勇者と火龍のとある一日

「ドラゴン?」

リオルは食べかけの煮込み肉にかぶりつこうと大きく口を開けたまま、
きょとんとした顔で器用に聞き返していた。
視線の先には野菜スープを静かにすするヒロト。
粗野な勇者生活だというのに、食事や礼節の作法がきちんとしているのはさすが王城育ちというところか。
その隣にヒロトに作法を叩き込んだローラ、逆隣にリューが座って同じく食事をしている。
リオルはリューのさらに隣だ。
時は夕時。場所は宿屋の一階、兼業(と、いうよりむしろこっちが本業)の食堂である。
ヒロトたち一行は夕食の合間に各自、明日の予定を話し合っていたのだった。
ヒロトはこくんと口の中のものを飲み込んだあと、頷く。

「ああ。近くの森に出る魔獣たちが最近になって急に凶暴化したらしくてな。
 まあ、それ自体は気をつけていれば大した被害は出ないんだが、
 問題はドラゴンだ。今のところ人里に降りてくるということもないが、
 この町にはドラゴンと戦えるような戦士もいないんで追い払って欲しいらしい」

この町についてすぐに役所に行って何か手頃なアルバイトがないか探し、頼まれた依頼だった。
その森はまっすぐ抜ければもっと大きな街に続く近道であり、
大きな馬車などは通れなくても、身軽な冒険者や吟遊詩人たちは毎年大勢その森に入っていく。
そこに魔獣の中でもレベルの高い存在であるドラゴンが出没するとあっては、
情報や商業の流通に大きな打撃を受けることは明白だろう。
一応大回りすれば正規の街道に出られるものの、近道があるのとないのでは随分違うはずだ。

「こっちとしても、そういう厄介事は放っておけないからな。明日は一日、それで潰れると思う」
「………む。そうか」

リューはそれを聞いて、少し渋い顔をした。

「どうした?都合が悪かったか」
「あ、いや―――」
「明日は私たちもアルバイトが入っているんですの。
 先日のバレンタインで旅費をオーバーしたのは私たちですから、
 なんとか自分たちで挽回しなくてはと思ったのですが……裏目に出てしまったようですわね」

言葉を濁すリューに続いて、ローラがすまなそうに言う。
ちなみに、この夕食の席にジョンがいないのはそのためである。
ジョンはこの町に入るまでに野に自生する薬草を集め、その足で診療所に入っていったのだ。
今は診療所で回復薬の調合をしているはず。調合した端から診療所に卸すのである。

もともとクシャスで宴会を開いて散財していたところに、
バレンタインで買ったチョコレート代がさらなる大ダメージを与えて
旅の資金は危ういところまできているらしい。
帳簿はもう、一目見ただけで魂を奪われ生きながらページの一部と化してしまう呪いの書
『ネクロノミコン』と同等の破壊力を持つほどに。
それで一番負担が大きくなっているのがジョンなのだ。
錬金術師(アルケミスト)に始まり、魔工技師(エンチャンター)、医者(ドクター)、
療術師(ヒーラー)、薬師(メディシン)……ジョンはその様々な役職を活かし、
旅先のどこに行っても何かしらで路銀を稼ぐことが出来るパーティの稼ぎ頭なのだから。
そこへ行くとヒロトは剣の腕が立つというだけで他にあまりできることもないから、
有事の際以外には案外役に立たない。
ただし、荒事には滅法強いので厄介事を解決した暁の礼金は結構な額だったりする。
そしてそれを聞いて、うぐ、とのどを詰まらせる少女が約一名。
先日大量にチョコレートを買い込み、さらには一人で全部食べてしまったというツワモノだ。

「………そうか。困ったな。『通訳』が必要なんだが」
「ああ、それなら問題あるまい。魔獣と意思疎通ができる暇人なら一人心当たりがある」
「ですわね」

三人の視線が、一人に集まる。

「あ、あたしですかぁ!?」
「他に誰がいる。貴様、よもやサボろうというのではあるまいな?」
「なんなら、私たちの方に回って頂いても結構ですけど?バリッバリのデスクワークですが」
「………………」

リオルは字が読めない。
それなのに事務仕事ができるわけがないから、おそらくはいつぞやの情報媒体、
情報局のE.D.E.N.の時のように大量の資料を抱えて右往左往し、
あまつさえ邪魔者呼ばわりされて泣きながら情報局を飛び出すことになるだろう。

「おい待て!勝手に都合のいい記憶を捏造するでない!」
「リオルさんはエスケープしただけではありませんか!」

あの悲劇を繰り返すくらいなら、肉体労働に回ったほうがいいかもしれない。
どうせドラゴン退治だ。きっと森に入ってドラゴンを見つけて、二、三発しばいて終わりだろう。
それも面倒くさそうなら、ヒロトに全部押しつけてしまえばいい。
そもそも、これはヒロトが貰ってきた仕事なのだから。

「………わかりました。でも、いいんですか?リュリルライア様。
 明日はバカ勇者、あたしと二人っきりで行動ってことですよ?あたし襲われますよ?
 浮気を黙認するんですか!?っていうかあたしの身体はツノの先からシッポの鱗まで
 ジョンのモノなんだから気安く触るなバカ勇者!!」
「「「それはない」」」

勇者、魔王、姫。抜群のハモり具合であった。



外れの町ビサレタ。
丘陵と蹄の国ラダカナの田舎町で、質のいい野菜や肉、特に鶏卵が有名。
単純な距離なら王都ディカに最も近い町ではあるが、
ラダカナ国土の二割を占める牙の森を挟む形になっているのでディカから
ビサレタに行くには街道を通って大きく迂回しなくてはならない。
町としては決して大きくない理由も、その立地の不幸にあるようだ。
その歴史は王都がオキオナからディカに移った折に―――。

「な~る、タマゴかぁ。確かに朝食べたオムレツは垂涎モノだったしね。
 文字通りの意味で」
「ふむ、大きな戦が起きたのは数百年前か―――魔獣たちが暴れだしたのはここ最近。
 関係無さそうだな、これは」
「ってオォォォォォォオオオイ!!!!」

リオルは机に向かいペラペラとページをめくるヒロトの後ろで、
ぐるんぐるん回転してからツッコミを入れた。

「なんでこんな所にいるの!?さっさと森に向かうんじゃないの!?」

朝、一番に森に入ってドラゴンを討ち取りに行くと思われたヒロトは
何故かリューやローラと共に役所の資料室に向かい、
こうして何事か調べものをしているのだ。リオルにとっては大変に退屈な時間である。

「―――いや、ドラゴンを探す前にやることがあるんだ。
 この町の簡単な歴史とか、魔獣に与えられた被害の記録とか。
 最近になって魔獣は人を襲うようになったっていう話だから、
 そのきっかけになった事件が何かあったのかも知れないし」
「………そなの?あたしてっきりドラゴンぶっ飛ばして終わりなのかと思ってた。
 っていうか、リュリルライア様がいるんだしさー。そんな面倒なことしなくても、
『ええい控えおろう!!』『この桜吹雪、見忘れたとは言わせねぇ!』
『ははー』『これにて、一件落着!』『魔王様の名を騙る不届き者!斬れ、斬り捨てぇい!』
 ………とかすればいいじゃんか」

リオルが大仰な身振り手振りで言うが、ヒロトはそれに肩を竦めて答えた。

「まあ、初めの頃は俺もそう思ってた。
 でも、人間側だけじゃない、魔族の方にも言い分はあるんじゃないか?
 一方的にどっちが悪いっていうことばかりじゃない。
 それに、俺たちは戦闘をしに行くんじゃない。
 あくまで話をしに行くんだから最低限の事情は知っておかないと失礼だろう?」
「………………」

リオルは目を丸くした。
ボケがスルーされた。………からではない。
ヒロトの言うことが驚くほど『異常』だったからだ。

人間が魔獣の事情を知る、だって?

ジョンに拾われ、リューたちと合流してもう長いが、
リオルはヒロトのやっていることをほとんど知らなかった。
興味がなかったし、過去『そう』じゃなく、
魔獣として殺された身としてどこか冷ややかな目で見ていたのだ。
人間と魔族の共生?
そんな馬鹿げたことを本気で目指すなんて、砂漠に花を咲かせようというくらいの絵空事。
彼女にとって人間はいつだって弱くて、
そして自分たちの住処を脅かす存在でしかなかったのだから。

ヒロトだけじゃない。
灼炎龍リオレイアの首を取ろうと挑んできた戦士は数を数えるのも馬鹿らしいほどだ。
自分がいったい、何をした。時々農場を襲って、家畜を二、三頭つまんだだけじゃないか。
その時少しばかり町が燃えてしまったのかもしれないが、
家はたくさんあるんだし半分くらい焼けても気にすることじゃ無い。
それに、狩りやすい獲物がのそのそ動いていて食指が動くのも当然の話だろう。


―――そう。今ならわかる。

町を襲う火龍から身を守ろうと、勇者に応援を要請するのもまた当然の話なのだと。


「………………………………………驚いた。バカ勇者、真面目にやってたんだ」


どちらが悪いというばかりじゃない。
在り方そのものが異なるのだから、そも、裁こうというのが驕りの極地。
ならば、せめて互いの線引きを調節しようと。
この男は、そうしようとしているのか。
そのために、魔と闇の全てを統べる王、リュリルライアが必要だったと―――。

「……リオレイア。お前、俺をなんだと思っていたんだ?」
「バカ」
「………………」

キッパリとバカにされてヒロトは二の句が継げない。
まあ、彼女にとってヒロトは第一印象が最悪中の最悪だったから
『破壊神』とか言われないだけマシだったのかも知れない、と思い直して我慢する。
決して短い付き合いではない間柄、そういうことを言われると流石のヒロトも少し凹んでしまうだろう。

「E.D.E.N.が使えれば楽なんだけど、俺、ああいうからくりモノは苦手なんだよ。
 だから、悪いけど少し我慢してもらえないか。
 あと、ついでに『ドラゴン』って字が書いてある本を探してもらえると助かる」
「わかった……って、あたし字が……」
「形ならわかるだろ。こういうのだ」
「ん。りょーかい」

リオルはこくんと頷いた。それから、はっとなる。
さっきのは素直に返事をしすぎじゃないか?いつもだったら、もっとゴネてないか?

『えー?バカ勇者誰に指図してんの?人にモノ頼むときは土下座から三点倒立に移行して
 一発芸のひとつもするもんだってジョンに教わらなかったの?』

くらいは言うべきだったか。いやいやそれでは後でリューにしばかれる。
………しばかれる?は!そうか!!
一応、自分はリューの代理で来ているのである。
だからできることはしなくてはというものである。
それに非協力的な態度をとっていては、後でリューにしばかれるのである。
うん、そうだ。その通り。

「さて。ド、ド、ドラゴン、ドラゴン―――と。あ」

本棚の片隅にあったのは、これはリオルも知っている。図鑑だ。
字が読めなくても大体の内容がわかるから、リオルは図鑑が好きだった。
それも、これはドラゴンの図鑑のようだ。勇ましい龍族の絵がいくつも載っていた。

飛竜ワイバーン。脚竜ドラクルー。重竜トラックドラゴン。
―――人間の生活の役に立つ亜竜。
幸運竜ファルコン。夢想竜ジャバウォック。宝珠竜シェンロン。
―――伝承にのみ伝えられ、正式に姿を確認されていない幻竜。
王竜バハムート。深海竜リヴァイアサン。灼炎竜イグニスドラン。
―――極地に巣を構え、近寄る人間を襲う凶暴な邪竜。

「あ、これあたしだ」

リオルは指先でその火竜の挿絵をなぞった。
炎に包まれ、カッと目を見開いて戦士に襲い掛かるその様は、
解説が読めずともそこに何が書いてあるのかだいたいわかるほどだ。
おおかた、近寄る人間を襲う凶暴な邪竜、とでも書いてあるのだろう。

「………バッカみたい。何にも知らないくせにサ」

ぼそり、と呟いた。
その声は幸運にも、ヒロトの耳には届かなかったようで。

「ん?何か言ったか」

例のドラゴンも、もしかしたら―――と。
リオルはふと、思うのだった。

「……別に。ほい、図鑑見つけたよ」
「あ、うん―――図鑑か…………………………ありがとう」
「何、その反応。『別に図鑑はいらないなぁ』みたいな」
「……いや、そんなことは」
「だったら使いなさい。今すぐ。さぁ!ハリーハリーハリー!!」
「待て。ええと………問題になっているドラゴンはこの種だな、と」

慌ててページを捲った、そこに乗っていたのは特に特徴の無い緑色の竜であった。

グリーンドラゴン。
ドラゴンとしてはそう高い位にいる種族ではなく、
空を飛ぶ翼もなければ炎を吹くこともできない。
かわりに森の景色に合わせて体表の色を変えることができ、
獲物が油断しているところを発達した脚力で接近し仕留めるのだという。
体長も他のドラゴンの中では大きい方ではなく、だいたい熊二頭分ほど。
煙玉を使えば万一出会っても逃げ出せる見込みがある相手である。
ただし、前述のように『獲物』とみなされた場合はこの限りではない―――。

「………戦って勝てる、とかじゃないんだ」
「それほど強い種類じゃないとはいえ、ドラゴンといえばもう、
 それだけで人の手に余る魔獣だからな。
 倒すとなればそれはもう、『退治』の域になる。どうにかできるのは聖堂騎士団の精鋭か
 俺たち勇者くらいになるだろうな」
「ふぅん………」

リオルはポリポリと頬を掻いた。
確かにそうだ。スレイヤー火山―――リオルがヌシをやっていた時だって、
ヒロトだけがでたらめな強さを持っていただけで他の連中は全然、相手にならなかった。
だから、いつもの通り消し炭にしようと炎を吹きかけておしまい、と油断してしまったのだ。

「………そうよ。そうに決まってる……!」
「それに、棲家が森だからな。囲むのも難しそうだし……
 森が拓かれたっていう記録も無い以上、人間にしてやられて恨みを買ったっていうセンは薄そうか……。
 ん?牙の森のヌシもグリーンドラゴンじゃなかったか」

ぺらぺらと資料を捲って、ヒロトが確認している。

と。

リオルはふと思い至った。
それはまったくの勘だった。しかし、思い返せばピースは繋がる。
最近になって人を襲うようになったということ。
森に棲む魔獣全体が凶暴化していること。
ドラゴンが森のヌシであること。
地形的に、人間に倒されることは考えにくいこと―――。

うん、そう考えればつじつまが合う。
ヒロトにはわからないだろう。
この男は―――そりゃ、少しは見込みがあるが、人間には違いない。
可能性の中のひとつとして、おそらくは考えてもいないだろう。
かつてヌシを張っていたリオルだから思い至る、その推理。

教えるべきか?
いや。ここで教えないでいれば、このバカ勇者の奔走する姿をもっと見ることが出来る。
できる―――けど。

「………ちょっと、考えたんだけどさ」

リオルは、ふと気付けばそう口にしていた。



資料室をあとにしたヒロトは、今度こそ森に入っていくのかと思いきや、
『食事にしよう』と一度宿に戻っていく。
まさかリオルの華麗なる推理をガン無視する気かっ。
それだけでも火龍烈火吼(デラ・バーン)に値するが、
勇者的に早くドラゴンを見つけにいかなくてもいいのだろうか?
もしリオルの勘が正しければ、遅くなればなるほど被害者は増えていくはずだ。
このドラゴンは、森に入ったものを片っ端から仕留めにいくはずだから。

「それなら多分大丈夫だろう。二、三日前から森には入らないようにと
 勧告を出したって役所で言ってたから」
「………いつの間に……」
「それに、腹、減ってるんじゃないのか?多分戦闘は避けられないだろうから、
 腹ごしらえはしておいた方がいいだろう」
「………………むぅ」

ちょうどいいタイミングできゅぅ、とお腹が鳴った。
―――なんだか、くやしいのは何故だ。

注文を待っている間、リオルはなんとなくヒロトをじっと観察していた。

ヒロトと一番初めに相まみえた時、この男は剣だった。
火焔に飲まれ、足元の岩盤が溶解して沈もうとも歩みを止めず、
己より遥かに巨大な龍であるリオルに挑んできた。
どんな刃も魔法も弾き返す鱗は斬り裂かれ、
鉄鋼の塊でも噛み砕く牙は通らず、
万里に響く咆哮さえ気声にかき消された。
死闘による高揚と。血飛沫が蒸発する激痛と。そして、
――――――命の炎が尽きる感覚を教えられた。
灼炎龍リオレイアの、不倶戴天の、敵。

次に目にしたとき、この男は風だった。
憎悪も殺意も激情も受け止め、悠然と佇み捌いてのけた空なる男。
そういえば、あの時は剣を抜かせることすらできなかったんだっけ。
義体の規格が合わなかった当時とはいえ、少しくやしい。
まあ、その切歯扼腕が龍の能力の発現のきっかけになったのだが。
今ならどうだろう?いつぞやの勝負は敗れはしたが、今なら勝てるかもしれない。根拠はない。

一緒に旅をすることになって初めの頃は、いけすかないヤツと思っていた。
ジョンと同じ勇者だから。
リュリルライアに好かれているから。
自分の命を奪った相手だから。

でも、今は。

なんとなく、
いいヤツと思ってやってもいいのではないか、と。
そう思うのだ。

「………ま、ジョンには負けるけどね!」
「何がだよ」

じろじろ見られて気になったのか、ヒロトは訝しげに眉を寄せた。

「別に!」

ふふん、とリオルは何故か勝ち誇ったように鼻を鳴らした。

「……ジョンか。確かにな。実際に戦ったら油断はできない相手だ」
「うん?」

何を勘違いしたのか、フムと頷くヒロトに、小首を傾げる。
油断はできない?
ヒロトは戦闘のエキスパートである。戦闘力はヒロトの方が圧倒的に上のはず。
ジョンも人間にしては結構な使い手だが、
それでも火龍の首を一撃で落とすなんて化物じみた芸当はできっこないのだ。

「ああ。そりゃあ、俺のほうがパワーはある。耐久力も、俊敏性も、実戦経験も上だ。
『戦い』になったら、十中八九負けは無い。けどジョンは頭が切れるからな。
 本当に『敵対』するとなったらまず、勝負をしないで俺を無力化する方法を考えてくる。
 俺としては一番苦手なタイプだな」
「そうなん?」
「ああ。それに、『霊拳』もやっかいだ。あれは打撃じゃなくて呪いの類だから、
 いくら身体が頑丈でも意味がない。この間のヒュドラの毒みたいなもんだ。
 あそこまで磨き上げるには相当な修練が必要だったろうに……。
 その上、あの博識だろう。大した男だと思うのは当然じゃないか」
「………………………」

リオルは、目をぱちぱちと瞬かせた。
そして、顔がどうしようもなく、緩んでいくのを自覚する。

「なんだよ」

あのヒロトが。
あの、愛想のないヒロトが。
ジョンを、高く評価していたのだ。
それがとても嬉しくて、笑いを堪えきれない。
ジョンの方はわかる。ジョンは、滅多に口にはしないがヒロトを信頼している。
魔王すら倒してのける剣の腕もそうだし、リューのパートナーとして、同じ男として、
また勇者としてもヒロトに一目置いているのは明白だ。
ヒロトたち他のメンバーがどう思っているかは知らないが、
ジョンの相棒たるリオルには手に取るようにわかっていた。
だが反面、ヒロトが何を思っているのかはわからなかった。
ローラやリューに好かれているのにマイペースというか、愛想がないし、
リオルのことも、ジョンのことも、特に気にしている風にも見えなかったし。
この旅はヒロトは勝手気ままに歩いていて、
他のメンバーがその後ろを付いていっているように思えて気に食わないとも感じていた。

けど―――なんだ。

コイツはコイツで、ちゃんと人を褒めることができるんじゃないか。

「…………リオレイア。本当にお前、俺を何だと思っていたんだ?」
「バカ。もう、すっごいバカ」
「………………………」

苦虫を噛み潰したような顔をする、それがまたおかしくて、リオルは声を出して笑った。



「―――で、どうだった?」
「ああ、お前の予想した通りだ。確認したところ、確かに凶暴化する前、
 森の魔獣が一切出てこなくなった時期があったそうだ」
「ふんふん、やっぱりね」
「リューを待つべきか?」
「ううん、別にいい。『先輩』だから言えることもあるしサ」
「わかった。それじゃ、行くか。リオル」
「了解。


――――――ヒロト」



牙の森に入っていくらかもしないうち、二人は魔獣に囲まれていた。
木々の上から、草むらから、あるいは地上から。
牙をむき出しにし、甲高い笑い声のような雄叫びをあげているのは猿の魔獣スゥエンたちである。
確かに徒党を組んで旅人に襲いかかってくる厄介な魔獣ではあるが、
普段ならせいぜい悪戯か、あるいは荷物を奪うだけで満足して去っていく連中だ。
それが無数に溢れかえり敵意を向けてくる様は圧巻という他なかった。

「………これはまた……話に聞く以上だな。
 森が閉鎖されて旅人が通らなくなったにもかかわらず、俺たちが来たから
 ますます興奮してるといったところか」
「完ッ全に調子乗ってるなーコイツら。『カエレ!カエレ!』だって。ありえん(笑)」

リオルはけらけら笑っている。
しかしその腕は既に鱗に覆われ、快く思っていないのは明白だった。

「リオル。俺たちの相手はこいつらじゃない。あまり暴れるなよ」
「冗談。アンタ、あたしの話聞いてなかったの?
 一番てっとり早いのは思いっきり暴れることだよ。やりすぎるとどうなるか、この森中に見せ付ける」
「………それでもだ。リオル」
「はいはい。了解」

肩をすくめる。どこまでもバカな男。
―――でも、愚かだとは思わなくなっていた。

「キキキキキャキャキャキャァァァァァァアアア!!!!」

威嚇に眉ひとつ動かさない二人に業を煮やしたのか、
数匹のスゥエンが爪を開いて飛び掛ってきた。
両手だけじゃない。脅威は足も同様だ。もし腕を押さえたとしても、
すぐさま身体を返して足の爪で顔面の皮膚を斬り裂かれてしまうだろう。
しかしそれでも、単体なら大した相手ではない。それより問題は数だ。
視界いっぱいに迫り来る、この群れのうねりこそが一体の巨大な魔獣のようだった。

「けど、所詮はエテ公!!」
「キ、ギッ!?」

リオルが息を吹きかけると、そこに燃え盛る炎の壁が生まれた。
飛び掛ってきたスゥエンが勢いのまま炎に突っ込んでいき、火達磨となって地面に転がる。
それを見て仲間のスゥエンたちはさらに激昂したようだ。
目を血走らせ、喉が裂けんばかりに叫び声をあげる。
リオルは飛び掛ってくるスゥエンを殴り飛ばし、爪を硬い鱗で防ぎ、炎を吹きかける。
それでいい。もっと騒げ。森全体に響くように。この森に棲む魔獣全てが注目するように。

「―――なんだけど、うるさいったらないわね」
「………か?」

何か言った。

「え!?なんだって?」
「……………か………………だ」

聞き返すが、ヒロトの声は怒号で掻き消されて届かない。
それどころか、リオル自身の声すら自分の耳に届かない有様だった。

なんかムカついてきた。ヒロトはやりすぎるなと言うが、こうやかましいと嫌になってしまう。
一度片っ端から倒しまくって静かにさせたほうが―――。


ズズン、と。
大地が揺れた。
何事か。ぐらぐらと地面が揺さぶられ、思わずよろけてしまう。
スゥエンの中には木から落ちている者もいるようだ。
地震?このなだらかな地形の国で?
そう思い、隣にいる男に目をやって、呆れた。


―――ヒロトが剣の踏み込みの要領で地面を踏み砕いていた。

「………………………」
「いったん静かにさせようか、って訊いたんだ」

それはいいけど。
リオルもびっくりしたが、スゥエンたちも相当驚いているようだ。
あれだけ興奮していた猿たちが静かになっていた。今まで襲ってきた人間の中に、
地面を踏みつけて地震を起こした者など一人もいなかっただろうから。
今までの獲物とは違う―――動揺が、群に波のように広がっていく。

「……おい猿共、あたしにもビビれよ」

リオルは不満そうだ。
そりゃあそうだろう。このままではリオルがなんかザコみたいではないか。
ヒロトが手加減するよう言うから炎の出力を抑えてやったのであって、
その気になれば森を焼き尽くす事だってできなくはないんだ。本当だ。

「やめろって。パフォーマンスはもういいだろ」

かちかちと歯を鳴らして火の粉を飛ばすリオルの肩を半目で押さえるヒロト。
続けて、竦んでいるスゥエンの一角をすっと指差す。
いや、スゥエンたちを示しているのではない。それより遥か彼方、動き、迫る影を。
やっとこちらに気付いたようだ。まっすぐにここに向かってきている。

「―――アンタは手、出さないでいいわ。あたしが相手するから」
「……ああ。わかった」

リオルはすぅ、と息を吸い込み、ぶはぁと吐き出した。
心音を静める。苛立っていた腹の底を冷ます。
ここから先は、交渉―――いや、説教の時間だ。
そう、この男も言っていたではないか。
リオルたちはドラゴンを討ち取りに来たんじゃない、と。

「GRORORORORORORORORORッッッ!!!!」

木々を踏み倒し、咆哮をあげながらその巨獣はとうとう、リオルたちの前にその全貌を現した。
図鑑で見たのと同じ、緑の鱗に翼のない背。
だが図鑑で説明されていたよりかなり大きいようだ。家屋の一軒分はありそうなほどに。

グリーンドラゴン。

牙の森のヌシにして、この魔獣たちの興奮の元凶。
そして、灼炎龍リオレイアの『同類』にして『後輩』のお出ましだった。
スゥエンたちが歓喜の叫びをあげる。俺たちの主がきた、侵入者を食い殺せ、と。
そして、ドラゴンのほうもそれに応えた。

「GROOOOOOOAAAAAAAAAAAAA!!!!」
「―――叫べばいいってもんじゃないでしょうに……」

ふ、と影がさした。かと思うと、ヒロトより一歩前に出ていたリオルに尾の一撃が叩き込まれる。
地面が砕け、破片が宙を舞った。鎧に身を固めた戦士でも、
直撃すれば骨がばらばらになってしまうだろう。
それを、リオルはぎしり、と足を踏みしめて受け止めている。

「………ねぇ、やっぱりしばいていい?」
「あー。リューなら一目見ただけで震え上がってくれるんだけどな」
「そりゃ、リュリルライア様は魔王だからね……」

ギロリ、とドラゴンを睨みつける。
ドラゴンはただならぬ相手と悟ったのか半歩、下がった。
そう。魔王なら思い知らせるまでもない、
全てのヌシは本能でその存在に支配されることになるからだ。
何故なら、魔王はこの世界の支配者。
ヌシはその土地の主ではない。その土地の『管理人』にすぎないのだから。
各地のヌシはその地を『支配させてもらっている』。それが刻まれた本能というものなのだ。
―――それを、忘れるな。

「あたしはそりゃ、魔王様じゃないけどさ……っ!」

ばきん、と音を立てて、掴んでいるドラゴンの鱗が砕けた。
きらきらと舞い落ちる翡翠の鱗に朱い眼が映っている。
それは炎を宿す眼だ。
かつて火の山に棲み、人間たちに畏敬を抱かせた伝説の龍の眼だ。
こんな辺境の『新米』などに、舐められて通る道理は無い……!!


「あたしはイグニスドラン……!!灼炎龍リオレイア、だぁぁああーーーッッッ!!!!」


気合一閃……ッ!!
グリーンドラゴンは目を向いたが、思わぬリオルの怪力に抗いきれずに振り回され、
そのまま投げ飛ばされた。
木々を薙ぎ払い、逃げ送れたスゥエン数匹を下敷きにして叩きつけられる。

「GG……!?GRRR……!!?」

グリーンドラゴンは混乱しているようだ。
無理も無い。彼がこの森のヌシになってから、こんなことは一度もなかったのだから。
自分が一番強くて、この森は全て自分のもの。
『借り物』の身分だということを忘れてしまっている、それがこのドラゴンの未熟だった。

その勘違いが今、正される。

「さて、ここからはお説教タイムです」

ひっくり返ったドラゴンの腹の上に乗り、リオルはぱきぱきと拳を鳴らした。

「もち、拳で」
「GRRRRRROOOOOOOOOOOWWWWW!!!!」

ドラゴンが吼える。
リオルは悠然と構え、打ち付けられた尾を待ち受けていた。



牙の森のヌシ、碧鱗龍グリーンドラゴン・ゾーラ・キバフォレストは、
実はまだヌシになって数週間しか経っていない文字通りのルーキーである。
先代のヌシが死んだために、森で一番に大きく力も強かった彼が跡を継いだのだ。
魔獣といっても生き物には違いない。怪我をすれば病気にもなるし、
長く生きれば老いて死ぬこともある。
先代のヌシ―――彼の父親がそうだったように。

父は巨大なドラゴンだった。体躯はおおよそ今のゾーラの倍はあったろうか。
グリーンドラゴンとしては記録取得ものの大きさだろう。
ただし、その姿を見たことのある人間は一人もいなかったが。
父はいつも森の奥で眠っており、滅多に目を覚まさなかったからだ。
もし人間に見つかったとしても、鱗に苔むし小さな木さえ生えたその身体は
丘か山かにしか見えなかっただろう。
ゾーラは父が恐ろしかった。
大きな父。動かずとも、森を支配する父。いつだったか目を覚ましたとき、
歯向かってきた熊の魔獣をなんなく噛み砕いた最強の父。
ゾーラは父こそが最も大きく強いものと信じて疑わなかった。

その父がついにその生涯を終えたとき、ゾーラは自然とこの森の支配者が誰になったのか知った。
誰に教わったというわけではない。思い出したのかというほどにふっと悟っていた。
それが、ヌシになったという感覚だった。
大きな父はもういない。自分に影を落とす存在はこの世にいない。
それはゾーラにとって喜びだった。人間風に言えば、ゾーラは偉大な父に
ずっとコンプレックスを感じていたのだろう。その裏返しに得た高揚は
鱗の一枚一枚がざわざわと逆立つほどだった。

ヌシの高揚はそのまま領域の魔獣たちにも伝染する。
ヌシを喪って静まり返っていた森の魔獣たちは新たなヌシに感化され、活発になった。
森の中心にいる。その実感がさらにゾーラを興奮させた。
この森は俺様のもの。
勝手なことはさせない。葉っぱ一枚奪うことは許されない。
ゾーラは咆哮をあげた。
都合のいいことに、森には時折侵入者が現れるらしい。
いつも眠りこけていた父は見逃していたようだが、そうはいかない。
俺様の森に勝手に入るな。
ゾーラは沸き立つ血肉に身を任せ、がばりと大口を開けて、
そのちっぽけな人間に襲い掛かっていた。


ゾーラの幸運は、先代のヌシが他者に殺されたのではないということだろう。
他者に―――たとえば勇者に斃されたのであれば、
下手なことをすれば先代のように人間は勇者を呼ぶと学ぶことが出来た。
人間でなくとも、この世界には自分を脅かすほどに強大な魔獣がいると学ぶことができた。
だが、ゾーラの父は老衰で逝ってしまった。
父こそが最強であり、他にはスゥエンや小さな魔獣たちしか知らないゾーラはここで
自分が最も優れていると勘違いを起こしたのだ。
もっと歳を重ねていたら、闇の奥底から間違いを指摘する内なる声も
聞こえていただろうが、若さゆえに驕り高ぶる少年竜は
魔王の存在を告げる本能を完全に無視した。
………そして、それがゾーラの不幸だった。



「……まあ、気持ちはわかんないでもないわ。あたしも一時、そういうのあったし」

森に響いていた轟音が止んだ頃、すでに日は傾き、流れる雲は橙色に染まっていた。
リオルはグリーンドラゴン・ゾーラの尾に腰掛け、ぼそぼそと呟いている。

「強いってさ、気持ちいいよね。実際。あたしはしょっちゅう人間に
 攻撃されてたからまぁ、結構ウザかったりしたんだけどさ。
 それでもスカッとするわけよ。基本、戦うの好きだし」

彼女の身体はボロボロだ。ところどころ服は裂け、泥まみれの傷だらけで、
片目が腫れて塞がってしまっている。
腕には大きな爪あとが残り、それを自ら焼いて塞いだために焦げてぶすぶすと煙がたっていた。

「いいと思うよ?あんたが暴れて、勇者に目、つけられて。
 それで斃されるなりなんなりしても、それはそれで弱肉強食。立派な魔獣の生き様じゃん。
 ………でもさ」

はぁ、とため息をついた。
顔をあげる。その先にいるのは、呆れ顔の世界最強。

「それじゃ、嫌なんだとさ。あのバカは。
 できる限り戦いたくないんだって。強いのに。バカみたい。バカみたいだけど、
 まあ、そこそこ本気みたいだし―――バカにできないっていうか。
 ―――何より、そう。あたしらの主様があいつのこと、気に入ってるみたいだし。
 しかたないから、協力してやろうって―――思うわけよ」

ゾーラは動かない。
白目をむいて、口から泡を吹いて倒れていた。
死んではいない。気絶しているだけだ。
だが、この状態で聞こえているのかどうかは甚だ疑問だった。
けど、言いたいことは拳にこめたから、きっとわかってくれるだろう。
……少なくとも、これで己が最強ではないということは学んだはずだ。
これでもまだ暴れるのなら、それはもう愚か者として退治でもなんでもされるがいい。

「―――まあ、疲れるから―――時々しか、手伝ってやんないんだけど―――ね」

リオルの視界がぐらりと揺れた。
若いとはいえ竜種とのタイマン勝負。
岩より固く重い攻撃に真正面から挑むのが何よりの無茶だ。
内蔵魔力もそうだが、体力の方が尽きかけていた。
意識を保っていられるのもギリギリな程に。

「じゃ―――ちょっと、あたし寝るから。よろしく―――ヒ、ロ……」

うわ言のように言って、リオルはくたりと倒れた。
その肩を、支える。
ヒロトは眠りこける少女に安心するよう頷いて、

「ああ。お疲れ、リオル」

と目を細めた。
それから、倒れ臥しているゾーラに目を向ける。
実のところ、今回のケースはこういう手法を取る必要はどこにもなかった。
ゾーラの驕りを叩き潰すならもっと他にやりようがあったろうし、
それこそリューの協力を仰げばあっという間に片はついただろう。
魔王として、ヌシのはしくれに調子に乗るなと声をかけて―――それで終わりだ。
あとに何も残りはしない、最も綺麗な解決方法。

けど、きっと、それだけではない。
彼女のようにぶつかり合い、わかりあう方法も……。

「考えてみれば、リューと俺はそうだったということか」

今度から時々、リオルにも声をかけてみるか。
血の気の多いヌシも少なくない。
リオルやヒロトが拳や剣で語った方が案外、
リューにものを言わせるより上手くいくものもあるだろう。

「ううん、ジョン……」

リオルを背負うと、もぞもぞと少女は寝言を言った。
もう少しすれば星が瞬き、円い月が昇り始めるだろう。
きっとそうなっても、仲間たちは夕食も食べずに待っているに違いない。
とりあえず、宿に戻ったらジョンに今日のリオルの頑張りを伝えよう。
そうして、ねぎらってやるように頼むことにしようとヒロトは思い、
町へ向けて歩き出したのだった。



              勇者と火龍のとある一日~新ジャンル「バカ」英雄伝~ 完

タグ:

+ タグ編集
  • タグ:
最終更新:2008年04月01日 10:26
ツールボックス

下から選んでください:

新しいページを作成する
ヘルプ / FAQ もご覧ください。