ひぐらしのなく頃になると、もう夏なのだと思う。
去年の冬、沙都子の兄、悟史が帰ってきた。
病を患っていて意識昏睡の状態だった為、沙都子には伏せられていたそうなんだが、遂に意識を取り戻したのだという。
悟史を慕い続けていたという詩音と一緒に、沙都子は入江医院でリハビリに励む悟史の元を毎日見舞っている。
それは、今まで兄の帰りを待ち続けた沙都子にとって、とても幸福なことだろう。
雛見沢で虐げられ続けてきた沙都子にとって、兄の帰りを待つことは生きるアイデンティティだったのだから。
あいつは、小さな身体で両脚を踏ん張って、どんなに強い風に吹かれても、強い雨や雹に打たれても必死で立ち続けた。
そんな沙都子を、俺は守りたかった。
沙都子がいつも笑っているように、悟史の代わりに沙都子の兄として、あいつを守らなくちゃと思ったんだ。
北条鉄平により、沙都子は笑えなくなってしまった。
だから、俺は沙都子を守ろうと思ったんだ。
仲間として、兄の代わりとして。
そして今、兄である悟史が戻ったのだから、俺たちの関係はまた「仲間」に戻る。
それだけのことだ。

「私は、今日も入江医院に直行しますけど、沙都子はどうしますか?」
鞄に荷物をつめながら、詩音が沙都子に優しく微笑みながら問いかける。
俺や魅音に対する、裏のありそうな笑みとは違って、沙都子に向ける詩音の微笑みは何処までも甘い。
沙都子が可愛くて仕方がないというのが、ありありと見て取れる笑みだった。
悟史の意識が戻ってから、詩音と沙都子の関係は更に親密になったらしく、時折沙都子と一緒に北条家に泊り込むこともあるらしい。
気付けはすっかり詩音は沙都子の姉貴分だ。
「ねーねーは先に行ってくださいまし。わたくしは今日は圭一さんと日直ですの。後で参りますわ」
沙都子もまた、にこにこと詩音にを見上げて笑う。
まさに、仲の良い姉妹そのものだ。
そんな姿に、なぜか俺は胸が鈍く痛んだ。

だって…その位置は俺のものだったのに…。

いやいやいや、何を考えてるんだ俺は。
仲間の関係が良好なのは素晴らしいことじゃないか。
寂しくなる必要はないっ! ないったらない!

「何を百面相してるんですの?」
「おわっ!」
俺が葛藤している間に詩音は帰ったようだった。
日誌を手にした沙都子にいぶかしげに見つめられる。
そ…そんなに表情に出ていただろうか…?
俺は気持ちが顔に出やすいらしいので気をつけなくてはいけない。
「気をつけても無駄だと思いますわよ。だって、実践されてませんもの」
沙都子は、肩をすくめると、俺の前の席にちょこんと座って、日誌を書き始める。
ううう、そこまで読まれるとは…本当にどんな表情してるんだ、俺は。
「おっおい、沙都子。他に日直の仕事あるか? 俺がやっておくぞ」
ちょっと慌てつつそう言うと、沙都子はペンをスラスラと走らせながらくすりと笑う。
「ご心配なく。今日のお仕事はこの日誌の提出で最後ですわ。黒板消しは全部圭一さんにやっていただいたから、これはわたくしのお仕事ですのよ」
「そっそうか…」
手持ち無沙汰になったので、沙都子の前の席に座ると日誌を覗き込む。
「おいおい、そんなに几帳面に書き込まなくってもいいだろ。日誌の今日の出来事なんて、こうちゃちゃっと要領良くだな~」
「もう、圭一さんは黙っててくださいまし! こういうことはちゃんとしないといけませんのよ!」
アドバイスをしたというのに、怒られてしまった。
沙都子は普段から、悪戯好きだがこういところはしっかりしているというか凄く几帳面だ。
以前一緒にスーパーに買い物に行ったときも、俺よりよっぽどちゃんとしてたし…。
カレーのルゥを選ぶのに真剣な表情なんて、小さな主婦のようだった。
料理の腕は仲間内じゃまだ劣るけど、こいつは将来いい嫁さんになるんだろうな…。
そう思ったら、なんだか胸がずきんと痛んだ。

え…、なんで胸が痛いんだ、俺…?

「うむうむ、沙都子は良い子だな。褒めて遣わす」
その痛みをごまかすように、俺は沙都子の頭をぐしゃぐしゃとかき乱した。
この行為はあくまで、沙都子への厚意だったんだが、日誌を書くことを邪魔された沙都子はぷくっと頬を膨らませた。
あはは、こういうところはお子ちゃまなんだよな。

「もうっ、圭一さんなんて知りませんわ! さっさと終わらせて、わたくし帰ります!」
ちょっと、からかいすぎたかも…大人気なかった、反省。
ぷんぷんしながら、沙都子は乱暴に日誌のページをめくろうとして、顔をしかめた。
「いたっ…」
「だ…大丈夫か! 指、切ったのか!?」
慌てて、沙都子の手を取ると、さっくりと切り傷ができていた。
小さな白い指にじわじわと血が滲んで、とても痛そうだ。
「すまん、俺がふざけたせいで」
心から謝罪すると、沙都子はやれやれといった顔になった。
これじゃ、どっちが年上か分からないな。
「もう、大げさですのね。こんなの、舐めておけば直りましてよ」
「そっ…そうか。わかった」
「けっ、圭一さん!」
その時の俺は、夢中だったのだと思う。
そのまま、沙都子の指を口にぱくりと含んで、そっと傷口に舌を這わせる。
「ん…っふっ…」
「圭一さん、ダメです。汚い…から、ひゃっ」
ぺろぺろと指を舐めているうちに、沙都子の顔はどんどん真っ赤に染まっていく。
あ…こいつ、こんな色っぽい表情もできるんだ。
普段小憎らしい沙都子のその珍しい表情がもっと見たくて、俺はそのまま指を口に加えてみた。
「あっ…っ…」
真っ赤になって震えているその姿は、なんだか嗜虐的な気分になる。
もっといじめてみたいっていうか…おいおい、俺、そんな趣味があったのかよ。
「もう、いい加減にしてくださいましっ!」
「あだっ…!」
面白くなってそのまま傷のない指にも舌を這わせようとした俺だったが、我慢の限界にきたらしい沙都子に日誌でしこたま頭をぶたれた。
「圭一さんのケダモノ! もう、知りませんわ!」
泣きながら、ランドセルを背負って教室を走り去る沙都子の背中をぼんやりと見つめながら、俺は自分自身の行動に驚いていた。


俺…どうしちゃったんだろう。
自分でも自分の行動が理解できないのだ。
どうして、俺は沙都子にあんなこと…。
結局、その日は余りに遅い日直に焦れた知恵先生が、日誌を取りに来てくれるまで教室で呆けていたのだった。

ちなみに、翌日。
沙都子に泣きつかれた詩音に徹底的にボコられたのは言うまでもない…。



終わり

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最終更新:2007年09月12日 01:37