「―――何を、いきなり」
「いきなり?いきなりではありませんわ。ずっとずっと前、ヒロト様と共に剣を振るっていたあの時から、
私は自分の素直な気持ちを口にしていましたが?」
「――――――あ、ぅ……」
「思えばそう、貴方をどうやって王族に見合うだけの地位まで
引き上げるのかが最大の問題でしたが………流石は私の見込んだ方。
自らその領域まで来てくださったのですね」
「………………………………………」
「さあヒロト様。もう障害はありませんわ。
大臣たちも流石に凱旋した勇者相手につける文句もないでしょう。
―――いいえ、今度こそ、私が何も言わせない」
「………………………………………………」
「でもきっと、貴方は地位や名誉など目もくれないでしょうね―――ですから、今一度申しますわ。
ヒロト様、ローラは貴方をお慕いしております。
どうか共にヴェラシーラに帰り、私の良人になってくださいませんか」
「………………ロ、ら………俺は……」
「返事はすぐでなくても構いませんわ。
ですが、私は貴方が色よい返事をくれるまで―――もう、二度と貴方の傍を離れない所存です」
「………………………………」
リューは、無言だった。
その瞳にはすでに怒りや嫉妬すら浮いていない。
ただカッと大きく朱の眼を開いたまま、まったくの無表情で一行の最後尾を歩いている。
「………なんか、スッゴイ気まずいんだけど」
リオルが隣のジョンにぼそぼそと話しかけた。
「なにこの展開。予想だにしなかったよ、あたし」
「どんな腕のいい占術師でも、これは予測できなかったでしょう」
ジョンも小さく、本当に小さくため息をつく。
そうでないと、すぐにみんなに悟られてしまうから。
リューだけではなかった。
旅のマントを翻し、先頭を行くヒロト。
その少し後ろを優雅な、しかし旅慣れた足取りで進むローラ。
一歩下がって付き人の老人、ユキノフ。
少し離れてジョンとリオル。
さらに離れてリュー。
谷を進む新生パーティはしかし、結成以来一言も誰も喋らない。
ローラや老人なんかは喋る必要がないから、といった感じだが
ヒロトはなんだか困惑して何を喋ればいいのかわからないようだし、
リューはもう自失呆然というか目の前で手を振っても気付かれないような、
でも振った手が消滅して手首から煙が立ち上る羽目になるような、なんだかとっても危険な沈黙である。
流石のリオルもこれには気押されて会話も小声になるというもの。
「ねぇ、まずいんじゃない?これ」
「ええ、余りに自然に彼らが一緒にいたのでボクもうっかりしていましたが、そうですね。
考えてみればヒロトさんはもう国から与えられた使命を果たしているんでした。
となれば結婚云々はともかくとしても、
確かに勇者として彼は凱旋しなくてはならない義務がある」
「なんで?」
「勇者とはヒトが為にあるべきものだからですよ。
ボクら勇者は『はじまりの勇者』と違って神にも選ばれていない勇者と名のつく唯の旅人です。
ですが、使命を果たした勇者は本物の英雄となる。
英雄とは人々にとっての平和の守護者であり、また心の支え。憧れの存在。
『彼のようになりたい』と思わせるもの………活力の源です。
そんな存在がその辺をいつまでもウロウロしていていいわけがないでしょう。
勇者選定とは、本来『始まりの勇者』を亡くし嘆き悲しむ世界に
今一度英雄を出現させようとしたことに端を発しているのですから」
「よくわかんないけど、使命を果たした勇者は帰んなきゃダメってこと?」
「それだけ理解してくれればリオルにしては上等です」
「………なんかナチュラルに馬鹿にされた気がする」
「帰還は義務。今までのヒロトさんは魔王を倒したことを誰にも知られていなかったからいい。
ですが、今は違う。
ローラさんに、よりにもよって王族に知られてしまった。
ローラさんがその気になれば、ヒロトさんを迎えに騎士団を動かせることさえ可能でしょう。
………歯向かったら、ヒロトさんといえどただではすまない」
「なんでさ?アイツ、ムカつくけど強さだけはズバ抜けてるよ?
人間の軍隊なんか何人いようが関係ないと思うけど」
「………リオル、キミに権力の話はちょっと難しいようですね」
「ムカ!さっきから馬鹿にしてるでしょ!!」
「………静かにしてくれ。まだ谷は抜けていないんだ。些細な物音で岩が崩れるかも知れないから」
こめかみにバッテンをつけて大声をあげたリオルを、
肩越しに振り返ったヒロトが静かな、何かを押し殺したような声で諌める。
この人も相当参ってるみたいだなぁ……まあ無理もないか、と心の中で頭を下げるジョンだったが、
彼の相棒はなんというかこめかみにバッテンをつけたままだったらしく。
「あはァん?何よ、女に言い寄られてうろたえてるヘタレのくせにリーダー気取り?」
「リオル!」
「………………………………」
慌てて彼女の口を塞ぐ。
彼が何かを言う前にヒロトはプイと前を向いてしまった。
押さえ込んでいたリオルがなんだか勝ち誇っているのに気付いて一応ぺしんと叩いておいた。
………本当に、参ってるみたいだなぁ。
「………………………………」
―――――――――リューは、無言だった。
湖畔の町に着いたのは結局、夜になってからだった。
いつもよりペースが遅かったのと、谷に棲む大蜘蛛の魔獣キラーネットの群に襲われたためである。
………チームの連携もなにもない、個人個人はオニのように強いがただそれだけの戦闘が始まった。
しかも、その最中ヒロトが放った剣撃がキラーネット数体を巻き込んで
谷の側面を抉り、結果道が岩で塞がれてしまったのだ。
ヒロトには大変に珍しいミスをここぞとばかりにリオルは囃したて、
ジョンにハリセンでどつかれたりした一場面もあった。
………普段から物静かであまり喋らないヒロトだったが、
沈黙の種類が違うとここまで空気が変わるものなのか。
はっきり拒絶できればそれでよかったのかも知れない。
勇者になる以前の、ある意味何も知らない彼ならこんなことがあってもすぐに答えが出せていただろう。
あの頃のヒロトには剣しかなかったためだ。
しかし世界を回って成長した彼は『王族』がどれほどの力を持っているのか知っている。
その王族がなんの姦計もなく素直に気持ちを伝えてくれていることが
どれほど重いことなのか、それを察することができてしまう。
そうでなくてもローラはヒロトの幼馴染みで、数少ないヒロトを受け入れるだけの器を持った女性である。
不器用なヒロトのことだ、悩みに足取りが鈍っても無理からぬことだろう。
………恋愛のもつれはパーティを解散させる不治の病だというが、この一団もその例に漏れないのだろうか。
「………………………」
ジョンは宿屋のベッドに横になってぼんやりと天井を見つめていた。
彼の目的は、なにより優先すべきは魔王城の書庫に到達することだ。
ここでパーティが解散しても彼のやることは変わらない。
ヒロトが凱旋しようが何をしようが、彼はこのまま―――リオルを連れて―――魔王城を目指すだろう。
「………………………」
でも、でも。
ここでバラバラになるのは納得できない。
ラルティーグの勇者的に言っても、研究の集中を妨げそうな心のしこりは極力残すべきではないのだ。
「………………………」
ジョンはギシ、と音を立てて身を起こした。
ヒロトは見るからに裡に溜め込みそうな性格をしているし、他人にモノを相談するのも苦手だろうが、
それでも勇者同士、話せば晴れる悩みもあるに違いない。
「ジョ~ン~~」
……なのに、なんでこの娘は圧し掛かってくるんですかね。
「………なんですかリオル」
「今日飛んだり戦ったり岩除けたり忙しかったじゃない?だからさー、もう身体ギシギシ言ってるんだよね。
ちょっと早いけど、身体が動く内にちょいちょいっとチャージしてくれませんかねェ?」
「………………リオル。
空 気 を 読 ん で く だ さ い 」
谷にほど近い町外れの廃墟街。
盗賊にでも襲われたのか、街の中心に引っ越していったのか。
誰もいない石造りの家が建ち並ぶ中で、ローラは屋根の上に立つ少女を見上げていた。
灰色の雲に覆われた空。星も月も見えない空の下、明かりひとつない廃墟の中だが、雲が薄いのだろう。
空はそれでも、仄かな光を放っている。
その中で少女の朱い髪は風になびき、その光を吸い込んでいくような妖しい美しさを見せていた。
「………話はわかっているのだろうな」
魔王リュリルライア。
ヒロトと共に旅をしていた少女。
ヒロトに必要とされた、たった一人の存在――――――。
「………あら、こんな場所に呼び出されてまで貴方と話すことなどありませんが?」
ローラはこみ上げるものを押し隠し、見上げたリューを逆に見下ろしてやるように不敵に微笑む。
「とぼけるな。ヒロトから手を引け」
「ふん?しかし使命を果たした勇者が凱旋するのは、」
「関係ない。ヒロトの困惑を見ただろう。ヒロトは貴様が邪魔なんだ。ヒロトを置いて国へ帰るがいい」
「………それは仲間としての言葉かしら?それとも―――」
金糸の髪がくつくつと揺れる。
優雅に、余裕たっぷりに、神経を逆撫でするように目を細めて。
「女、として?」
「―――――――――!!!!」
これ以上ない図星だった。
きゅっと唇を噛み、拳を握り締める―――――だが、それだけだ。動けずにいる。
ローラはそんなリューの様子を見て、さらに挑発を続けた。
「やはりそうですか。ふふ、貴方、嫉妬丸出しでしたものね?
大方ヒロト様に気を使って想いを告げないと自分に言い聞かせていたのでしょうけど、それは虚構。
本当は関係が崩れるのが怖くて、好きだと言えなかった。
そこへ、あっさりと求婚した女が現れた―――それが気に入らない。そんなところ?」
かし、と足元で音がした。
なにかと思い視線を降ろすと、煉瓦を踏みしめていた足が一歩、下がっている。
後ずさりしたのだった。
リューの柔らかい場所が、露呈していく。
「―――本当にかつての私と一緒でですのね。同情してしまうくらい。
ええ、ええ。私もそうでしたわ。
本気で気持ちを伝えたいけれど、師弟という関係が崩れるのが怖くてつい、茶化してしまう。
気が付いたら彼はそんな挨拶のような告白に慣れてしまっていて、
そして、私の元から去っていってしまった。
でもね、魔王さん?だからこそ、私は貴方より強いと断言できる。
ヒロト様に近しいところに、ヒロト様に追いつきたくて、ここまできた。
――――――何もしないでヒロト様のお傍にいられる貴方とは違いますわ」
「―――――――――――――――ッッ!!」
リューは知らずにがくがくと震えていきそうな身体を、必死に押さえ込んでいた。
怖い。
怖い。
この女が怖い。
なんだ、この見透かしたような碧眼は。
嫌だ。
取られてしまう。
ヒロトを、取られてしまう。
我にはあやつしか居らぬというのに。
我の心を満たしてくれた、無限の勇気を与えてくれたあのぬくもりを知りながら、
また凍てついた孤独の魔王に戻るのか?
そんなことは、耐えられない。
寂寥感は正気を保てなくなるほどに辛い痛みとなるだろう。
ソうだ、もしそうなったら、我は世界を滅ぼす悪の魔王になろう。
我を斃せる者はヒロトだけ。
きっと、我に逢いに来てクれるに違いない。
いイヤ、駄目だ。
そんなこと、悪いことだ。
悪いコトヲしたら、ヒロトに嫌わレてしまう。
嫌だ。嫌ダ。やだ、ヤダ、ヤダ―――どうスレバいい?
「………………………………………………」
アノ女。
アノ女サエいなクなれば、また旅ヲ続ケらレルンジャないノカ?
ソウダ、ひろとダッテ、ソレヲ望ンデイるニ違イナイ。
証拠ナド残スモノカ。骨ノ欠片サエ残サズニ――――――。
――――――紗蘭、と。
ローラの剣が、抜き放たれる。
思わずビクンと身体が震えた。
ああ、押さえ込んでいたものが決壊してしまった。がくがくがく、とそのまま身体が震え続ける。
「その光の輪が、貴方の魔法というわけですか?」
はっと気が付いて見ると、いつの間にかリューの周りの空間が波紋を広げるように歪み、光を孕み、固定され、
虚空に描かれた魔法陣を形成しようとしていた。
絶対方陣“天輪”。
その圧倒的魔力の前に逃れる術なし、地獄への門黄泉比良坂(ヨモツヒラサカ)。
ローラが剣を抜いたのはこのためだったのか。
無意識のうちに魔力を練り上げていたらしい。
ああ、でも。
この光の、なんと儚いことだろう。
三つの山脈を一撃で串刺しにする魔力波を放つ『砲門』が、今は藁束よりも頼りない。
反面、大した名剣でもなさそうなローラのレイピアは、すでに喉元に突きつけられているようではないか。
「く、ううぅ……」
冷や汗が流れ落ち、ぽた、と煉瓦に染み込んでいく。
ここで引くわけにはいかないのだ。
もう―――始まってしまっている。
これが、これが。
コレガひろとトイッショニイラレルタッタヒトツノサエタホウホウ。
「―――――うぁぁぁああああああああああああああああああああああッッッ!!!!」
叫び、そして放つ。
収束した魔力は炎にも氷にも風にも変換せず、純粋なるエネルギーとなって大地を粉砕した。
廃墟街の端から端まで一瞬光の線がなぞっていったかと思うと、
次の瞬間家々を吹き飛ばす大爆発が巻き起こる。
廃墟でよかった。比較的小さな街とは言え、
今の一撃でほとんどの家屋が消し飛ばされ―――余波を受けた谷山ががらがらと崩れていく。
恐るべき破壊力だが、狙いをつける余裕が無かった所為だろう、
土煙に紛れて風を斬り裂く音が耳に届いた
「勢ァァアアアッッ!!」
ヒロトと同じ、踏み込みを重視した剣。同じ呼気。
ヒロトを相手に修行をしてきた、捌き穿つ神速の稲妻。
“雷刃”――――王家の秘法と勇者の剣技、双方を組み合わせたローラの必殺剣である。
その突剣の切っ先は怯えに竦んだリューの首に吸い込まれるように届―――
「―――――――え?」
だがその稲妻が、止まっていた。
空中でピタリと静止し、そこから先に進めない。
まるで、見えない壁に遮られているように。………見えない、壁?
「………………魔法障壁!?」
そう。それでも、魔王リュリルライアは決して誰にも傷付けられない。
たとえ火山の噴火の中心にいたとしても、汗ひとつかかずに山をおりることが可能なのだ。
彼女をあらゆる危険から護る、この天地最強の『盾』がある限り。
それに比べれば、ローラの魔法剣などやぶ蚊の嘴にも劣るもの。
手折ることなど造作もない。
瞬間、ローラの剣がバラバラになって砕け散った。
「な……!」
慌てて身を引こうとした―――その意識が、宙を舞う。
攻撃ですらない、ただ魔力波で少し突き飛ばされただけだ。
いや、実際リューにしてみれば小突いた程度だろうが、
ローラは嵐の中の木の葉のように翻弄され瓦礫の山に突き刺さった。
「が、は………ッ!!?」
「………………なんだ、貴様」
ぼんやりとした口調で呟きながら、リューは背を強打し、くの字に折れるローラに近づいていく。
「そんな実力で、我に喧嘩を売ったというのか」
ローラは、確かに強い。
そこいらのごろつきが相手なら、束になったって敵いはすまい。
ただ、それはあくまで人間の常識範囲内でのこと。
魔王という存在は遥かに高く、高く。
その脅威たるや、まさしく天災に等しい存在なのである。
荒れ狂う大波を人の手で鎮めようなどと、どんな愚者でも不可能だと悟れよう。
「そんな矮小な力で、吹けば飛ぶような力で――――――我から、ヒロトを奪おうというのか」
それでも。
剣は折れ、身体は傷ついても、ローラの闘志は揺るがない。
相手がヒトには届かぬ高みにいようとも、ここだけは譲れない。
忘れるな。これは決して魔王を相手にする人類の平和を賭けた戦いなどではなく。
唯の、恋する少女たちの鞘当てなのだということを。
ならば、たとえ死んでもここだけは―――退くわけには、いかない……!!
「ごほっ……あら、剣を折った程度でもう勝った気でいるんですの?
生憎こちらはまだピンシャンしていますわ。
ヴェラシーラ王家の“稲妻”、魅せてごらんにいれましょう……!!」
がら、と瓦礫を押しのけて立ち上がる。
衝撃の瞬間、磁気で結界を張ったためか。幸い、見た目よりは軽傷のようだ。
………身体で無事なところなど、おおよそないほどボロボロだけれど。
「……………“稲妻”?」
リューは首を傾け、は、と呼気を吐いた。
それはやがて、はは、という嘲笑となり、
「ふはははははははははははははははははははは!!!!!“稲妻”!!?あの静電気がか!!
ははははは、ははははは!!!は!!
あははははははははははははははははははははははははははははは!!!!!」
天をも揺るがさんという哄笑に変わっていく。
「――――――舐めるな!あのようなもので、我らをどうにかしようというのか!!」
「そちらこそ。か弱い姫君さえ仕留められない、魔王とは随分甘ったるいのですわね?
あら、それとも甘いのは貴方の恋心の方ですか?『近くにいるのにこんなにも遠い』なんて、
ふふ、まるで蜂蜜のかかった砂糖菓子のよう」
「―――――――――ッッッ!!!!」
ばちん、と頭の奥で火花が瞬いた。
怒りも過ぎれば冷たく感じるのか、リューは一瞬だけ目を閉じ、あの暗い書庫を幻視する。
「―――貴様に何がわかる」
退屈を退屈とも知らず孤独を孤独とも識らないまま、
くる日もくる日も魔道書のページを捲っていた、あの機械仕掛けのような日々。
誰も触れることのできない一線、この身を包む障壁を打ち砕き、手を差し伸べてくれた奇跡のようなひと。
そして、いつか彼を支えられる強さを持ちたいと震える背中を抱きしめた、あの夜明け。
何も知らぬくせに。この女は、何故奪っていこうとする………?
「どうせヴェラシーラでは華やかな生活を送っていたのだろう!?何故それで満足しない!
何故それ以上を求める!我には、我にはヒロトしかいないというのに……!!」
震える喉から搾り出すようにしてやっと出せた言葉は、嘆願だった。
「頼む……ヒロトを、連れて行かないでくれ……!!」
不恰好に頭を下げるように、俯いた少女をローラはじっと見つめていた。
その瞳に浮かぶものはあまりに多く、とても一言では言い切れない。
しかしあえてそれらをひとまとめにするのなら、多くの者はそこに『哀しみ』を見出すだろう。
「―――その言葉、そっくりそのままお返しいたしますわ」
「え?」
「貴方こそ、ヒロト様を連れて行かないでくださいまし」
―――多くの物に囲まれ、しかしそれは自らが望んだものではなかった。
身体に流れる血の名は『王家』、それは幼い少女にとって決して幸福を呼ぶものではなかったに違いない。
もう少し出会うのが遅かったら、少女がもう少し『身分』を理解できる歳になっていたなら、
あるいはこの暖かな想いは芽生えなかったかもしれない。
だが、起こらなかったIfを語るなど愚かしいことだ。少女の想いは今や彼女の心を覆い尽くすように根を張り、
青々とした葉と今にも開かんとする蕾を膨らませているのだから。
「貴方が、邪魔ですわ」
それ以上、ローラは何も語らない。しかし、澄み切った碧眼ははっきりと事実を伝えていた。
この姫君もまた、リューと同じなのだと。
生まれついたときから孤独の淵に座り込み、ヒロトというまっすぐな光に魅入られて立ち上がることができたのだと。
「――――――我は、お前が邪魔だ」
それを理解したうえで、泣き出しそうな少女は“天輪”を恋敵に向ける。
今度は外さない。自分と同じなら、きっとこの金糸の姫君は四肢を失おうとも諦めはすまい。
ならば手は一つしかなかった。
「帰れ、とはもう言わぬ」
マナが収束する。
超・超高密度のそれは最早生物を相手にするレベルのものではなかった。
例えばそれを天に向かって放ったとしたら、その波動は星の縛りを振り切って月に疵跡を残すだろう。
過ぎた攻撃は同じ男を愛した少女へのせめてものはなむけか。
魔王の閃光はこの廃墟街ごとローラを完全に蒸発させる。
―――せめて、魂すら残さぬように。
「散れ!!!!」
“天輪”が眩い光を放ち、そして。
「――――――応ォォォォォォオオオオオッッッッッ!!!!」
一陣の旋風が巻き起こる。
空を覆う雲に風穴が開き、そして弾け飛ぶように一瞬にして晴れた。
………放たれた魔力波が突然軌道を変え、地上から天空に昇る逆さまの雷槌となって雲を貫いたのだった。
しかし、誰が軌道を変えた?
……決まっている。
魔王リュリルライアの攻撃を弾くことができる存在などこの世にたった一人しかいないのだから。
「ヒ………ロ、」
「ヒロト様…………」
一文字に結ばれた口元、見るもの全てを穿つような漆黒の瞳、風になびく闇色の髪。
爆煙が晴れたそこには。
勇者が、魔王から姫君を護るように立っていた。
「………く」
少女たちに割ってはいる様な形で乱入してきたヒロトが、がくりと膝をつく。
その左腕は焼け爛れ、じゅぐじゅぐと煙をあげていた。
指は溶解して原型を無くし、手の甲からひじにかけては半分炭化し肉がそぎ落とされて骨が覗いている。
見るからに痛ましい姿にもかかわらず、ヒロトは特に気にかける様子もなくギロリとリューを睨み付けた。
「――――――何の真似だ。リュー」
「………あ、う……?」
「答えろ。何の真似だ、―――リュリルライア」
破壊された腕がメギメギと音をたて、信じられない速度で治っていく。
彼の“豪剣”は何も攻撃力の底上げだけをもたらすものではない。
マナを放出せずに血肉に通わせ、身体能力―――『肉体』そのものを強化する魔法ならぬ絶技なのだ。
だからこうして怪我を負ってもあっという間に回復―――いや再生するし、
“天輪”の魔力波による大爆発が起きた直後に場所を正確に感知し、
夜間、見慣れない街々にもかかわらず一直線に駆け抜けて少女たちの元へ駆けつけることもできる。
この男が“豪剣”を振るいリューを本名で呼ぶということは、つまり。
本気、なのか。
ローラに手を掛けたら、ヒロトは勇者として使命を果たさなければならない。
それは皮肉にもリューが最も嫌がったことだった。
「今のは本気だったな。本気でローラを殺そうとした攻撃だった。
リュリルライア、いかなる理由があろうとも―――、
―――お前がその力を殺戮に使おうというのなら、俺は黙ってみているわけにはいかない」
頭が真っ白になる。
そうだ。
何故、それを忘れていた?
あの一撃目。ローラを撃ち、外したあの一撃目―――。
あんな攻撃をしたら、ヒロトがここに向かってきて当然ではないか。
何故。
何故?
「――――――――――――」
それは、完全に冷静さを失っていたから。
全身に細い針の生えた拘束服を着せられたような焦燥感に駆られ、完全に周りを見失っていたから。
あの挑発がなければ――――――。
「ローラ、無事か」
「ええ、命拾いしましたわ。ヒロト様」
「遅れてすまん。―――しかし、どうしてこんなところに?どうしてリューに襲われていた?」
「ここへは、あの方に呼び出されてきたのですわ。それで―――」
待て。
まさか、この女。
「ヒロト様―――使命を果たした勇者にはそも、凱旋の義務があると告げたら、
突然様子がおかしくなりまして……」
何を言っている。
そんな言い回しでは、ヒロトが誤解してしまうだろう。
それに事実は事実だが―――話の中心がズレている。
リューが動揺したのは、そんなことではない。
誰より、ローラ自信がわかっているだろうに。
「私も仕方が無く、“雷刃”を以って応戦しようとしたのですけれど、力及ばず……」
どの口でそれを言うのか。
ヒロトを巻き込むな。ヒロトには関係の無い話だろう。
これはリューとローラ、二人の問題ではないのか?
「リュリルライア。今の話に違いはないか」
……二人の問題?
違う。
そう、忘れるな。これはあくまでも一人の男を巡る争いなのだということを。
初めから舞台に上げられるべきは少女二人ではなく、男を含めた三人なのだということを―――。
「あ、そ、それは………」
謀られた………!!
そう気が付いた時にはもう遅い。
ヒロトは剣を固く握り締め、リューを睨みつけている。
………嫌だ。ヒロト。
そんな目で、見ないで………。
彼だけには、こんな目で見られたくはなかった。見られたことがなかった。
魔王城での決闘の時だって、彼は憎しみを一切持たない澄み切った剣で挑んできたというのに。
考えてみればヒロトは世界の旅の果てに与えられた使命ではなく自らすべきことを悟っていたのであって、
その目的のためには魔王の協力は必要不可欠、つまり殺意は最初からなくて当然だったのだろうが。
だから、リューは知らない。
こんな、怒りに燃えるヒロトの殺気を今まで一度たりとも感じたことがない。
竜殺しの異名を持ち、世界各地の魔獣をその剣の下に殲滅してきた勇者の殺気は凄まじい。
大気が鳴動しているような、気迫だけで転がっている瓦礫がかたかたと音を立てるような、
全身に焼き鏝を当てられたような明確なる『殺意』であった。
しかしそんなことよりも、それを自分に向けられているという事実が、リューには心の底から痛かった。
ヒロト………。
視界が歪む。
あ、と思ったときには涙が一滴、つうっと頬をなぞっていった。
涙―――別に何も特別なことはない、涙腺が緩んだことによって流れ落ちる水滴。
結晶化して宝石になったりもしない、触れるもの全てを石化させる呪いもこめられていない、ただ一人の少女の涙。
「………………リュー」
しかしそれは、怒りに駆られた青年の心を醒ます。
殺気が消え、おかしな行動をしようものならリューの身体を障壁ごと両断せんと構えていた剣を下ろした。
そしてがつっ、と地面に突き刺し、ヒロトは改めてぽろぽろと涙を流す少女を見つめる。
「答えてくれ、リュー。俺は、お前がなんの理由もなくこんなことをするヤツじゃないことを知っている。
ローラとの間になにかあったんだろ?
大丈夫だから、話してくれないか」
………そんなこと言われても、今は、胸が、一杯で。
しゃくりあげるリューと、泣いてしまった少女の返事を真摯に待つヒロトとを交互に見やり、ローラは溜息をついた。
「………潮時ですわね。思ったより結束は強かった、というところですか」
「何?」
ローラはよっこいせ、と王女に似合わない掛け声かけて瓦礫の上に腰掛けると、ひらひらと手を振った。
「私が魔王さんに殺されかけたのはね、ヒロト様。ひとえに私があの子の嫉妬心を煽ったからですわ」
「嫉妬心?」
「ええ。まあ先ほどの説明も嘘は吐いておりませんけど、
私たちが街一帯を平らにする程の大喧嘩をした理由の中心がそこにあります。
ほら、私ヒロト様にプロポーズをしたでしょう?」
「う……」
うふっ、と微笑みかけられ、ヒロトの顔が赤く染まる。
決してロマンティックな愛の告白ではなかったが、
お堅いヒロトには今日一日調子を崩すほどの衝撃だったのである。
「この方はそれが気に入らなかったのですわ。
私がヒロト様をヴェラシーラに連れて帰ってしまうことが、我慢ならなかった。
そうでしょう?リュリルライアさん」
「………………」
リューはぐしぐしと目を擦ると、うー、と唸った。
それが肯定だということはきっと誰もが認めるところだろう。
「………どういう意味だよ?」
怪訝な顔をするヒロト。
まあここでピンシャンと察することができる男なら別に苦労はしてないし、
傍で支えてやりたいとも思っていないか、なんてことを考えながら、
ローラはぐずぐずと鼻を鳴らしているリューに肩をすくめてみせた。
「知ってのとおり、ヒロト様は超弩級の鈍さを誇っていますわ。
通用する球はど真ん中のストレートのみ。
なんなら、私がハッキリさせてもよろしくて?」
「………バカいうな」
恨めしそうな涙声ですん、とすすりあげ、ヒロトを睨みつける。
「………………ええと」
こりこりと頬を掻くヒロト。
………その顔を見ていると、どうにも赤くなってしまう。
だが、ここで言わなければヒロトの誤解は解けないだろう。
ローラを蒸発させかけたのは事実なのだから、せめて理由を言わなければならない………。
「リュー……ええと」
「我は!!」
そういえばなんでここでこんなことになっているのだろう?
まあ、大体わかってはいるのだが。
ようは謀られたのだろう。
……クソ王女め、やってくれる。
リューを挑発して自分を攻撃させ、ヒロトの怒りを誘って仲違いさせる腹だと思っていたが、
まさかここまでお膳立てさせてくれるとは。
勿論仲違いの線も計画の内だったのだろう。
しかしそれだけではない。
ヒロトとリューがそんなことでは断ち切れない絆で結ばれていたら、
こうしてリューに恩を売ることで後々優位に立とうともする。
偶然か、計算のうちか。
そういえばヒロトはこんなことを言っていた。
ローラは手のつけられない破天荒の代名詞だけれど、本当に手のつけられないのは、
その破天荒のあとでは必ず物事が良い方に転がっているのだ、と。
なんにしてもリューにとっては明確な敗北であった。
「我は……」
そう、この戦いは恋の鞘当て。
その神聖な愛の告白をお膳立てされたというこの事実が、この上ない大敗北なのだということは間違いない。
畜生。
ギリ、と奥歯をかみ締めて、
「我は、」
「リュリルライア様ぁ~~~~~~!!!!」
ヒロトのことが……と続けようとして、しかしそれは完璧なまでにブチ壊された。
飛び込んできたのは我らが元・灼炎龍リオレイア。
ジョンとの営みを終えてまったりしていたところにリューの放った“天輪”の轟音が聞こえてきたので、
これは一大事と慌てて駆けつけてきたのである。
……一応彼女のために弁護しておくが、決して今まで物陰に隠れていて、
ここぞというタイミングで飛び出してきたのではない。
天性の域にまで達したエアリード能力の欠如がもたらした奇跡のような偶然である。
いや弁護になっていないか。
「………………………」
「………………………」
「………………………………………………………………」
海底に沈んだシャコガイよりも無口になるローラ、ヒロト、リューの前で、
本人はいたって大真面目なリオルは獣のように低く構えるとカッと両の爪を広げてみせた。
「加勢します、リュリルライア様。ええい、ヴェラシーラの王女め!
バカ勇者をケンリョクで操りリュリルライア様を亡き者にしようとは卑怯千万!
魔王が忠臣、リオレイアが相手に」
「リオル。
空 気 を 読 ん で く だ さ い 」
特大のハリセンでリオルを黙らせ、首根っこを掴んで引き摺っていくジョンの小さな背中を見送りながら、
一同はただただ呆然としていた。
どうしてくれよう、あのエアブレイカー。
先程までの緊張には今や大きな穴が開いていた。取り繕うにも修復不可能なほどに。
「あ、あー……その、なんだ」
「………む」
「とにかく、なにか理由があるのは確かで。一方的にリューが悪いってことでもないから、
ローラも別にリューを許せないとか、そういうんじゃない……んだな?」
振り返った先で、ローラが少し肩を落としながらため息をひとつ。
「ええ……私も少し程度が過ぎましたわ」
「リュー、今度やったら……………わかってるよな?」
「う、うむ」
「なら………俺から言うことは、もう、何も」
………いや、一人だけリオルに感謝していた者がいた。
そう、リューである。
ローラの姦計から偶然にも逃れることができた彼女は内心胸を撫で下ろし――――――。
………ちょっとだけ、残念にも思っていた。
「………ローラ。俺は、まだヴェラシーラに帰るわけにはいかない」
「え?」
「俺は、まだ勇者としてやらなければならないことがあるから」
「―――でも、使命は」
「そうじゃないんだ。……そうじゃない。
与えられた使命(もの)じゃなくて、自分の目で見て、耳で聞いて、心で感じて。
剣に誓った使命が、まだ残っている」
「――――――そう、ですか」
「お前の気持ちは嬉しい。ありがとう。でも、」
「待って。その先は、言わないで」
「………………………」
「………解っていますわ。そう、約束しましたものね」
「……………ああ」
「「『世界を救ったら、また』」」
「貴方なりのやり方で世界を救う方法を見出した。そうなのでしょう?」
「………………ああ」
「なら、私に貴方を咎めることなんて、できませんわ」
「………………すまない。それともう一度―――ありがとう」
せめて、湖に映える朝日の美しさ所為だと思いたい。
嬉しいとき以外の涙なんて、
だって、
――――――もったいないじゃありませんか。
「―――で?何故貴様はまだここにいるのだ?腹黒王女」
湖で船を待つ一行だったが、リューの機嫌はまだ直っていない。
まあ昨日の不機嫌が陰のものなら今日の不機嫌は陽のもの。
ストレートに感情を出してくれている分だけまだとっつきやすいというものだが。
「あら、私言いましたわよ?ヒロト様が色よい返事をくれるまで、もう二度とお傍を離れない所存です、と。
もうお忘れかしら泣き虫魔王」
バチバチバチと比喩でも誇張でもなく火花が散る。
そう。朝食を取っている最中、ローラはヒロトの凱旋をあきらめず、
このまま一行と共に旅をすると宣言したのだった。
某魔王は露骨に嫌な顔をし、某竜っ娘は厚切りベーコンに夢中で聞いておらず、
某錬金術師はぱちぱちと目を瞬かせ。
そして某剣士が溜め息をひとつ。
「よろしくな」
と言ったのだった。
「知るか!だいたい貴様はフラレたのだろうが!大人しく城に泣き帰れフラレ王女!!」
「フラレてませんわー!ヒロト様は今はダメとおっしゃっただけで、
別に求婚を断られたのではありませんわヘタレ魔王!!」
「ならば永遠に来るまいな凱旋の時は!いつまでたっても『今はダメ』だ!!
ざまぁみろ筒状ツインテ!髪の毛の中に卒業証書でも入れるつもりか!?」
「ほざいてやがりませアホ毛ダブルス!アホさ加減も二倍のようですわね!!
ヒロト様の勇者特権に私の王者の権力が加わり倍率ドン!目的達成まで数えんばかりですわー!!」
「……………なんというか、喧嘩するほど仲がいい、というヤツでしょうかね」
「似たもの同士だからな。そうだ、似たもの同士でひとつ気付いたんだ。
なんで、昨日リューがあんなに焦っていたのか」
「え………………それって………まさか、ヒロトさん」
「ああ」
ぎゃあぎゃあと喚く魔王と姫君を流し見て、ヒロトは目を細めた。
「あいつ、ずっと城から出たことがなかっただろ。
だから、俺が帰ってしまったら――――――
旅がもうできなくなる。
広い世界を見れなくなるのが嫌だったんだな」
……どこからか舞ってきた木の葉が一枚、くるりと回って去っていった。
「……………………なんていうか、その」
「ん?大丈夫、リューはもうあんなことはしないさ」
「いえ、そうではなく」
「ダメっダメだねダメ勇者」
ジョンはこめかみを押さえた。
ジョンにひっついていたリオルも呆れかえったようにため息をつく。
「む、なんだよ」
「「別に」」
リューの魔力波が雲を吹き飛ばしたせいか、それともこの爽やかな風のおかげか。
見上げた先は快晴。
雲ひとつ無い、吸い込まれていくような青空だった。
魔王と姫の恋愛二乗~新ジャンル「好敵手」英雄伝~ 完
最終更新:2007年09月28日 22:37