昔むかし、この地を敵軍の遠征から護りぬいた騎士団があった。
敵軍の規模たるや、騎士団の数倍。
圧倒的数の不利と悟ってなお逃げずに戦った騎士団を支えたのは、彼らの妻や恋人だったという。
彼女たちは故郷で採れる豆から作った栄養価の高いレーションを騎士団に手渡し、
騎士団はそれを食べ、疲労を回復しながらとうとう敵軍を討ち払ったのである。
それ以来、この地に住む人々は騎士団の勇敢さと女たちの奉仕をたたえ、
かつての決戦の日に女性が意中の男性に菓子を手渡すという祭りが開かれるようになったのだとか。
そしてその記念日は騎士団の名をとってヴァン・アレン隊デーと呼ばれ始め、
今では訛ってバレンタインデーと呼ばれている。
―――ヒロトたちがその町にやってきたのは、丁度そのバレンタインデーも間近に迫った日のことだった。
「んまァァ~~~~~~い!!!!」
リオルは絶叫した。
口に放り込んだ途端に広がる独特の風味と僅かな苦味、そして何より濃厚な甘さ。
脳天まで染み入るかというようなそれはあっという間に魔法のように溶けて消え、
気が付くとついつい二つ目に手を伸ばしてしまっている。
蜂蜜とも果物とも、ただの砂糖とも違うその茶色いお菓子といったら、
リオルの叫び以上に表すものがないように思えるほどだ。
「チョコレート、ですか。こうやって食べたのは初めてですが……なるほど、これは美味しいですね」
買い出しに行ってきたヒロト、ローラ、それからリューの三人が買ってきたお土産は
この町の名産品であるチョコレートだった。
「……で、祭にあやかりたいって言うんで、悪いんだが予定を変更したいんだ」
「………うーん、ちょっとキツいかも知れませんね。なんというか、経済的に。
クシャスでかなり使っちゃいましたから」
端から観光に行ったようなものだった温泉街クシャス。
途中から本人にも与り知らなかった因縁がヒロトに襲い掛かり気が付いてみれば賑やかな宴会になっていた。
あの忍ばないシノビたちと一緒に呑んでいたらついつい酒が進み、
当初思っていたよりも財布がかなり軽くなっていたのである。
結局町を襲った(ことになっている)クレイドラゴンを倒した懸賞金は
リューマたちがほとんど持っていってしまったし。
「そうかぁ……」
ヒロトは少しだけ背後を見た。
チョコレートの甘さに少女たちは完全に虜になっているようだ。
リューやリオルはもちろん、王族であり『美味しいもの』にはかなりの
耐性を持つローラでさえうっとりと目を細めているし。
食べたことがないということはないだろが、もしかしたら王城暮らしを思い出しているのかも知れない。
「………とはいえ、あれを説得するのはかなり骨が折れそうですね」
「だろう?」
「まぁ、厳しいとはいえ手も足も出ないということではありませんし」
「すまん」
「いいんですよ。どうせ急ぐ旅でもありませんし。
いえ、半分は『これ』こそが目的となっているんじゃありませんか?」
ジョンの視線に、ヒロトは少し困ったように眉を下げた。
それが、そのまま肯定の意となっている。
「そして、意中の殿方にこれをプレゼントするのがバレンタインというお祭りなんだそうですわ」
「ほほう、確かにこれは喜ばれることうけあいだな」
……きっと、これは旅の中でしか見ることのできない笑顔であるのだから。
「不純かな」
「いえ、いいんじゃないですか?それがきっと、世界のためにもなるでしょう」
ジョンは、僅かに微笑んで答えた。
彼女―――魔王リュリルライアにとって、この世界を滅ぼすのは容易いことだ。
それは物理的にも可能だろうし、何よりあの恐ろしい事象崩壊を引き起こされたら、
およそ人間になす術などありはしまい。
危険だといえば、これほど危険な存在は他にいないだろう。
だがそれでも、斃してしまう以外にも方法はあるのである。
彼は、そういう方法をとっているのだった。
そしてそのためには、こういったイベントはまさにうってつけだろう。
確かに多少苦しくても参加しておきたいところだった。
「で、どういうお祭りなんです?」
「何でも、チョコレートを世話になっている人に贈るらしい。日頃の感謝を込めてな」
「間違ってはいませんが、乙女に関しては別の意味合いを持つそうですわ。
チョコレートを溶かして一度形を整えて、綺麗に飾り立てたものを意中の殿方にプレゼントする。
それが、バレンタインなんですってよ」
なるほど。それで、ローラたちはバレンタインをしたがっていたのか。
確かに、ヒロトに何かをプレゼントするなんて滅多にできないことだろう。
それが―――簡単なものとはいえ―――手作りのお菓子ならなおさらだ。
「ん?」
と、納得していたジョンは何かにひっかかって眉根をひそめた。
ヒロトやローラも同じような顔をしている。
「なんだろう、何か忘れているような……」
「ええ。この感じは……」
「一抹の……不安?」
ウムムと三人して唸り、同時に同じ方向に顔をあげた。
「む?」
そこには、リオルと一緒にチョコレートを口に放り込むリューがいたのだった。
町を出たほど近くの平原に火柱が立ち上った。
黒煙がぶすぶすと辺りを染め、それが晴れたあとには片手鍋を手にしている少女がぽつねんと立ちつくしている。
町中でやると被害が出てしまうためにこうして外にいる、
煤まみれ灰まみれでシンデレラになっている少女はリューである。
さっきの火柱はもちろん、彼女が引き起こした爆発によるものだ。
といっても、機嫌が悪くてそこらに八つ当たりしたのではない。
彼女はただ、火にかけようとしただけなのである。草を。
「………………………けほ」
説明しよう。比類なき魔力量を誇る魔王リュリルライアは、
その究極的な料理下手によって何かを調理しようとした瞬間、
食材という食材を爆発させるという特性を持っているのだ!
「って、あれのどこが食材だ!ただの草だったろうが!」
「おだまりあそばせ。チョコレートだってタダじゃないんですから、
無駄使いするわけにはいきませんでしょう?」
虚空に叫ぶリューに、物陰に隠れていたローラが半目でさらにツッみを入れた。
ちなみにこの二人、お料理モードでちゃんとエプロンと三角巾をつけていたりする。
真っ赤なエプロンと黄色いエプロンは女の子らしくってなかなか似合うが、
被害状況を考えればそんな薄い装甲では心許ないというのが現状である。
「ちなみに、アルテミシア草は火を通せばちゃんと食べられるんですのよ?」
「ち」
お姫様のくせに相変わらず無駄に料理に詳しいローラだった。
ちなみにアルテミシア草は薬草の一種であり、食材としては香り付けに
汁物の具や団子などに使われる。東方の地では蓬(ヨモギ)と呼ばれる野草に近い種類である。
「火をつける、鍋に水を入れる、アルテミシア草を鍋に入れる……そこで爆発してたね」
「爆発の原動力はまあ、魔力に間違い無さそうですね。
『調理』という行為にリューさんが緊張して、魔力を暴発させていると考えるのが妥当でしょうか?」
「火を使わなければいいんじゃないの?水を用意する時点じゃ爆発してなかったよ」
「なるほど、そこから徐々に慣れさせていって……ということですか」
「でもアイツ、寿司握っただけで爆発させてたぞ」
「………………………重症ですね」
「スシ?なにそれ?美味しいの?」
遠く離れていた残りの面々も口々に言いたいことを言い始める。
だがジョンとリオルは比較的ちゃんと分析しているものの、
ヒロトは付き合いが一番長いためかあまり期待していないのが見え見えで、
悟ったような糸目にリューのこめかみがぴくぴくと震えるのだった。
だいたい、チョコレートはヒロトへのプレゼントなのだからその態度は失礼だというものだろう。
あの男は、まったく我を何だと思っているのかっ。
「………そういうことはまっとうに料理ができてから言うセリフじゃありませんこと?
特にチョコレートなんて溶かして型に流し込んで固めるだけなのに、
それ以前にお湯も沸かせないなんてまず前提としておかしいというものですわ」
「………………………」
リューは歯噛みするも、言い返す言葉がない。
確かにその通りだった。この様ではバレンタインに炭どころか灰の一粒もプレゼントできるか怪しい。
それを回避するために、女という点で圧倒的に勝るライバルに
教えを請わなければならないというのがまた難儀なものである。
だいたいこの女、なんでわざわざリューに手を貸しているのか?
ローラの立場から考えれば、リューはむしろ何もプレゼントできないほうがいいのではないか?
「………………」
「なんですの?」
じー、と見つめているとローラは微妙に顔をしかめた。
「別に、なんでもない」
追求しようとちらりと思ったが、結局それはやめにした。
こうやって同性の―――その、友人に料理を教わるのもなかなか悪くないものだからだ。
変な水を差してこの時間を台無しにしたくなかった。
――――――友人、か。
リューの頬が、ヒロトのことを想うときとはまた別の意味で少し染まる。
ヒロトのように恋い慕う相手とも違う、リオルのように本能で従える臣下とも違う。
ローラのいるポジションは新鮮で、また暖かいものを感じることができる。
それは悠久の時を孤独に過ごしていた魔王にとってかけがえのないものに違いなかった。
ちなみにジョンは……なんだろう。
一応、魔王城書庫の使用権の関係でリューの軍門に下っているという立ち位置なのだから
部下ということになるのだろうか?あんまり実感はないが。
「そういえばリオル。貴様はジョンにチョコレートを作ってやらんのか?」
ふと思い、リューは鍋から顔を上げた。
このパーティの料理当番はだいたいヒロト、ローラ、ジョンの三人だった。
早起きのヒロトがだいたい朝食を作り、昼食や夕食は料理の上手いローラ。
余裕のない時はジョンが前もって調合したレーションや携帯固形食を齧ることになる。
リューが調理関係に手出ししないのはわかりきったことであるが、
リオルもそういえば何か作っているところを見たことはなかった。
材料や果物を採ってくるのは得意な彼女は実は料理もそこそこできるのか。
まずい、それならば一行の中で料理からっきしなのはリューだけになってしまう。
「あたしですか?あたしは勿論チョコレートあげますよ」
リオルはニカッと笑った。そしてごそごそと荷物をまさぐると、なにやら袋を取り出した。
「じゃーん」
「………それは?」
「チョコレート!」
え?それ全部?
町人が麦や米を買うときに入れるような麻袋である。
そんなに安くもないチョコレートをそんなに買って、いったい何をどうするつもりなのか。
「えへへ、ほら。これだけあればちょいちょいつまんでも無くならないじゃないですか」
すっかりチョコレートの甘さにとろけているリオルであった。
嬉しそうなリオル。見るだけでこっちまで嬉しくなってしまうようないい笑顔だが、
「………僕の分は期待しないほうが良さそうですね」
ジョンはやれやれと肩をすくめるのだった。
「奇遇だな。俺もだ」
そう言った数秒後、ヒロトの髪が新たな爆風にあおられて、ばさばさと翻った
「………いよいよですわね」
「ああ。協力、感謝する」
あたりはすっかり夜になっていた。
遠くに見える町の灯りは色とりどり。どうやらあっちのほうも盛り上がっているようだ。
あれから血の滲むような努力(主に爆発で吹き飛ばされたローラが)と特訓(お湯を沸かす)の成果は
如実に現れ始め、なんと!ついに!魔王リュリルライアは料理スキル『お湯を沸かす』を手に入れたのだ!!
………………。
………………………。
……………………………魔王侵攻を食い止めた始まりの勇者に匹敵する程の快挙だった。
「もう教えることは何もありませんわ。料理センスZERO的な意味で」
「見放すなぁぁぁぁぁあああ!」
去っていこうとするローラの裾をガッシと掴むリュー。
キャッチしやすそうなツインロールに手を伸ばさなかったのは彼女なりの配慮だろうか。
「お放しなさい!私だって自分のバレンタインチョコを作らないといけないんですのよ!?」
「だったらここで作ればよかろう!ほら、いっぱいチョコあるぞ!?」
「ええい、なんで粉々になるのがわかりきった爆心地で
ヒロト様へのプレゼントを作らないといけませんの!?」
「いざとなったら魔法障壁で護ってやるから!友達だろう!」
「と、とも―――」
ローラの顔がぼっと赤くなった。
ローラもずっと友達いない人種であり、ヒロトを例外とすればリューが始めてのお友達なのだ。
それも、『友達だろう』なんて恥ずかしい台詞を吐かれたのだ。これは赤面モノである。
「いいじゃないか。一緒に作ってやれば」
ヒロトがのそりと近づいてきた。
リオルもジョンも日が沈んでしまってからは流石に付き合いきれないらしく街に戻ってしまっていたのだが、
ヒロトは剣の手入れやらなんやかんやでここに残っていたのだ。
乙女の努力を間近で観察する男。ある意味悪趣味であった。
「………………まぁ、ヒロト様が言うなら」
ぶっすぅ、と顔をしかめながら渋々頷くローラ。
確かにここで見放すの薄情というか乗りかかった船というか、
毒を食らわば皿までというか。これは違うか。
とにかく、見届ける義務感が生じてしまうのもまたあるわけで。
「私のチョコに傷を付けたら雷落としますわよ。二つの意味で」
「う、うむ」
怒りの背景が具現化するという意味ですね。
さて、チョコレートを溶かすにはなんと言っても湯煎である。
直接火にかける、なんていうのはおとといきやがれな失敗なのだ。
市販のチョコの塊を細かく刻んで、お風呂より少し熱いくらいのお湯でゆっくりと溶かしていくのがポイント
「ですわ」
「……だからなんで貴様は王族の癖にそんなに詳しいのだ?」
ヒロトが旅立ってからの寂しさを紛らわす為にレッスンの科目を倍に増やしたからである。
男と別れてから余った時間を自分自身を磨くために使う、使うことが出来る。
いやはや、乙女の鑑というべき存在であろう。
まあ、有り余る情熱はそれですら解消できずにこうやってヒロトを探しに来てしまったのだが。
「リューさん。チョコ、刻めますか?やってあげましょうか?」
「ムカつく」
草原の真ん中に突如設置されている台所でローラがたんとたんとと包丁を振るう隣。
リューは包丁も持たずパキパキと指を鳴らしていた。
「………何やってますの?」
訝しげなローラに、リューはニヤリと笑う。
「発想の逆転だよ、ローラ。魔力を抑えようとするから暴発するのだ。
我こそは魔王。魔王リュリルライア。ならば、凡百の民と同じ地平でものを行うのがそも間違いだったのだ!」
そう言うと、リューはチョコレートを引っ掴んで空高く放り投げた。
「何を!?」
「―――要は切り刻めば良いのであろう?ならば包丁なぞいらぬ!
那由他の剣で粉微塵となるがいい!デ・ミ・ペントゥルス!!!!」
「えぇええぇぇぇぇえええ!?」
天に昇る一頭の龍―――いや、竜巻。
それは逆巻く風の一陣一陣が剃刀よりも鋭い螺旋の魔槍である。
チョコレートは一瞬にして砕かれ、細切れにされ、その破片がさらに無数に裂斬され、
そして…………………………………………………………………………………………………………
………………………………………………………………………………………………………………………四散した。
「………………………」
「……………………………」
鉛より重い沈黙に包まれる。
いくら空を眺めてみても、物質を構成する最も小さなレベルまで
分解されてしまったチョコレートは落ちてこない。
風に乗ってどこかへ行ってしまった想いはもう戻ってこないのである。
「グッバイ、マイスイート」
「………はい、分けてあげますわ」
「……………すまぬ」
教訓。料理初心者は下手なことをせず、基本に忠実に作りましょう。
「基本以前ですわ」
「ぐ」
刻んだチョコレートをボウルに移し、溶かしていく。
この時、間違っても水分がチョコレートに加わらないよう注意すべし。
「注意すべしって言ってるのになんでリューさんはチョコレートにお湯をかけようとしているんですの!?」
「え?だってお湯で溶かすのだろう?」
「チョコレートとお湯は別にして、お湯の熱だけでチョコを溶かすのです!」
「そ、そんなもの、教えてくれなければわからんだろう!」
「このお馬鹿!!」
チョコレートが溶けたら、トッピングにナッツやドライフルーツを入れるのもいいでしょう。
蜂蜜やクリームを入れると口当たりがよりまろやかになります。
調理が簡単なチョコレートですが、ひと手間かけることで男の子の評価もまた変わってくるはず。
「………と、言いたいところですが今回そんな用意はありませんし。
溶かして固めるだけにしておきましょう。ケーキやクッキーにするような設備もありませんしね」
沸かしたお湯の鍋にボウルを浸け、細切れのチョコレート投下。
ボウルが熱せられ、チョコレートがじわじわと溶けていく。
「混ぜないと固まってしまいますわよ?」
「う、うむ」
甘ったるい、いい匂いが辺りに漂っていく。
これで固めてしまえば―――振り返ってみればこの湯煎しかしていないが―――
リューの、初めての手料理となるのだ。
なんだか、むずむずした。
ヒロトはどんな顔をしてくれるだろう?喜んでくれるだろうか?いや、あの男のことだ。
きっと、とても喜んでくれるに違いない。
そうして美味しいと言って、微笑んでくれればどんなに嬉しいことか。
この、自分が―――それを、できる。
そう考えただけで、胸の中がいっぱいになるのだった。
「にやにやしているところ悪いですけど、まだチョコレート作りは終わっていませんわよ?」
「う、うるさいなっ!わかっておる!」
いい所でローラが水を差した。
一瞬眉を思い切りひそめたリューは、しかしそれ以上つっかることができない。
ローラはリューに付き合ってくれているのだ。
もしローラだけだったら、きっともっと立派で凝った豪華なチョコレートを作っていただろうに。
「………ローラ、すまんな」
「別に。私はヒロト様に言われたからここにいるだけですし」
ぷいとそっぽを向いてしまう。
しかし、きっとこの金糸の少女はリューを置いて自分だけでチョコレートを
作る気はなかっただろうというのもわかりきったことだった。
ヒロトの言葉はきっかけに過ぎない。
そもそも、リューがお湯を沸かすまではローラは誰にも協力するよう言われていなかったのだから。
「………………」
ありがとう、と。
そう言いたかった。
でも、気恥ずかしくて呟いた言葉は自分の耳にも届かない。
「………………どういたしまして」
けれど、ローラはそっぽを向いたままぼそりと返事をしてくれていた。
それが、とても、くすぐったくて。
「さ、さて、もうそろそろ型に…………ぁぁぁあああぁぁあああああああ!!!!」
ローラが絶叫した。リューは突然の声にびっくりして、何事かと声をかける。
ゆっくりと振り返るローラの顔はひきつり、青ざめていた。
「………か、型がありませんわ」
大失敗である。
バレンタインといえばハート型のチョコレート。
溶かしたチョコを流し込むハートの型がなければそれはバレンタインチョコではなく別の何かである。
それどころか、ローラは型を用意するのをすっかり忘れていたのだった。
このままではボウルの底に張ったまま固まって、なんかやる気のない半円状のチョコになってしまう。
ヒロトの苦笑する顔が目に浮かぶようだった。
「な、何か別の………型になりそうなものは………」
そうは言っても、その場にあるモノは鍋だの匙だの、型には使えそうもないものばかりだ。
いっそ岩のくぼみにチョコを流し込むか?
ロック・クッキーならぬロック・チョコ。……なんかジャリジャリするのは明白である。
「………………………ローラ」
ローラは、予想外のうっかりでオロオロしている。
リューは、今回ローラにおんぶ抱っこだった。
リューの不足をローラにフォローされ、結果、ローラに頼りきっていたのだった。
きっと、それでは良くない。
ローラはリューにできた初めての友達だ。
友達は、助け合うもの。
……友達が困っていたら、助けてあげることが当たり前だろう。
きっと、ローラが手伝ってくれたのも――――――。
だから、リューは頷いてみせた。
「まかせろ」
ヒロトはローラにリューを手伝うよう言った後、一足先に街に帰っていた。
本番のチョコレート作りを間近で見ているのはマナー違反だとローラに言われたからだ。
することもなくて祭の出店の中をブラブラしていたヒロトだが、
空から茶色いドラゴンが舞い降りてきた時は流石に驚いた。
魔獣の襲来?いや、違う。
その背に乗っている少女たちは誰あろう、リューとローラであった。
この茶色いドラゴンはリューの得意魔法、クレイ・ドラゴンだったのだ。
ただし、素材は粘土ではない。
そう―――チョコレートである。
クレイ・ドラゴンはリューの魔力を粘土に通して強化したゴーレムの一種だ。
………どうやらそれは、粘土ではなくてもなんとかなるらしい。
「クレイ・ドラゴンならぬショコラ・ドラゴンだ。………ええと、その。う、受け取るがいい」
「チョコレート部分は私が、造形はリューさんが担当した二人の合作ですわ♪」
ちなみに、このショコラ・ドラゴン。大きく見えるが中身はカラッポだそうだ。
いいとこボウルひとつ分のチョコレートを材料にしているため、薄皮一枚の外皮にしかならなかったのだとか。
「だが硬度はやはりミスリルに匹敵するがな。どんな打撃を受けてもびくともせぬよ」
「………おい、それをどうやって食うんだよ?」
「なに、貴様ならなんとかなるであろう。むしろ貴様にしかなんとかならぬ」
「文字通り、ヒロト様のためだけに作ったチョコレートというわけですわ」
ねー、と顔を見合わせる魔王と姫君。
なんだか今日はやたら仲が良かった。何かあったのだろうか?
………………まあ、いいか。
この二人が笑っているのだ。
ならば、これ以上望むものは何もない。
「―――ありがとう、二人とも」
ヒロトは微笑んで、二人の頭をぽんぽんと撫でた。
「くくく」
「うふふ」
少女たちはますます顔をほころばせると、同時にヒロトの腕に同時に抱きついた。
『KRRR♪』
そうして、ショコラ・ドラゴンは主人たちの自信作であることを誇るように、
嬉しそうに喉を鳴らすのだった。
おまけ。
「やれやれ、ヒロトさんたちの方はうまくいったようですね……それに引きかえ……」
「………………………」
「リオルはホントに全部食べちゃうんだもんなぁ」
「……………うぅ」
「ああ、いや、怒ってませんよ?別にね。いいですけど。
………まさか、あれだけあったチョコを一人で食べるなんてね、思いませんから。
ちょっとビックリしただけで、ね」
「ジョン」
「なんです?」
「チョコレートを返せというのなら!それは出来ない相談ですが!!折りしもこの身は女の子!!!
チョコより甘い果実はここにありますよ!!!?」
「………つまり、ワタシを食・べ・て♪的な」
「YEAH!」
「………」
「…………」
「……………」
「………………ごめんなさい」
「…………………チョコレートは食べすぎると鼻血を出すといいますが」
「………ふぇ?」
「今夜は―――ちょっとスゴいかも知れませんよ?」
「う……う、うんっ♪」
めでたしめでたし(性的な意味で)。
フレンドシップ・チョコレート~新ジャンル「バレンタイン大作戦」英雄伝~ 完
最終更新:2008年04月27日 14:06