据付の文字盤の上を、細くしなやかな指が踊っていた。
それは鍵盤を叩くピアノ演奏者のようで、この作業に慣れているものであることは明らかである。
というか、何故仲間たちの誰もここを使おうと言い出さないのかというのは彼にとってずっと疑問だったことだ。
それは、教会に属する国なら必ずある『情報局』という施設で誰でも使うことが出来る情報端末である。
聖堂教会の膝元、ナルヴィタートを筆頭に世界各国の技術の粋を集めて開発された画期的な情報通信型魔道具。
名を『E.D.E.N.』というそれは民衆にとってはまだ値の張るものかも知れないが、
彼ら勇者にとっては実質無料で世界中の情報を集めることができるこの上なく便利なシステムである。
大地を走るマナの流れ、俗に龍脈と呼ばれるそれを利用した通信方法は
風の魔法に働きかけていた従来の技術を大きく上回る広範囲にその情報網を敷くことになった。
術師を介さねばならず、風の流れが悪ければろくに通信もできなかった従来型と違い、
『E.D.E.N.』は魔力を充填すれば誰でも扱うことができ、
さらに大気に満ちたマナそのものを媒体にすることによって
中継さえあれば世界の端から端まで一瞬で接続可能となる夢の技術なのである。
もしこれが転移魔法に応用できれば、世界はひとつに統一されるといってもいい。
『E.D.E.N.』は、名の通り世界を楽園に変える未来を握っているのだ。
………という素晴らしいものなのだが、それを理解できているものは一行の中でたった一人だけのようだった。
「……俺、そういうの苦手なんだよ」
「そうなんですか?」
「使い方もよくわからないし。
正直、昔からそういうカラクリじみたものは、どうも性にあわない」
世界を『救う』ことを公式に許可された者たち、『七人の勇者』の中でも最も魔学技術に長けた者、
ラルティーグの勇者ジョン・ディ・フルカネリの力説に答えたのは同じく勇者であるヒガシ・ヒロトである。
普段から仏頂面の多いヒロトだが、こういう苦虫を噛み潰したような表情は
滅多に見せなかったりする。本当に苦手なのだろう。
世界最強を謳われ、無双の怪力を誇る割にはやけに器用でなんでもソツなくこなすヒロトには意外な事実だ。
「俺のは全部修練や長旅の経験で身についた技術だ。実際は俺は不器用な方だぞ」
「そうですわよね。生徒としては覚えが悪い方でしたし、
……私のプレゼントした銀時計も、たった数分で壊したくらいですし」
「う」
ひょこっとヒロトの後ろから顔を出した金髪ツインロールの少女はローラ。
勇者ヒロトを追って国を飛び出した彼女はなんと大国ヴェラシーラの王女、
ローラ・レクス・ヴェラシーラその人だ。
ヒロトとは幼馴染みで、教養の師であり剣の弟子でもある間柄である。
もっとも、彼女はそれ以上になりたいと願っているようだが。
「いつの話だ、それは。そんな昔の話をねちねちといつまでも。底の浅い女よの」
ヒロトの上にさらに乗っかる形で参戦してきたのは炎のような朱い髪が目に映える少女だった。
「貴方には関係ないことです」
「ほう、そうか。しかしそも、ヒロトは時計なんぞ必要としないだろうに。
持っていても使いようのない贈り物なぞ迷惑なだけであろう?
そんなこともわからぬ者がよくもまぁ知った顔をできたものだ」
「……ふん。ヒロト様にプレゼントを贈ったことがないことに気付いて、
実はちょっぴり悔しがってる人に言われたくありませんわ」
「な、な、ななな!?」
「あら図星?図星ですか?図星ですわね?くすくすくすくす」
「き、貴様……!」
……なにやら頭上で闇と稲妻がせめぎあっているようだがここは勇者二人、華麗にスルーである。
この二人の喧嘩は獅子の子がじゃれあうようなものなのでいちいち気にかけていられないのだ。
第一、戦闘になったらこの街は一瞬でまっ平らの焼け野原になってしまう。
なにせこの赤髪の少女、リュリルライアはあらゆる魔と闇の王、魔王であるからして。
彼女が本気で暴れだしたら止めることができるのは世界でも唯一人、ヒロトだけだと言えるだろう。
戦闘力的にも、乙女ちっくハート的にも。
「でさぁ、結局いつ終わるのさ?その、ケンサクってのは」
一人だけ少し離れた場所でうだうだしているのは緑髪の少女、リオルである。
いかにもつまらなさそうに顎を机につけて半目になっているその様は逆に彼女の活発さを表していた。
無論彼女も、このメンバーの一人であるということからわかる通り普通の女の子ではない。
彼女の身体は仮初のもの。その正体はとある山に巣食っていた巨大な火炎龍なのだ。
今ではその『肉体』は死んでしまっているのでこうやって『命の恩人』たるジョンの相棒をやっている。
「検索自体はもう終わっています。ただ、該当件数が思ったより多くて」
『E.D.E.N.』によって集められた情報は地方都市のゴシップから
特定の人物にしか引き出せない極秘情報まで多岐に渡る。
勇者一行である彼らは特に、一般市民には出回らないはずの情報をも
特権によって手に入れることができるのでなおさらだ。
それを自動書記によって書き出しているのだが、その書類は既に山のように積みあがっていた。
彼らが探し求める情報は神に選ばれし勇者、テイリー・パトロクロス・ピースアローの動向である。
魔族を人間の敵だと認識し、問答無用に排除しようとするあの少年は
魔族と人間の関係に調和を計ろうとするヒロトたちと対極を成す存在といえるだろう。
無論似たようなことをやっている冒険者はテイリーだけではないし、
このヒロトも『龍殺し』の異名を持つ魔獣退治の一人者であるのだが、
テイリー、つまり神に選ばれし勇者はそれらとはまた一線を画す存在であり、
放っておけば冗談なしに取り返しのつかない事態になりかねないのだ。
「秩序と混沌のバランスが崩れた時、この世界は崩壊する」
とは件の混沌を司る魔王・リューの言葉である。
「そもそもこの世界は闇の混沌、すなわち相異的不確定要素に対し光の秩序によって、
『観測』をされ初めて『存在』が成り立っている。
例えるなら暗闇の中にグラスがあってもそれは誰の目にも見えない以上
『そこにはただ闇が広がっている』だけであって
光がグラスにあたってその姿を認識できた時点で始めてそれは『存在している』といえ、
つまり光と闇のバランスが崩れるということはこの世界の存在そのものに深刻なダメージを与えることであり、
そもそも『グラスの隣にロマネコンティが存在しているという可能性』すら
否定してしまいかねないという物理的脅威以上の死活問題であると言えるだろうな」
「……すまんリュー、さっぱりわからん」
頭の上に大きなハテナマークを乗せているのはヒロトだ。
ローラも微妙に口元を吊り上げている。やっぱりわかっていないのだろう。
「というと、かの魔王進攻ももしかして」
「ああ、アレは今回とは光と闇の立ち位置が逆だがな。
闇が世界の全てを呑み込み、世界がただの『存在しているという可能性』に
還りかけたというのが例の大戦の真相だ。
その時秩序側が用意した『勇者』が再び均衡を崩そうというのだから笑えないな」
「なんてことだ……それが魔王と神の真実だったんですね……。
有史以来凶悪なはずの魔王が一度も世界征服を仕掛けてこないのは、
そもそもあれがイレギュラーだったから、と」
「すまんリューとジョン。さっぱりわからん」
頭の上に大きなハテナマークを乗せているのはヒロトである。
「………つまり、神に選ばれし勇者を放っておけば大変なことになる、ということさ」
リューが肩をすくめ、それでヒロトは納得したようだった。
ヒロトにとってテイリーは一度剣を交わした相手だ(『交わし』てはいなかったが)。
あれがどれくらい危険な相手かくらいはわかる。
ローラも厳しい顔つきになったヒロトを見てこれがどれほど重大なことか気付いたらしい。
山と積まれた書類の一枚を手に取り、鋭い目を向けた。
「勿論相手は僕らと違い、正当なる勇者です。
直接名を検索するような危険は避けるべきでしょうが、その分検索の範囲を広げなくちゃいけない。
書き出した書類は持ち出し禁止ですし、二、三日はここに泊り込むつもりで頑張りましょう」
「ええ」
「そうだな」
「うむ」
………。
一つ、返事が足りない。
「リオレイア?」
きょろきょろと辺りを見回すも、個室の中にあの緑髪の少女の姿はなかった。
その代わり扉が半分ほど開いており、キイ、と小さく揺れていた。
情報局―――各国と教会によって運営されている公共施設からてこてこと抜け出す少女が一人。
言うまでもない、リオルである。
大きく伸びをして、書類に埋もれていた身体をぽきぽきと鳴らす。
………いや別にサボったとかそういうんじゃない。
彼女は彼女なりに気を使って、足手まといにならないように自粛したのである。
ジョンはフィールドワーク派とはいえ研究職でこういった作業には慣れているだろうし、
ローラは王族の教育を受けて育った身として字が読めないはずもなし、
そのローラの生徒であるヒロトも同じ。
リューに至ってはその人生の大半を書庫で過ごしたというからああいった作業は
むしろ呼吸と同じくらい得意に違いない。
そこに元・ドラゴンでありデスクワークに向かない性格スレイヤー火山代表であるリオルがいて何になろう。
無駄に作業の邪魔をするだけだということはリオル自身が一番よく知っていた。
そもそも彼女は字が読めないのであるからして。
「そんなあたしがあの場にいて、いったいなにができるというのかっ!
あたしにできることはあえてあの場を離れ、この街で情報収集をすることのみなのです!」
ぐわっと叫んでみるも、お腹からきゅぅ、と可愛らしい音がして握り締めた拳から力が抜ける。
「……腹が減ってはなんとやら。まずはご飯食べに行こっと♪」
るんたるんたとスキップで繁華街へ向かうリオルの足取りからは、
情報収集という言葉は……どんなに目を凝らしても見当たらなかった。
―――呪われた子、とセリカは呼ばれた。
悪魔の血を引く娘、化け物、生まれてきてはいけなかった存在……。
始めは、どうして自分がそう呼ばれているのかわからなかった。
何故自分と母親は逃げるように街から街へ移り住んでいるのか、わからなかった。
せっかくできた友達も、これではすぐに離れ離れになってしまう。
確かにセリカは他の子とは違った。
魔法の才能もあったし、姿だってその、少しだけ変えることができた。
それは披露すれば子供たちを驚かせ、尊敬を集めるセリカの必殺技だったのだが。
………どうも、それがいけなかったらしい。
セリカがそれをすると、決まって母親は烈火のごとく怒り出し、セリカを叩いてよくわからない暴言を吐き、
謝りながら涙目でセリカを抱きしめて、そしてその街から引っ越すのであった。
時には、住んでいた町の住人から追われることもあった。
いつもおまけをしてくれたパン屋のおばさんも、カフェで一日中ボードゲームをしていた老人も、
仲のいい友達の父親も、皆一様に怖い顔をして剣や斧を手に追いかけてくるのだ。
何故。
セリカには、それがわからなかった。
路地裏。
じめじめと日の当たらないそこは、都市には決して珍しいものではない危険区域だ。
治安のあまりよくない街で大通りから一歩でも足を踏み外せば、
途端にごろつきに囲まれるなんてこともざらである。
無論、治安の悪い街では大通りにいても命の危険があるというのだからここはまだましなほうなのだが。
「………やめてください」
セリカは感情の篭らない声で呟いた。
その細い肩には大きく固い、岩のような手が置かれている。
その力で壁に押し付けられ、セリカの足は宙に持ち上げられんばかりであった。
「………痛い」
「嬢ちゃん、そりゃアンタが悪いよ。
このゲルド様の前をのこのこ歩いてたらこうなるって母ちゃんに教わらなかったのかい?」
「………」
昏い瞳でその大男を見上げる。
スキンヘッドなのかただ単に禿げているのか、形の悪い頭部のラインにサングラス。
こめかみから頬、顎にかけて大きな傷跡がある。
手や足、腹など身体のパーツパーツが妙に大きく、なるほど、
狭い路地にたむろする取り巻きのちんぴらに比べればキャラが立っていた。
「助け呼んでも無駄だぜ。アニキはここいらじゃ『隕石魔神』って呼ばれてて、
命が惜しくて神聖騎士団でも手は出さねぇんだ」
などと子分の説明が入る。
……魔神、か。
なるほど、喧嘩は確かに強そうではある。
だが……悲しいかな、セリカにとっては何の脅威にも感じられなかった。
――――――所詮、人間である。
「まぁ男なら声かける前に顔面潰してるところだが、あんたみたいなイイ女は別だ。
俺様の相手をすれば通してやるよ。
もっとも、俺様のデカマラをブチ込まれてまだ狂ってなかったらの話だがな」
ぎゃはは、と周りから笑い声があがった。
果たしてこの笑いの出所はなんだろう、と思いながら……まぁ、別に知ることでもないか、と思った。
面倒くさいのは嫌いなのだ。
セリカは自ら服の留め金を外すと、その上半身をはだけさせた。
ぱさ、と乾いた音がしてセリカの白い肌が露出される。
それは薄汚い路地裏で唯一、感動に値する美しさを放っていた。
さながら周りの穢れに朝霧の湖を合成したような、
そこだけ時間も空間も切り離されているような、現実味に欠ける光景だ。
「―――どうぞ」
ぽつり、とそれだけ呟く。
男たちはぽかんとした顔で、いきなり脱ぎだしたセリカを見つめている。
「するんでしょう?なら、さっさとして」
端的な言葉を。
男たちが理解するのに、数秒を要した。
「ひ、ひひ。なんだ、売女かよ」
「にしちゃあ色気がねぇな」
「そーゆープレイなんだろ」
あまりにも動じないセリカの様子に何を勘違いしたのか、ちんぴらたちが勝手なことを言い始める。
セリカの眼には、そんな屈辱に塗れた言葉を受けても何の感情も浮かばない。
いや、彼女にはもうこれほどの仕打ちでも屈辱には思えないのだ。
ただ。少しだけ。
――――――気持ち悪い、と思った。
男たちの行為は、決して女を喜ばせるものではなかった。
当然だろう。彼らは数え切れないほど女を抱いてきたが、
一度たちとも愛を語らうための営みをしてこなかったのだから。
そもそも無抵抗の女を相手にすることさえ稀で、
そういう意味では、手間が省けたというより調子が狂うと面食らった者もいただろう。
セリカは行為の間中、眠っているようにぼんやりとしている。
ちなみに自ら脱いだのは服を破られないようにするためだ。
この手の男たちは後先を考えない。
白濁をかけるのも結構だが、あとあと残る匂いのことも考えて欲しいものだ。
路地裏の狭い空をぼんやりと見上げるも、腰を動かす一定のリズムで身体が動かされて視界がブレる。
快楽はない。
肉体の反応や喉から漏れる音は知らないが、
少なくとも抱かれてよかったと思うことは一度もなかったしこの先もないだろう。
世間一般の女の子はやっぱり、素敵な彼氏と行為を楽しむものなのだろうかと思い―――すぐ、思考が切れた。
自我を守るためか。
彼女は余計なことを考えない。
心は、母親を亡くした時一緒にどこかへ行ってしまったように思う。
それからはこうやって、できるだけ人目につかないように―――表に立たないように、
日に当たらないように―――こそこそと生きてきたのだ。
白濁を浴び、眼に入らないように瞳を閉じて……病に臥す母の姿を幻視する。
母は、生きろと言った。
母は、こんな呪われた自分を最期まで手放そうとしなかった。
枯れ木のようになった手でセリカの頬を撫で、私の可愛い娘、と言ったのだ。
――――――その言葉が、存在が、セリカに呪いをかけた。
セリカは、死ねなくなった。
どんなに陵辱されても、死を望むことができなくなった。
望んだら、無駄になってしまう。
あの人が何を思って死んだのかはわからない。
でも、幼い自分を連れて女の身で世界を巡り、そして死んだ母親が―――生きろと言ったのだ。
………………………………それを、セリカは、心底恨む。
歯を食いしばろうとして、口に男のモノが入っていたことを思い出した。
すぐに顎の力を弱めるが、時は遅かったらしい。男は激痛に悲鳴をあげた。
「何しやがる!!」
どん、という衝撃が走った。
腹に蹴りを受けて壁に叩きつけられたのだ。肺を圧迫され、大きく咳き込んだ。
「おいおい、なんだよ」
「畜生この女!俺のアレを噛み切ろうとしやがった!!痛ぇ、血が出てやがる」
セリカは―――汚れた顔をあげた。
その眼は相変わらず虚ろで、激昂した男がナイフを取り出したのも見えているかどうか。
「おいマジかー?いいじゃねぇかお前のなんかあってもなくても同じだろうよ!」
「ふざけんな手前、抜いたからって人事かよ!俺ァ舐められたんだ!ブッ殺す!!」
「舐められたんじゃなくて噛まれたんだろ?」
ぎゃははは、と耳障りな音が鳴った。
口元をぬぐうと、酷い匂いの白濁がぬらり、と糸を引いた。
ぼんやりと汚れた手を眺めて。
それが。
何故だか。
耐え難く。
こみ上げてきた。
――――――ざわ、と肌がささくれ立つ。
「オラァ!!」
振り下ろされる刃物。
それに焦点を合わせるようにセリカの瞳がきゅうっ、と縦に細まり、
「でぁりゃぁぁぁぁぁぁぁああああああ!!!!」
男は、空から降ってきた何者かに踏み潰されて地面に叩きつけられていた。
セリカははっとして腕を押さえる。
ささくれは身を潜め、肌はいつもの白磁に戻っていた。
「な、なんだお前はっ!?」
男たちが色めき立つ。
空から降ってきた影は立ち上がると、男たちを睨みつけた。
「『なんだお前はっ!?』だとっ!?そんなありきたりな台詞吐くちんぴらに名乗る名などないってんだい!
あたしの名はリオル!ストラート火山が元・主、灼炎龍リオレイアたぁあたしのことでぇぇいっ!!」
かん、かん、かかんッ!と大見得を切ってのける少女は―――辺りの空気をしばらく凍らせた。
「名乗ってるーーーッッ!!」
「そ、そういう日もあるっ!とにかく!うら若き乙女を強姦したあげく亡き者にしようなんて犬畜生にも劣る悪辣!
そんな外道は、ジョンに代わってこのリオルが正義の炎で焼き尽くしてあげてもいいですか!?」
「知るかーーーッッ!!」
一斉に襲い掛かる男たち。
少女は適当っぽい構えをとってそれらを迎えうつ。
あっけにとられていたセリカだが、その光景には目を見開いた。
少女が、
――――――変身したのである。
短剣を腕で受け止め、驚愕する男を突き飛ばして壁に叩きつける。
その腕には傷ひとつない。鎧のような鱗に刃物は一切通らないのだ。
手を広げると、そこには鋭い爪が生えていた。
ぶん、と振り回すだけで空気すら切り裂かれ、衝撃波となって男たちに襲い掛かった。
背後から石を投げつけられるも、がん、と尻尾で弾いて逆に相手に打ち返してしまった。
パンチを躱し、その袖に噛み付いて放り投げる。
強靭な牙と顎は大の男を容易く空へ招待した。
頭から伸びた角……は何もしないのか。
「うぉぉぉ、必殺!隕石衝拳(メテオ・インパクト)ォォォオオオオ!!」
少女に影が落ちる。
名をなんと言ったか―――男たちのリーダーがその大きな拳を振り上げていた。
ちんぴらなりに魔法を齧っていたのか、その拳は炎に包まれている。
「出たぜ!ゲルドのアニキのメテオインパクト!
炎の魔法を拳に宿して全てを破壊するアニキの必殺技だぜー!!」
「ていうかアニキ、それしかできねぇけどな!」
その必殺拳を見て―――しかし、彼女『たち』は眉ひとつ動かさない。
「な………ッッ!!?」
当然、アニキの必殺技は少女にかすりもしない。
それどころか、少女の姿は路地裏から消え去っていた。
「ど、どこ行きやがった!?」
セリカは、ただ、空を見ていた。
拳を躱し、翼を広げて飛翔したその少女はセリカの視線の先にいる。
少女は口を大きく開けて、既にちんぴらたち全員を標的にしていた。
「と、飛んでやがる!」
男たちが指を指すも、もう遅い。
「控えめ必殺、火龍烈火吼(デラ・バーン)!!!!」
放たれた火球は男たちの中心で爆発炎上し、高らかに炎の柱をあげた。
爆風が晴れたあとには、もう男たちの中で動ける者はいない。
黒こげになって倒れ伏し、白目をむいてひっくり返っているだけだ。
「………」
セリカは―――絶句していた。
「正義は勝~~つ!!」
少女は路地裏に降りてきてVサインなんぞしている。
と、急にセリカを振り返ってたたたと駆け寄ってきた。
その顔は人懐っこそうな、ひとかけらの影もない満面の笑顔である。
「大丈夫?ダメだよ~?ヤバいやつに襲われちゃ……って遅かったのかぁあたし。
でも助けたんだしチャラってことにしといてよ。ん?何?あたしの顔に何かついてる?
だ~め~だ~よ~惚れちゃあ。あたしにはジョンっていうイイ人が……ってぁぁぁあああああああ!!!!」
突然大声をあげ、ぺたぺたと身体を触りだす謎の少女。
「へ、変身しちゃってるんですけどあたし~~ィ!!やばい、ジョンに怒られるよ!
まずっ!ね、ごめん!あたしのことは見なかった方向でお願いできないかな?かな?
んじゃ、そゆことでバイビー!」
謎の少女はめきめきと身体を元に戻すと、すったかたーと走っていってしまった。
と、思ったら戻ってきて瀕死の男たちから衣服を剥ぎ取り、セリカに押し付けてまたどこかへ去っていった。
………嵐のようだった。
「なんだったんだろ……」
ぽつり、と声が漏れた。
あの女の子は、間違いない。
人の姿と、異形の姿を持っていた。
自分と、同類だ。
なのに何故?
何故、あんな、こんな、ことを………。
意味が解らない。
こんな、堂々と。
引け目もなく……まるで、それが力であるとでもいうかのように。
――――――『妖人(あやかしびと)』。
呪われた血をその身に宿しながら、何故、あんなにも、背筋を伸ばして生きているのだろう……?
「なんだったんだろ……」
再び、呟く。
セリカには……わからなかった。
「なんだってんださっきの爆発は……」
「げ!お、おいありゃあゲルドのアニキじゃねぇか!?」
「一体誰がこんなことを……おい、そこの女!何があったってんだ!?」
ちんぴらの仲間たちだろう。人の気配がしたが、セリカはただ、わからない、わからない、と呟き続けていた。
「てめ、無視してんじゃ―――」
その皮膚がささくれ立ち、身体に縞のような模様が走る。
額にみっつ、こめかみにひとつずつ切れ込みが入り、
ギョロリと見開くとそこに宝石のような翡翠色の眼が現れた。
ひ、とか細い悲鳴が声になる前に、その男は光速で伸びた何かに首を360度回転させられていた。
口元から一筋の血が伝い落ち、倒れこんでもう二度と動かない。
「………え?」
残った男たちは呆然とし、そして愕然とした。
少女の背から四本、槍が伸びている。
いや、槍ではない。
それは腕。
醜い、針のような毛がびっしりと生えた節足のアームである。
「う、うわぁぁぁああああッ!!?」
叫び、逃げ出そうとするも、それが敵わないことはもう誰の眼にもあきらかだった。
少女は押し殺した心を氾濫させ、それが静まる間、
大蜘蛛の怪物たる『アラクネ』の糸は人間への憎しみを惜しみなく巡らせる。
「……どうして、どうして………」
――――――路地裏から悲鳴が完全に消えるのに、そう時間はかからなかった。
人でありながら魔獣であり、魔獣とも言えない人ならざるもの。
彼らは先ず、生まれ生きることが罪悪とされる。
どこにも居場所を持つことが許されず、どこに訪れることも許されない。
人も魔獣をも超える力を先天的に持つが故、その両者にもなることができないのだ。
故に彼らは常に呪いと共にある。
この世の全てから呪われ、この世の全てを呪って生きていく。
―――何故、生まれてきたのかと。
―――何故、生み落としたのかと。
「………どうして、こんな力を、使えるんだろう……?」
惨劇の路地裏。
ぴくぴくと痙攣する黒焦げの男たちと、原型を留めないぐちゃぐちゃの肉塊をあとに、
セリカはふらふらと歩き出した。
………………その背を、とある少年が遥か遠くから眺めているとも知らずに。
ちなみに。
情報局の一室では相変わらず億劫な山が積みあがっていた。
路地裏での惨劇を、彼らはまだ知る余地もない。
ただ資料を片っ端から片付けているだけである。
リオルはまだ帰ってこない。
一行は、とりあえず罰として今日の晩御飯抜きにしようと決めたようだった。
&BASTARD~新ジャンル「鬱クール」英雄伝~ 完
最終更新:2008年02月10日 23:15