カーテンの隙間から日が差し込んでいた。
ちかちかとする感覚に重いまぶたを上げると、どうやら太陽はとっくに昇りきっているようで、
枕元に置いてある目覚まし時計を見ると既に昼の二時を過ぎている。
今日は日曜だ。予定もないので別にまだ眠っていても構わないが、くぅ、と腹が鳴った。
「………………」
炎のように鮮やかな赤い髪を持つ頭を乱暴に掻きながらもぞもぞと身を起こす。
ぼんやりした頭できょろきょろと辺りを見回した。
余計なもののない、というか必要なものもない殺風景な部屋。
璃羽(りう)はそこが自分の小憎たらしい恋人の部屋だと認識すると、
くぁ、と大きくあくびをしながらベッドをあとにした。
捲くれ上がった拍子にシーツに包まるようにして眠る
金糸の髪を持つ少女のあられもない裸体が現れる。
「うわ」
一瞬、ビックリした。
昨日は確か『自分の日』だった筈。
なんで巻(まき)が素っ裸で自分の隣に転がっているのか。
だるい。
寝ぼけているからだけではない。たっぷりと眠った筈なのに、まだ体力が戻らない感じ。
ああ、段々思い出してきた。
もう何度目かもわからない彼との契り、大時化の中にいるように揺さぶられ、
いいように鳴かされて、慰みもののようにして全身を愛されて―――、
途切れ途切れの意識の中、いつの間にか声をあげるのが自分だけではなくなっていた気がする。
―――あの馬鹿者め、我が失神したからと巻を呼んだのか……。
悔しい。
今日こそはヤツを独占してやろうと思っていたのに。
璃羽はまぶたがまだ半分しか開かないのを自覚しながら、
眉間に縦筋を作って口をへの字に曲げた。
とにかく、文句はあとだ。
昨日の今日で身体は汚れている。色々と。
昨夜―――いや今朝、かな?あのままオチてしまったせいだ。
璃羽はとりあえずその辺に落ちていた男物のTシャツを着込むと、
のしのしと荒い歩調でバスルームに向かった。
「ん。おはよ」
先客がいた。
今まさにバスルームを使おうとしていたのだろう、上着に手をかけて胸元まで捲し上げながら、
璃羽の―――璃羽『たち』の恋人たる洋人(ひろと)はいつものように挨拶した。
細身ながら逞しい身体、覗いたへそに璃羽は少し顔が赤くなってしまう。見慣れている筈なのに。
いや、その時はいつも璃羽側には恋人の肢体をじっくり観賞する余裕などないから、
見慣れてはいるものの慣れているとは言えないか。
むしろパブロフの犬的効果で認識しただけで性的快楽を覚えるようになるとか。
………恐ろしい。ありえる話である。
「なんだ、貴様も今起きたのか?」
このまま科学技術が発達して遺伝子操作で空飛ぶ豚が誕生するよりは
遥かに可能性の高い想像を普段通りの口調で誤魔化す。
少なくとも『あの』時には無条件で発情するくらいにはなってきているのだ。
そのうち洋人の顔をみただけで性交をせずにはいられないくらいになるのではあるまいか。
………悪い冗談にしても度が過ぎている。
「いや、朝には起きたよ。朝稽古して、買い物ついでにランニングして
今帰ってきたところだ。少し汗かいたからシャワー浴びようと思って」
「……化物め」
いつも思うが、あれだけのことをしておいてなんでピンピンしていられるんだこいつは。
これも剣道で鍛えた無尽の体力と不動の精神の賜物か?
それを床の上でも発揮するって、どんだけ応用が利くんだ、剣道。
………まぁ、菜食主義者だった狼に肉の味を覚えさせたのは
他ならぬ璃羽(と巻)なのでこれは自業自得なのだが。
「巻は?」
「まだ寝ておる。というかお前、昨日は我の日だったろう。何故巻を呼んだ?」
じろり、と睨みつけるも効果はない。
洋人はそのまま黙々と服を脱ぎ続ける。
「そりゃ誤解だ。昨日は巻の方から部屋に来たんだよ。……だいたい、璃羽の日っていったって
最近はどっちが先かだけの話じゃないか?二人ともすぐに失神するし」
「そ、それは………その、貴様が無茶するから………」
顔を赤くしてどもる璃羽。
確かに、繋がったまま連続で五回も六回も絶頂を迎えさせられては
『飛んだ』まま戻ってこれなくなるというものだ。
他にも前だの後ろだの前から後ろだの上から前だの交互にだの色々された(した)気がしたが
きっと気のせいだろうと思うというか思いたいがやっぱり気のせいではない気がする。
璃羽がもじもじしていると、洋人はふと何かに気付いたようにベルトにかけていた手を止め、
しゅんと憂いを帯びた表情になった。
「……そうだな。璃羽が悦んでくれると思っていたから、最近俺もちょっと調子に乗ってたみたいだ」
「え?」
璃羽は驚いて顔をあげた。
その唇を、優しく奪われる。
そっと触れるようなキスは、しかし毎夜修羅のような激しい行為で
彼女たちの意識を刈り取る青年のものであり、そのギャップに璃羽はすぐにくらりとなってしまった。
「悪い。璃羽が嫌なら、もう無茶しないよ。そうだな、俺、ちょっと自分勝手だったみたいだ。
いつだったか巻にも言われたっけ。無茶するならもっとできることとできないことを考えるべきだって」
ぽーっとした耳元でそんなことを囁く洋人。
そうなると、もう璃羽としては条件反射のごとくこう返すしかない。
「ち、違う!そうではなくて……その、これは我の我が侭なんだ……。
最近洋人を独占できなくって、つい………。本当は洋人に苛められるのもやぶさかではないし、
洋人がしたいことならどんなことだってしてあげたいと思っているん……」
ぼそぼそと呟き、言葉を切って、何かうなじ辺りに怖気がした。
それは、狼を前にした兎と同じ感覚だったのかも知れない。
わかっているのはもう逃げ場がないということ。
追うのを諦めたと見せかけて、実に的確に狩場におびき寄せられたのだ。
というか単純すぎるぞ自分。
果たして璃羽は、次の瞬間ひょいと洋人に抱え上げられてお持ち帰りモードになっていた。
………いや洋人の家はここだけど。
じたばたと暴れるも、鋏を使わなくてはポテトチップスの袋を開けられない非力な少女と
剣道の試合で相手の防具を砕く豪剣の剣士では力比べにもならない。
洋人の顔を見ると、さっきまでの影のある表情はどこへやら、にこにこしていた。
やたら爽やかなのがまた癇に障る。
「洋人ッ!貴様、謀ったな!」
「なんでだよ。いや、いいこと聞いた。そっかー、やっぱり苛められるの好きだったのかー」
「そ、それは……オイやっぱりってなんだ!ち、ちち違うぞ!ええい離せッ無礼者!」
「だって璃羽もシャワー浴びにきたんだろ?いいじゃないか、背中流すくらい」
絶対背中流すだけでは済まない。
璃羽はそう確信した。
他にも色々流される。理性とか尊厳とか無垢な自分とか。
「こらぁ!こッ、恋人同士でも強姦罪は通用するんだぞ!」
「騒ぐなってば。巻が起きる」
璃羽は静かになった。
巻はまだ寝ている。ということは、まさに今洋人を独占できるということではないか?
と、思ったときには既に浴室に放り込まれていた。
チェックメイト。あとは美味しく頂かれるのみということだ。
「お、おい!Tシャツ……」
「下着はつけてないんだろ?いいよそのままで。『透けT』もなかなかそそるもんだ」
妙にマニアックなことを言い出す洋人。
かつての試合中、睨んだだけで相手が泡を吹いて失神し、目覚めたとき
その日一日の記憶を失っていたという噂を持つほどの剣の鬼とはとても思えない。
「……………お前、性格変わったな」
「おかげさまで」
恨めしそうに睨み上げるがにこやかに微笑むこの青年の面の皮の前に効果は毛ほども無さそうである。
―――それでも、この笑顔には敵わない。
璃羽はため息をつくと、ピトリと洋人の胸に額をつけた。
洋人の腕が背中に回る。心臓の鼓動が響く。温かい。
じんわりと胸が熱くなる。同時に、下腹部にも熱が宿るのを感じた。
―――やれやれ、まったく。我も大概だな……。
先程の馬鹿な妄想が現実になるのを少しだけ恐れながら、
しかしもう璃羽はこの青年から離れることはできないだろうと確信していた。
「責任は取れよ?」
「……ん」
二人は熱いシャワーを浴びながらお互いを抱きしめあい、唇を重ねあう。
それが唾液のしたたる激しいものとなるまで、時間はかからなかった。
璃羽のけだるい昼下がり~新ジャンル「パブロフ」英雄学園伝~ 完
最終更新:2008年02月10日 23:27