●人生の意味とは、あるいは詩の意味とは、と問うてみるのも悪くない。
人間は生きる意味を有しているのだろうか?この問いは誰もが発するとは限らない、たぶん。
なぜなら、普通はこの疑問を抱くことは稀であって、生きる意味を人間は有している、という前提から始まっているのだから。
つまり、人間は生きる意味を有しているが、私にはその意味が見出させない。というわけだ。これはなんという不幸だろう。なぜ不幸だと私が思うかは後ほど触れることにする。
私はまず「人間は生きる意味を有しているか」と問うところから始めたい。
一休禅師のお話。
ある正月元旦の朝、一休さんはお墓からしゃれこうべ(頭蓋骨)を拾い、竿の頭の先に取り付けるのです。街へ繰り出すと、商家の戸を手当たり次第に叩いて、一休さんはこう言ったのだそうです。
「めでたいのう・・・。御覧なさい、昔はココに目が二つあった。その眼が飛び出て、こんな骸骨になってしまった。眼が出た、眼が出た、めでたいのう」
まるでオヤジギャグです。彼の評判は奇人変人の類だそうですが、変人のなせる所業でしょうか、彼は「狂って」いるのでしょうか。
どれほど、この世で使い切れないほどの金を稼いでも所詮はコレよ。寿命が尽きれば、このしゃれこうべになるのが必定。そのことを良く考えて生きなさいよ。そう言いたかったのだそうです。
人は裸のまま無一物で産まれ、無一物のまま死んで灰になるか土に帰っていく。なにひとつとしてあの世へ持っていくことなど出来ない。あえて言えば、あの世など存在しないかも知れないのに、何を今生で欲を出すのでしょうか。