史実での隼鷹

長崎造船所にて建造され、1941.6進水。
日本初の大型艦橋と傾斜煙突は、後の大鳳・信濃にも使われた。
有事改造を前提に建造中の高級旅客船「橿原丸」(かしはらまる)を、建造途中に空母へ改装した。
速力は25.5ノットと言われているが実際は24ノット程度だったらしい(第五代艦長・渋谷大佐の証言)
実は日本海軍の中で最高の高温高圧缶を搭載していた。
同型艦は飛鷹。

アリューシャン列島への攻撃参加・南太平洋・マリアナ沖海戦に参加している。
南太平洋海戦では猛将・角田提督に率いられ航空隊の往復航続距離レンジ外から航空隊を発進、損傷していた正規空母ホーネットにほぼトドメを刺し
隼鷹はそのまま最大戦速で敵に向かって突撃、帰還してきた航空隊を迎えに行き収容すると言う獅子奮迅の武勲を挙げている。
また、壊滅した連合艦隊の中で第2次大戦を生き残った幸運な空母としても知られる。
戦後解体された。

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最終更新:2011年08月03日 12:40
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