自分の持つ世界観を把握し、必要に応じ修正しよう
世界観は人それぞれが持っているものです。無意識のうちにも、私たちは自分の持つ世界観により、世の中を理解しています。まずは、自分がどのような世界観を持っているかを把握し、その上で、その世界観を修正していけばいいのです。
よくある世界観
仏教的世界観
死者への祈りを捧げるときなど、私たちは仏教に慣れ親しんでいるため、仏教的世界観によることは比較的容易と思われます。輪廻転生、諸行無常、極楽浄土などの考え方も、受け入れやすいと思います。
しかし、仏教に帰依することは、それほど優しくありません。他の宗教的世界観にも当てはまることですが、祈りを尽くしても物事がうまくいかなかった場合、仏教に従ってきたことに対する疑問がわき上がるかもしれません。
キリスト教的世界観
クリスマスなどを通じて、誰でも多少はキリスト教について知っていると思います。全知全能の神、神の子たるキリスト、審判の日、なかなかわかりやすい宗教です。
しかし、仏教、神道など、多神教的な宗教にも親しんできた私たちにとって、一神教を心より信じることは意外と困難でしょう。
また、過去の西洋におけるキリスト教の特権的地位や拡大主義を考えると、疑問が生まれることでしょう。
ニーチェによる、キリスト教はルサンチマン(持たざるものの持てるものへのねたみ)から成り立っているという考えも考慮に入れる必要があります。
新興宗教的世界観
世には種々の新興宗教があり、多くの信者を持つもの、悪徳商法的なものなども含まれています。
新興宗教に入信することが一概に間違っているとはいえませんが、集会への参加や勧誘など宗教活動に忙殺されるかもしれません。
唯物論的世界観
世の中を物質に還元するという考え方は簡潔です。
心の中さえ、神経物質の働きと説明できるかもしれません。
決定論や確率論も取り入れることで、物事は説明がつくのかもしれません。
この場合、自分の中でわき上がる思いを、本当に、物質の振る舞いとして納得できるでしょうか。
自分のやっていることが、勝手に物質的に決まっていると考えると、むなしくなりませんか。
虚無主義的世界観
物事や考えをつきつめていくと、むなしさだけが残ることがあります。
世の中何も確かなことはないという考え方も、ありえます。
この場合、無気力や破壊衝動がわいてくることがありますから、やめておいた方がいいでしょう。
最終更新:2009年12月05日 17:54