「それで、どうしたんですか?」
カップを置くのと同時に静寂を断ち切った。立ちのぼる薄い湯気を挟んだ先で、私の片割れは、鬱々とチーズケーキにフォークを刺しては口に運び、刺しては口に運ぶ動作を飽きもせず繰り返していた。返事がない。どうやら今日は一段と重症のようだ。
彼女の目の前で手を打ち鳴らすと、間抜けな声がぽつり。
「あ……な、ななななに?どうしたの?」
「それはこっちの台詞です。話がある、って押しかけてきたのはお姉の方じゃないですか」
放課後、下校中の不可解な出来事だった。部活で大いにはしゃぎ、最下位の圭ちゃんを散々からかったあと。明日持っていく、かぼちゃ尽くし弁当の構想を練りながら歩いていたところを引き止められた。まあ、いたって普通。問題なのはここからだ。
私が引き止められたのは、マンションのドアに手をかけたとき。学校の靴箱の前でもなく、はたまた興宮に向かう私と別れる枝道でもない。かといって邪険にするのも気が引けたので部屋にあがらせていた。あれから数十分が過ぎたけど状況はまったく変わっていない。何気なく訊ねると、うじうじ。問い詰めると、うじうじ。ずっと、うじうじうじうじ。
かぼちゃ嫌いは直してあげたいな。今日は徹夜してでもこしらえよう、なんてぬるくなったコーヒーの水面を見つめていると、食器とフォークがぶつかる音。それがした方に向くと、食べかけのケーキをそのままに膝を抱えていた。今にも泣きそうな顔。
ああ、またか。
「……なんで、さ…構ってくれないのかな…」
また、あのデリカシーの欠片もない鈍感野郎の話か。おおかた魅音は女の子らしかぬ、おじさん臭い行動でもして関心を集められなかったんだろう。
「最近、…沙都子ばっかりで…私が…………ても」
おっと、これは意外。いつもならそこでレナさんの名前が挙がるはずなのに。まさか沙都子とは。やっと圭ちゃんもあの子の良さに気づいた、いや、萌えたのか。なんだかんだいってかわいいもんな。でも歳の差的にまだ妹みたいな意識しかないだろうし。あ、でも、あと数年も経てば関係ないか。となると幼女組はみんな同じ条件。将来、ますます激戦化。ただでさえ今、泣きついてくる魅音が、生き残れるかどうか。その前に圭ちゃんのストライクゾーンが低くなる可能性もある。
ということは、だ。つまり。
「……詩音、聞いてる?」
「え?ええ、聞いてますよ。もちろん」
しゅんとする魅音と向き合う。すでに乙女モード全開。この場に花の形をしたものがあれば花占いでもしだしそうだ。寝る前に意中の人と目が合ったことを思い出しては布団の上で転げ回って悶えるだろう。人形に「おやすみ」と「おはよう」のキスを──これは違うか、毎日欠かさずしているみたいだし。とにかく、表に滲ませない分、爆発すると凄まじいものがあった。一応、外見は私に似ているのでかわいくないわけはない。そういうところを私以外に、気になる相手に、見せればいいだけなのに。やれやれ。
私は立ち上がって向かいに回り、彼女の肩を抱いた。できるかぎり優しく。
「細かいとこから改めていくって決めたばかりじゃないですか。焦る必要はないです。ゆっくり、自分のペースで、ね?まあ、余裕がなくなったらキスするなり強引に襲うなりしてで、…す……ね……」
声が出ない。唇が動かない。なんだろ。これ。甘い。正確には甘い匂い。紅茶の。あれ、おかしいな。私が飲んでいたのはコーヒーなのに。私の分のケーキはまだ手つかずのままなのに。口内に甘ったるさが広がる。そして柔らかかった、なにかが──なにが?
腕を押さえつけてくる指は華奢だ。だから違う。背中にあたる床は硬い。だから違う。それはそうと、もしかして、ううん、もしかしなくても、この状況はよろしくない。誰かさんの息遣いが耳を澄まさなくても間近で聞こえてて、逃げられないようにのしかかられている。まるで襲われる三秒前。
よ、よし、まず落ち着こう。深呼吸深呼吸。ひっひっふー。きっと、いつもどおりに振る舞えば奇妙なこの世界が元に戻るはずだ。いつもどおりに。いつもどおりに。
「おこちゃまキスで満足してるんですか。この様子じゃ、圭ちゃんを堕すなんて夢のまた夢ですね」
我ながら、なかなかの余裕に満ちた物言い。完璧だ。COOLになれた自分を誉めてあげたい。
「っ……詩音のばかぁ…きらい……詩音、きらい」
言葉とは裏腹に彼女の手は服にしがみついて、うちひしがれた子供みたいだった。そんな姿を見せられると、正直、少し。出せば和らぐだろう声を呑んで、私のなかの「姉」をひっこめる。べつに後悔はない。これで優勢が保たれたも同然なんだから。
魅音を淡泊に見上げた。そろそろいろんなものが重たい。
「…圭ちゃんのことは……今は、どうでもいいんだよ」
「じゃあ、なんです?」
「詩音が、いい」
「そうですか…………って、はい?」
「詩音に、構ってほしい」
さきほどの弱り具合はどこへやら、突き抜けるような眼差しに射られた。いきなり決心のついた顔をされても困るわけで。きつく抱き寄せられても戸惑うわけで。
一方でばらばらだったジグソーパズルのピースが徐々に噛み合っていく。
「下手だから、キスが下手だから構ってくれないんだよね」
「なにバカなこ…と…」
指に顎を固定されて発言を拒否された。一度目ははずれる。次は重なる。ここからしばらく記憶が抜け落ちた。どれくらいの時間が経ったんだろう。私は何をしているんだろう。頭が朦朧としてきて、酸素欲しさにずれた唇を間髪入れず割られ、侵入を許してしまう。甘いものが口内を隅々まで探る。異物感に粘膜は麻痺していく。全身の力が奪われる。そして、探りあてられた。押し返す間もなく絡みとられる。まったく変わらない温もり。それが、あまりにも馴染むものだから怖かった。それは魅音も同じだったらしい。唐突に体は離れて、あいだを糸が引く。その艶めかしさを直視できるはずもなくて、うつむいて呼吸を整えるしかなかった。
寒い。いつのまにかシャツの前がはだけていた。露出されて肌は冷えるはずなのに微熱がこもる。くすぐったい。顔を上げると、信じがたい光景が広がっていた。
「お姉、あんた!なにして……ッ」
またしても拒否。強さを増す焦れったさに邪魔される。直接、断続的に、胸を揉まれていた。はっきり言って手つきは拙いし、この程度なら吐息するだけで済む。でも、嬌声が零れた。そして、それは今も頭のなかで反芻している。思い出すだけでもいやなのに。こんなの最悪だ。とてつもない羞恥に下唇を噛みしめて耐えたけど、無駄だった。突起に吸いつかれてできたのは体を捩ることだけ。
「……や、やめてくださいっ………そんなことしなくても……構ってあげますってば…」
無視しているのか、聞こえていないのか、魅音は従わない。いくら咎めようが媚びようが止めなかった。薄々は勘づいてる、今の私に説得力がないことくらい。痛いくらい張り詰めて主張するのはなにも片方の突起だけじゃない。舌に弄ばれ唾液にまみれながら限界まで尖ろうとしている。熱い。それなのに、無意識に脚を擦り合わせていた。
ふと覆いかぶさる人物と目が合いそうになって逸らした。一瞬、彼女の表情が見えた。なんだか、ひっかかる。顔が赤くて余裕がないのはわかる、この子がへたれだからだ、しかたない。だけど、とろけそうな瞳は説明がつかない。いや、まさか、片割れに欲情しているなんてことはない、と思う。たしか小さい頃から、あの子が嬉しそうなときは私も自然と笑顔だったし、けがをしたときは一緒に泣いていたことがあった。きっとそれなんだ。魅音が興奮するのも私が気持ちよくて興奮してるからで――って、そんなわけあるか!絶対に違う!私が興奮してるなんて嘘っぱちだ。
「…あっ……」
一番触られたくない場所だった。まだ布越しだというのに腰がひくついてしまう。
「ねぇ、ここがイイ?」
凄みはあっただろうか、私は魅音を睨みつけた。それしか方法がなかった。体が抵抗するのを嫌がっていて自分じゃどうしようもない。だから、弱気になったように見えた彼女の姿に安心しきっていた。
「ご、ごめん。……詩音が気持ちよくなれるようにがんばるから」
下着を通り越して下腹部のその下へ、指が滑り降りていく。そこまできたら阻むものはなにもない。否応なしにそこを指にすられる。緩急をつけて、ねっとりと、形をたしかめるようになぞられる。ある位置にさしかかったとき、びくっと体が反応を示した。彼女が見逃してくれるはずもない。ぷっくりと膨らむそこを柔らかい指の腹がさすっては押す。駆け巡る感覚が強すぎて両脚を閉じるけど、むしろ逆効果。掌全体で圧迫することになってしまった。
「っあ…!………ぁ……んッ」
開くのも曝け出した部位をいっそう攻め立てられるだけだ。息をつく暇はない。快楽の波が次々に襲ってきた。爪の先までほてることってあるんだろうか。とにかく熱い。
でも、まだ物足りない。全然足りない。
いつになれば次の段階に移行するのか。期待――じゃなくて早く終わらせたい一心で待つが、兆しは一向に現れない。焦らしプレイにもほどがある。ここまでくると迷惑プレイだ。
感度が鈍くなってきた私に気づいて魅音は手を止めた。
そして、ぐずりました。
「……ごめん」
「謝らなくてもいいです」
「でも」
「いいですって」
「でも……っ」
しゃくりあげながら「ごめん」としか言わない魅音。このまま泣くことが目的になって、私を放置する可能性は十分予測できた。それは困る、私じゃなくてお姉が。
「つづき、してください」
「…いいの?……でも」
やることがない、とか言いたいのか、もしかして。不本意だけど私に触れていた指を一瞥する。しかし魅音は不安そうに首を傾げるだけで、しまいには両目いっぱいに涙を溜めてしまった。
泣くな、ばか。私の方が、今からやることが恥ずかしくて泣きたい。
「し…おん?……うぁ…」
魅音の指に舌を這わせた。舌先で撫でるとまっすぐだった指はしなる。口に含んで、しばらく彼女の緊張をほぐすようにしゃぶる。舌を麻痺させるような味がした。水音が騒々しかった。愛液と唾液にまみれた指は官能的だった。嗅覚はすでに甘い匂いに支配されていた。衣擦れさえも愛撫と錯覚してしまう。まるで五感を犯されているような感覚。
もう、いいや。
「だから…そのっ………おねえ、が…ほしい…」
哀れっぽい口調で乞う。欲望に従順に。
魅音は小さく頷いた。
ベッドに場所を移した。体勢は変わらない。下着はたどたどしく取り払われて、代わりにあてがわれたのは指。湿り気を帯びた箇所をすりこんで、そのまま分け入ってくる。
「んっ………もっと、ゆっくり…っ…」
指先が沈んでいく。掘り進むように緩慢な動きである程度埋まると、もぞもぞと入り口付近を掻き回した。
「あんっ…、ふぁ……ぁっ」
溢れる潤滑油に促されて指は滞りなく進んだ。途中、肉襞の収縮に押し戻されても強引に乗り切る。その一連の動作が忘れられなくて、でも言えるはずもなくて、上目遣いでねだった。ほどなくして指が秘裂を抜き差しし始める。きゅうとしめつける襞をまとったまま押しては引き押しては引く。粘着音が室内に響き渡った。縋りつきたくてシーツを握りしめたとき、動きは穏やかになった。壁をひっかいているようだ。もどかしい。
「…おねぇ……そこ、じゃなくて──あ…ッ!」
鋭いなにかが体を軋ませる。声がまったく抑えられない。執拗に指でつぶされる度に喘ぐしかなかった。
強すぎる感覚に耐えかねて、頬を涙が伝う。怖かった。
このまま意識が途切れてひとりになるのが、怖い。
真っ白の世界に取り残されて私は震えた。
声が、する。
「──ん、しおんっ、大丈夫?…痛かった?」
呼び戻されて視界が開けた。慌てふためいた様子で魅音が囁き訊いてくる。彼女の一挙一動が、いちいち柔らかった。今だって本当は不安でたまらないだろうに、彼女の腕はだいぶ前から私を抱きすくめている。
卑怯だ。
「…大丈夫。……気持ちいいよ、魅音」
頭を引き寄せて優しい口を塞いだ。何度かついばむキスをしたところで、魅音が私の手を取り自分のと握り固め、それを合図に互いに深く口付けた。すると、あの感触が再び襲ってきた。恐怖はない。あるのは、初めてのようで懐かしい、私たちにしか知りえない安堵。
手で繋ぎ止めて、二人の境界がぼやけるのをいとわずに触れ合った。
最終更新:2008年04月27日 13:14