あたしの名前はハートにDQN

放課後の教室。
あたしは、クラスメイトの稲井 啓太郎(いない けいたろう)に呼び出されて
ぼんやりと夕日を眺めていた。何の用かは、聞いてない。
こんな、誰もいない教室に二人っきりだなんて、あいつは人をなんだと思っているんだ。
そりゃあ、あたしは目つきは悪いし背は無意味に高いしガサツだしオマケに一部の下級生からは
同性愛のケがあると思われているらしいけど、あたしはユリ目ユリ科に属する多年草の一種じゃないし、
性別は一応雌である。『もしかして告白!?』なんて、甘酸っぱいことを考えなかったわけではない。
ええ。考えましたよ。そりゃあね。あたしだって花も恥らうオンナノコですから。
そういう、枕を抱えてごろんごろん転がるような1ページに、何?憧れ?みたいなもんは、ありますよ。
でもね、冷静になって考えてみるとね。そういうの、ありえないんですよ。

だって、あたしは―――P子だから。

そう。あたしはみんなからP子と呼ばれる女。もちろん本名じゃない。これはあだ名だ。
本名は大杉(おおすぎ)―――言いたくない。勘弁して欲しい。恥ずかしい。
あたしの両親はいわゆる………その、世間一般の常識とは少しばかりズレてるというか、
自由な人たちだったらしいので、赤ちゃん―――つまり、あたしのことだが―――が生まれたとき、
世の理に中指を立てるような恥ずかしい名前を採用したのだ。
こんな名前を付けられたせいであたしがどれほど迷惑を被ったかわかりゃしない。
もし両親が生きていたなら襟を掴んで吊るし上げてがっくんがっくん揺さぶってやるところだけど、
その両親は赤ちゃんのあたしがやっと立てるようになった頃交通事故で亡くなってしまった。
よって、両親の記憶はあたしにはほとんどない。
親が死んでしまったあたしだけど、あたしは幸せなことに独りというわけじゃない。
あたしはじいちゃんとばあちゃんに引き取られてそれなりに健康に暮らしている。
じいちゃんとばあちゃんは大好きだ。できるなら、じいちゃんとばあちゃんの子供に生まれたかったくらい。
それなら、こんなヘンな名前は付けられなかったろうし―――。
………素敵な彼氏だって、いるはずだし。
ああ、そうだ。あたしは今まで男の子と付き合ったことがない。
なんというか、想像できないのだ。
あたしが男の子とお付き合いしている光景が。
だって、恋人同士っていったらお互いを名前で呼び合ったりするものだろう。
それまで苗字で呼んでいたものが、敬称無しの呼び捨てで名前を呼び合う。
そんなことが。できるはずがない。恥ずかしすぎて死ぬ。むしろ殺す。呼んだら殺す。オマエヲコロス。
と、いうわけで、そんなことを気にしていたらいつの間にか男の子が寄り付かなくなってきて、
目つきがどんどん悪くなってきて、背とかもにょきにょき伸びちゃって、
気が付いたら男の子より女の子にもてるようになっていた。
おまけに友人たちに次々と彼氏が出来始め、休日とか誰とも遊べなくてちょっと悲しくなってしまう。
気が付いたら14連鎖でサンダーしてたり。はぁ。
あたしだってね。そりゃあ欲しいですよ。彼氏。ええ。
でも………ねぇ。あーあ。

なんか、失敗してるなぁ。あたしって奴ぁ。



机に突っ伏して、大きく溜息を吐いた。
そんな時である。がらら、と教室の扉が開いた。
顔を向けると、そこに立っていたのはあたしを呼び出したクラスメイト。
仲間内からはKタローと呼ばれる男の登場だった。
っていうか、呼び出しておいて遅れるとはどういう了見だ。

「遅いぞKタロー」
「うむ。緊張しすぎてお腹が痛くなってな。トイレに篭っていたら時間が過ぎていたのだ」

文句を言うあたしに、当然の如く、といった偉そうな態度で返すKタロー。
パッと見て不遜とも取れるほど自信満々なのはこいつの特徴だ。
でもそれが中身にまで及んでいないのは少し喋ればすぐわかる。
それが証拠に台詞の内容は全然偉そうじゃないし。と、いうか弱そうだし。
あたしは少し拍子抜けした。なにが告白だ。シチュエーションに酔いやがって。馬鹿じゃないか?
こいつはKタローで、しかも相手はあたしだぞ。どこをどう押せば告白が出てくるんだ。
我ながら恥ずかしいったらありゃしない。
きっとKタローの顔が真っ赤なのも、夕日に染められているからに決まっている。………うん。

「で、何の用?」
「うむ。そのだな―――」

Kタローは、Kタローには珍しい、少しばかり俯いて言いよどむと、
キッと顔をあげ、ずんずんと近づいてきた。
何だろう。っていうか止まれそこで。近い。近い。近いってば。

「大杉」
「な、なんでしょう?」

思わず敬語になるあたし。Kタローの迫力に気圧されてしまう。
Kタローは茹ダコのように真っ赤になった顔で、鼻先と鼻先がくっつくかのような距離で、
数秒間あたしを睨み付けたあと―――言った。

「お前が好きだ」

目を瞬かせる。
今、なんと言った。
こいつ―――え?あたしが……なんだって?
す、き………?

その言葉はゆっくりと、ゆっくりと鼓膜から脳味噌に到達し、その瞬間にあたしの顔面を真っ赤に染め上げ、
そして、あたしは―――。




                  ☨☨☨

あめんぼあかいなあいうえお (水馬赤いなあいうえお)
うきもにこえびもおよいでる (浮藻に小蝦も泳いでる)
かきのきくりのきかきくけこ (柿の木栗の木かきくけこ)
きつつきこつこつかれけやき (啄木鳥こつこつ枯れ欅)
ささげにすをかけさしすせそ (大角豆に酢をかけさしすせそ)
そのうをあさせでさしました (その魚浅瀬で刺しました)
たちましょらっぱでたちつてと (立ちましょ喇叭でたちつてと)
とてとてたったととびたった (トテトテタッタと飛び立った)
なめくじのろのろなにぬねの (蛞蝓のろのろなにぬねの)
なんどにぬめってなにねばる (納戸にぬめってなにねばる)
はとぽっぽほろほろはひふへほ (鳩ポッポほろほろはひふへほ)
ひなたのおへやにゃふえをふく (日向のお部屋にゃ笛を吹く)
まいまいねじまきまみむめも (蝸牛ネジ巻まみむめも)
うめのみおちてもみもしまい (梅の実落ちても見もしまい)
やきぐりゆでぐりやいゆえよ (焼栗ゆで栗やいゆえよ)
やまだにひのつくよいのいえ (山田に灯のつくよいの家)
らいちょうさむかろらりるれろ (雷鳥寒かろらりるれろ)
れんげがさいたらるりのとり (蓮花が咲いたら瑠璃の鳥)
わいわいわっしょいわゐうゑを (わいわいわっしょいわゐうゑを)
うえきやいどがえおまつりだ (植木屋井戸換へお祭りだ)

――――――演劇部発声練習『あめんぼの歌』より

                  ☨☨☨


「あれぇ?P子。今日はお弁当なんだ」

昼休みである。
学食にも行かずに突っ伏していると、不意に声を掛けられた。
顔だけあげてそっちを見る。そこにいたのは机の向きをがたがたと変えて
簡易テーブルを作っている女の子のグループ。その中の一人、原衛(はらえ)というクラスメイトだった。
あたしはひらひらと手を振って、ぞんざいに返事をする。

「まぁね」
「だったら一緒に食べようよ。一人飯ってアンタ、それでも女か?女はつるんでナンボでしょうや」




めちゃくちゃなことを言っている。放っておいて、と言うこともできたが、
原衛という女はこういうことを周囲への建前ではなく厚意で言えるようなヤツであり、
しかも突っぱねたら突っぱねたで余計な心配を掛けてさらに付きまとわれるのは明白だったので、
あたしは連中の仲間に入ることにした。実際、お腹すいてたし。
あたしは溜息をつきながら向かい合う机のひとつの席につく。
今日のご飯はおにぎりだ。ばあちゃん特製。
食欲はあんまりなかったから出かけにコンビニでパンでも買っていこうと思ったのだけれど、
格好つかないことに財布の中がだいぶ寂しいことになっていたのだ。

「……Pちゃん、おにぎりだけなんだー?」
「男らしいな。P子」
「うっさいな。ほっといて」

食欲がない―――調子が出ない。ここ一週間ほどそんな状態が続いている。
風邪じゃあない。あたしは自慢じゃないが、医者の世話になったのは
生まれてこの方出生の時だけっていうような健康体だ。
それが、こんな。おにぎり二つしか喉を通らないほど弱っているなんて。
原因はわかっている。Kタローのバカのせいだ。あいつが、変なことを言うから―――。
………………。
今思い出しただけでも顔が熱くなる。
放課後。夕日の教室。真っ赤に染まったKタローの顔。そして、告白。
告白……。

「う、うう………」

ぷしゅう、と頭が茹で上がるのを自覚する。ええい、なんなんだ。あいつは。
訳がわからない。あたしは―――ヘンな名前で、自分のこの名前が嫌いで、
でも、あいつはあんなにまっすぐな目をしてあたしの名前を呼んで。

………嫌い、なのに。

それに、このあたしのどこに惚れたっていうんだ。
自慢じゃないが無愛想だし、目つき悪いし、身長だって無意味に高いし、かといって
スタイルがいいわけじゃないし。可愛い服見つけても全然似合わないから結局いつもジーンズだし。
ゲーマーだし。この前枝毛三本も見つけたし。それから―――。
………ええと、自分でも悲しくなるくらいに惚れる要素がなかった。
とにかく、こんなあたしを好きだって?訳がわからない。不気味だ。

「どうしたのー?Pちゃん」

などと苦い顔をしていたら、サンドイッチをもきゅもきゅと
頬張っていた仲居戸(なかいど)が顔を覗き込んできた。




「調子悪いのー?」
「まさか。赤葉。P子はね、出生以来医者にかかったことがないっていうような健康体だよ?
 どーせおにぎりじゃ物足りないんでしょ」
「黙れ原衛」

ギロリと睨みつける。
原衛は笑い、そして一転してはぁ、とため息をついた。なんなんだ。

「あたしもさー、呪々のから揚げが恋しくてさ。くそぅ、小岩井のヤツめ。あたしの呪々を返せっていうのよ」
「あー」

行儀悪くお箸を咥えたままヨヨヨとくずおれる原衛に、なにやらコクコクと頷く仲居戸。
呪々……というと黒妻か。
確かあの娘は料理が得意で、信じられないことにお弁当を自分で作っていたはず。
あたしも前に摘んだことがあるけど、なるほど冷めても美味しい、
どこに出しても恥ずかしくないっていうかお金取れるんじゃないかっていうような出来だった。
………そういえば黒妻はどこ行ったんだろう。黒妻はちびっこくて大人しくて、
いつも原衛とセットになっているような娘である。朝見かけた覚えがあるから休んではいないようだけど、
そういえばこのグループに参加していないのはヘンだった。

「ところで、その黒妻は?」
「呪々?さぁ。中庭じゃない?」
「………なんで?」

確かに中庭で食べる生徒もこの学園には多いけど、あそこは芝生なのでシートを広げなきゃならない分
面倒くさいし、なによりカップルが多いために普通の生徒は寄り付かない。
あそこで男女が一緒にお弁当を食べることがこの学園の生徒たちの間では
『恋人になりましたよ宣言』だという暗黙の了解があるほどだ。
したがって、独りもんであるところのあたしには少し太陽が眩しい場所である。
黒妻も同様。あの闇属性があんな危険地帯に迷い込んだら
連中の石破ラブラブ天驚拳に当てられて消滅するんじゃあるまいか。

「あれぇ、Pちゃん知らないのー?呪々ちゃん、小岩井くんと付き合い始めたんだよー」

―――などと考えていたら、仲居戸がにっこりと柔和な顔を綻ばせた。

………………………………………あ、そうなん?

初耳だったので少し驚いた。黒妻は誰かに告白されたり告白したりするタイプじゃないと思っていたから。
いや、中身は普通だってことは知ってるし、よく見れば結構可愛い顔してるんだけど。
その、何だ。オーラ的に?




「まぁ、呪々が嬉しそうだったから別にいいんだけどさ。
 ひとりもん同盟が減ったのはこっちとしては痛いわけですよ」
「あー」
「あー、じゃない。赤葉はいいわよねぇ。幼馴染みだっけ?そんな便利なイキモノがいてさぁ」
「え。で、でもでも、クロが幼馴染みじゃなくっても、あたしはクロを好きになったと思うよ?………えへー」
「ぐぁあ、しまったノロケられたぁ!P子、塩持ってきて塩!」

しかし……そうかぁ。黒妻がねぇ。男の子と付き合ってるんだ。
………………男女交際、かぁ。
あたしはもやもやと想像の霧を膨らませた。
休みの日には駅前とかに待ち合わせして。待った?いや全然待ってないよ、とかお約束な会話して。
見慣れた制服姿とは違う私服姿にドキドキしちゃったりなんかして。
まずは映画とか見ちゃって。薄暗い中、手を握る―――ううん、
そっと重ねるだけで映画どころじゃなくなっちゃって。
その後、ファーストフード店でハンバーガー食べながらさっきの映画の感想とか話して。
でも、手を握った辺りでにドキドキして途中で二人して黙っちゃったり。
で、恋人らしく改めて手を繋いで、てくてくショッピングを楽しんだり。ゲームセンターに入って対戦したり。
UFOキャッチャーで思いのほか大きいぬいぐるみをGETして少し持ち運びに困って。
遊んで小腹がすいたら喫茶店に入って大きなパフェを二人で食べたり。
暗くなって―――公園で休んでいこうか、なんて。気が付いたら周りはカップルだらけで、
ああそういえばあたしたちもカップルだったね、なんて少し笑って。
周りの真似して、キス、くらい―――。

Kタロー。

「きぁあぁぁあああああああああああああ!!!!」

ぼん、と音がしたようだった。
あたしは真っ赤になって、慌ててその想像……妄想?のピンクのもやをばたばたとかき消す。
何を考えているんだあたしはッ!Kタローとはまだそういう関係じゃなくてですね。
いや『まだ』っていうか、それはいずれそういう関係になるって意味じゃなくて!
つまりは、あたしはその。ああああ。何なんだ、あたしはッ!あたしはP子だぞ?
P子がそういうの、ダメだろう!常識的に考えて!

「………何?どうしたの」

はっと気が付くと、原衛たちがびっくりした顔であたしを見ていた。
あたしは小さくなって、なんでもない、と返す。本格的にヘンだ。それもこれも全部Kタローのせいだ。
ええい、責任取れ。いや、そういう意味じゃなくて。

「P子、調子悪いなら保健室、行く?」
「Pちゃん無理しない方がいいよー?」



うう、なまじこいつらいい娘だから居心地悪い。そういうんじゃないのだ。
あたしはわたわたと手を無意味に動かした。ここは何か話題を変えて場を乗り切るべきだろう。
だけどもあたしは自分で思うより相当てんぱっていたらしく、

「そ、そういえばKタロー、最近学校休んでるけどどうしたんかね!?」

見事に墓穴を掘った。

そう―――それもあたしの懸念のひとつ。
Kタローは最近、というかあたしに告白してきたその翌日から学校に来ていないのだ。
あたしは別にKタローを振ったわけじゃないし、いやまぁそりゃあウヤムヤにはしてしまったけれど
………そんなにショックを受けるのだろうか?あたしが原因だったとして、の話だけど。
そして時期的に考えてあたしが原因なのはまず間違い無さそうだけど。

「そういえばKタローくん、ずっと休んでるよね。どうしたんだろ?」
「んー、前に男子が話してるの聞いたんだけど、Kタロー、家に篭ってずっと滑舌練習してるらしいよ」
「………カツゼツ?」

なんだそれは。
聞き覚えのない言葉だったので、あたしは思わず聞き返した。

「演劇とかでさ、台詞を噛まないでハッキリ言えるようにする練習だよ。
 早口言葉とか。発声練習とか。それを延々繰り返してるだって」
「………なんで?」
「知らないわよそんなの」

Kタロー、訳がわからない。あたしに告白してきたと思ったら家に篭って演劇の練習?
どう考えても奇行としか思えない行動だ。この学園には確かに奇人変人が多いけど、
Kタローはそっち側の人間じゃなかったはず。
………もしかして。もしかするとだが。あたしはとんでもなく悪いことをしたんじゃないだろうか。
人が奇行に走るとき。その人の身に何か起きたんじゃないかと思うのが自然な考え方だ。
そして、その『何か』にあたしは嫌ってほど心当たりがある。いや、あたし自身は
気が付いてないけど―――気が付いてないだけで、人を傷付けてしまうことだってよくあることだろう。
あたしみたいなガサツで、他人の細やかな心の機微に疎い人間ならなおさらだ。
あの日。夕日の教室で。Kタローに好きだと言われた。その対応が、間違ったものだとしたら?
そのせいでKタローはショックの余り家に引きこもって毎日早口言葉で一日を
浪費するような人間になってしまったのかも知れないのだ。
………相当嫌だなそんな一日。

「………あの、さ」



あたしはおずおずと、切り出した。
原衛と仲居戸がきょとんとしてそろってこっちに顔を向ける。
うう、言いにくい。でも、この娘たちは基本的に善人だ。ちょっとヘンなところはあるけど。
それに原衛はおせっかいで相談ごとには慣れているだろうし、仲居戸は彼氏持ち。
きっとあたしの話を真摯に聞いてくれるだろう。多分。


                  ☨☨☨

拙者親方と申すは、お立合いの中にご存知のお方もござりましょうが、お江戸を立って二十里上方、
相州小田原一色町をお過ぎなされて、青物町を登りへおいでなさるれば、欄干橋虎屋藤右衛門、
ただ今は剃髪なされて円斎と名乗りまする。元朝より大晦日までお手に入れますこの薬は、
昔ちんの国の唐人外郎と云う人わが朝へ来たり、帝へ参内の折から、この薬を深く籠めおき、
用ゆるときは一粒ずつ、冠のすき間より取り出だす、依ってその名を帝より「とうちんこう」と賜る。
すなわち文字には、「頂き、透ぐ、香い」と書いて「とうちんこう」と申す。ただ今はこの薬、
ことの外世上に弘まり、ほうぼうに似看板を出し、いや小田原の、炭俵の、さん俵のといろいろに申せども、
平仮名をもって「ういろう」と記せしは親方円斎ばかり、もしやお立ち合いの中に、
熱海か塔の沢へ湯治においでなさるか、または伊勢参宮の折からは、必ず門違いなされまするな。
お登りならば右の方、お下りなれば左側、八方が八つ棟、表が三つ棟玉堂造り、
破風には菊に桐のとうの御紋をご赦免あって、系図正しき薬でござる。

イヤ最前より家名の自慢ばかり申しても、ご存じない方には、正身の胡椒の丸呑み、白河夜船、
さらば一粒食べかけて、其の気味合いをお目にかけましょう。
先ずこの薬をかように一粒舌の上にのせまして、腹内へ納めますると、イヤどうも云えぬは、
胃、心、肺、肝がすこやかになりて、薫風喉より来たり、口中微涼を生ずるが如し。
魚鳥、茸、麺類の喰い合せ、其の他、万病速効あること神の如し。
さて、此の薬、第一の奇妙には、舌のまわることが、銭ゴマがはだしで逃げる。
ひょっと舌がまわり出すと、矢も楯もたまらぬじゃ。

(……以下略)


――――――演劇部発声練習『ういろう売り』より

                  ☨☨☨


「………それで?」

夕日の教室での出来事を話したあと、原衛たちはずいっと身を乗り出してきた。
そう。
原衛たちにはうっかり告白の流れを丸々喋ってしまったけど、肝心なのはここからだ。


あたしが取った行動ひとつで、Kタローが奇行に走った理由がわかるかもしれないのだから。
Kタローに告白されて、あたしは―――。

「―――Kタローを殴って、逃げた」
「なんで!!!?」

昼休みの教室に原衛たちの、というか原衛の絶叫が響き渡った。
何事かと教室にいたクラスメイトたちがこちらを向く。
あの時はいいのが入ったなぁ。この拳がKタローの頬にめり込み、一瞬間を置いてから衝撃が弾けて
Kタローの身体がくるくる回りながら机の列に突っ込んでいくシーンなんて昔のカンフー映画みたいだった。
多分、あんなにいいパンチはこれからの人生でもそうそうないだろう。
でも、だって。あれは仕方なかったんだ。

「………恥ずかしかったし」
「馬鹿か――――――ッッッ!!!?」

がっしゃーん、と想像のちゃぶ台をひっくり返す原衛。
そんなこと言われても。
あたしは想像の秋刀魚やら味噌汁やらを頭からかぶったまま小さくなった。
だって、男の子から告白なんてされたことなかったんだし。
しかも相手が毎日顔合わせてるクラスメイトのKタローだったし。あたしはP子だし。

「いやー、Pちゃん。最後のは理由になってないんじゃないかなー」
「全部理由になっとらんわ!告白したら返事に拳て!そりゃKタローも引きこもるわ!」

………いや、いやいやいや。返事じゃないぞ。アレはいわゆるひとつの照れ隠しというやつでして。

「いらないから!そんな攻撃的な照れ隠しいらないから!普通に振られるよりキツいわ!」
「………ふ、振った覚えはない……よ?」

そう、そうだ。
あの時は返事なんかする余裕はなかったし、翌日寝不足の頭で学校に来てみたらKタローは休みだったし。
―――それから、ずっとKタローは学校に来ていない。
原衛情報だと家に篭って奇行に走っているみたいだけど。
ああ、そうだ。あたしはKタローを振ったわけじゃないのだ。

「殴った時点で振ったも同然だってヴぁ」

呆れたように溜息をつく原衛。そこに仲居戸が小首を傾げて、

「じゃあ、PちゃんはKタローくんとお付き合いするのー?」

と、独特のどこか気の抜けた口調で言った。



「………………………………………」

途端、硬直するあたし。
そうだ。告白された時点でもう、付き合うか付き合わないかの二択しかなく、
そして振っていないということは、Kタローが彼氏になるということになるんだ。
Kタローが。あたしの。彼氏に。
あたしの。
P子の?

「………いやぁ、それは」
「なんだ、結局振るんじゃない」
「………うぅ」

Kタローはいいやつだ。……と、思う。
考えてみたら、同じクラスにいながらあたしはKタローのことをほとんど何も知らないに等しかった。
ますますなんでKタローがあたしを好きだと言ってきたのか謎は深まるばかりだ。
でもKタローとクラスの男子とふざけあってるのはよく見る。
無邪気で、楽しそうで、男の付き合いってやつはあたしには時々、すごく魅力的だ。
友達も多いみたいだからヤな性格はしていないんだろう。
そりゃあ人間なんだから長所も短所もあってしかりだろうけど、
それを言うならあたしだってそうそういい娘じゃないし。っていうかP子だし。
あたしは頭を抱えた。どうしよう。
男の子と付き合うなんて、そんな大事件があたしの身に降りかかってこようとは
まさか思いもしなかったからどうしていいかわからない。
ああ、なんてこった。Kタローが学校に来ていないのをいいことに、
あたしはずっとその問題を保留にしてきてしまったのだ。
Kタローはクラスメイトだ。それ以上でもそれ以下でもない。恋人?彼氏?冗談。
あたしは人を好きになるってことがどんなことかもよくわかっていないP子なんだぞ。
そんなあたしが、Kタローの彼女をできるのか―――そんなの、考えてみなくってもわかるってもんだ。
いや、でもなぁ……。

「わからないんだったらさ」

うんうん唸っているあたしを見て、原衛がぼそりと呟いた。

「付き合ってみればいいじゃん。そもそもアンタ、付き合うってよくわからないんでしょ?
 Kタローと付き合ってみて、一度経験してみればいいじゃん。彼女ってヤツをさ。
 Kタロー、あんたを好きだって言ってくれてるわけでしょ?幸せなことだと思うよ。それって。
 それに彼女になったからって絶対キスとかしなきゃなんないってワケじゃないんだしさ。でしょ?赤葉」
「………うーん、てゆーか考えてみたらあたしとクロって幼馴染みだから昔っから知り合いなんだけど、
 ちゃんとカノジョにしてもらったのはえっちしてからなんだよねー」



………超不安。
というか、虫も殺せなさそうな顔して何してやがりますかこの女は。
ぽわぽわしてる娘だと思ってたのにヤることはヤってんのかっ!あんまり知りたくなかったよそんな情報。

まぁ、それは置いといて。原衛の言うことももっともだと思う。
あたしだって―――その、何だ。青春のナニガシに興味がないわけじゃないんだし?

「………でも、あたしはP子だしなぁ……」
「だーかーらーさー」

原衛がだぁあ、と天井を仰いで、

「P子だからなんだっていうのよ。あんたはね、ヘンなところで自信なさすぎ。あんたはあんたなんだし、
 そんなイジイジしてたらあんたに惚れたっていうKタローも浮かばれないでしょ?」

死んでない。
それに、自信があろうがあかろうがあたしがP子なのは疑いようのない事実なわけで。

「………あたしがなんでP子って呼ばれてるか、原衛だって仲居戸だって知ってるでしょうが」

P子というあだ名は―――関係ないかも知れない。むしろP子と呼ばれるあたしは、まだP子でいられる。
問題は、あたしが何故P子と呼ばれているのか……そこにあるわけで。
あたしは、自分の名前が嫌いだ。ヘンだし。長いし。言いにくいし。
恋人っていうのは、友達より、もしかしたら家族より、あたしの内側に入ってくる人になるのだろう。
そんな関係の男の子に、あだ名ではなく本名で呼ばれる。
それはあたしの中にあるテンプレート的な恋人関係の行動になっている。
マンガやアニメの主人公に憧れるような、幼い願望とも言っていい。でも、それはきっと大切なことなのだ。
それを、あたしは容認できるのだろうか。
―――あたしは、自分の名前が嫌いだ。

「P子……」
「Pちゃん……」

傍から見たら、きっとつまらないコンプレックス。
でもそれは、あたしが一生背負わなければいけない問題でもある。


『ポンポコピー子』


――――――嫌だな。


「P子」

沈んでしまったあたしの愛すべきあだ名を、原衛は強く、呼んだ。

「あんたさ。やっぱりKタローと付き合うべきだよ」

………?
何を言ってるんだろう、原衛は。
そりゃあ原衛にとっては他人事だからいいけどさ。あたしは当事者ですからね。
そうそうお菓子を買うみたいに手軽にはいかないのだ。

「そうじゃないよ。Pちゃん。わかんないかな。Kタローくんは―――」
「赤葉」

何か言おうとした仲居戸を、首を振って止める原衛。
何?Kタローがなんだというんだ。
あたしは気になって、伏せていた顔をあげた。

「大杉」


そこには。

学校をずっと休んでいたはずのKタローが。

まるで、あの日の再現みたいなまっすぐな眼で、あたしを見つめていた。


「………あ、え?」

頭が真っ白になる。
あれ?なんだこれ。幻?いやいや、教室のあちこちからざわざわと声がする。
Kタローだ。本物の。随分と久しぶりだった。やっと学校に来たみたい。
でも、なんで?なんで今。このタイミングで。
いやいやそれはいい。まだ頬に湿布が張られている。ああ、やっぱりあのパンチはいいところに入ったのか。
っていうかこいつ、部屋に篭って滑舌練習してたんじゃなかったのか?それはもういいのだろうか。
Kタローはしばらく無言であたしの顔を見てから、口を開いた。

「俺はお前に殴られてから、考えた。何故俺は殴られたのかと。
 好きだというチープな台詞がいけなかったのか?単純に俺のことが気に食わなかったのか?
 だが俺はお前ではない。答えはわからなかった」


以前と変わらない、偉そうな口調。でも、響きが違う。よく通るいい声になっていた。
ホントに家に篭って滑舌練習してたのか。馬鹿じゃないか、こいつ。
というか。
そもそもなんで。なんでKタローは滑舌練習なんかしてたんだ。
まるで、まるで―――。
とてつもなく長くて言いにくい誰かのヘンな名前を、
すらすらと言えるようにするための練習だというかのように。

「そしてこう考えることにしたんだ。俺が殴られたのはきっと、苗字ではなくファーストネームで
 告白しなかったからだと!!そして淀みなく大杉の名を呼べたときこそ、
 大杉の心の呪縛を解き放ち、堂々と胸を張って大杉に好きだと言えるのだと!!」
「エスパーかお前は」

握り拳をつくって吼えるKタローに、原衛のツッコミが入る。
………本当、なんでそんなしあさっての方向に答えが出るのかわからない。
どうなってるんだ、こいつの頭は。
殴られたショックで脳味噌がズレたとしか思えない。殴ったのあたしだけど。
本気の本気でそんなくだらない理由に行き着いて、そんなくだらないことのために学校を休んで、
家に引きこもってアナウンサーも驚きの練習をしていたというのか。
そんなに本気で。
こんな、あたしなんかの為に。

馬鹿じゃないのか。むしろ馬鹿だろう。
でも、それは。今まであたしが知らなかった馬鹿で。
あたしの胸の奥で、不覚にも何かがぎゅぅっ、と締め付けられてしまった。

そしてKタローは言った。あたしの忌まわしい―――両親が長く、幸せに暮らしていけるようにと
願いを込めてつけてくれた、大嫌いな名前を。

「寿限無寿限無五劫の擦り切れ 海砂利水魚の水行末 雲来末 風来末 食う寝る処に住む処
 やぶら小路の藪柑子 パイポパイポ パイポのシューリンガン シューリンガンのグーリンダイ
 グーリンダイのポンポコピーのポンポコナーの長久命の長子」


――――――ああ。
       あたしの名前――――――。


「……俺と、付き合ってくれ」



ずっと大嫌いだったあたしの名前。
それが、こんなにも。
心に、響いて。
あたしは―――。


Kタローを殴って、逃げた。


「ええええぇぇぇぇえええぇぇぇぇぇぇえええええぇぇぇぇぇえええ!!!?」

教室中から絶叫があがる。
あたしの拳は違うことなくKタローの湿布の上、つまり前回殴った場所に食い込み、
Kタローの顔面を陥没させたかと思うと一気に弾け飛んでKタローを身体ごと吹き飛ばしていた。
Kタローがくるくると綺麗に回転して机の列に突っ込んでいく。
それを最後まで見届けることなく、あたしは走り出した。

「ちょ、ぴ、P子!?むしろポンポコピー子!!」

後ろから原衛の焦ったような声が聞こえた気がした。
でも気がしただけだ。今のあたしにはそんなことに構っている余裕はない。
胸が熱い。顔が熱い。
身体中、火照って仕方がない。
なんだこれは。なんなんだこれは。猛烈に恥ずかしい。苦しい。
でも、嫌じゃない。それがまたわからない。

あたしは走った。
きょとんとしている生徒たちを、教師たちを追い越して。
あたしは走った。
どこへ向かっているのか、ぐちゃぐちゃの頭ではわからない。

「胸が熱いのは走ってるせい……!顔が熱いのも走ってるせい……!」

そう自分に言い聞かせ。
どこまでも、あたしは走った。



              あたしの名前はハートにDQN~新ジャンル「DQNネーム」青春伝~ 完

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最終更新:2008年07月15日 23:30
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