どんどこどこどこ。
どんどこどこどこ。
その部屋は、異様としか言いがたい雰囲気で満たされていた。
まず、暗い。
カーテンはぴったり閉め切られていて、そこからは一筋の光さえ差し込まないようになっている。
ちゃんと蛍光灯があるのに何故か点けておらず、照明はゆらゆらと揺らめく蝋燭の火のみ。
頼りない灯りに照らされているのは、これまた不気味な内装だった。
天井から吊り下げられているのはボロボロに擦り切れた、ゾンビのぬいぐるみである。
一応ファンシーなデザインになっているものの、目玉は零れ口は縫い付けられ、
絞首刑のように首に紐を巻きつけられてぶらん、と揺れている。
壁には五寸釘の刺さったわら人形が磔にされ、さらに黄色地に赤い字の書かれたお札がぺたぺたと貼られていた。
豪奢な装飾の鏡は無残にも罅が入り、何の悪戯か紫のペンキがべったりと塗られている。
部屋の隅に立ち、眼球のない眼で虚空を見つめているのは、理科室によくある骨格標本だ。
いったいどこから調達したのか、棚の上にはカエルやネズミのホルマリン漬けが並び、
隣には場違いな北海道土産のまりも。あと自家製ピクルス。
その棚に並んでいるハードカバーの書籍は一冊の例外もなく、
『黒魔術』やら『幽霊』やら『呪い』やら、うさんくさいタイトルのものばかりである。
住人の趣味を思い切り疑ってしまう………いや、疑うまでもなく悪趣味な部屋に止めをさすように、
部屋のほぼ半分の面積を占めているのは―――『祭壇』であった。
祭壇。
そうとしか形容できない。
真っ白な布の被さった台座の上には不気味なお香と生贄の血と肉。
どこからともなく地の底から響くような呪文が紡がれ、飢えた獣が悪魔のようにうなり声をあげる。
床に走る、蛍火のライン。それは曲線を描き、複雑に絡み合い、
太古の昔に滅びたという悪魔崇拝の一族の魔法陣を描いている。
魔法陣の中心、跪いているのは一人の少女である。
襟の大きな黒いマントと鍔の広いとんがり帽子、学園指定のハイソックス。
小さな身体に纏っているのはこれだけだ。ほとんど全裸に近い恰好だが、
それもそのはず、彼女はこの儀式のために先程沐浴をして禊を行ったばかりなのだから。
わざわざ余計なケガレを身につけることはできない。
彼女は、この儀式を失敗するわけにはいかないのだ。
少女の薄い唇から何事か呪文が口ずさまれていた。
「―――ぎゃーてーぎゃーてーはーらーぎゃーてーはらそーぎゃーてーぼーじーそわかー」
どんどこどこどこ。
どどこどこどこ。
太鼓の音が高まっていく。
鋭い短剣を掲げると刃に手を添え、すぅ、と息を吸い込んだ。
そしてそのまま、きぇえ、と雄叫びをあげ、そのまま短剣を振り下ろす。
鈍く光る凶刃は違うことなく台座の中央に捧げされた人形を貫いた。
短剣に刺さったままの人形を蝋燭であぶる。ちりちりと嫌な臭いがして、
ぼう、と燃え上がるのに時間はいらなかった。
燃えていく。
人の形をしたものが、胸を貫かれたまま、声もあげずに。
その火を昏い、生気に欠けた瞳で見下ろして―――少女は厳かに十字を切った。
「偉大なる邪神、我が主リュリルライア様―――どうか、あのひとがぼくを好きになりますように」
最後に、お願いします、と付け加えて。
少女は光沢の少ない眼でめらめらと燃える人形を高く掲げた。
この想い、炎より赤く。
この想い、炎より熱く。
届け、我が純情。
愛おしい、あのひとの元へ―――。
焼けた人形から出る一筋の煙が、据え付けの火災報知機に触れた。
びー、と警告音が鳴り響き、少女は慌てて近くに置いておいたバケツに燃える人形を放り込んだ。
「……で?結局怒られたって?」
「うん」
友人の言葉に、少女―――黒妻 呪々(くろつま じゅじゅ)はコクンと頷いた。
どう見ても義務教育課程にある、というか小学生くらいにしか見えない小柄な体型に、
サイズの合っていない、ぶかぶかな学園指定のセーラー服。
長い前髪の下からは隈で彩られた、生気のない瞳が覗いている。
よく見れば可愛らしい顔立ちをしているが、それはどこか作り物じみていて、
アンティークドールや日本人形を連想させた。
そんな不気味で妖しい容姿に違わず、彼女の趣味はオカルト全般。
それこそ、西洋の黒魔術から日本の神道、
中国の陰陽道やら南アメリカの精霊祈祷に至るまで節操なく手を出し、
最近ではそれらをRE-MIXしてオリジナルの儀式を開いてしまうほどである。
昨日はその儀式の最中ボヤ騒ぎを起こしてしまったというわけだ。
「邪神様がお怒りになったのかな」
「………それ、自分で考えた神様でしょ?」
「違うよ。異世界からの声を聞いたもの」
まぁ、要はうっかり拾ってしまったデムパが生み出した虚構である。
信者が一人しかいなくても宗教というのか。被害はないから放っておくけど。
呪々の数少ない友人、自称親友、面倒見がいいことで定評のある原衛 清芽(はらえ きよめ)は溜め息をついた。
「生贄の血と肉も用意したのに。使い魔もいたのに」
「トマトジュースと鶏モモ肉でしょうが。あと、飼い猫をヘンな儀式につき合わせるのはどうかと思うわよ」
「大丈夫」
「何が」
「大丈夫」
呪々は根拠もへったくれもなくうん、と頷くとお弁当のから揚げをもそもそと頬張った。
ちなみにこのから揚げ、昨日の鶏モモの成れの果てである。
彼女は生贄を無駄にしないエコロジーなオカルトマニアなのだ。トマトジュースもちゃんと飲んだし。
清芽はそのから揚げと自分の冷凍ミニハンバーグを交換しながら、やれやれと肩をすくめた。
「呪々さ、基本はいいんだからその、なんだっけ?舌噛みそうな神様」
「リュリルライア様」
「そんな、恋愛偏差値低そうな神様に祈らなくっても。普通に告白すればいいじゃない」
呪々は途端、目をまん丸にするとぶんぶんと首を振った。
そして―――ちらり、と窓際の、その席に座っている男子生徒の様子を伺う。
視線の先にいるのは、特に目立ったところのない短髪の男子生徒である。
前の席の男子の弁当に手を伸ばして、その小指を掴まれて極められている。
パンがなければお前の弁当を食べればいいじゃない、とか珍しい断末魔をあげて、彼は机に沈んだ。
どうやら弁当及び財布を忘れてきたらしい。
そんな彼の様子を盗み見て―――呪々はほぅ、とため息をついた。
屍のように真っ白な頬に朱が差している。呪々は彼のことが好きなのだ。
昨日の儀式だって、彼と仲良くなりたいがために開いたのだった。
小岩井 幸太(おいわい こうた)。
呪々と彼の馴れ初めは丁度一年ほど前に遡る。
入学したての頃。まだクラスメイトたちが呪々の異様なオーラに慣れていなかった当時の話である。
彼は。
呪々の隣の席だった。
なんかいいな、と呪々は思った。
…………………。
……………。
………。
以上。
別に何らかのドラマがあるとか、そういうのはない。恋とは得てしてそういうものだ。
むしろ異常な状況下で覚えた恋は長続きしないと某アクション映画でも言ってましたよ!?
そんな、奇天烈なようで意外と普通っぽい乙女ちっくハートの持ち主たる呪々が、面と向かって幸太に告白する?
「……恥ずかしい」
呪々は俯いてしまった。
前髪で隠れた顔は、しかし見えなくても真っ赤になっているとわかる。
その様子は小動物のようで、ぶっちゃけめちゃくちゃ可愛かった。
恐るべし恋する乙女。恋をすると女の子は可愛いくなる、というが、
呪々は何せ基がいいのでその破壊力はメガトン級である。
こういう所を見せれば男なんて一撃必殺できるのになー、とか清芽はもぐもぐとから揚げを咀嚼しながら思った。
「ううん、じゃあ手紙とかは?時代遅れだけど信用度は変わらず高いラブレター」
「書いた」
「書いたの?やるじゃん!」
「でも出してない。恥ずかしいから」
呪々は周りのクラスメイトの目を気にしながら、鞄をごそごそと探ると真っ黒な封筒を取り出し
「待った。なにそれ?何その黒さ」
「黒い封筒が売ってなかったから自分で染めたの」
「いや、いいから。そういうのいいから。普通、ラブレターっていったら真っ白か薄い桃色の封筒で
ハートのシールは鉄板でしょうが。え?なに?なんで黒?」
「おまじない。幸太くんがちゃんと読んでくれますようにっていう」
「抽選ハガキかよ。で、中身もなんかおどろおどろしいワケ?」
「ううん。中身はふつう」
「普通か!じゃあ封筒もそうしなよ!」
「………恥ずかしい」
「ああ、くそ可愛いなこいつ!!」
くわっと牙を剥く清芽。彼女は面倒見の良さには定評があるが、同時にツッコミにも定評があるのだ。
「原衛ェ、黒妻苛めてんじゃねーぞ」
大声を出したので、周りから揶揄が飛ぶ。
無論、清芽を責める言葉ではない。清芽はだいたいいつもこんな感じだからだ。
黒く腐敗した毒沼のような近寄りがたいオーラの持ち主である呪々にとって、
世話焼きで交友範囲の広い清芽はクラスメイトとの重要なパイプ役だったりする。
「何騒いでんのお前ら。お前らっていうか原衛。……おー、黒妻のから揚げ美味そー」
―――こんな風に。
「………………………!!!!」
呪々が猫のように固まる。
清芽も驚いた。呪々たちが囲む弁当を見つめてそう言ったのは、誰あろう小岩井 幸太その人だったからだ。
なんで、小岩井が、ここに―――!?
「原衛。黒妻のから揚げ食っていい?」
そうだ、さっき幸太はクラスの男子に弁当を分けてもらおうとして(と、いうか盗み食いしようとして)
小指を間接とは関係ない方向に曲げられていた。
清芽が大声で目立っていたから様子を見てみた、そしたら何かから揚げが美味しそうだった。くれ。
別に不思議なことはなにもない。そういう流れだろう。
だが今、ここで、よりにもよって呪々のから揚げを欲しがるか。小岩井幸太。恐ろしい男である。
………っていうか。
「な、なんであたしに聞くかな?呪々に言えばいいじゃん」
「ん?だって原衛、黒妻の保護者だろ。黒妻、いいよなー?」
呪々は。
こくん、と。
頷いた。
「う、うん」
「おー、さすが。じゃ一個貰うから」
幸太はいともあっさりとから揚げを一つ摘み上げると、ひょいと口に放り込む。
「ンめぇ。何、これ冷凍じゃない?」
「呪々の手作り。この娘、こう見えて料理上手いんだから」
「へぇ。すげー、やるな黒妻」
ぱたん、と何かが―――誰かが倒れる音がした。
呪々である。
「呪々――――――ッッッ!!!?」
床に転がる呪々の顔は、どこか満足そうだった。
幸太に褒められたのが嬉しすぎてうっかり気を失ってしまったらしい。
何かと難儀な娘である。
オカルトパゥワーだ。
目が覚めた呪々はそう確信していた。
だって、だって。
儀式を開いた翌日にたまたま幸太が弁当を忘れ、たまたま清芽に相談し、たまたま清芽が大声を出して、
たまたま幸太がこれを聞きつけて、たまたま呪々のから揚げを褒めてくれる。
―――そんな偶然が!果たして起こり得るのだろうか!?いや、ない(反語)!!
………この際、似たような儀式っぽいことは何度もやってきたとか、
その時には今回のような奇跡は起きなかったとか、そういう細かい話は完全に無視である。
オカルト好きをナメてはいけない。
信じるものは都合のいいモノ。それが人生をより良く生きるコツなのだ。
呪々は感激してふるる、と小さな肩を震わせた。
正直、今まで呪々の身にこんな素晴らしいオカルトチックな出来事が起きたことなんてなかった。
オカルトマニアであることは自覚しているし、世の全ての摩訶不思議は存在すると思っているが、
どうにも呪々には霊感というものが皆無なようなのだ。
どんな恐ろしい怪談が語られるいわくの地に行っても幽霊なんぞ見たことはないし、
高いお金を出して買った水晶玉を何時間睨んでいても丸く歪んだ自分の顔しか映らないし、
走るのが苦手だから体育祭の前日決行した雨乞いも失敗したし、
テストの山勘も当たらなかったし。ちゃんと勉強したところしか解けなかったし。
そんな呪々が、初めて呪術の儀式に成功したのだ。
呪々のテンションは最高潮である。
「………呪々、大丈夫?」
保健室のベッドの上で、呪々は不気味に笑っていた。
いや、本人としては普通に微笑んでいるつもりなのだが、目をまったく細めずまん丸に見開いたまま、
口元だけ三日月のように歪めているその表情は無駄に怖かった。
そんな呪々に、放課後になって様子を見に来た清芽は心配そうに、恐る恐る声を掛ける。
清芽も呪々とつきあって長いが、この娘の笑顔は未だにちょっと怖い。
「ん。あ、清芽ちゃん」
しばしケタケタと殺人鬼の魂が宿った呪いの人形の如く笑っていた呪々が
親友の声に気付いてギギギと首だけこっちに向けた。
テンションが上がってますます不気味さが増している。すごく………怖いです。
「どうしたの?なんか嬉しそうだけど」
「うん」
呪々はコックリと頷いた。
「儀式がね、成功したみたいなの」
「儀式?」
清芽は小首を傾げた。この娘の言うところの儀式というと、話に聞くうさんくさいエセ魔術のことか?
しかし昨日はボヤ騒ぎを起こしたとか言ってなかったっけ。それって失敗じゃないか?
「幸太くんに褒められたのは邪神さまのおかげだよ。きっとぼくの呪いが奇跡を起こしたんだ」
「………………?」
奇跡を起こすならどっちかっていうと祈りの方が正しいんじゃないかとか思ったがそこには触れず、
清芽は傾げた小首を反対側にした。奇跡て。あの程度で?
そりゃあ幸太は呪々のから揚げを美味しいとは言っていたが………。
―――あれ、多分普通にお腹がすいてたから摘んだだけだろ。
奇跡とは程遠い。ただの空腹な少年の行動だ。
から揚げが美味しかったのは邪神だか魔王だかのおかげではなく、
これまた普通に呪々の料理の腕によるものだろうし。
色々とツッコミ所が多くてクエスチョンマークが頭の周りを舞っている清芽をよそに、
呪々はなにやらヤル気まんまんだった。
「……今度のお肉は牛ヒレ肉にしてみよう…………もっと効果が上がるかもしれない」
もちろんお弁当のことではない。生贄のことである。
呪る気と書いてやるきと読む。呪々の儀式の効果が証明された今、幸太と親しくなれるか否かは
ひとえにオカルトパゥワーにかかっているのだ。そりゃあ生贄も豪華になるってものである。
「ま、いいか……」
そんな呪々を見て清芽は肩をすくめ、優しく溜め息をついた。
クエスチョンマークはこの際丸投げでいいだろう。
いつも大人しくて引っ込み思案な親友が珍しくプラスの方向にテンションアップしているのだ。
この娘、趣味からは誤解されがちだが人畜無害だし。恋路に水を差すこともないだろう。
「頑張りなよ、呪々」
「うん。がんばる」
ぽんぽん、と頭を撫でてやる。
呪々も素直にこくん、と頷いた。
翌日。
止めておけばよかった。
清芽はセーラー服の上から熊っぽい毛皮を羽織り、幾重にも数珠やらドクロやらロザリオやらをさげ、
火のついたアルコールランプで蟹の甲羅を炙っている呪々を前にして後悔の念に駆られていた。
怪しい。呪々は不気味ながらも、世間一般の常識を持ち合わせていたはずなのに。
少なくともこんな、外に出た瞬間にお巡りさんに下半身タックルで職務質問されそうな
個性的な恰好はしなかったはずなのに。
ああ、ほら、いつもの呪々に慣れているはずのクラスメイトたちが若干いつもより遠い。
この学園はわりかし奇人変人が多いのだが、呪々はその中でもギリギリ
常人の範囲内にいた―――なにせ学校での呪々は雰囲気が不気味なだけで
異能というほどのものではなかったので―――はずなのに、今日のこの対応はどう見ても変人側のそれである。
「……黒妻さんの仮面、かわいいなぁ………」
しかも、いつも仮面をつけて決して素顔を晒さない謎のクラスメイト、
桐生(きりゅう)さんが仲間を見る目で呪々を見ている!
ちなみに今日の桐生さんの仮面は珍しく露出の多い蝶のアイマスクだ。
仮面の下から覗く肌の細やかさとか桃色の唇とか澄んだ瞳とか、素顔の彼女は結構な美人なんだろうけど。
触らぬ変人に祟りなし、がこの学園における暗黙の了解なので誰も彼女の素顔には触れない。
―――そんな、奇異の目で見られるのが日常の変人ロードに入ろうとしている親友を見過ごしていいものか。
呪々は、そりゃあヘンな趣味はあるが―――中身は普通の女の子なのである。
「あの……呪々?」
「あ、清芽ちゃんだ」
清芽に気付いた呪々はアルコールランプから蟹を下ろすと仮面を額まであげて微笑んだ。
なんだろう、おかしい。いつものようにまん丸なハイライト処理を忘れたような妙に光沢のない目で
チシャ猫を連想させる三日月口の笑顔なのに、いつもより可愛い気がする。
妙に嬉しそうで―――頬も、少しだけ上気しているようだ。
「………なんか嬉しそうだけど。どうしたの?」
「うん。呪いがね、順調だから」
呪々は上機嫌だった。
それもそうだろう。昨夜は気合を入れて呪いの儀式に明け暮れて、
いつの間にか疲れ果てて眠ってしまったのだが、なんと夢の中に幸太が出てきたのだ。
「………………………」
「…………………」
「……………」
「え?そんだけ?」
「ふふ」
にこにこしている呪々には悪いが、だからどうしたという清芽である。
って言うかそれ、呪いと何の関係もなくないか?
「それだけじゃないよ。朝ね、学校に来てミニ祭壇の準備をしてたら、幸太くんに挨拶されたの!」
幸太はよお、と、クラスメイトに普通に挨拶しただけなのだが―――この恋するオカルトマニアにとっては
天にも昇るような出来事だったのだ。急に近くなった(気がする)幸太との距離。
これはもう、呪術の成果に違いない!というのが呪々的見解なのである。
……呪術の成果、ねぇ―――。
清芽は軽い頭痛を覚えてこめかみを押さえた。
清芽的見解を言わせてもらえば、それらは単なる偶然。
というか、不思議なことなど何もないフツーのことに過ぎない。
おかしいのは今の呪々の方だ。明らかに暴走している。
今までは趣味の範囲内と見逃してきたが、教室にまでこんなモノ持ち込むのは常識ある人間のやることではない。
恋するオカルトマニアと優しく微笑んではいられない領域だ。
だいたい、こんな奇行を見せられたら幸太だってドン引きするんじゃあるまいか―――。
と、ちらりと幸太の席のほうを盗み見て。
幸太が、なにやらぽぅっとこっちを―――呪々を見つめているのに気が付いた。
「え?」
自然と声が出る。
幸太は清芽の視線に気が付くと、慌てたようにそっぽを向いた。
その横顔の、頬がなにやら染まっている。
これは―――え?まさか。
「………………………なんで?」
呪々に目を落とす。
呪々は幸太の視線には気付いてないようで、
うんだばだーうんだばだーとわけのわからない呪文を口にしながら蟹を炙っている。
そりゃあこの怪しい女の子を見て気にならない者はいないだろうが
―――それで頬を染めるというのはどうなんだろう。
可愛いくなってるといっても、付き合いの長い清芽にして始めて気付くような変化だ。
幸太のような普通の人間からすれば、少なくとも常識的な恰好をしていた
昨日までの呪々のほうが余程魅力的だろうに。
………昨日までの幸太が呪々を意識していたなどという記憶はない。
良くも悪くもクラスメイトとして、遠ざけはしないが積極的に近づこうともしない距離にいたはずだ。
それが証拠に、昨日のお弁当の時は呪々を清芽の付属品みたいな言い方をしていなかったっけ。
それが、なんで今日になって。
「………………………呪い?」
呪々は混乱する清芽をよそに、一心不乱に蟹を炙っていた。
その焦げ目を見ながら、うん、と頷く。
亀甲占術。最古の呪術のひとつですね。
それは占いであって直接相手に影響をもたらす呪いとは微妙に異なるような気がしないでもないが、
呪々はなにやら満足そうに焦げた蟹を眺め回している。
そして、そんな呪々をちらちらと見つめる幸太。
「……………………………」
まさかね。
………………………まさかね。
清芽は今日、何度そう思ったかわからない。
幸太である。幸太の様子がヘンなのだ。
どのようにヘンなのかというと、それはまぁ今朝の通り。呪々に気を取られているというか、
呪々が気になっているというか―――ええい、呪々を意識している。これに尽きる。
「呪々、あんた何かした?」
「誰に?」
「小岩井」
「………?」
呪々は質問の意図するところがよくわかっていないよう。
幸太の名前を出されてちらりと幸太の方を見て―――幸太が、呪々と目が合ってびくっと大きく震えた。
慌ててそっぽを向き、関係ないような顔をしている。バレバレだ。
呪々はというと、幸太と目が合ったのが嬉しいのかちょっと頬を染めている。
「両思いになれますようにって呪いはかけてるけど」
「………いやそういうんじゃなくて」
呪々の『呪い』は人畜無害。それは清芽にはわかっていることだ。
よくテレビや何かだと呪いに見せかけて裏で工作をする、なんてサスペンスやミステリーがあるが、
そんな姦計を巡らせるような腹黒い女の子なら清芽は友達をとっくにやめているだろう。
しかし、その呪いの効果が出ているのは確かなわけで。
なんせ、幸太は授業中にもずっと呪々を目で追っていたのだから。
教科書を広げていても、頬杖をついた視線の先には呪々の姿。
ぼりぼりと頭を掻いて、物憂げにため息とくればこれはもう決まりじゃないか?
「そうなの?」
「あたしが見てた限りでは」
それは清芽が授業中ずっと幸太を観察していたということに他ならないわけだが。
誰かに見られていたらそれはそれで誤解されるかも知れない。まぁ、それは置いといて。
「ホントに、何もしてないんだよね?」
「呪い」
「呪い以外で」
「………」
呪々は少し考え込んだ後、ふるふると首を振った。
「謎だ」
腕を組む清芽。幸太が急に呪々を意識し始めたのは知る限り今日からだ。
心当たりは……ない。
ないけど。
「なんだろ?何か忘れてるような」
清芽は首を捻った。
そして呪々はというと。
「………そっか。呪い以外でも頑張らなくちゃ」
なにやら胸の前で拳を固めている。
―――そしてその間にも、幸太はぼうっと呪々を見つめていた。
うんうん唸って考えたあげく、放課後、呪々は思い切って幸太に挨拶することにした。
ばいばい、小岩井くん。
………それだけ。
呪々を責めないで欲しい。彼女はオカルトマニアだけど基本的に引っ込み思案で恥ずかしがりやなのだ。
それが証拠に、たった一言挨拶するだけなのに、呪々の小さな胸はこんなにも激しく脈打っている。
どくん、どくん、どくん、どくん。
耳元で鼓動が鳴り叫ぶ。あまりの音量に、幸太の耳にも届くのではないかと心配になるほどに。
恥ずかしい。でも、頑張れる。なにせ自分には呪いの力があるのだ。今、絶好調なのだ。
これから少しずつ仲良くなって、いつか―――本当にいつか、好きだと言えるような関係になるのだ。
呪々は精一杯の笑顔をつくり、言った。
「ば、ばいばい―――小岩井くん」
「……………………」
幸太は、一瞬だけ立ち止まると、
呪々と目も合わせずに、すっと行ってしまった。
「――――――――…………ぁ、え」
一瞬、何が起きたのかわからない。
目を瞬かせて、後ろを振り返って、幸太の後姿が廊下に消えていくのを確認して
―――急速に全身の血が冷えていくのを自覚する。
『無視された』。
その事実が、万物を凍結させる冷却材となって呪々の頭をぎりぎりと締め付けた。
何で?どうして?
清芽だって言っていた。
呪いはあんなにうまくいっていたのに―――。
反動か?なんのリスクもなく呪いを使おうとしたのが間違いだったのか。
悪戯に運気を弄ぶような真似をしたから、罰が当たったのか。
わからない。
下校を促す鐘の音が、すごく、すごく遠くから聞こえた気がした。
傍から見れば、きっとなんてことない。
ほんの少しの、些細なすれ違い。
だが、恋するオカルトマニアにとって。
好きな男の子は世界の中心である。
「お待たせー、呪々。………呪々?どうしたの?」
用事を済ませて教室に戻ってきた清芽の声も、聞こえているのかいないのか。
呪々はただでさえ白い顔を蒼白にして、ふらふらと幽鬼のような足取りで家路についた。
「………?」
昼間でのはしゃぎようとあまりに差のある火の消えたような呪々の様子に、清芽は訝しげに眉をひそめた。
「………………………」
頭が痛い。
鉄でもガラスでも、熱した状態から急激に冷やすと罅が入るというが、人間の心もそうなのだろうか。
呪いが成功し、幸太とわずかでも触れ合うことができて高揚していた心が、たった一回の拒絶で反転している。
どこか自分に非があったのだろうか?知らない間に、幸太にとって不快なことをしていたのだろうか?
―――わからない。
ぐるぐると思考が回る。螺旋を描くように、深く、深く地面を抉るように。
どうしよう。どうしようもない。どうすればいいかわからない。
建設的な考えは何も浮かばなかった。ただ、どんどん沈んでいくような感覚に立ち上がることもできない。
普段なら―――こういうとき、何をどうして気を紛らわせたっけ。
呪いが実在するのかどうか―――それについては、現代の科学をもってしても明確に答えることはできない。
だが、迷信、言い伝え、ジンクスと呼ばれるものならば。
つまらないものと切って捨てることは容易だが、その裏には結構信用に足る解釈が隠されているものだ。
たとえばエジプトの有名なピラミッド。王の財宝を荒らすものにはミイラの呪いが降りかかるとされる
アレなんかは、実のところピラミッドという密閉された空間に保存されていた
未知の―――古代の病原菌によってもたらせられる病なのではないか、という説もある。
王の財宝を荒らすものに呪いあれ―――。
それが言霊となって印象付けられることにより、盗掘者や考古学者たちは
『病気』ではなく『呪い』によって死んでいくと解釈されるというわけだ。
呪いの本質は言葉にある。
呪いという言葉がプレッシャーとなり、降りかかる不幸を呪いと関連付けて考えるようになるのだ。
本当はなんでもないことなのに、これは呪いのせいだ、と受け取ることによって
その人にとってはけつまづいた自分の不注意ではなく、呪いの影響で運気が下がっていることになるのである。
それは『掛けられた側』ではなく『掛けた側』も同じであり、
呪った相手に不幸が訪れるとしめしめ、呪いが効いたなと思ったりする。
しかしそれが偶然の出来事なら別に呪わなくても相手は不幸になったろうし、
必然ならなおさら呪いなんか関係ない。
なのに呪いの成果と信じられるのは、つまるところ言葉によって思考が停止していることに他ならない。
それこそが呪いと名付けられた言霊の力なのである。
本質的な意味での『呪い』など、そんなものは存在しない。
念じただけで相手に影響を及ぼすような、そんな便利な能力があるわけがない。
意思はすべからく、行動によって始めて力と成す。
それが―――少なくとも、呪々のような普通の人間の常なのだ。
しかし、呪々は信じていた。もともと不思議なこと、非科学的なことが好きなタチであり、
自分には男の子に好かれるような魅力などないという自虐が根底にあることも手伝って、
幸太が自分にしてくれることは全て呪いの成果によるものだと信じていたのだ。
それが良いことであろうと―――、
―――悪いことであろうと。
「――――――………」
たとえ呪いの代償が我が身に降りかかってこようとも。
呪々に頼れるのはやはり、呪いしかないのだった。
漆黒のマントが翻る。
つばの広い、先っぽの折れたとんがり帽子。
脚には学校指定のハイソックス。
それが現在、呪々の身に着けているもの全てである。
嬉しい時は感謝を込めて、悲しい時は願いを込めて。
何度も何度も繰り返した儀式の礼装。
ただし、今回のそれは今までの儀式とは少し違っていた。
照明代わりの蝋燭に火が灯っていない。雰囲気を出すための小道具であるところのアロマも、
オリジナルの呪文を延々と吹き込んだデッキも今日はなし。呪々が生贄と呼ぶスーパーで買ってきた生肉も、
おどろおどろしさを演出する『生き血』のトマトジュースも、『祭壇』―――布をかぶせた机の上には乗っていない。
あるのは呪々の身体ひとつ。
随分と投げやりで、手抜きの儀式であった。
「………………」
……だって、本当は呪々だって知っているから。
この行為には何の意味もない。
単なる気休めなのだということを。
「―――ふぅ」
ひた、と小さな手がすべすべとした肌の上を滑る。
幼さの残る肢体。呪々のコンプレックスでもある未熟さは、
しかし熱っぽく、指先が伝う度にぴく、ぴくと小さく震える。
目を閉じる。まぶたの裏に、大好きな彼の姿を幻視する。
明るくて優しい彼は、想像の中では呪々だけを見てくれていた。
その大きな掌で、呪々の心を包むように胸元をなぞる。
平らといってもいいほどの凹凸のないそこの中心、一際敏感になってしまっている突起に触れた。
「くぅっ」
思わず出そうになった声をかみ殺す。
いけないことをしている。やめなくちゃ―――でも、止まらない。
まるでほんとうに、幸太に愛撫してもらっているようだ。恥ずかしくて死んでしまいそう。
瞳の端に涙を浮かべて、しかし呪々の手はどんどん動きが大胆になっていった。
こりこりと硬くしこってきた乳首を摘み、擦る。
痛みを感じるほどに引っ張って、指の腹で転がすようにさすって。
ぴりぴりとした快感が弾けて、自分の中で何かがどんどん高まっていくのがわかる。
熱い。
芯から、身体が熱くなってくる。
その熱はお腹の―――下。女の子の大切なところに集まっていく。
「………はぁ、はぁ、は―――」
呪々はまるで操り人形になってしまったような動きで、のろのろと自分の下腹部に手を伸ばした。
指を這わせた縦筋は、なんだかびっくりするくらい濡れていた。
身体が幼いなら性器も幼い。小学生半ばからほとんど成長のないこの身体は、
それでもしっかりと『女』を感じることができていて、こうして幸太を求めて恥ずかしい汁を垂れ流す。
そんなとき、想像の中の幸太は意地悪く笑って呪々をからかうのだ。
熱に浮かされた頭で、幸太が呪々のその部分から溢れた蜜を掬い、粘ついた液を見せ付けるところを想像する。
つうっと銀の糸が指と指とに橋をつくり、ぽたりと垂れてお腹の上に落ちた。
こうやって幸太と身体を重ねるところを想像して自分を慰めるのは初めてのことではない。
いや、実際のところ数えちゃいられないくらいの回数はこなしている―――ように思う。
おかげで呪々の中の幸太は何をどうすれば呪々が切ない声をあげるのかすっかり知り尽くしてしまっていた。
かなり恥ずかしいが、まぁそれも仕方がない。
これは呪々なりのオリジナル呪法―――と、いうことになっているのだから。
今日は気分が沈んでいたのでかなり準備が雑だったが、
本当は普段の儀式のように蝋燭に火をつけたりお香を焚いたりする。
ようは、幸太の生霊だかなんだかを呼び出して抱いてもらう―――そして幸太の魂が身体に戻るとき
その記憶は消えてしまうのだけど、呪々を抱いた事実が深層心理に働きかけて呪々との距離を縮めることになる
―――という面倒くさい設定を持った儀式なのだが、
言ってしまえば自慰という恥ずかしいことをする理由付けのようなものだ。
儀式なのだから仕方ない。その程度のものに過ぎない。
………でも、それもどうでもいい気分だった。
今はそんな建前など忘れて、ただ好きな男の子に愛されるユメを見ていたい。
僅かな毛さえ生えていない未熟な秘所を、何度も擦る。
その度に熱い吐息が声帯を震わせて、自然と喉の奥から生臭い声が漏れる。
幸太くん。
幸太くん。
幸太くん、幸太くん。
幸太くん、幸太くん、幸太くん幸太くん……。
何度も何度も彼の名前を呼ぶ。
返事はない。想像の彼はにっこりと微笑んでくれるけど、優しく名前を呼んでくれるけど。
本当は―――目の前に彼の姿はないし、鼓膜を震わせるものは寂しい少女のあられもない声だけだ。
愛しくて、寂しくて、呪々はますます小さくなってしまいそうだった。
呪々のから揚げを美味しいと言ってくれた幸太。
呪々の消しゴムを拾ってくれた幸太。
おう、おはよう黒妻と挨拶してくれた幸太。
教科書見せて、と授業中肩と肩が触れ合うくらいに近づいてきたときは、本当に死んでしまうかと思ったものだ。
どうして無視されてしまったんだろう?答えはない。その答えが何よりも恐ろしい。
常識で考えればわかることだ。こんな暗くて、ちんちくりんの女の子なんか嫌いになって当然だから。
ただ、それを―――幸太に言われてしまったら、きっと、自分は生きていけないと思った。
だから今、こうして自分を慰めているのだ。
くだらない呪いに望みを託して、浅ましく快楽を貪っている。
胸がくるしい。
呪々は泣いていた。
泣きながら、自分を慰めていた。
恋するオカルトマニアはただの少女になって、
愛しいひとの名を呼びながら、果てた。
「―――こうた、くん……」
その声が届かないことを、呪々はちゃんと知っていたけれど。
昆虫の羽音のような低いバイブ音が響き、くったりと弛緩していた呪々はびっくりして跳ね起きた。
携帯電話だ。
鞄の中に放り込んでそのままになっていたそれを―――濡れた手はティッシュで乱暴に拭いて、つまみ上げた。
液晶画面に浮かび上がった相手の名前は―――。
「……清芽ちゃん?」
『あ、もしもし?呪々?』
おせっかいで優しい、一番の友達のものだった。
コールに出てしまってから少しだけ後悔した。
呪々は今さっき自慰で果てたばかり。身体がだるくって何をするにも億劫な状態だ。
清芽のことは好きだけど、この元気さに付き合えるのも時と場合ってものがある。
「……ごめん、清芽ちゃん。ぼく、今」
『いや、すぐ終わるから!ちょっとだけ聞いて!』
なんだか清芽は興奮しているようだ。いつもより1.5倍くらいテンションが高い。
呪々は面倒くさそうに聞き返した。
「なに?」
『呪々さ。今日の帰り、小岩井にシカトされたんだって?』
「………………」
何も言わずに通話を切ろうかと思った。
そりゃあ事実だ。幸太に無視されてしまった。だから呪々は落ち込んでいるのだ。
恋するオカルトマニアの世界は好きな男の子の態度ひとつで簡単にくるくる表情を変えるのだから。
でも、その事実をわざわざほじくりかえすことはないんじゃないかなぁ?
だいたい、そのことを一体誰から清芽は聞いたのか。もちろん呪々は言ってない。
………ん?と、言うことは。
『いや、呪々の様子がおかしかったから小岩井に電話してみたんだけどね。まぁ、ビンゴだったわけだけど。
それで、呪々。話変わるんだけど、例のラブレター今持ってる?なくしたんじゃない?』
ラブレター?
呪々は少し考えて、すぐ気が付く。あの黒いラブレターのことか。
呪々が一生懸命書いて、呪いを込めて黒く塗りつぶして、でも恥ずかしくて渡せなかったあのラブレター。
……あれ?
そういえば、あれ、どこへやったっけ。
一番最後に見かけたのはこの間の昼休み、清芽に見せて―――幸太がから揚げを褒めてくれて、呪々が倒れて。
………………………。
…………………。
……………。
………片付けた覚えがない。
『あれ、小岩井が拾ってたらしいんだわ。あたしが呪々を保健室に連れて行ったあと、
なんじゃこりゃあって感じで』
―――。
「えぇぇぇぇええええええぇぇぇぇぇ!!!?」
呪々は絶叫した。
あんまり大きな声が出せない呪々だけど、今回ばかりは絶叫した。
あれを?幸太が?拾った?ウソ。え、嘘!?
『で、裏に小岩井幸太くんへって書いてあったから、まぁ拾った手紙読むのもアレだったけど自分宛だし、
興味が勝って結局その』
「………読んじゃったの?」
『うん』
呪々は気絶した。気絶して、二秒ほどして意識を取り戻した。
もう夏が近いとはいえ、限りなく全裸に近いこの恰好で朝を迎えたら風邪を引いてしまう。
それに気絶している場合ではない。
読まれた。あの、黒いけど内容は普通に恋を綴ったラブレターを。
………………。
ぷしゅう、と一瞬にして脳味噌が沸騰する。
赤くなったり青くなったりしている呪々を知ってか知らずか、清芽は続けた。
『―――で、まぁそういうわけ。読んで、呪々のことが気になってたんだけど、
面と向かって声かけられたのにびっくりしてつい、そのまま帰っちゃったんだって。
悪かったって言ってたよ。ああ、それから明日、放課後ちょっと残って欲しいらしいんだけど。
―――呪々、もちろん予定はないよね?』
清芽の声のトーンが若干高くなっている。にやにやとした顔が目に浮かぶようだが、
呪々にはそんなことを意識している余裕はなく、あまりの展開の飛びっぷりに目を白黒させている。
待て待て待て待て。
と、いうことは、何か。
呪々は、幸太に嫌われたわけではなかったということか?
そして―――なんだって?放課後?残ってくれ?
ラブレターで告白された相手にわざわざ―――そんなことを伝えるということは。
え。え。え?
ど、どういうこと?
『………ま!ここから先は若いもん同士でよろしく!!って感じ?あたしからはそれだけ!
それじゃあ呪々。明日、頑張りなさいよ!!』
それだけ言って、清芽は一方的に通話を切った。
と、思ったらメールが来る。女の子らしい、やたら顔文字の多い激励メールだ。
本当に、おせっかいで―――優しい、親友だった。
「………………」
呪々は―――目を瞬かせた。
未だに現状の把握ができていない。
どうしてこんな、奇跡のような出来事が起きたのか、さっぱりわからない。
わからない?
そんなことはない。
呪々はその原因を知っているはずじゃないか。
たとえ幸太に想いを伝えたのが、呪々が一生懸命書いたラブレターだとしても。
たとえラブレターを幸太が拾ったきっかけが、呪々のから揚げに釣られて空腹の幸太が寄ってきたことであったとしても。
たとえ幸太に惹かれたオカルトマニアが、ただの小さな女の子だったとしても。
奇跡なんかじゃない。不思議なことなんて何もない。どこにでもあるような恋の物語でも―――。
これは―――きっと、呪いがきいたのだ!
呪々の恋するオカルトパゥワーが奇跡を呼んだのだ!!
そうだ!そうだ!きっとそうに違いない!!!!
呪々は混乱の極みの中、握り拳をつくって立ち上がった。
ハイル・オカルト。
ジーク・オカルト。
とりあえず、明日の放課後は呪術礼装であるこの恰好で!!
コイノロウ~新ジャンル「オカルトバカ」妖艶伝~ 完
最終更新:2008年07月15日 23:32