すんつぅくぉらつんでぃるっしゅとぅとぅわどぬむんてき~あおきもりなむっつりなたぷ
信州から寝台列車と十和田の民鉄~青い森な陸奥の旅とは2012.03.12~14にかけて旅る旅情であるぞ。
03.12の夜、松本からJR篠塩線で長野へ向かう。混雑は明科で大幅に減少し立ち客も減った。夜の姨捨付近を走行すると善光寺盆地なるもんが見えるぞ。長野は7番線に着くと隣ホームな6番線へ乗り換えJR信越線に乗り換え、山の中をずんずん進み黒姫辺りから雪が厚くなり深くなり吹雪までもが吹き窓に凍った水滴が張り付く。夜の脇野田で右から来た新幹線高架を潜り左に位置を変え上越(仮)の建設予定地が見え。直江津手前北陸線との合流点近くで日本海、きたぐにの案内放送。いずれも深夜であろう。直江津な構造的に5番線に見える6番線にホームに入ると既に構造的に1番線っぽい2番線に着くと信越線は23:55着で日本海青森行きは23:58発だ。出発前に調べたが飲料を大量に買い込まねばならないのは大阪始発か青森始発のような乗車時間が長時間に及ぶものの場合で直江津から乗った私は1本あれば十分なのでその必要はなかった。むしろ車内にも給水スタンドがあてすぐ横にコンパクトコップの角をつまむとコップになる紙が付いている。トイレは他の列車となんも変わりないが違うのは便座を汚れから守るビニールシートが便器にピッチリあってそれはボタン一つで汚部が奥へ収納され新しいビニールシートが出てくる。寝台列車は車掌の笛がなるとドアが閉まったと警笛を高く鳴らしゆっくりと動き出した。それも他の電車よりも遅かったほうである。深夜は案内放送がないので乗り越しに注意が必要となるらしく案内放送は一切なかった。すぐに車内探索を兼ねて切符に記された自分の寝床を探す。運行最終日になると寝床はわずか瞬時で全部埋まったという。ただし秋田~青森間は特急券さえ買えば乗車できるようだ。
03.13-00:00になって歯磨きとなる。個人差にもよるものだ、自分が寝る前の1時間と寝る合間、普段起きる時間でないときに水は飲まないほうがよい。眠れなくなり胃もたれや消化不良を起こす可能性がある。00:30指定の寝床で就寝、しかし普段安定した布団で寝てるので中々寝付きにくかった。1時間経過したころだったか途中新津に停車すると向こう側にあけぼの上野方面が走り去るのが見えたと同時に手前に貨物も見えた。朝起きると5時ぐらいだったか。外はまだまだ春は遠いようで雪一色だった。で、車掌が案内放送を実施。記念スタンプの台が置かれてるようだ。しかも6種類くらいだったか?のちに車掌がやってきてサイン会みたいなことをやった。車掌は大阪車掌区からの者らしく乗務員交代をすべき直江津を超えて青森まで行くらしい。現在乗務員交代は寝台列車を除いて直通列車は全列車行う取り決めになってるらしい。白なんとかという駅手前に石的遺跡があった。途中民謡的な発車メロディーがあったり秋田でウォータークラウンが聞けたりといろいろあった。大鰐温泉では車両が長かったのかドアカットがあったらしい。新青森にも停車したが駅は写真で見たこじんまりとした小さなローカル駅が見事な大出世を果たしたような感じでありぜ。青森に着くと大勢のカメラマンがいた。それもマニアが。ここへ来る途中で何人も見てきたけど青森はもっといた。機関車の付け替えも見たようなものである。かつての青函連絡船の名残なのかホームはやたら長く広い売店もある。東北新幹線が完結すると八戸~青森間が青い森鉄道になった。これによってJR青森駅はJRの所有なままになることから東北線所属から奥羽線所属に変更された。 青森駅前は雪がたいしたことはなかった。しかし青森駅末端へ向かうと雪が深い。石川さゆりの歌う津軽海峡BGMが永遠と流れている。船もあった。列車の残骸もあった。銀色と桃色のラインな列車がゆっくり走行してくるがすぐに折り返した。ここは引込み線のようだ。青函トンネルが出来るまではこのどっかから連絡線に汽車を乗せたんだろう。連絡線に乗ったのは基本汽車のみ。なぜなら架線は海の上を経て函館まで通じてないからだという。青函トンネルに汽車が走ると中にいる作業員が窒息しかねないのでトンネル開通時は電化されていた。青い森鉄道は元東北線を走行してるため信号所付近を除いて複線であるにもかかわらず本数は1時間に1本くるか来ないかというところで八戸行きに乗りそびれたので次に乗る電車が浅虫温泉行きになってしまう。最終目的である陸奥三沢は浅虫温泉以遠にあってどうしても時間つぶしが生じる。切符を買うとき言われたが既に三沢は青い森鉄道線内になってしまっており、青森~三沢間は別途で購入するように推奨される。しかし1700円代って高い。青い森鉄道は山を避けるように運行してるのでこのような遠回りになってしまっている。発車時間間際になると青い森鉄道ホームへ。既に列車が待っていた。青鉄に乗り込むと席がだいたい埋まってる。そして発車メロディも♪高原というBGMだった。出発すると奥羽線と別れ、全線複線と思われた青い森電車は高架へ上がり片側の線路は地上のまま分かれていった。そして列車は減速して目の前に複線の起点が見え複線区間に進入すると一気に加速したぞ。途中駅はだいたい無人駅が多く、浅虫温泉や野辺地、三沢といった駅では全扉開放だった。途中の野辺地はJR大湊線が分岐しているのだがJRは大湊線のみ。前述のように東北新幹線全通による青鉄転換で八戸ラインともに孤立してしまったのだ。この路線がJRの手から離れると沿線の利用人口が少ないため短命になってしまうため飛び地になってでも引き続きJRが運営することになった。今でも青森や八戸から青鉄を介して乗り入れてる。三沢に着くとさっそく十鉄三沢駅へ行く、するとどうしたことか雪で運休になっている。窓口で聞いても雪で運休だという。仕方がないので券売機で十和田まで買った。時間になると大型の代行バスがやってきた。同じ系列のバスらしい。バスは雪道をアップダウンしながら十和田市を目指す。バスは各駅を廻り停車、乗務員の一人が乗客いるホームまで行ってバスが来たことを報告しに向かう。途中狭い道を通り七百駅前広場に入るが雪だと大変である。十和田に着くと駅ビルの一階の構内に停車。十和田駅の窓口でも聞いたが同じようなことを言われ再開は「わかりません!」と返答した。さらに休止か廃止か問いかけると「廃止ですね」の一言。記念切符もあるらしくホームを見て改札口の左手にあるショーケースに値札つきで売られていたが窓口では売られておらず改札口一角の十鉄記念フェアみたいなことをやちょた。横に写真展があった。そこ記念切符となんか買った。ホームでは2駅員が津軽弁を語りながら雪かきしとった。運行再開のめどは経ってなくバスで三沢へ戻る。この日は平日だったため途中高校前から学生がぞろぞろ乗り込んできた。また途中踏切が鳴ったような感じだったのでしばらく横を見てくと後からチャータートレインに使う単車が走っていた。除雪車らしい。単車はあっという間に電車を追い越してバスは七百に到着する。そして三沢に着くと当面電車が来ないと思い散策してると「キンキン(コロンコロン)」鐘を叩くような音が聞こえ、行ってみると駅に列車が入線していた。とりあえず青森から寝台に乗るため時間もなかったので一駅先の十鉄大曲まで乗車する。電車は発車すると古き踏切を過ぎなんかの温泉施設内のカーブをゆっくり走行。途中に旧東北線連絡線跡があった。そしてカーブが終わると速度を上げる。十鉄大曲に着くとここにも鐘打ちがあった。電車は十和田に向けて走り去る。暇なので散策。駅自体は田んぼの中にあるようなもので住宅街から遠い。近くにバスが走行していた公道がある。駐輪場あってが自転車諸共雪に埋もれている。持ち主が「取れねぇじゃねぇかよ!」と怒涛するかも知れない。すでに夕刻で薄暗くなる。時間が来ると踏切が鳴る。電車に乗車し三沢へ。三沢へ入る所はかなりトロい。三沢で降りると大急ぎで蕎麦屋で大蒜煎餅買って青鉄に乗車し青森へ向かう。この後も列車はあるが日本海大阪行1930発と同着になってしまうのでそれより以前とした。青森に着くと一旦改札を出札、そしてもう一度入場。やはりカメラを向けたマニアやヲタクが大勢いる。電車に乗っていくとゆっくり夜道を走り出した。車掌が検札にくる股尾前科・・・大阪車掌区ょ。深夜はやらんかったが始発したてではやるようだ。秋田まで車内販売があるようで夕飯は弁当を売りに来たので日本海引退記念弁当を買って食べた。食い終わると車内探索。直江津には03:58に到着するので23:00頃から歯磨きをした。前述通り深夜は明け方まで放送を休止する。よって到着時間が近くなったら降車準備をせねばならない。でないと富山方面へ行くことになるから。