■昼の非日常:前原 圭一

1.
 ――部活メンバーみんなで川へ遊びに行こう。そう最初に言いだしたのは、魅音だった。
 ここ最近急激に高まってきた暑さで、普通の部活をやる気力も削がれてしまっていた俺は、その提案に迷うことなく即賛成。他のメンバーらも、たまには変わったことをやりたいからと、全員賛成。結果、その週の日曜に早速行くこととなった。
 そして当日。午後に入ってから学校に全員集合して、今まさにその川への道を歩んでいるところである。
「……あぢぃ。おい魅音、川はまだなのか? いい加減、歩き疲れたぞ……」
 正面に大きく広がっている山と、辺りにある無数の田んぼ以外、周囲には何も無いあぜ道。そこを延々と歩くという作業に嫌気がさし、俺は汗だくになりながら魅音に文句を投げた。学校から出発して、もう二十分は歩きっぱなしだ。
 いくら川へ涼みに行くと言っても、その道中までもが涼しくなる訳ではない。頭上に大きく浮かぶ灼熱の太陽。最近の雨で湿った空気や、土の匂い。更に、自身が流した汗で濡れた衣服。それらが実に見事な不協和音を奏で、嫌がらせかと思うほどの不快感を全身に塗りつけてくる。せめて周囲に木々でもあれば、その陰でこの不快感もいくらか緩和できるだろうが、困ったことにそういう類の遮蔽物は皆無で、この場は正に太陽の独擅場と言えた。
「ま、まだだよ。も、もう少し山の中に入らないと……」
 魅音は、少しどもりながら言った。相変わらずのその様子に、俺は多少の訝しさを覚える。
 何故か今日の魅音はずっとこうだった。午後に集合した時からやけに緊張した様子で、口を開けばいちいちどもり、目をこちらへ合わせようともしない。強引にこちらから詰めよれば、赤面して黙りこくってしまうといった具合で、明らかにいつもと様子がおかしい。
 あの天下無敵の魅音がここまで変だと、心配な上にこちらの調子まで狂うので、途中でレナにそのことをこっそり相談したのだが、レナもよくわからないらしい。梨花ちゃんからは、何故か意味深な笑みを貰った。沙都子は、風邪なのでは? と魅音を心配していたが、特に辛そうな訳でもないので違うだろう。
 どうも約一名から煙に巻かれた気がしたが、俺には理由を探りようがない。だから、とりあえず何か起こるまで魅音は放っておこうと自分の中で既に結論していた。
 よって、何事もなかったかのように俺は会話を続ける。
「山って、正面にあるアレか? おいおい、後どれだけ歩くんだよ……」
「ん、ん~、い、一時間ちょいかなぁ」
「……溶けちまう」
 だらしなく舌を出しながら、俺は膝を付いて項垂れた。
「をーほっほっほ! 圭一さんは本当にだらしないですわねぇ」
 そんな俺に、この炎天下上にも関わらず平気な面をした沙都子が、いつも通りの挑発をする。だが、俺にいつも通りの反応をする気力は残っていない。
 同じ状況に置かれた同じ人間で、何故こうも様子が違うのか。
「……はぅ、圭一くん大丈夫なのかな、かな?」
「みー。圭一はなんじゃくものなのです☆」
 ……いや、沙都子だけではなかった。この場を歩く俺以外の人間全員が、太陽の直射日光に対して涼しい顔をしている。魅音も様子こそはおかしいが、それはこの暑さから来たものではないようで、汗の一筋も垂らしていない。どうやら、生粋の田舎育ちと都会のもやしっ子では、こうも体力に差がつくらしい。
「圭一くん、一旦休憩する?」
 レナが、心配の色で濡れた瞳をこちらに向けながら言う。が、俺はそれを断った。メンバー中唯一の男子であるこの俺が、こんなことでギブアップしていては格好が付かないからだ。それに、途中で休憩したことに対する罰ゲームを魅音から吹っかけられる可能性も……と思ったが、今日の魅音の様子だとそれはないのかもしれない。
 ともかく、俺は気合を入れ直して、再び川へ通ずる道を歩み始めた。
「ところでよぉ……、その川ってのは、こんな思いをしてまで行く価値のある場所なのか?」
 しばらく歩いて、俺は疑るように今みんなで向かっている川について聞いた。回答者は特に指定しなかった。何故なら、別に純粋にそのことが聞きたかった訳ではなく、暑さから気を紛わすための会話のネタ振りに過ぎなかったからだ。……まぁ、要は単なる愚痴に過ぎないのだが。
「うん。去年の夏休みくらいにも魅ぃちゃん達と行ったけど、奇麗で涼しくて、本当に良いところなんだよ、だよ」
 隣を歩いているレナが、笑顔で言った。続いて、沙都子と梨花ちゃんも、レナと同様の意見を述べる。行った当時の事を思い出しているのか、みんなとても楽しみな様子だ。
「ま、まぁ、圭ちゃん。み、みんなが言う通り良い所だから、もう少し我慢しなって」
 そして、最後に魅音が相変わらずのどもり口調で閉めた。
「……そうするかな」
 本当に楽しそうなみんなの様子を見て、暑さで消えかけていた俺の気力は、少し回復していた。
 俺は、今までの人生の大半が都会暮らしな上、ほとんど旅行にも行かなかったため、いわゆる大自然の名所という物を体験した事が無い。だから、そういう未知の領域がこの先にあるらしいという事に、好奇心と期待感が高まってきたのだ。
 最初は軽いネタ振りのつもりで出した話題だったが、俺への影響は大きかった。気づけば、足取りは嘘のように軽くなり、いつの間にか山の入口が目の前に見えてきた。

 入り組んだ山道を進み、どんどん奥へ入ってゆく。周囲からミンミンゼミの鳴き声が忙しなく聞こえる。山の中だけあって道は木々に覆われていた。それが盾のように太陽の直射日光を防いでいるため、暑さは先ほどと比べてかなり和らいでいる。それどころか、流れてくる風が冷たくて心地よい。微かに、水が流れる音も聞こえる。もう、目的の川はすぐそこのようだった。
 そしてしばらく歩き、――視界が一気に開けた。
「さぁ、着いたよ。圭一くん」
 横を歩いていたレナがそう言い、ここが俺たちの目的地であることを理解する。学校から歩いて一時間半ほど。遊び場への移動時間としては少々長すぎる気もするが、ようやく到着したのだ。
 だが、俺はその達成感を味わう余裕も無かった。疲労が原因ではない。……何というか、目の前の光景に圧倒されていた。これが、大自然の力という物なのだろうか。
 山の中の川と言えば、狭くて浅いというイメージがあったが、岩に囲まれたその川は横幅が学校のプール程に広く、深さも人間が泳げるほどにはあるようだった。流れる水は、濁りがほとんどなく、硝子のように透き通っている。周囲には、何本もの背の高い広葉樹が、この場を空から覆い隠すが如く生い茂っており、その枝々の隙間から淡い太陽の光がスポットライトのように射しこんでいた。そして、それが透き通った川の水で水晶のように輝き、ここがまるで現世離れした場所であるかのように錯覚させる。
「良い所だな……」
 感じた通りの言葉が、思わず口から零れる。レナたちは、そんな俺を見て笑った。自分たちのお気に入りの場所が、別の土地の人間である俺に受け入れられて、嬉しかったのかもしれない。
「それじゃ、早速水着に着替えますわよっ!」
 突然そんな声が聞こえたと思えば、沙都子が着ている服を脱ぎ始めた。
「へ? ……んぁ? ちょっ?!」
 俺は一瞬の思考の後、目の前で起きているとんでもない事象を理解し、一気に混乱に陥る。思わず沙都子から目を背けるが、視線を投げた先ではレナや梨花ちゃん、魅音も自らの衣服に手をかけていた。
「お……、お前ら何をっ……?」
 部活メンバーらのあまりにも大胆すぎる行動に、俺は顔から蒸気を発しながら素っ頓狂な声を上げた。が、そうこうしている内にもみんなはどんどん服を脱ぎ、その中身が露出されてゆく。
 こいつらには羞恥心って物が無いのか? それとも、田舎の女の子ってのはこれがデフォルトなのか? そんな疑問を次々と頭の中に浮かばせながら、俺は思わず目を瞑った。いくら何でも、これは健全な思春期の少年である俺には刺激が強すぎる。
 しかし、本当に健全な思春期の少年であるからこそ、目の前で繰り広げられていると思われる未知の光景――楽園ともいう――に、底知れぬ興味が湧くのも事実だった。そもそも、俺は女の子の一糸纏わぬ姿なんて、ブラウン管を通じてしか鑑賞したことが無い。それも、大事な部分に非道なモザイク処理がされた中途半端な物だ。まやかしと言っても良い。だが、目の前にあると思われる光景はどうか。下着を付けたまま水着を着る愚か者などいない。つまり、男なら誰もが思いを馳せる胸の突起物のみならず、モザイク処理を乗り越えた向こう側の世界、女性の神秘が目の前で待っているのだ。これをわざわざ見逃すのは、馬鹿がすることではないのか――?
 二つの考えが頭の中に同居し、ぶつかり合う。数秒間が数時間に思える葛藤の末、頭の中に生き残ったのは、男子として極めて健全的な考えの方だった。
 俺は、ゆっくりと目を開ける。瞬間、眩い光と共に、服を全て脱ぎ終わったみんなの姿が飛び込んできた。
「……あれ?」
 だが、そこにあったのは、俺が期待していたのとは全く別の光景だった。紺色の布。つまり、何故かみんな既にスクール水着に着替え終わっているのだ。まぁ、これもある意味では悪くない光景だが……。
「……? 圭一さん、目を瞑ってましたけど、どうしたんですの?」
 茫然としている所に、沙都子の声が耳に入り、何となく事実を察する。要は、みんな予め服の下に水着を着て来たのだろう。こんな更衣室も無い場所で泳ぐのだから、当然と言えば当然だ。
「……あ、いや、何でもない。ちょっと目にゴミが入っただけさ。お、……俺、下に水着着てないから、ちょっと向こうで着替えてくるわ。ははは」
 そう言いながら、俺は大きな茂みを指さして歩き始めた。
「け、圭一くんこんな所で着替えるの?」
「全く、はしたないですわねぇ……」
「うるせぇ……。忘れてたんだから仕方ないだろ」
 悪態を付きながら、さっきの恥ずかしい思い違いをレナたちが気付いていないことに、俺は安堵した。背後から梨花ちゃんの満面の笑みを感じる気がするが、多分気のせいだろう。
 俺は茂みの中で用意してきた学校用水着に手早く着替えると、すぐにみんなの元へ戻った。


最終更新:2007年10月11日 13:49