Alan Hovhaness
Alan Hovhaness(アラン・ホヴァネス, 1911年3月8日 - 2000年6月21日)は、アメリカ出身の作曲家。アルメニア系の父とスコットランド系の母との間に生まれる。本名はアラン・ヴァネス・チャクマクジアン(Alan Vaness Chakmakjian)。
生涯
- 4歳、作曲を始める。
- 10代で2つのオペラを作曲。さらにそのオペラを高校で上演し脚光をあびる。
- 高校卒業後、ニューイングランド音楽院でフレデリック・コンヴァースに師事。
- 1934年、ジャン・シベリウスに会うためにフィンランドに旅行。その後20年間二人は文通を続けた。
- 1936年、インドの舞踊家ウダイ・シャンカールのボストン公演に参加し、インド音楽への関心を強める。
- 1940年から10年間、マサチューセッツ州ウォータータウンのアルメニア教会のオルガニストを務め、アルメニア音楽への関心をもつようになる。
- 1942年、タングルウッドのセミナーでアーロン・コープランドとレナード・バーンスタインから批判を受け、それまでの作品の多くを破棄し、より深くアルメニアの主題を研究するようになる。
- 1948年、ボストン音楽院で教職につく。
- 1951年、ニューヨークに移り、ボイス・オブ・アメリカの中近東部門の作曲家、音楽監督として勤務。
- 1955年、交響曲第2番『神秘の山』がレオポルド・ストコフスキーの指揮、ヒューストン交響楽団の演奏で初演され、高い評価を得る。
- 1959年から1963年までインド、ハワイ、日本、韓国へ研究旅行を行い、これらの国の伝統音楽の要素と自らの作品との融合を図る。
- 1959年から1960年にかけてチェンマイでカルナティック地方の音楽を研究し、300以上のラーガを集め、1962年から1963年まで日本で雅楽(篳篥、竜笛、笙)、長唄と浄瑠璃(三味線)を学んでいる。
作風
- 初期の作品はヨーロッパ風の作品。
- 中期以降はインドや日本の音楽に強い影響を受け、神秘的な作品を書くようになる。
- 多作家として知られ、生涯に400曲以上の番号付作品を残し、とりわけ交響曲は67曲にものぼる。
主な作品
- トランペットと弦楽のための「聖グレゴリウスの祈り」
- 交響曲第1番 作品17「追放者」
- 交響曲第2番 作品132「神秘の山」
- オルフェウスによる瞑想 作品155
- 交響曲第4番 作品165
- 交響曲第6番 作品173「天空の門」
- 交響曲第7番 作品178「ナンガ・パルヴァ」
- 交響曲第9番「聖ヴァルタン」
- 交響曲第14番 作品194「アララト」
- 交響曲第15番 作品199「銀の巡礼」
- 浮き世 作品209
- 日本の版画による幻想曲 作品211
- 交響曲第19番 作品217「ヴィシュヌ」
- 交響曲第20番 作品223「聖なる山への3つの旅」
- 交響曲第21番 作品234「エチミアジン」
- 交響曲第22番 作品236「光の都市」
- 交響曲第23番 作品249「アニ」
- 交響曲第24番 作品273「マジュヌーン」
- 交響曲第25番 作品275「オデュッセウス」
- そして神は偉大なる鯨を創りたもうた… 管弦楽とザトウクジラの鳴き声のテープによる
- 交響曲第49番 作品356「クリスマス交響曲」
- 交響曲第50番 作品360「セント・ヘレンズ山」
- 交響曲第53番 作品377「星の燭光」
- 交響曲第60番 作品396「アパラチア山脈へ」
- 交響曲第63番 作品411「ルーン・レイク」
- 交響曲第66番 作品428「グレイシア・ピークへの讃歌」
- 交響曲第67番 作品429「山への讃歌」
- ギター協奏曲 作品325
- オマル・ハイヤームのルバイヤート
- 日の出
引用
最終更新:2011年06月21日 02:10