隠密、推して参る[後編]

ドラゴンは通常、獲物を狩るときはその場で首なり頭なりを噛み砕き、絶命させる。
その後その場で貪るなり、巣に持ち帰るなりをするのだが、
昨日リューが攫われた場合はそうではなかった。
ドラゴンは生きたままリューをかどわかしたのである。
資料によるとそういった前例は、実は多々あるようなのだ。
古い童話に、悪いドラゴンに連れ去られたお姫様が王子に助けられるというものがあるが、まさにそれ。
あるドラゴンには美しい少女を巣に連れ帰り、そのまま生かしておくという奇妙な習性があるらしい。
そのドラゴンに見初められた少女はそのまま巣に放り込まれ、
果物や肉などを食事として与えられ、殺されることはない。
それどころか、財宝を集めてプレゼントするというから驚きだ。
目的は不明だが、研究者たちはこれを『龍の異種求婚』と呼んでいる。

「―――つまり、お仲間はまだ助け出せるってことだな?」
「ええ。攫われたのが昨日ですから、食べられてしまっているということはまずないでしょう。
 あとはドラゴンを見つけて、リューさんを連れ戻すんです」

ジョンはもっともらしく説明している。
―――曰く、人を騙すときは、口にする全てが嘘ではいけないという。
多くの真実の中に数滴の偽りを混ぜることで、初めてそれは嘘をして機能するのだ。
もちろん、『龍の異種求婚』という不可思議な行動は存在する。
リューが生きていることも、連れ帰ることも本当だ。
ただ、昨日ドラゴンにリューが攫われたという大前提が間違っているだけの話。
リューは今頃先回りして元・湖の近くに潜み、クレイドラゴンと一緒にスタンバイしているに違いない。
昨日あれだけ大暴れして、まだなお何かしようというのだから
この地のヌシたるスクナはあからさまに嫌な顔をするだろうが、
そのためにリオルが黄金色の饅頭(クシャス名物温泉ひよこ饅頭)を持ってなだめに行っていた。

「………………」

半眼で無表情の少女クルミはあれ以来一度も喋っていない。
何を考えているのか、あるいは何も考えていないのか。その表情から思考を読み取ることはできなかった。
普通に考えればこのパーティは一日限り、それも偽りのものなのだからわざわざ気に掛けることではない。
だが、なんとなく気になる………。

「……心配ですわね」
「え?」

不意にローラに声を掛けられて、ヒロトは我に返った。

「リューさんのことですわ。話ではまだ無事とのことですが、それでも………」
「―――あ、ああ。そうだな」

頷く。
そう、そういえばリューを助けに行くという名目なのだった。
心配そうにしていなければ怪しまれてしまうだろうというのももっともだ。
上の空だったことについて反省していると、ローラが半目で睨みつけてきた。
そしてぼそぼそと呟く。

「………昨夜のことを考えていたんですの?」

一瞬、何を言われているのかわからない。
リューに告白されたことを言っているのだ、と気付いたとき、
ヒロトは自分の中に苦いものがこみ上げてくるのを感じた。

―――俺は昨日のことを、極力思い出さないようにしている。

卑怯な。
リューは大切な人だ。それはまず、間違いない。
だがそれはリューが望むような『好き』なのだろうか?
どう接してやるのがいいのか、ヒロトには見当がつかないのだ。
ローラにしてもそうだ。
今はヴェラシーラに帰るわけにはいかないが、
ローラはそれでもなおこうやってヒロトの旅に付き合ってくれている。
それがどんな意味を持つのか、自分は今まで考えたことがあったろうか?
もっと、彼女たちが望むことをしなければ。
しかし、どうすればリューやローラが喜ぶのだろう?

それが、よく、わからない。

だから、いつも通りにするしかない―――なんて、情けない。

「ローラ、ごめんな」

そう言うと、ローラはにっこりと笑った。

「嬉しいですわ」
「え?」
「ヒロト様が、そうやって心根を話してくれること―――それが、わたくしには、とても嬉しい。
 別に気負うことはありませんわ。
 わたくしたちは貴方を好きになったのだから、貴方は貴方以上のことをしなくとも良いのです。
 そもそも女の子の扱いが上手いヒロト様なんて不気味ですもの。
 ただ―――少しは、甘えさせてくださいね?」

ぱっちりとウィンクする。
ヒロトは目を丸くして、呼吸も忘れていた。
色恋についてはやはり疎いヒロトだが、これだけはわかる。
この少女の器は破格である、と。

「わたくしも、貴方を愛しています。あの娘には負けていなくてよ?」

そう挑むように笑って、ローラは小走りにヒロトから離れていった。

「………ああ、そうか」

しばらく呆然としたあと、天を仰いで息をつく。
なんだかとんでもない少女たちに惚れられたものだ、という嘆息だった。
しかし、わからない。リューもローラも、とても美しく、一所懸命で魅力的な女の子だと思う。
それが、なんで自分のような人間を好きになったのか。

……そこが、なんとなく腑に落ちなかった。

「………ところで兄さん、アンタただもんじゃないだろ」

はっと気が付くと、ローラと入れ替わるようにリューマが近づいてきていて、
ニカニカと明るい笑顔を浮かべていた。
ただもんじゃない。
まあ、そう言われてみれば確かにただもんではないのだろう。
少なくとも、世界に七人しかいない勇者という肩書きを持つ冒険者なのであるし。
ヒロト自身はそのことについて特に深く思うところを持っていないのだが、
一応、世界最強を謳われる剣士なのであるし。
―――しかし、それは勿論、このリューマには話していない。
名前を名乗ったときも、これはジョンの提案だが、偽名を使った。
ここにいるのはただの冒険者、その名もモョモトである。
……そう名乗ったとき、ローラとジョンがものすごい顔をしたのは言うまでもない。

「偽名だしな」

しかもバレていた。
突然鼻っ面をつつかれた蝦蟇蛙のような顔をするヒロトに、リューマが思わず吹き出す。
そうして、別に責めちゃいねーよ、と言った。

「名前を呼ぶとき一瞬反応が鈍る。『ああ、俺のことか』みたいなな。
 あんた、人を騙すのに向いてないんだ。その辺、あの嬢ちゃんは見事なもんだけど―――」

リューマが視線を送ったのはローラである。

「ま、そんなことはどーでもいい。
 ただ、ウチのクルミがあんたのこと気にしてるみたいだからちょっとな。
 ああ、アイツは俺のだから手ぇ出すなよなー」

クルミ、というとあの半目の無表情少女か。
ヒロトにはそうは見えなかったが、きっと仲間内で感じることもあるのだろう。
ヒロトがなんとなくクルミを気にするのは、クルミがヒロトを気にしているのを
なんとなく察していたからだろうか。
ひとつ言えることは、それはどうあれ決して色恋に通じるものではないということである。

……なんとなく、うなじの辺りがちりちりした。



そんなこんなで、一同が湖までたどり着いたのは午後になってからだった。
いや、元・湖か。一応川の水が絶えず流れ込んでいるものの、
未だあちこちに空いたクレーターに溜まっているという状態だ。いわば少し大きな水溜り。
噂ではドラゴンはこの辺りに潜んでいることになっているので、
彼らはまず二手に分かれて、ドラゴンの巣を発見次第他のメンバーを呼ぶことにした。
またこれは一方がドラゴンを引き付けておいて、
もう一方がそのスキに囚われのリューを助け出すという二段階の作戦でもある。

………まぁ、そんなことは別にする必要もなかったのだが。

「いますね」
「いるなぁ」
「丸見えですわね」

元・湖であるところの大きな穴。
すっかり露出したごつごつした岩肌の上にそれはいた。

昨日クシャスを襲った(ことになっている)灰色の龍。
クレイ・ドラゴンである。

体長は尻尾を含めて大体10メートル程か。
ドラゴンとしての大きさは普通だが、リューの術であるクレイドラゴンとしては小型のそれは、
救助隊を待ち構えていたように腕を組んで大穴の底で仁王立ちをしている。
その脇には、なぜかモノリスのような形の岩に磔にされたリュー。
両手は【緊縛】の魔法で縛られ、ぐったりしている。

「………なにやってるの、あの娘」

ローラがぽつりと呟いた。
口にこそ出さないものの、ヒロトもジョンも同じ思いであった。
リューは弱々しく顔をあげると、悲痛な叫びをあげた。

「嗚呼、どうして来たのだ?我なんかのために!今すぐ帰れ!
 こやつは、貴様らが敵う相手ではない!」

大根も大根、カイワレ並の安っぽい演技である。
ようするに、リューは気付いてしまったのだった。
今回の自分が、いわゆる囚われの美女的ポジションであることに。

城にいたころは魔道書以外ほとんど読まなかった彼女だが、
ヒロトと共に旅をするようになって好きな本のジャンルに少しだけ変化があった。
………ズバリ、恋愛小説である。
その中にはヒロインが怪物に攫われてしまい、
主人公が命をかけてヒロインを救い出すというものもあった。
それを思い出したのである。

あまりにべったべたな展開。しかしそれ故に、

『GRRRRRRROOOOOOOOOOOOOOWWWW!!!!』

クレイドラゴンの強さはやたらにリアルだった。
翼を広げ、一度羽ばたいたかと思うとその巨体は既にヒロトたちの目の前にまで迫っている。

「―――なにやってるのあの娘ォォォォォォオオ!!」

ローラの悲痛な叫び声は叩きつけられた尻尾の衝撃で最後まで聞き取れず、地面と一緒に砕け散った。
捲れ上がった岩盤に乗り上げて、バランスを崩しながらも電撃で反撃するが
ドラゴンはぶるんと身震いしただけでそれを跳ね除ける。
そしてローラに噛み付くと、ポーンと空中に放り投げた。

「ひぇぇぇえええええ!!?」

高い。
空を飛ぶ術を持たないローラはなす術もなく落下していく。
このまま地面に叩きつけられたら、死にこそすまいが骨の二、三本は覚悟しなければならないだろう。
―――それを、跳んで受け止める。

「あ、れ……?」

ヒロトがローラをその腕で受け止めていたのだった。
お姫様ダッコ。全国の乙女が憧れるダッコである。

「あー!!」

何故か囚われのリューが声をあげた。
精神は繋がっているのか、ドラゴンが歯軋りして地団駄を踏む。なかなか面白い光景である。

「ジョン、ローラを頼む。……っていうかホント、何やってるんだリューは」
「ま、まぁだいたいわかりますが……いいんじゃないでしょうか。
 設定上このドラゴンは強いにこしたことはないというか」
「そうですわ。ナイス、リューさん!ナイス!!」

電撃の効かない相手と見て、ローラはさっさと戦線離脱。
また、クレイドラゴンには対生物攻撃である“霊拳”は効果を持たないのでジョンも撤退。
二人でリューの『救出』に向かった。
さて―――。

『VVVVRRRRRWWWWW!!!!』

クレイドラゴンの機嫌はすこぶる悪そうだった。
腹からこみ上げる憤りを示すように、尻尾をムチのように地面に叩きつけて頭を何度も振る。
―――その首が、ぎしっ、と止まった。

『GGRRR……ッ!?』

首周りに何事か呪刻が浮かび、クレイドラゴンの頭を固定していたのだ。
これはまぎれもない、【緊縛】の魔法。
いや呪文を用いず、手と指の組み合わせ『印』で術の発動を行う
ヒイヅルの魔術形式のひとつ、“忍法”である。

「ナイス、クルミ!!」

クルミのサポートを受けて、リューマは跳んでいた。
背に負っていた巨大手裏剣。その刃をたたんでひとつにすると、その形状は紛れもない大剣。
それを、固定されたクレイドラゴンの脳天に叩き付けた。

『―――GRR……ッッ!?』

直撃を受けたクレイドラゴンがぐらりと揺れる―――が、倒れない。
【緊縛】に拘束されたまま、長い尾でリューマを払いのける。
しかしリューマも攻撃がたいして効いていないと見るやすぐに身体を捻り、
叩きつけられた尻尾に逆に自ら足をかけて大きく飛びのいていた。

「か、硬ぇ~ッ!なんだありゃあ!?」
「リューマ、もう抑えきれない。………術、解く」

ぱきん、と軽い音を立てて刻印が砕ける。
龍の懐に飛び込んで一撃を見舞ったリューマもリューマなら、
そのサポートをし、短時間ながらもドラゴンを押さえ込んだクルミもまたかなりの実力者だった。
クレイドラゴンの方も、標的に足る相手と定めたのかギロリと黒曜の瞳を二人に向ける。

「うわー、おっかねー」
「……がんば」

次の瞬間にはシノビたちはもうそこにはいない。
奔り、跳び、高速で巨獣を翻弄する。
クレイドラゴンにしてみれば竜巻の中にいるようなものだろう。
傍から見ているヒロトでさえ眼で追うのがやっとの神速だ。
クレイドラゴンには―――リューには、なにが起きているのか認識できているのかも怪しい。
打撃を、斬撃を、魔法を、雨のように受けるクレイドラゴンはしかし、反撃すらままならない。
なにせ爪を振り回してもリューマにはかすりもせず、逆に背後からクルミの鎌鼬を浴びるのだ。
いかにクレイドラゴンが高いパワーを持とうとも、
触れられないスピードを前には意味すら持たないだろう。
クレイドラゴンにはなす術もなかった。

(―――ええい、こんなはずではッ!)

リューにしてみれば、まったくの予想外の出来事である。
彼女にしてみれば、クレイドラゴンの相手ができるのはあくまでもヒロトだけであり、
リューマなど昨日食べたお刺身の上に乗っていたタンポポのようなものだったのだ。
ドラゴンを倒し、囚われのリューを助け出す王子様はヒロトだったはず。
なのに蓋を開けてみればクレイドラゴンはリューマとその連れの少女に翻弄され、
リューのところに駆けつけてくるのはにっくきローラと理屈屋のジョン。
きっと乙女のロマンなど理解しようともせずに説教をしてくるに違いない。
ああ、リオルならわかってくれるだろうが今彼女はきっとスクナと杯を交わしている最中だ。
そうなると、もうマジメに捕まっているのもバカらしい。
リューは手元の拘束を解除すると、カッカとした頭でクレイドラゴンにさらに魔力を注ぎ込んだ。


『GGSSSSYYYAAAAAAAAA!!!!』

クレイドラゴンの様子が変わった。
黒かった瞳が見る見るルビーのような紅になり、全身から放たれた魔力の波動で地面が隆起する。
それだけではない。大口を開けたクレイドラゴンの舌先が波紋のように歪み、
そこから超・高密度の魔力波が放たれたではないか。

――――――“天輪”!?

恋乙女の想いなどまるっきりわからないヒロトは仰天した。
魔力波は地面の上をなぞったかと思うと、一瞬の間を置いて大爆発を起こす。
山の頂上、カルデラ湖跡地の地形がまた少し変わった。
―――間違いない、リューはクレイドラゴンを強化したのだ。
なりは小型だが、こと性能に於いてはかつて魔王城で召喚されたそれを上回るかもしれない。
あんなものを作るとは、本当に邪悪なドラゴンでも演出するつもりか!?
もし手違いでリューマが死んでしまったらどんな最悪よりもなお悪い事態になってしまう。
勇者殺しの魔獣となると聖堂教会は威光を保つためにも総力をあげてこの地に押し寄せてくるだろう。
無論ヒロトやジョンを含む他の六人の勇者にも『使命』が下り、
勇者リューマを葬った邪龍の殲滅が行われる。
勿論、調査の過程でことの発端であるヒロトたちにも疑いの目がかかるに違いない。
そうなったら―――考えたくもない結果が待っている。

「あいつ……ッ!」

ヒロトは、それまで傍観していた彼はついに剣を抜き、地を蹴った。
リューが本気でリューマを殺してしまおうとしているとは考えられない。
と、いうことはまた何かしらの理由で癇癪を起こしているということか。
クレイドラゴンを叩き斬ったら、また正座で説教してやらないと―――。
ヒロトは柄を握る手に力を込め、呼気を吐いた。

「覇ァァァァァァァァアアッッッ!!!!」

―――その隣を、高速で何かが駆けていく。

「悪いね、兄さん!」
「な………ッ!?」

リューマである。
ヒロトを追い越しながら、印を組む―――
―――『静かに』のジェスチャーのように立てた指をもう片手で握り、同じように指を立てる―――
その、クレイドラゴンを挟んだ反対側では彼の相棒が同じ印を組んでいた。

「「喝ッッ!!!!」」

声が重なり―――そして術が発動する。
地面に突き立てられた五本の苦無が共鳴し、りん、と涼やかな音を立てた。
描かれる五芒星。
東の地で編み出されたその図形はあらゆる魔を滅する祓えの刻印だ。
それは無論、洋の東西に関係はなく―――。

『GYAGGGOOOAAAAAAAAAA!!!!』

クレイドラゴンの身体に亀裂が走る。
神速の猛攻は苦無を地面に打ち込むためのブラフに過ぎない。
彼らは、最初の一撃が効かなかった時点ですぐに物理攻撃を捨て、
この術印による祓えに切り替えたのである。
果たして、クレイドラゴンは肉体に満ちた魔力を『祓』われて断末魔の叫びをあげた。
そしてミスリルの強度を持つ最高位の魔獣はただの粘土に戻ってぼろぼろと崩れ、土塊となって倒れ臥す。

―――ヒロトが出るまでも無かった。

強い。
特殊な武具を使いこなす技術に以心伝心のコンビネーション、
鍛えられた技と相手を見切り、有効な攻撃手段に切り替える判断力。
そして何より、疾風のような身体能力。
そこまでに至るには巌を玉になるまで磨くような努力が必要だったに違いない。
ただただ、感服した。

しかし、それでも。
彼らはただ、『知識』という一点を欠いている。

『GGGRRRRRROOOOWWWW!!!!』

「―――な……!?」

破壊された肉体を再構成して、クレイドラゴンは立ち上がった。
そもそも魔王の傀儡であるクレイドラゴンに死という概念はない。
破壊はできるが、魔王が再び魔力を注げば元通りだ。
もし完全に消滅させたくば術者であるリューの魔力が枯渇するまで破壊し続けるしかないのである。
あるいは魔王城の時のように、彼女が再生するのを止めればそれまでだが―――。
わざわざ強化までしたクレイドラゴンが斃されたとあっては、
ますます頭に血が上っているだろうことは想像に難くない。


(―――喰らえぇぇぇぇぇぇぇいッッ!!!!)


収束する魔力に歪む空間。
直死の砲台である“天輪”が広がり、無防備なリューマの背を狙う。
彼の神速を持ってすれば直撃を免れることはできるだろう。
だが、地形を変えるほどの破壊そのものから逃れられるかといえば、それは―――。

故に、ヒロトは踏み込んでいた。

「―――修……ッ!」

昇り一文字。地から天へ振り上げるように放たれた斬撃は魔力波を受け止め、
そのまま軌道を逸らして弾き返す。
スマッシュをカットで返すような滑らかな剣撃はかつてのように自身を傷付けることさえなく、
正確にクレイドラゴンの頭を吹き飛ばしていた。

『……………!!……!………』

首から先のなくなったクレイドラゴンはぐらりと揺れ、今度こそ地面に倒れこんで動かなくなる。
ヒロトが介入したことでリューも我に返ったのだろうか、
ギロリと睨みつけると、ばつが悪そうに目を逸らした。
それでも、駆けつけたローラを睨むほどの元気は残っていたようだが。
よっぽどお姫様ダッコされたローラが憎らしかったのだろうか。

「す、す、す」

―――ああ、そういえば。
ヒロトはひゅんと剣を一度振ると、鞘に収めた。

「すっげぇぇぇぇぇぇぇえええ!!!!何だ今の!なぁ、何だ今の!!」

リューマがきらきらした眼で駆けつける。
………まあ、一撃で地形を変えるような破壊光線を
剣一本で弾き返すなんて芸当をしたのだから当然のことか。
『強い者』が好きなリューマならばなおさらである。

「おいおいおいおい!兄さん!あんた何者?ただの冒険者じゃないとは思ってたけど
 まさかここまでとは―――もしかして、兄さん。俺と同業だったりしない!?」

………ヒロトは少しだけ考え、頬を緩めた。
知り合って僅かだが、少なくともリューマは警戒すべき人間ではない。
もし勝負を持ちかけられたら、その時は正々堂々と受けて立とう。
リューマは単純に戦いを好むタイプだ。
戦闘狂といっても、命のやりとりまで望むような狂戦士ではないことはわかる。
後先引くようなことはあるまい。
ヒロトは肩が軽くなったような調子で、改めて名乗った。

「―――ああ。翼と稲妻の国ヴェラシーラに選定されて勇者をやっている。ヒガシ・ヒロトだ」

騙してすまなかった、と。
ちっとも騙せてないくせに、ヒロトは続けた。―――続けようとした。



その身体がぎしっ、と動かなくなる。



「………え?」

それは、誰の言葉だったろうか。
ヒロトか、不貞腐れながら歩を進めていたリューか、リューを連行していたローラか、
ジョンか、それともリューマか。


刻印が浮かんでいた。


それは先刻クレイドラゴンを縛り上げた【緊縛】の呪刻。
それがヒロトの首に、腕に、脚に。四肢に刻まれ、自由を奪っていたのだった。
無論、こんな術を使う人物はこの場に一人だけしかいない。

「―――五乗封印……!?クルミ、一体なにやって―――」

リューマが相棒をたしなめようと振り返った、その背後で音がする。
とつ、と。
何かが―――たとえば毒針が、ヒロトの首筋に突き刺さった音が。


それは、ヒロトにとってまったくの奇襲だった。

そもそも彼は、リューマたちのことをまったく知らないに等しい。
シノビとはリューマが異例中の異例であり、基本的に暗殺を生業とする者たちであることも。
気配どころか、姿すら消してしまう術を使うことも。
リューマの仲間がもう一人いることも。
その一人が、誰あろうヒロトを暗殺すべくヒイヅルから使わされたことも。
クルミに協力を要請し、リューマが知らずヒロトを懐柔したその瞬間を狙うよう指示したことも。

―――何故自分が命を狙われたているのかも、何も知らなかったのだから。


がくん、と膝から力が抜け、ヒロトはその場に倒れこんだ。
身体が痺れている。無理もない、一滴で鯨を殺すような猛毒なのだ。
ゆらり、と何もなかった虚空が蜃気楼のように揺れ、そこに毒針を放った少女が姿を現した。

リューマはその姿を認めると、彼には珍しい怒りに満ちた形相でその少女を睨みつける。

「―――どういうつもりだ、フミナ」
「………………………」

フミナと呼ばれた少女は答えず、ただ何かを堪えるように倒れたヒロトの身体に眼を落とした。



                 隠密、推して参る~新ジャンル「暗殺者」英雄伝~[後編] 完

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最終更新:2008年02月10日 23:25
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