Jan Van der Roost
ヤン・フランス・ヨーゼフ・ヴァン・デル・ロースト(Jan Frans Joseph Van der Roost、1956年3月1日 - )は、ベルギー出身の作曲家。日本においてはジャン・ヴァン=デル=ロースト、ヤン・ファン=デル=ローストあるいはヤン・ヴァン=デル=ローストなどと書かれる。よくJ.ローストやJ.V.デル=ロースト、また単にローストとする表記を見かけるが、Van der Roost が姓であるため、これらは明らかな間違いである。そのため、当該誤解・誤用を避けるため、ヤン・ヴァンデルローストと、「・(中黒)」や「=」を用いずに姓をひとかたまりに記述するケースも多い。
人物
- 1956年、ベルギーのアントウェルペン州デュフェルに生まれる。
- 1974年、ルーヴェンのレメンス音楽院に入学。
- 1979年、レメンス音楽院を卒業。トロンボーンと音楽史、音楽教育の3分野で桂冠学位を取得している。
- 1979年、王立ヘント音楽学校に入学。
- 1980年、5月16日に結婚。
- 1982年、王立ヘント音楽学校を卒業。
- 1983年、レメンズ音楽院に対位法の教師として復帰する。
- 1984年、ベルギー初の金管バンド「ミドゥン・ブラバント」の常任指揮者に就任。
- 1985年、王立フラマン音楽院(アントワープ)に入学し、合唱の指揮を学ぶ。
- 1987年、フランドル・ブラス・バンド連盟作曲コンテストで「エクスカリバー」が入賞。
- 1988年以降、世界各国で客演やコンクール審査員として多忙になる。また、この年より作曲は委嘱作品のみとなる。
- 1989年、王立フラマン音楽院(アントワープ)を卒業。
- 1991年、レメンズ音楽院交響楽団の指揮者に就任。
- 1999年、東京ミュージック&メディアアーツ尚美の客員教授に就任。
- 2002年、名古屋芸術大学の客員教授に就任。
- 現在はベルギーのレメンス音楽院で教鞭を執るほか、東京ミュージック&メディアアーツ尚美と名古屋芸術大学および洗足学園音楽大学の客員教授も務める。
- 作編曲家としての活動に加えて、混声合唱団や金管バンド「Midden Brabant」の指揮者として、また種々のコンクールの審査員としても活躍している。
- 1990年代以降、日本国内においてその名が知られるようになり、フィリップ・スパークやヨハン・デ=メイらとともに 安定した人気を誇るヨーロッパの作曲家の1人である。
- 吹奏楽とブラスバンドに同じタイトルの作品も多いが、これはどちらかの編成で作曲した後、作曲者自身の手によってもう一方の編成用に編んだためであり、同様の手法はフィリップ・スパークら他のヨーロッパの作曲家にも見られる。
- 同じくベルギー出身の作曲家ベルト・アッペルモントは、レメンス音楽院でのヴァン・デル・ローストの教え子である。
- 弟子として、広瀬勇人、ケヴィン・ホーベン、マキシム・オーリオ、トム・デハースらが知られている。
家族構成
- 結婚しており、妻との間に子供4人(2男2女)いる。
- 父親は、アマチュアバンドの指揮者をしている。
- 母親は、地元合唱団のメンバーである。
作風
- ヤン・ヴァンデルローストの吹奏楽作品は、木管楽器とパーカッションが効果的に用いられており、アメリカ的な作風に近い。
- 非常に多才な作曲家であり、吹奏楽作品以外にも、金管五重奏、合唱曲、ピアノ曲、弦楽合奏や交響曲等の作品を手がけている。
- その作品の多くはラジオやテレビで放送されている他、各国の著名な演奏家によりCD化されている。
- 委嘱作品の作曲も行っている。
主な作品
1984年
- セレモニアル・マーチ (Ceremonial March)
1985年
- シグネーチャー (Signature)
- リクディム〜4つのイスラエル舞曲 (Rikudim -Four Israeli Folk Dances-)
1987年
- プスタ〜4つのジプシー舞曲 (PUSZTA -Four Gipsydances-)
1988年
- 交響詩「スパルタクス」 (Spartacus -Symphonic Tone Poem-)
- フラッシング・ウィンズ (Flashing Winds)
1990年
- アマゾニア (Amazonia)
- フラッシュライト (Flashlight)
- コンテストマーチ「マーキュリー」 (Mercury)
1991年
- 化学組曲 (Chemical Suite)
- カンタベリー・コラール (Canterbury Chorale)
- セント・マーティン組曲 (St.Martin's Suite)
- ファイアワーク (Firework)
1992年
1993年
1994年
- マンハッタンの情景 (Manhattan Pictures)
1995年
- コンサートマーチ「アルセナール」 (Arsenal)
1996年
- 交響詩「モンタニャールの詩」 (Poeme Montagnard)
- サヨナラ (Sayonara)
1997年
1998年
- シンガプーラ組曲 (Singapura Suite)
1999年
2001年
- 交響曲第1番「シンフォニア・ハンガリカ」 (Sinfonia Hungarica)
2003年
2004年
- アルビオン (Albion)
- シンフォニエッタ〜水都のスケッチ (Symfonietta -SUITO Sketches-)
2006年
- タンツィ〜3つのロシア舞曲 (Tanczi-Three Russian Dances-)
2010年
- いにしえの時から(From Ancient Times)
引用
最終更新:2011年07月03日 15:42