夜が更け、残務処理をしていたスタッフもほとんどが帰宅した頃、私は静まった診療所内の地下の自室にひとり残り、ある作業をしていた。
 と言っても、別に昼間に終わらせられなかった仕事を処理していた訳ではない。私は、ここに配属された当初から、自分の分の仕事は必ず勤務時間内に終わらせるようにしている。
 それは、私が元々だらだらと作業をするのが嫌いな性格なのと、勤務終了後の貴重な研究の時間を守るためだった。……もっとも、三ヵ年計画が施行され、満足な予算を得られないためにロクな研究もできない今となっては、ほとんど意味のないことだが。

「……ふぅ」
 予想以上に多い作業量に疲れ、私は一息ついて辺りを見回した。
 そこには、中身が限界まで詰め込まれた大量のダンボール箱が転がっている。その内容は私が持ち込んだ祖父の研究資料や、私自身の書いた研究レポートなどだった。自室のあちこちに乱雑にしまわれていたそれらを、部屋中をひっくり返して私が詰め込んだのだ。
 ……そう、つまりこれが今まで私がしていた作業の正体だ。
 何故このような事をしていたのかというと、それは至極単純な理由だった。

 終末作戦が始まれば、マニュアル通りここは注水封鎖されてしまう。それはつまり、この資料たちも永遠に封印されてしまうということ。
 私は、それが耐えられなかったのだ。祖父と私が人生を賭して作り上げてきたこの資料たちが、一切の光も差し込まないこんな場所で永遠の眠りに付くことが……。だから、表面上私が雛見沢から消える綿流し祭が始まる前に、これらをこっそり運び出そうとしていたのだった。
 当然、これはマニュアルに違反している行為だ。マニュアルには、作戦後、雛見沢症候群に関する全ての書類・データを棄却すると書かれている。東京の関係者に見つかれば、例え私でもただでは済まないだろう。
 だから、こんな遅くの時間にコソコソと片付けをする必要があった。持ち出した後も、祖父の実家などの見付かり易い場所ではなく、誰も訪れないような僻地にひっそりと保管するつもりだ。
 そうなれば、私以外の人間が研究を再開するのは不可能になるだろう。だが、それも仕方がない。祖父の資料を永遠の眠りに付かせないためには、どんな人物にも見つかるわけにはいかないのだ。
 ……もし、これが誰かに見つかれば、その瞬間私はその人間を殺すだろう。例え、それが入江所長や山狗の隊員であっても関係ない。
 そのくらい、私はこの資料を眠らせないために躍起になっているのだ。

 ……でも、そこまでしてこれらを外の世界に持ち出したとして、何になるのだろう。所詮、私の自己満足に過ぎない。これらを持ち帰ったところで、私にはどうすることもできない。
 何しろ、終末作戦によってこの雛見沢は無期限に封鎖されてしまうのだ。そんな状態で雛見沢症候群の研究を続けることなど、不可能に近い。
 それどころか、もしかしたら私自身がトカゲの尻尾として、作戦終了後に『東京』の過激派に切り落とされる可能性もある。……つまり、残された資料を読み漁ることも許されないかもしれない。
 私がこれまでの人生で何度も見てきた、人を道具としてしか見ていない人間同士の抗争の恐ろしさを考えれば、それは十二分にありえることだ。
 あの野村という女は、作戦終了後も私が満足に研究をできる場を与えると言っていたが、そんなことは冷静になればどう考えてもありえないことだとわかる。ただのビジネストークなのだ。二度と弾の撃てなくなった銃を再び磨くなんて、あの手の人間がする訳がない。
 それらが怖くないと言えば、……嘘になる。この世に死を恐れない者なんてほとんどいない。それは、この数年間散々と人間の命を玩具にしてきた私も例外ではなかった。
 ……なのに、私が流されるままに野村に従っているのは、出来る限り祖父の研究が報われて欲しいからだった。
 症候群の存在を微塵にも信じずに、祖父の研究を蹂躙した奴らを放ったままでは、祖父が可哀想過ぎる。例え、それが普通とはとても言えない方法だとしても。せめて、最期は盛大に祭り上げたい。そんな願いが、私を突き動かせた。
 そして、この資料たちを運び出すのも、それと似たようなことだった。こんな暗いところに封印させたくない。もっと、日の当たる場所に保管してやりたい。二度と研究が再開しないとしても、せめて最期は表の世界に眠らせてやりたい。
 ……そんな、想いからの行動だった。

 ……でも、どうしてだろう。
 着々と作戦が進行しているのに、着々と資料を片付けているのに、……私の目的が順調に達成されようとしているのに、……一向に心は晴れない。満たされない。昨日と今日に何の変化も無い。
 そして、それは明日以降も、……私の目的が達成されても続くような気がする。まるで、心にポッカリと穴が開いたかのように、寂しさを感じる……。
 私のやり方は、間違っているっていうの……?

 私は頭を振って、その感情を無理矢理振り払った。
 ……気のせいだ。作戦が終わり、祖父の研究が認められれば、きっと心も晴れる。そして、祖父の資料が封印されることなく、日のあたる表の世界に保管できれば、私はきっと満たされる。ずっとこのままなんてありえない。
 何より、この空虚な寂しさと死の瞬間まで付き合うなんて、絶対に嫌だった。

 ふと、時計を見る。……なんと、一旦作業を止めてから、いつの間にか三十分も経過していた。
 私は、慌てて作業を再開した。綿流しの日まであと五日あるとはいえ、モタモタしている訳にはいかない。まだまだ持ち帰りたい資料はたくさんあるのだし、この作業以外にも、やらなければならないことは大量にある。
 暢気に感傷に浸っている暇はないのだ。

 ……その時だった。ふと、視線を適当に投げだした時。偶然、私の視界に見覚えのない古ぼけたネズミ色のノートが入った。それは、他の研究資料たちとは何処か違う雰囲気を放っている。
 どう見ても、それは何の変哲もないただの汚らしいノートだ。だが、何故か私の視線はそのノートを捉えて離さなかった。
 私はそれがどうしようもなく気になり、何かに惹きつけられるようにノートを手に取った。
 そのノートは、所々がひどく傷んでいて、とても何かの資料のようには見えない。事実、研究資料や論文ならば必ず何かしらのタイトルや著者名が書いてあるはずの表紙には、何も書かれていない。……いや、何か書かれているようだが、埃とシミまみれでとても解読できない。
 その表紙の様子から、このノートがいかに年代物なのか、そして他の資料たちと比べて、いかに劣悪な環境で保存されていたのかが、容易に推察できる。

 ――誰に見つけられることなく、ひっそりと埋もれたガラクタ。
 それが、私がこのノートに持った第一印象だった。

 何故、こんなものがここに? 他の資料に混じってきたのだろうか?
 私は不思議に思い、この部屋に資料を持ち込んだ当時のことを思い起こす。……そうして、私は祖父の家からここに研究資料を持ってくるとき、かなり大雑把に運んでいたことを思い出した。
 何せ、祖父が残した研究資料の数はとんでもない量だったのだ。雛見沢の歴史や文化が記録、考察された様々な書物、寄生虫や人間の行動心理に関する学問書、更には祖父自身が書いた数々の研究レポート。……それらが祖父の書斎一杯に入れられていた。
 さすがにそれら全てを移動させるのは不可能なので、当時の私はその中から特に重要そうな物を選び、この診療所へ運んだのだ。恐らく、その時のどさくさに紛れて、本の間にでも挟まってきたのだと思えば、特に不思議でもない。
 ……いや、何故こんな古ぼけたノートがここにあるかなんて、どうでもいいことだ。
 それよりも気になるのは、ノートの中身だった。こんな薄汚れたノートに、大したことが書いてあるはずもない。そう、頭の中では理解しているはずなのに、私は何故かこのノートが気になってしょうがなかった。
 まるでこのノート自体に魅入られたかのように、私は一目見てから惹きつけられていたのだ。

 ……このノートには一体、何があるというのか?
 私は覚悟を決めると、手に持っているノートの表紙をめくった。
 何故、ただノートを開くだけのことに覚悟を決める必要が? 私は自分で自分が馬鹿馬鹿しくなる。
 そうして、表紙をめくった私を最初に迎えたのは、むせ返るような埃の匂い。経年劣化によってパリパリになった最初のページ。そして、そのページの中央に書かれている、埃と砂に邪魔されて解読不能な二行の文章らしき物だった。予想以上に、紙の劣化が激しい。
 私は、気を取り直して埃だらけのページを手で払う。しばらく払い続けると、ようやく文字を解読できるようになった。読むことが不可能なレベルにまで劣化していなかったことに、私は安堵する。
 ……だが、埃の下から現れた文章を理解すると、すぐにそんな感情は消えうせた。

『日記 昭和××年 ○月~
高野 一二三』

 ……そこには、それだけが簡素にペンで書かれていた。

「……こ、これ……、おじぃ……ちゃんの……?」
 私はそれを見て大きく狼狽する。別に、祖父が日記を付けていたことについて動揺している訳ではない。そんなもの、誰がしていようが特に動揺することでもない。
 私を戸惑わせたのは、そこに書かれている日付だった。書かれている日付が合っているなら、この日記は昭和××年の○月から書かれた物だろう。一見、その日付は何の変哲も無いように見える。
 だが、その日付は……祖父が自殺をする丁度一月前の日付だった。祖父が徐々に痴呆で頭が犯されていく自分に絶望し、病院の屋上から飛び降りた日。その日から一ヶ月遡った日付が、そこに書かれていたのだ。
 そして、○月~が閉じられていないという事は、恐らくこれが最後の日記なのだろう。要するに、このノートを使い切る前に祖父は死んでしまった。
 ……それはつまり、この日記は祖父が死ぬ直前まで書いていた物なのだということ。

 それに気付いた時、既に私の手は次のページを捲っていた。故人の、しかも身内の残した遺品を勝手に覗くのは、とても褒められたことではない。
 だが、この世で一番尊敬していた祖父が晩年に残したという記録。それに対する知的好奇心が私を動かし、もはや止めることができなかった。
 埃を被っていて読めない箇所がほとんどだったが、手で払えばすぐ解読できるようになるので、気にせずにどんどん夢中で読み進めていく。資料の片付けなど頭の片隅に行ってしまい、あっという間に時間が過ぎていった。

 書かれている内容は、日記というより自伝のようだった。自分がこれまでの人生で思ったこと、哲学、また、研究論文の様なものなどがつらつらと書かれている。
 考えてみれば、当たり前だ。なぜなら、祖父が自殺する一月前と言えば、祖父は地元の大病院で入院中だった。それも、一年以上前から入院していたため、体はすっかり衰弱しきり、寝たきり同然の状態だった。
 そんな変化のない毎日で、その日にあったことを綴った日記を書けというのは無理がある。自然と、自分の頭の中にあることを書くようになるのは、仕方がないことだろう。
 それとは別に、よく祖父は最期のその瞬間まで学者でありたいと言っていた。もしかしたら、祖父はその願いを叶えるためにこのノートを死ぬ直前まで書き続けていたのかもしれない。
 ……つまり、痴呆に侵されながらも、自身を学者として保つために、せめて何かを書き続けていたいという思いで、このノートを綴ったのではないかと私は思ったのだ。
 もっとも、明確な根拠はない。私の勝手な推察に過ぎない。だが、強い調子で書かれた一文字一文字から、祖父が何かしらの大きな意志でこのノートを書いたというのを、確かに感じるのだ。

 日付が進むにつれ、増えていくのは研究に対する名残を書いた文だった。
 もう少しの間で良いから、雛見沢症候群の研究を続けていたかった。もう少しの間で良いから、勉学に身を投じていたかった。……そして、少しで良いから、この目で研究が認められるところを見たかった。
 そんな内容の文章が、ノートの後半から毎日のように書かれている。そんな、祖父の無念の言葉が突き刺さり、私は目頭が熱くなるのを感じた。
 ……考えてみれば、祖父の最期は、あまりに報われない最期だった。
 自身の人生を賭して続けた研究は評価されない。病気によって脳が蝕まれるという、学者にとって最悪の晩年。そして、その死後すらも親族に悲しまれることなく、ただ遺産を食い散らされただけ。
 後には、雛見沢症候群の研究記録以外、何も残らない。

 これで、私が失敗すればどうなる……? 祖父が唯一この世に残せた研究すら認められずに終わってしまう。そして、その資料たちは永遠に闇に葬られる。
 つまりそれは、祖父がこの世に生きていたという証すら消えてしまうということ……!
 私は、今更にこれから自分がすることへの使命感を、強く全身に感じた。祖父は、私に生きる権利を与えてくれた。だから、私はこの命が消えようが、絶対に祖父がこの世に生きた証を守らなければならないのだ……!
 ……でも、頭ではそうだとわかっているのに、またもや私の中で満たされない何かが引っかかる。それは、儚くて消え入りそうな、寂しさに近い感情だった。その感情が頭の中で何度も現れ、私の目的達成を邪魔する。
 一体、私は何に対して寂しいというのだろうか? 何が満たされないというのだろうか? 祖父の偉業を認めさせる以外に、私を満たすモノがこの世に存在するというのだろうか?
 ……わからない、わからない!
 後少しで祖父は神になれるというのに、何故私を邪魔するのか。誰か、私をこの感情から解き放つ方法を教えて欲しい……。

 ……その時、私の目にある文章が映った。それは、ノートの最後の方にある日付に書かれたもので、そしてそれは激しく私を驚かせた。
 驚きといっても、それは暴力的な強いものではなく、長年探していた物をようやく見つけたような、そんな、私を安堵させるような優しい驚きだった。
「……おじぃちゃん……?」
 茫然と、私は消え入りそうな声を零す。だが、それは絶望的なものではなく、むしろ歓喜の声に近い。
 胸のつかえが取れたような、すーっとした感覚が体全体を通る。
 そして、私は私がこれからするべきこと、いや、私のためにやるべきことを理解した。

 ――深夜零時。そこには、ノートを手に取ったまま、恍惚の表情を浮かべる私の姿があった。
最終更新:2007年06月22日 01:34