葉には気をつけろ。誰かに聞かれたら首が飛ぶぞ」

ーーフジエルさんが!?

 少女は今の一連の会話を信じることができなかった。いや、もし信じてしまったら、唯一縋り付いていたものさえ裏切られたことになる。自分の心を守る為に、信じることなど到底できなかった。

ーーあの時囁いてくれた言葉も、真っ直ぐな瞳も、全て嘘だったんですか

 少女は声を殺して、静かに涙を流した。

 フジエルに裏切られたショックを受けながらも、少女は居場所を転々として逃げ続けた。

 そして少女は、とある洞窟の岩陰に辿り着いた。洞窟内は薄暗く、身を潜めてさえいればしばらくは見つかることはないだろう。少女は安心して一息ついた。

 直後、不運なことに、洞窟の前に大勢の兵士と指揮をとるフジエル公が訪れた。

 少女は咄嗟に身を隠して息を殺す。

ーー早くこの悪夢が過ぎ去りますように

 少女が様子を伺おうと岩陰から顔をのぞかせた時


 遠目から、フジエル公と目が合ってしまった。

 瞬間、フジエル公の口に笑みが浮かんだ。

ーーああ、ここで終わりだ

 少女は自分が隠れていた、洞窟の外の岩陰から身を出そうとした時だった。

「あの洞窟に奴が潜んでいる!全軍、突撃!!」

 フジエル公は少女のいる洞窟とは"反対の"洞窟を指差し、号令をかけた。
大勢の兵士が、少女のいる方向とは逆の洞窟に雪崩れ込む。

ーー何故?どうして?

岩陰に戻った少女は身を潜めながら様子を伺う。
兵士を向かわせ続けるフジエル公は、何故か洞窟に入らない。

全ての兵士が洞窟に入りきった頃だろうか、フジエル公は突如懐からスイッチを取り出す。
そして、フジエル公がスイッチを押した瞬間だった。

ドォォォォォォオ!!

轟音が鳴り響き、兵士のいる洞窟が崩落した。

 助けを求める悲鳴、痛みに喘ぐ悲鳴、死に怯える悲鳴が洞窟から溢れ返る。

「フジエル公!!気を違えたか!!貴方はまだあの女に洗脳されて……」

「ああ、サチコがいるのはその穴じゃなかったか」

「何をーー」


「悪いな。童貞だから、穴を間違えてしまった」


 フジエル公と生き残った兵士の銃撃戦が始まった。

 銃声が静まった頃、フジエル公はサチコのいる洞窟に入り、岩陰に潜むサチコの元に近づいた。

 フジエル公の全身は自身の血で赤く染まり、顔にも死相がくっきりと出ている。

「フジエルさん、どうして、どうしてこんなことを……」

「サチコ、すまない……君を連れて来なければ、こんな苦しい思いをせずに済んだのに……」

「いえ、そんなこと……フジエルさんのせいじゃ……」

フジエル公の声が徐々に弱々しくなっていく。

「……なんで、こんなことになったんだろうな」

「……」

「なあサチコ」

「……はい」

「もしさ、サチコが誰にとっても一番カワイイって世界があったらさ、こんなことにならなかったのかな……。俺は、サチコが一番カワイイと思ってる。だけど、そう思うことすら、この世界では認めてくれなかった………」

「……ごめんなさい、ボクがもっと可愛ければ」

「いや、サチコが世界で一番カワイイ。君が一番、カワイイんだ。それはちゃんと誇ってくれ………」

「ボクは……カワイイ……」

「そうだ、だからさ……」

フジエルは血まみれの手で懐から宝石を取り出す。


「サチコ、君はどこか遠い世界で、新しい暮らしを始めるんだ」

宝石が眩く輝き、サチコの身体を包んだ。
サチコの身体が光の粒子となり異次元へ飛ばされていく。

「これは人をどこか遠い次元に連れていく魔法らしい……、サチコはこれで今いる世界とは別の、異世界で新たに生を受けるんだ」

「そんな!フジエルさんは……!!」

「……ははっ、俺はダメみたいだ。それに、この世界の君と俺は二人仲良く洞窟で生き埋め……そうすればもう君を追いかける人はいなくなる」

「イヤです!ボクを置いて行かないでーー」

「ーーさよなら」

フジエルが別れを告げると、2人のいる洞窟も轟音とともに崩壊を始めた。

洞窟が2人を埋めきる寸前、サチコの身体は全て異世界へ転送された。


ーーーーーー

「フフーン!やっぱりボクはいつ見てもカワイイですねえ」

 自室の鏡を眺めながら、サチコーー輿水幸子はうっとりとしていた。

 今日も一日、輿水幸子のカワイイ日常が始まる。

 いつかフジエルさんが夢見た、ボクが一番カワイイ世界を目指して。


ーー見ていてくださいね、フジエルさん!
最終更新:2017年06月16日 20:55