ワンダーランドでつかまえて

魔獣と人間との問題解決は勇者に任命されたときからのヒロトの仕事である。
もっとも解決といってもその実態は人間に害をなす魔獣を倒すこと。死山血河を渡る命の奪い合いに
終始していたのだが、魔王と知り合ってからは交渉という平和的手段を取るようになった。
というか、平和的手段を取りたかったから魔王と知り合いになったという方が正しいか。
なにせ相手は魔獣。人間より強く、人間より高い種族である彼らには、基本的に人間の言葉は通らない。
言葉が通じない、という意味ではなく、聞く耳を持たれない、という意味で。こちらが交渉の相手たりえる、
魔獣並みの力を持っていると相手に分からせるには剣を使わなくてはならないし、そうなったらヒロトは
完全に外敵扱いだ。結局、話の通じる相手ではないのである。
なら話の通じる相手を連れてくればいい―――と、そういうわけで彼は魔王と戦い、そして勝利したのだった。
種族によってその地位が露骨に変わるのが魔族という生き物だ。その頂点たる魔王を連れているとなると、
これはもう最強クラスの交渉カードである。逆らえるものなど誰もいない。最終的に従わせることは容易であり、
こっちは譲歩するだけでいい、とそれくらいの反則っぷり。
既に交渉というシロモノではない気もしないでもないが、一応ヒロトはこれまで上手くやっている方だろう。

それもこれも、魔王たるリューがヒロトと行動を共にしてくれているからなのだが。
………そのリューはどこに行ったのだろうか?

「畑の周りの探索を任せたから、遠くには行ってない筈だが……」

外に出ると、そこには相変わらず気の抜けるような青空が広がっていた。
ピーターの畑は、農業に関して素人な魔導師が無骨なゴーレムを使って耕したものであると知っているために
さっきより大分粗が目に付いてしまうが、それ以上にピーターの目的を教えられたために素晴らしいものだと
感じる。ゴーレムによる自動生産プラントの卵。天気によって、風によって顔色を変える畑を管理するのは
大変に難しいことだけれど、それを『術式』として確立できればどれほどの偉業となるだろう。
ピーターには是非頑張ってもらいたいところである。
が。

「その研究の邪魔をする不届きなワーラビットがいる、という話ですわよね」

そのワーラビットは畑を荒らすばかりではなく、ピーターが屋敷を離れている間にこっそり屋敷に忍び込み、
私物を漁ってこっそり持ち帰るというからまるっきり泥棒だ。
街道近くの森に棲み、旅人を襲って金品を奪うオークの盗賊団じゃあるまいし。
こんな辺鄙な場所じゃ魔族をも相手にするような商売根性逞しい商人の換金ルートも確保するのは難しい。
というか、羽毛布団くらいならまだわかるが……いったいワーラビットが
ピーターの写真を持っていって何に使うというのだろうか?
謎である。

「……ま、捕まえてみればわかることか」

ヒロトがじっ、と畑の彼方を睨みつけると、ピーターは静かにかぶりを振った。

「いえ、ヤツを侮ってはいけない。ヤツはこの辺じゃ『影無し』と呼ばれ恐れられているんです!」
「か……『影無し』……ですって?」
「その通り。ヤツは姿を見せた瞬間には既に彼方に逃げ去っているというほど逃げ足が速いんです……!」

こめかみに戦慄の冷や汗を流し、掠れた声で呟くピーター。その形相にヒロトたちも思わず息を飲む。

「………まあ、『影無し』というあだ名は今自分がつけたんですが」
「アドリブですか!」

ローラのツッコミに頬を照れながら掻くピーター。どこか気合の入らない青年だった。

「ですが……なるほど、確かにワーラビットといえば俊足の持ち主。臆病な性格で、
その耳で戦士の足音を聞くや一目散に逃げ出すという魔獣です。ピーターさんのゴーレムはもちろん、
ヒロトさんもあまり積極的に動くべきではないかも知れませんね」

ジョンが冷静な口調で言い、頷く。なるほど確かにごついストーン・ゴーレムや戦士の硬いブーツで足元を
固めているヒロトがあちこち動き回っては標的のワーラビットに警戒されてしまうことは避けられないだろう。
ということは、ワーラビットの捜索は軽装のローラとジョンの二人だけで行うということになるか。

「とんでもない!」

と、そこでピーターが声を上げた。何事か、と目を瞬かせるヒロトたちに、ピーターはもの凄く紳士的に胸を張る。

「自分は腐ってもキャロット家の魔導師、ピーター。女性ばかり働かせて自分は高見の見物などできません!
ようはゴーレムを連れていなければいいのでしょう?ならば自分もお供しましょう。もとよりこれは
自分の畑の問題で、皆さんは厚意で手伝ってくれているのですから、
それに甘えっぱなしになるわけにはいきません。おらが畑はおらが護る!」

一同はおー、と思わず拍手しそうになるが、同時に首を傾げてしまう。女性ばかりって、ジョンは?
しかしすぐにあー、とうなじの辺りをぽりぽり掻きたくなった。というのもこのジョン・ディ・フルカネリ、
見た目が少女と見紛うばかりの美少年なのである。というか容姿といい、小柄な背丈といい、
齢14、15の女の子にしか見えない謎の生き物っぷり。そういえばクシャスの町で
温泉に入ろうとしたときも番頭さんに必死で止められたっけ。
まぁ実際のところ脱いでみれば一発で男性だということは証明できるのだが、
ここでそれをするのはかなり嫌だった。ローラもいるし、ジョンにそんな趣味はないし。

それによく考えてみればピーターはゴーレム使いの魔導師であり、
そのゴーレムを目立つために連れて行けないということはいったい彼がどれほど役に立つのだろうか。

「失敬な。自分はこれでもラルティーグで修行を積んだ魔導師ですよ!?確かにストーン・ゴーレムより
性能は劣りますが、土に直接魔力を叩き込んで練り上げるクレイ・ゴーレムくらいは
いつでも喚ぶことができるのです!」

ピーターは憤慨したように言うや否や、バッ、ババッ!と怪しい拳法じみた構えを取り、
しゅばばっと身をかがめて地面に掌をつけた。
その手がにわかに淡く発光し、めり、めりり、と地面が割れて地下からゴーレムが飛び出す。
ピーターの得意とするストーン・ゴーレムをそのまま小さくしたような姿の小型のゴーレムだ。
小型の………。
小型………。

「か、可愛いですわね」

ローラが困ったように口元を引きつらせるのも無理はない。
そのゴーレムは、ヒロトたちの中で一番小柄なジョンよりもさらに小さい。というか、ジョンの半分ほどの
大きさしかなかった。発案には素晴らしいものがあっても魔導師としてはどうしても腕利きとは言い難い、
というか平凡以下のピーターらしい。
しかし、ここで断っても変に正義感のあるピーターのこと、無理にでもついてくるに違いない。
ええい、面倒くさい。

「………よろしくお願いします」
「任されましょう!」

実際の戦力ではピーターが最下位につくのは間違いないだろうが、探している相手がワーラビットなら、
むしろジョン一人でもお釣りがくるだろうというものか。
………もっとも、戦うのと捕まえるのはまた別の話。一撃で相手を麻痺させるジョンの“霊拳”であろうとも、
当たらなければ意味がないし、足元を電磁力によって弾けさせて高速を得るローラの“雷刃”であろうとも、
あくまでも加速は一瞬であって、出会った瞬間背を向けて逃げられたら追いかける手段にはならない。
ワーラビットという魔獣の性質上、エンカウント&ランは十分ありえる話だった。


「と、いうことは。ワーラビットを探すというよりも、まず先にリューたちと合流する方がいいのかな」

ヒロトはさり気無くジョンの傍まで近寄って、そう囁く。ジョンも頷いた。
捕まえるのが困難なら、こっちから呼びつけてしまえばいい。幸いそれができそうな仲間が彼らにはいる。
魔王リュリルライア―――彼女なら、ワーラビットに言うことを聞かせるくらい簡単なはずだ。リューとリオルが
今どこにいるか知らないが、手分けして探せば簡単に見つかるだろう。ピーターにまた適当な説明を
しなければならなくなるが―――勇者であるというのならともかく、旅の仲間に魔王がいるというのはいかに
ピーターが気のいい青年であっても明かすことができる秘密ではないのだ。

「まだお仲間がいるのですか?」
「あ、ええ。あまり大勢で押しかけるのも迷惑でしょうから、この辺りで待つよう指示をしたのですわ。
魔獣に詳しい魔法使いが一人と―――ええと」
「―――ボクの助手が、一人」

きょとんとしたピーターに、苦笑いしながらそう返す。ものは言いようだ。
確かにリューは世界で一番『魔獣に詳しい魔法使い』には違いないし、
リオルだって手伝うというより邪魔する方が得意であってもジョンの『助手』で間違いない。
ピーターはわかったようなわかっていないような顔をして、

「……もしかして、その方たちも女性では?」

と訊ねた。また紳士論を語る気だろうか。でも正直あのリューがいればそこらの魔獣や盗賊はおろか
聖堂騎士団の本隊が襲い掛かってきても返り討ちにしてボロ切れのようにしてしまうだろうし問題はないと思う。
一応頷いておくと、ピーターは予想に反してすいっと腕をあげると遠く、何かを指し示した。

「―――先程から畑の向こうに赤い髪の女性が浮いているんですが、もしかしてその方でしょうか?」

赤い髪。というとリューか。
ヒロトたちは揃ってピーターの手が示している方向に目を向けた。畑の向こうに―――ああ、いた。
遠いが目立つ、炎のような赤い髪をなびかせ見えない地面に立っているように仁王立ちになってこっちを見ている。
ニヤリと笑う、その少女には確かに見覚えがあった。リューである。

「………なにしてるのあの娘」

ローラが呆れたように呟いた。リューはニヤニヤとこっちを見ているだけで、全然動こうとしないのだ。
むしろ来いということか?とヒロトたちが思い始めた頃、リューはさらに笑みを深く―――邪悪にして、
ばっと掌をこちらに向けた。
その空間が、ゆらっ、と波紋が広がるように歪む。
極限まで圧縮された魔力が空間を歪めることによって発生するその波紋は―――名を“天輪”という、
魔王にのみ可能なほどの絶対攻撃……!

「なにしてるのあの娘!」
「伏せろ!」

ヒロトが叫び、いまいち飲み込めていないピーターを突き飛ばして背中の剣を抜き払う。
リューはきゅうっ、と唇の端を吊り上げ、そのまま魔力波をぴゅん、と放った。
光の矢のようなそれは触れれば辺り一面を焼き払う破壊の結晶だ。ヒロトはそれを弾き、打ち返す。
軌道を大きく変えられた魔力波はそのまま緑の平原の一角に落ちてゆき、―――爆発を起こした。

「う、うわぁあ!?」

ピーターが驚いて声をあげる。それは驚くだろう。平原に大きなクレーターができてしまっている。
もし直撃すれば命はない。身体がばらばらになってしまう。

「リュー!」

ヒロトが咎めるように大きな声をあげると、リューはくるりと背を向けてふよふよと飛んで逃げていく。
なんなんだ、一体。

「……別行動をさせられた腹いせかしら」

ローラの呟きを聞いたのか聞いていないのか、ヒロトは剣を手にしたまま怒ったように言った。

「リューを追いかける。なんのつもりだ、あいつ」
「行ってらっしゃいませ。あ、私の分の拳骨は二発でお願いしますわ」

頷き、眉を吊り上げてヒロトは跳んだ。“豪剣”によって身体強化された脚は地面に足型を残し、
ひと蹴りで彼方まで跳躍する。その脚力にピーターは目を剥いたが、ジョンとローラは今さら
特に驚くことでもないので伏せた時についた土をぱんぱんと払っている。まったくもう、とか愚痴りながら。
……というか、直撃すれば明らかに即死するような攻撃を受けてなお平然としているローラたちの神経に
ピーターは驚いて声も出ない。それを弾き返したヒロトは、まあ彼はさっきピーターのストーン・ゴーレムを
あっさり斬ってのけたから只者ではないとわかっていたが、詠唱も何も無しであんな大穴を穿つほどの
攻撃魔法を放つ少女もピーターには計り知れない存在である。
っていうか、仲間じゃないのか?なんで殺そうとする?

混乱しているピーターをよそに、ぷりぷり怒っているローラたちは「あ、」と声をあげた。
その視線の先にいるのは―――。

「うんうん、リュリル―――じゃなかった。『ハートの女王』様はちゃんとヒロトを誘い出せたんだね」
「リオル?」

いつの間に近づいてきたのか、ミント・ブロンドの髪を持つ少女が畑を挟んだ向こう側にいた。
活発そうな容姿をした彼女は紛れもなくジョンの助手にして灼炎龍リオレイアの魂と賢者の石を
その身に宿すドラゴン娘、リオルである。
しかしどう見てもリオルなその少女は慌てたように首を振った。

「違う違う。今のあたしはリオルじゃなくて『ワンダーランド・プロジェクト』の『チェシャ猫』なんだよ!」

リオルは手をついて獣のような四足の体勢になると―――ばさ、と翼を広げた。

「リオル!?」

龍化である。リオレイアの『肉体』―――勇者ヒロトによって破壊されたリオル本来の身体と同じ
赤銅色の鱗を纏ったその姿は半人半龍、リオルの戦闘形態だ。魔力の消費が激しいために以前は
数十分も維持することができなかったその変身も、賢者の石が変質してからは自由にできるようになった。
……もっとも、大技を連発すればやっぱりすぐにバテてしまうのだが。

「リオルじゃないって!『チェシャ猫』!」

おとがいを反らし、ひゅうっ、と大きく息を吸い込んで―――、

「明後日に向けて必殺!火龍烈火吼(デラ・バーン)!!」

―――火球を放った。
うわ、と身を伏せるも、その軌道は勝手に逸れて遥か遠くで爆発した。

どどん、と地面を揺るがして立ち上る炎の柱にまたもピーターは愕然とした。ぱらぱらと破片が飛んできて
足元にぶつかる。冗談じゃない。さっきのヘンな恰好の少女もそうだが、
あんな攻撃魔法、ピーターのストーン・ゴーレムでさえ一撃で木っ端微塵だろう。
完全に、殺しにきている攻撃である。
間違いない。
ピーターは悟った。
彼女たちは仲間じゃない。
何かが、ローラたちの仲間に化けているのか―――もしくは……。
まずい、このままでは全滅だ。
その前に。
元凶を倒さなければ。

「リオル!危ないじゃないですか!!」
「ひゃあ、違、違うってばジョン―――じゃなくて。ええと?ふは、ははは。悔しかったら
ここまでおいで―――と。ああ、リュリルライア様。これってやっぱり無茶な気がしてきました!」

よくわからないことを口にして、リオルはばさばさと飛んで逃げようとする。

「ローラさん、電撃を!」
「了解ですわ!」

ジョンがこめかみをひくつかせてズレた眼鏡を直し、ローラも怒りを隠さない形相でギリギリと奥歯を鳴らした。
リューには絶対防御の魔法障壁があるためヒロトにしか相手はできないが、
相手がリオルでこの距離なら彼らにも『撃つ』手はあるのだ。
ジョンはぱきぱきと指を鳴らすとすっと手を重ねて逃げるリオルに向け、
ローラは腰に差している愛剣ボルテックを抜き払い、やはり切っ先をリオルに向ける。

「【閃き奔れ】!」
「“雷刃”!」
「わひゃぁ!?」

ジョン、そしてローラの放った二筋の稲妻は絡み合い一筋の光線(ビーム)となってリオルに―――避けられた!

「くっ!ローラさん―――いえ、ここに残ってください!ボクはリオルをとっちめますから!」
「任せましたわ!拳骨は三発で!」
「ええ!?ちゃんと外したじゃんかぁ!」
「帰ってきましたわ!“雷刃”!」
「危なッ!ローちゃん、掠ったよ今の!」
「チッ!ちょこまかと!」

ローラは目を三角にして怒り、ジョンはむしろ薄く笑顔さえ浮かべて追跡体勢に入り走り出している。
リオルはしばらくローラの稲妻に抗議していたが、すぐにわたわたと空中で手足をばたつかせて再び逃げ出した。
ジョンが怖い。口は三日月、眼鏡がキランと光って瞳が見えないがきっとそこだけ笑っていないに違いない。
リオルを撃ち落とすための攻撃魔法をびゅんびゅんと放ち、リオルはそれをひょいひょいと躱しながら、
やがて二人は森の中に消えていく。

あとには肩を怒らせてビリビリと帯電しているローラ、
そして何やら真剣な顔で考え込んでいるピーターが残された。
ピーターははっとなる。ヒロトはリューを、ジョンはリオルを追いかけていってしまった。
これは、まずい。

「いけない!お嬢さん!」
「なんですの?」


ピーターの叫び声にローラは振り返った。まだ目が据わっている。ピーターは正直ちょっと怖かったが、
すぐにブンブンと首を振って気を取り直した。そうして、続ける。

「彼女たちはきっと操られているんです!」
「…………………………………………………はぁ?」

ローラは怒りも忘れて間抜けに口をぽかん、と開けた。

「おそらくは自分の命を狙う何者かの仕業でしょう。自分に近づいた貴方たちを自分の仲間だと思ったのか、
同士討ちというこのようなこすい真似を……ッ!」
「あ、いえ。あの、それはないと断言できますわ……よ?」

ピーターはあずかり知らぬことではあるが、リオルはともかくリューにその手の呪いは一切通用しない。
精神操作であろうと身体破壊だろうと確率変動だろうと、リオルの持つ膨大な魔力が干渉しようとする『呪い』を
踏み潰してしまうからだ。毒も薄めれば無害となるのと同じ。彼女に呪いをかけようとするなら、
歴史に名を刻まれるような使い手がちゃんとした方陣、いや神殿を築いて三日三晩の詠唱を経て全魔力を費やして、
やっと石につまずいて転ぶくらいに運気(ラック)が下がる程度といったところか。
リューに魔法戦を挑もうなどというのはそれくらい、考えるだけでも馬鹿馬鹿しいことなのだ。

が、それをピーターに説明しようとするとこれが非常にややこしい。
だいたい人間にそんなレベルの魔法使いなんかいるわけないし。

「では、どうしてお仲間が貴方たちを殺そうとするのです!?」
「殺そうとって、あ、あー……」

普段のべらぼうにハイレベルな世界にいると結構慣れていたりするのだが、考えてみればそういう風に
見えなくもない。ローラはぽりぽりと頬を掻き、しかしまあ、別に気にすることもないか、と思った。
なにせ。

「―――あの方に聞けば、きっと何かわかるでしょうし、ね」
「え?」

ピーターが振りかえる。
長い耳がゆらっ、と揺れた。
畑を囲う柵の上。
ほんの少ししか足場のないそこに、とん、とよろけもせずにまっすぐに。
静かな瞳でこちらを見つめて、彼女は立っていた。
ローラは知らず、ピーターは知っているその少女は件の魔獣。

ワーラビット。

ピーターの畑を荒らし、屋敷に忍び込んで盗みを犯した少女が、そこにいた。



内心めちゃくちゃにビビッていた。

(な、なんかまだいるですよぅ魔王サマぁ~ッッ!!)

リューとリオルが(勝手に)立てた『ワンダーランド・プロジェクト』の内容はこうだ。
ピーターのことが好きなアリスのために、ピーターとアリスを二人っきりにしてやるから、好きだって言え。
………。
身も蓋も中身もない作戦だった。

実はこの作戦、裏にリューとリオルもそれぞれ想いを寄せる相手と二人っきりになりたいという暗黒面があり、
むしろこっちが本命だったりするのだが、まぁそもそもオトメ経験値の低いくせにオトメちっくハートは
天災並みの局地的タイフーン壱號と弐號からマトモな案が出るわきゃあねぇのである。
しかもこのプロジェクトには誰が見ても明らかな落とし穴があり、それがローラの存在だった。
リューがヒロトを、リオルがジョンを引き付けるのはいいとして、それでは一人余るのは自明の理。
ちなみに二人はローラの存在を忘れていたわけではなく、お互いが
ローラを何とかするものだと思っていたというスレ違いが生んだ悲劇であることを明記しておく。
まぁ、どんな勝手きわまる作戦であろうと単なるワーラビットに過ぎないアリスにとって
魔王たるリューと火龍のリオルは見上げても霞んで見えないほどの上位魔族であり、
簡単に言えば『死ね』と命じられても二つ返事で死ななきゃ以下略。
つまり絶対服従、無条件降伏の相手だということである。
アリスに口を挟むなんて大それた真似、できる訳なかった。

かくして、哀れ『ワンダーランド・プロジェクト』の『白ウサギ』ことアリスは只今絶賛大ピンチ。
だってなんか残ってた女の人(ローラ)が金色のツインロールを帯電させてこっちを睨みつけている。
アリスは魔法もロクに使えない、正真正銘の下級魔族だ。
身体能力は一応人間のそれを凌駕してはいるものの、それは身の軽さ、すばしっこさに限った話。
腕力はといえば外見通り女の子の細腕に見合った分の力しかない。戦闘経験なんてもちろん皆無なので
常に逃げの一手である。それでもあの怖いビリビリ少女(ローラ)の放つ電撃から逃れられるかどうかわからない。

「―――そうか。貴様か、ワーラビット」
「はぇ?」

心底帰りたい、と心の中でため息をついていたアリスは突然の殺気立った声に驚いて
思わずバランスを崩しそうになった。
声の主―――低い、押し殺したような男の声。
考えなくてもわかる。この場に男は一人しかいないのだから。

「ピーターさん?」
「……お嬢さん。下がっていてください。このケダモノは、自分が相手をします……!」

ローラを手で制し、ざ、と一歩前に出た。その青年はピーター・ベンジャミン・キャロットという。
アリスが密かに想いを寄せていた彼が、今、アリスを仇敵を見るような視線で睨みつけていた。
アリスはもちろん、慌てて両手をばたばたと振る。

「ちょ、ちょちょちょ、ちょ!ちょっと待ってくださいよぅ!何ですかそのマジぶっ殺スな目はぁ!
あたしはですね、ただ……」
「ただ―――なんだというんだ?自分の客人を貶め、操り、同士討ちを狙うような悪党が。
今さらなんの言い訳をする?」
「なぁっ………!?」

話がものすごくこじれているのを感じた。
断っておくがこの『ワンダーランド・プロジェクト』とやらの立案に於いてアリスはまったく、これっぽっちも、
魔王に誓って関与していない。というか、させてもらえなかった。する余地もなかった。気力も無ければ
根性もなかった。しかしそれでもアリスを責めないで欲しい。作戦を立てた相手を思えば詮無きことだろう。
それにリューたちの言う『呼び出し』がまさか魔力波や火炎球をぶっ放すことだとは夢にも思っていなかったのだ。
アリスの淡い恋を応援してくれるというから何かしらのサポートをしてくれるのかと思ったら、
むしろ積極的に破壊しているような気すらする。アリスは今や半泣きだった。

「誤解ですよぅ!あたし、そんなことはしませんってば!」
「問答無用だ!『メタル・ゴーレム』ギガントール―――起動!!」

ピーターが鋭く叫ぶと、屋敷の隣、納屋の屋根を貫通して巨大な腕が突如として生えた。
ぱらぱらと破片が飛んでくる。突然のことにアリスとローラは声も出ない。
絶句していると、その腕はばきばきと納屋の屋根を破壊するように押し上げて、ぶん、と放り投げる。
茅葺きとはいえ、その重量は半端ではないはずの屋根は紙細工のように飛ばされてぐしゃっ、と潰れた。
そして―――納屋に格納されていたそれは、ゆっくりとその身を起こす。

「―――な、なぁっ!?」
「なんですのアレは……!?」

………それを、一体なんと形容すればいいだろうか。

巨大な、ゴーレムである。
ピーターが普段操っているゴーレムも大きかったが、これはさらにその三倍ほど大きい。
黒に近いほどに深い、青みがかった甲冑のような鋼鉄のボディからは無骨で逞しい手足が伸び、
顎とたてがみが目立つ頭部からは雪だるまに指したにんじんのような尖った鼻が突き出ていた。
見るからに鈍重そうな、しかし力強く、頑健なる鉄(くろがね)の巨人。

その暗い双眸が光を放ち、巨人―――ギガントールは跳躍した。

「わ、わっ!?」

そしてピーターの背後に着地する。その衝撃ときたら、地面が揺れて傍にいたローラが
一瞬宙に浮いてしまうほどだった。アリスもとても柵の上に立っていられず、
たまらず地面にひっくりかえってそのままぺたん、と座り込んだ。

なんだアレは。

「ギガントール……できればお前はもう二度と起動することなく、納屋の中で眠り続けて欲しかった……」
「だ、だだだ、だったらずっと眠らせておいてくださいよぅ!!」

腰の抜けたアリスが必死に叫ぶ。

「それはできない。自分は今一度このメタル・ゴーレムを使って悪を討つ!」
「だからあたし何にも知らないんですってばぁ!!」

ローラはぽかん、と口を大きく開けて声も出ない。
それはそうだろう。こんな規格外のゴーレムが出てきたことにも驚きだが、それを操作しているのが
あのピーターなのだから。彼女の仲間たちが分析したピーターは半人前もいいところの魔導師で、
碌なゴーレムを操れなかった筈なのだ。
だが忘れるなかれ。彼のストーン・ゴーレムはあくまでも畑仕事のため、
しかも複数操作を前提とした石人形であることを。
それは両手で絵を描く行為に似ている。絵筆を持ち、右手と左手で同時に絵を描こうとすれば、
どうしてもその絵は雑になるか、単純なものになってしまう。慣れていないならなおさらだ。
そんな隠し芸のような真似をして描いた絵を見て、どうしてそれがその人が持つ画力の全てだと笑えるだろう?
ピーターが先程、素体のない状態で練り上げたクレイ・ゴーレムにも同じことが言える。もともとゴーレムは
その場で作り使役するものではなく、前もって人形を用意しておき、それに魔力を通して動かすのが常なのだから。

そう、たとえば。
魔道技術の先進国であるラルティーグの研究室で開発した機体があり。
彼の持つ全ての魔力を一点集中して注ぎ込めるのであれば。
もしかしたら、再現できるかも知れないではないか。


―――かつてピーターの先祖たちが使役したという、27体のゴーレム。
戦火に飲まれ、侵略を受けたこの小国を見事に護り抜いたという、伝説の『鉄人』を―――。


「往けギガントール!お前が28体目の『鉄人』となるんだッ!!」

ギガントールは大地を踏みしめ、ガタガタ震えるアリスに迫った。
ギガントールは見た目の通り、すばやく動くことができない。だが機動性がない分、その腕力は岩石さえも
軽く粉砕してのけるほど。術者ピーターの指示にもよるが、おそらくはドラゴンとさえ格闘し、
殴り倒すことが可能だろう。その鋼鉄の拳の前には腰を抜かしたワーラビットなど塵とも埃とも変わりない。

「………………………む」

ピーターは震えるアリスを憐れと思ったか、眉をしかめ、言った。

「ワーラビット。命が惜しければお嬢さんのお仲間たちにかけた術を解くんだ。
今までの悪さを反省し、もうしないと誓うなら許してやる」
「あ、あぅ、あぅあぅあぅ」

アリスは歯の根が合わずに返事ができない。しかし、力の限りを振り絞ってブンブンと首を振った。
無理もない。アリスは本当に何もしていないのだから。そりゃあ今までは盗んだり落とし穴掘ったりはしたけど、
それだって、恋する女の子のおちゃめの範囲内だし。
それを知らず、決裂ととったピーターはギリリ、と奥歯を噛み締めた。

「……そうか。正義のためとはいえ、キミのような女の子を殺めることになろうとは―――残念だ」
「あうぅぅうううぅぅ!!」
「―――ギガントール!ハンマーパンチだ!!」

鋼鉄の巨人は主人の命令に従い、大きく腕を振り上げた。

「あ、ちょっ、待ってくださいまし!」

呆然としていたローラがはっと正気を取り戻し、静止の声をあげる。
が、もう遅い。ギガントールは文字通りの鉄拳を小さなアリスに叩き込もうと、全体重をかけて―――


――――――柔らかい畑の土に足を陥没させてすっ転んだ。


「ギガントォォォォォォォォォォォル!!!!」



ヒロトはついさっきまでリューにお仕置きの拳骨をくれてやるべく、森の中を疾走していた。
しかし気付いてみれば急に辺りに濃い霧が立ちこめてきてリューの背中を見失い、
それでも“豪剣”によって研ぎ澄まされた聴覚を頼りに何やら物音のする方向に来てみれば―――。
森の木々が切れ、ちょっとした広場になっているそこには、椅子とテーブル、そして二組のティーカップと
ポットが用意されていたのだった。そしてヒロトを待っていたように―――実際待っていたのだろう、
頬を少し赤く染めてリューがスラリ、と立っていた。

リュー。
リューである。
リューのはずだ。

炎のように鮮やかな朱い髪に緋色の瞳。その容姿には見覚えがある。
だが、その服装には見覚えがなかった。

暗闇が染み入る黒と鮮血が脈動する赤。彼女を表す二つの色を豪奢なドレスにして纏っている。
胸元と背中が大きく開きいてぴったりと身体のラインが目立つようなデザインになっており、
スカート部分にはそれこそ腰まで覗きそうな深いスリットが入っている。そこからスラリと伸びた美脚を
際立たせるのは濡れた鴉羽根のストッキング。踵の高い真っ赤なヒールを履いて、
天の羽衣のようにストールを羽織り、金色のティアラをつけたその姿はそれこそ、どこの令嬢かと見惚れるほどだ。
薄い化粧でもしているのか、ルージュを引いたような唇がフワリと緩み、微笑む。
百人の男がいれば九十九人が腰砕けになるような、妖艶さと無邪気さが絶妙に入り混じった笑顔だった。
豪奢で絢爛なローラとはまた違う。光を放つのではなく、吸い寄せるような。
一言も言葉を交わさぬうちに、既に掌の上でいいようにされているような。
そんな妖しい魅惑がそこにはあった。
これが、魔王の魅惑なのか。
いや、違う。そこに禍々しいものは感じない。
今のリューは、彼女は―――

――――――『クイーン・オブ・ハート』。

ヒロトは、そんな、心を蕩けさせるような美しい少女に誘われるようにふらふらと近づき、
とりあえず、拳骨をした。

「痛い!」

頭を押さえてうずくまるリュー。さっきの妖艶さはどこへやら、すっかりもとのリューに戻っている。
まあ、拳骨されてまだ妖艶な流し目なんかしてたら色っぽいどころか面白いけども。

「―――リュー。危ないだろう、いきなり攻撃してきたら」

ヒロトはジト目でリューを睨みつけた。

「って、この恰好を見てまず第一声がそれか!!」

『ハートの女王』のリューが顔を真っ赤にして激昂する。
だがどんな恰好をしていようがヒロトはリューを叱るために追いかけてきたんだし、
まずそれを済ますのが順番として正しいというものだろう。
ヒロトがクソ真面目にそう言うと、ドレスアップ・リューは地面に抉りこむような深い溜め息をついた。

「………………とりあえず貴様の耳を引きちぎって逆さまにくってけてやりたいんだが」
「なかなか似合ってるんじゃないか?リュー」
「遅いわ!!」

カッ!と目を三角にして怒鳴りつける。ヒロトは少しだけ笑ったあと、改めてじー、とリューを見つめ始めた。
その眼差しに膨れていたリューはむむ、と唸り、ふん、とそっぽを向いてしまう。しかしこのドレスは
もともと『普段よりオシャレしてヒロトをドキドキさせよう』という計画で着ているので悪い気はせず、
頬が少し赤くなっているのを自覚する。

「………そのドレス、まさか買ったんじゃないだろうな」
「うぉぉおい!!」

心配そうに言うヒロトにツッコミが絶えないリュー。
リューは頭に漬物石が乗っているような鈍痛を覚え、こめかみを押さえながらひくひくと口の端を痙攣させる。

「………『変化』の魔法だ。服だけしか変化させてないから『変身』といった方がいいかも知れんがな。
貴様のために!前々から温めていたデザインを出してきてやったんだぞ」
「へぇ。お前、なんでもありだなぁ」
「……………貴様……他に言いようはないのか……?」

ぐったりしているリューをよそに、ヒロトは辺りを見回した。
この空間だけ霧が切り取られているかのように途切れ、
その先は真っ白で何も見えない。なんとなくわかる。この霧もリューの魔法のひとつだろう。
そんなヒロトに気付いたリューは、ひらひらとおざなりに手を振って答えた。

「ああ、この霧は特殊な結界でな。内部と外部の位相をズラし、次元レベルで隔離している。
ま、我が創った幻想空間といったところさな。いかにヒロトといえどここから出ることはできぬ。
我が術を解くか、もしくは我を倒すかでもせん限り、な」
「………」

ヒロトは顔をしかめた。
リューがヒロトを誘い出したくて攻撃を放ったのはわかっている。あの魔力波は全然、本気じゃなかったからだ。
それ以前にリューが仲間を攻撃するなんてありえない話だし。ヒロトが弾くとわかって撃ったのである。
拳骨は、それでも危ないことは危ないことなのでお仕置きだ。
それにしても、普通に呼べばいいのになんて回りくどいことを―――。

「―――で?理由を聞こうか」

ヒロトは椅子に腰掛けると、リューの顔を覗き込んだ。
リューは微妙に唇を尖らせて、でも頬はこれまた微妙に赤くして、向かい側の椅子にどっかりと座った。
そして口を真一文字に結び、じー、とヒロトを凝視する。見つめあう二人。

「………リュー?」

リューはしばらくヒロトから目を離さずにいたが、やがて視線を彷徨わせると落ち着きなく手で宙を掻き、
ヒロトにティーカップを渡すと、ポットを傾けてトロトロとお茶を注ぎ込んだ。

「お茶会だ」
「はぁ?」

リオルは自分のカップにもお茶を注ぐと、じび、と音を立ててそれを啜った。

「―――いや、何。とある女の恋路に協力してやっているのだよ」
「………?」
「我とリオルはお前に言いつけられて畑の周囲を探索していたろう。その時にだな―――」

………………………。
…………………。
……………。
………説明終了。

「と、いうわけでお前たちをあの場から移動させる必要があったのだ」
「……ワーラビットのアリス、か。ならこっちの話も解決っぽいな。その娘がピーターの研究を邪魔していたのが
好意の裏返しの結果だとすば、気持ちを伝えることでその必要はなくなるだろうし」

ヒロトはうん、と頷いて、

「しかし、それなら始めにそうと言えばいいのに。それに、俺をここに閉じ込める必要もないだろ?」

と、当然のように眉を寄せた。
そんなヒロトに、もうリューは言い返す気力もない。
べったりとテーブルに突っ伏して、恨みがましい半目でヒロトを睨み上げる。

(本当に、こいつは―――……少しは我と一緒にいようと考えてくれたっていいだろうに……)

やっぱりローラのように山あり谷ありくびれありのスタイルでないと色気に欠けるのか、
とリューは寂しい胸元に視線を落としてさめざめとため息をついた。

「―――ま、いいか。依頼されてた仕事はこれで解決。ピーターも邪なことは考えていない立派な人だし、
キャロット家には後ろ暗いことはなさそうだと報告できる。ワーラビットもリューの方でなんとかしてくれた
ようだから俺の出る幕はないし。―――たまには、リューとお茶でも飲んでくつろいでるのも悪くない」
「……!!」

リューは顔をあげた。ヒロトはすました顔で静かにお茶を啜っている。
リューは何やら頬をむずむずさせると、ヒロトに向き直って自分のカップに口をつけた。
我ながらなんて単純な。しかし、ションボリしていた胸の内が火照ってくるのは止められない。
まったく、公平にはいかないものである。

「ところでドレスは自前として、この椅子とかカップとかはどこから調達してきたんだ?」
「アリスの住処―――家からだ。茶葉も棚にあったから使わせてもらった」
「いいのか?このお茶も高価そうだが……っていうかこれもピーターの家から
盗ってきたものじゃないのか?もしかして」
「さあな。もし仮にそうだとしても我にはあずかり知らぬこと。魔獣のモノは我のモノ。我のモノは我のモノ」
「………お前な」
「む。なんだその目は。ちなみにこのお茶は我が沸かしたモノだぞ。
ふふん、どうだ。我も日々進歩しているのだよ」
「それはご馳走様だな。ピーターに後で謝っておかないと」
「おいこら、我には?我には何にもなしか!」
「アリスとやらにもちゃんと謝っておくんだぞ」
「そーじゃなくてだな!」

ヒロトは笑いながらもカップを傾け、リューは眉を吊り上げてばしばしテーブルを叩く。
そして自分のお茶を倒し、また騒ぐのであった。霧に包まれた小さな幻想空間(ワンダーランド)で、
二人っきりのお茶会は賑やかに、緩やかに過ぎてゆく。


一方、リオルの方はというと。

「………はい。マジスンマッセン。自分、調子乗ってました。ていうか、こいてました。ぶっこいてました」

オデコに大きなたんこぶをつくり、正座してジョンに説教をされていた。もともと追いかけたり襲い掛かったり
迎え撃ったりするのは得意でも、誘い出して罠にはめるのは不慣れなガチバトル専用少女リオル。
追う間隔や僅かな位置の差を変えて追いかけるジョンにまんまと逃げる方向を操作され、
飛びにくい森の中に誘導されたと思ったらジョンの攻撃、カマイタチ。
それを慌てて躱したかと思ったら、風でしなった木の枝が目の前に……。

で、とっ捕まって今に至るというわけだ。

「しかし、リューさんも素直なんだか意地っ張りなんだか……ヒロトさんその辺、
上手くフォローできなさそうなヒトだからなぁ。あんまり期待しないほうがいいんじゃないですか?」
「うーん、でもリュリルライア様は秘策があるって言ってたよ?」
「秘策、ねぇ……」

あんまり期待できないなぁ、と溜め息をついて(正解)、ジョンはジロリとリオルをにらみつけた。
う、とリオルが目を泳がせる。説明は済ませてあるのだ。
『ワンダーランド・プロジェクト』も、ワーラビットのアリスのことも白状させられた。

「話はわかりましたが、そうなるとアリスさんを放任しすぎなのではないですか?
けしかけたのは貴方たちでしょうに」
「うーん。でもこの計画、基本的な方針は『みんながんばれ』だからなぁ……」
「………かわいそうに」

ジョンは彼方を見上げて、会ったこともないワーラビットの少女に同情した。

「だいたいさー、それもこれもジョンがあんまあたしに構ってくれないから悪いんですよ主に夜!」

いや、それは違うでしょ。とジョンは思わないでもなかったが、そうとは口にせず、
キイキイ鳴きながらじたばた暴れるリオルをしばらく見つめて目を細めた。
そうしてリオルが暴れ疲れた頃、ジョンは膝をついてリオルと視線を合わせ、ぽんと頭に手を乗せた。

「ジョン……?」

その慈愛に満ちた瞳に、リオルがぽぉっとした表情で見つめ返す。
ジョンは、僅かに頭を垂れて謝った。

「すみませんでした、リオル」
「え?」
「どうあれ、リオルを不安にさせてしまったのでしょう?なら、ボクは謝らなくっちゃ。
せっかく―――その、魔力補充云々ではなく、恋人としてできるようになったんですからね」

照れたようにはにかむジョン。
そんなジョンにリオルは、リオルは、ああ、もう、リオルはぁぁぁぁ!!

「ジョォォォォォォォン!!!!」
「うわっ、なんです!?リオル、落ち着いて!ここ、外ですよ?ヒロトさんたちだってどこにいるのか!」
「でもそんなの関係ねぇー!」

おっぱっぴー、と奇声を上げて襲い掛かってきたリオルに、ジョンは慌てて

「“霊拳”!」

拳を打ち込んだ。
魔力を相手に注入し、呪いにも似た効果を発動させて一撃で意識を刈り取るジョンの必殺拳“霊拳”。
それは正確にリオルのみぞおちに食い込み、リオルはどこか幸せそうな顔をして倒れこんだ。
あやうく強姦されそうになったジョンは冷や汗の浮いた額をぬぐって呟く。

「とりあえず、夜までは我慢してください、リオル」

その声は、夢の世界(ワンダーランド)にいるリオルには届かなかったけれど。



「ひっく、えぐ、ううぅ」
「よしよし。怖かったですわね。でももう、大丈夫ですわ」

ローラは泣きじゃくるアリスを抱きしめ、その背中をさすっていた。
ピーターの持つ最強のゴーレム、ギガントールのハンマーパンチはギガントールがこけたために
不発に終わったものの、振り上げられた拳そのものはアリスがへたり込んでいた位置からほんの一歩だけ
ずれた場所にめり込んでいる。巨大な鉄鎚が己の身に迫る恐怖、それはどれほどのものだっただろう。
アリスは命拾いした安堵感から泣き出し、ピーターは凶悪犯だと思い込んでいたアリスが見せた
まったく無防備な表情に戸惑い、おろおろしている。そしてアリスがリューたちをどうこうしたのではないと
分かっているローラが、事情を聞くためにアリスを落ち着かせてやっているのだった。

「あ、あー……その、自分は」
「お黙りなさい。そしてこの娘に謝りなさい。誤解があったとはいえ、
無防備な女の子に手をあげるとは何事ですか。この娘への追求はそれからです。
それまで、ピーターさんはそこに正座!」
「はい」

ビリビリと稲妻を飛ばすローラの剣幕に、ピーターは大人しく正座した。志の高い魔導師なのに。
その隣で、身を起こしたギガントールが術師に同調して同じく正座する。再来した伝説の『鉄人』なのに。

「うぅっ、ううぅ、あたし、あたし……魔王サマたちの命令に従っただけなんですよぅ。信じてくださいぃ……」
「………ええ、まぁそれはなんとなく。はぁ。何をやっているのかと思えば本当に何をやっているのかしら。
で?本当は貴方、何をさせられようとしていたのです?」
「………………………」

言われて、アリスは赤くなる。そしてちらちらとピーターを見つめて……俯いてしまった。
ピーター(と、ギガントール)はきょとんとしているが、ローラはなんとなく、その様子を見て気付いてしまった。
ヒロトのような疎いというより『無意識的にわざと考えないようにしている』ようなニブチンじゃあるまいし、
ましてやこっちは同じ想いに身を焦がすオトメちっくハートの持ち主だ。その瞳の揺らめきを知ったなら
なんとなくわかってしまうのは当然といったところだろう。

「あ、あー……なるほど?だからリューさんたちはヒロト様とジョンさんを遠ざけようとして……って私は?」

恋は盲目とはよく言ったもの、ということで。

「なんか釈然としませんわ……」
「あのぅ、その。あたしはこれからどうすればぁ……」

ローラの腕の中で、泣き止んだアリスがおずおずと尋ねる。潤んだ瞳で上目遣いにローラの顔を覗き込む
ウサギ少女はなかなか庇護欲がそそられるが、そんなもんローラには知ったことではない。
リューやリオルのように『魔族と人間の恋路を応援する』という名分も彼女にはないし。
―――だからただ、これだけは聞いておく。

「どうしたいのです?」
「えぇ?」
「貴方は、どうしたいのです?ピーターさんと、どうなりたいのです?」
「………」

それは。

「……………」

ピーターと、仲良くなりたい。

できれば二人で―――仲良く、にんじんを収穫したい。
思い浮かべるのはそんな幸せなイメージだ。この畑で一緒ににんじんを育てて、今日のようないい天気の日に、
見事に色づいたにんじんで籠を一杯にして。泥のついた顔で笑いあって、
その足元に子供たちがじゃれ付いたりして―――。

できるなら、そんな。
夢のような、未来を。

「だったら」

アリスは何も言わなかった。しかし、そんなウサギ少女の表情を見てローラは微笑んだ。
そして立ち上がり、アリスも支えながら立たせてやる。

「その為になることをなさいな。今、ここで、想いを伝えるのが一番でなくてもいい。
貴方の望む未来のためにはまず何をしなければいけないかを考えて、それをなさい。ね?」
「で、でも……魔王サマの命令には」

アリスは、魔族だ。しかもロクな魔力を持っていない、下級魔族。
そんな彼女が、魔王たるリューの命令に逆らえるわけがない。
そんなアリスにローラはやれやれと肩をすくめると、びっ、とその鼻先に人差し指を突き出した。

「私は貴方のことなんて名前も知りませんけどね。貴方の想いはそんなもの?ひとつだけ言っておきますけどね」

アリスは息を飲んだ。
アリスだって、この少女のことなんか名前も知らない。魔王の仲間―――なのだろうか。
それにしては魔王にかしずいていないようだし。なんなのだろう。人間なのだろうか?
それすらアリスには曖昧に感じられた。
この少女、彼女の瞳から感じるこの感じは――――――


「恋する乙女に、不可能はなくってよ?」


――――――魔王。

いや違う。もっと別の『何か』。人間でありながら魔王でもある。アリスは怖いと思った。
小心な自分はこの得体の知れない少女に対し恐怖を感じると思った。しかし、何故だか怖くない。
その不思議な感覚にアリスは戸惑っていた。
アリスがまごまごしていると、ローラはきびすを返してピーターのところまで歩いていき、
まだ正座していた彼を立たせると、すたすたとそのままどこかに行ってしまう。

「あ、あのぅ!どこへ……?」
「リューさんを探しに行くのですわ。ヒロト様と二人っきりなんて、そんな抜け駆け放っては置けませんもの」

その背中に、アリスの声が響く。
ローラは肩越しに振り返って片目を瞑ると、今度こそ振り返らずに森の中へ消えてしまった。

あとには正真正銘、『ワンダーランド・プロジェクト』の予定通り、アリスとピーターの二人だけが残された。
アリスは頬を赤く染めてもじもじと手をせわしなく動かし、ピーターは脚が痺れたようで若干ふらふらしながらも
足についた土をぱんぱんと払っている。ちなみにギガントールはまだきちんと正座していた。

………。

「あー、それで、だな」

間がもたなくなったのか、ピーターはポリポリと頬を掻いた。

「なんとなく、自分の勘違いだったようだから……攻撃してしまったことは謝ろうと思う。すまない。
………しかし、それならキミはいったい何が目的なんだ?」

びく、とアリスは大きくその肩を震わせた。
身体の内に熱いものを感じた。その熱は胸の奥をちりちりと焦がし、アリスの身体を急かし掻き立てる。
アリスはその感覚に覚えがあった。
ピーターを遠くから見たとき。ゴーレムに指令を出して、失敗して。思い切り頭から土を浴びて、
小山の中から顔を出し。なかなかうまくいかないもんだ、なんて。彼が苦笑いしたとき。
ピーターのいつも寝ているベッドにばふっ、と倒れこんで、彼の匂いを胸いっぱいに吸い込んだとき。
彼が育てたにんじんをこっそりとひっこぬいて、一緒ににんじんを育てる未来を想像してしまったとき。
約束の時間に遅れそうでせかせかしているときのように、頭がかーっと赤くなってしまうのだ。
そんなとき、アリスはいつも逃げ出してきた。
溢れて零れそうな感覚のままに脚を動かして、こう、ばびゅーんと逃げ出してきた。

しかし。

今は、それができない。
アリスは火のつきそうな胸の鼓動とは裏腹に、背後に何か大きくて冷たいものがそびえ立っているのを感じていた。
それは燃え盛る炎のような、底の見えない暗い海のような。アリスのようなちっぽけなウサギには計り知れない、
とてつもない何か。それがアリスの頬をゆっくりと舐めるように撫で上げ、三日月のような口で笑う。

―――そうだ、アリス。ピーターと二人っきりにしてやる。その時に、奴ニ想いヲ伝エレバイイジャナイカ―――

そのときの魔王の言葉は何気ない、純粋に恋する少女を応援する言葉として発せられたのだろう。
しかし、それはアリスの小さな心臓に杭を刺す。足元が縫い付けられて動けない。ここでピーターに
背を向けるということは、あの言葉に背を向けるということ。それは彼女にとって自分の血流を
逆に回すことよりも、もっとずっと難しいことなのだ。

「あ、あたしは……!」

でも、今ここでピーターに告白する?そんな。
だって理由はどうあれ、アリスがピーターの畑を荒らしたのは事実で、ピーターの屋敷から家具や衣類や小物を
盗んで持ち去ったのは事実なのだから。そんな自分が、どの面下げてピーターに
『好きです』なんて言えっていうんだ。それよりも前に言わなくちゃいけないことがあるってものだろう。
そう、順番なら、こっちが先だ。告白なんかより、こっちが―――。


―――奴に想いを伝えればいいじゃないか―――

―――恋する乙女に不可能はなくってよ?―――


「あ、あたしはぁっ……!」

アリスはぎゅっと目をつむり、


「色々悪いことして、ごめんなさいぃっ!!」


ぺこん、と頭を下げた。

「………え?」
「あ、いや、その。だから。ピーターさんの畑からにんじんを盗んだり、
屋敷から色々持って行ったり……しました!あたしはっ!だから、だから………ごめんなさいっ!!」

ピーターは呆けたようになり、アリスは長い耳をぶんぶん振り回して何度も頭を下げる。
そう、悪いことをしたら謝るのが当たり前。そこをすっ飛ばして好きも何もない。
魔王サマたるリューは告白しろって言ってたけど……まず、アリスは謝らないといけなかったのだ。
謝って、罰を受けて、許してもらって、そこから。そこから、アリスは始めなければならない。
それが、アリスの想う一番の未来の、きっと一歩目なのだから。

「……あ、うん。謝ったのか。あー……なら、とりあえず自分の家具とか、返しなさい」
「………はい」

ピーターは戸惑っているのか、どこか視線を泳がせながらもアリスに命令する。
アリスは―――そりゃあ、少しは残念だったけど、仕方ない。それに、それが当然。こくりと頷いた。

「それから……ああ、そうだな。自分の畑から盗った野菜は、どうせもう食べてしまったんだろう?
だったら、仕方ない。ワーラビット。しばらく自分の畑仕事を手伝ってもらうっていうのはどうだ」
「はぇ?」

続くピーターの言葉に、アリスは驚いて顔を上げた。なんだって?さっきのが聞き違いでないなら、
それが本気なら、その意味は―――。

「それで、今まで盗んできた分を返してもらう。素直に謝ったことだし、それで勘弁してやろう」

―――願ってもない。ピーターと一緒にいられるってことじゃないか。

「なんだ。不満か?だが、キミがしてきたことは―――」
「いいえ!あたし、一生懸命働きます!働きウサギになりますぅ!!」
「……そ、そうか。なら、えっと、とりあえず明日からだな―――」

研究の予定を組みなおさないとな、なんて。
ボリボリ頭を掻くピーターを前に、アリスは花が咲いたように笑った。
ああ、夢にまで見た未来の『ワンダーランド』。

それは、明日の朝日と共にある。



―――翌日、ヒロトたちはまたピーターの屋敷を訪れていた。
呼び鈴を鳴らす。ぴょこんと顔を出したのはアリスだった。
昨日各々『ワンダーランド』から帰ってきたヒロトたちはアリスの家にあったピーターの家具を運び出し、
届けたのだが、引越し状態でしっちゃかめっちゃかになってしまったのでとりあえずアリスは泊りがけで
ピーターと共にずっと整理をしていたらしい。ヒロトたちがキャロット家への報告のために
帰らなくてはならなくなった後も、ずっと。
そこで判明したのは、ピーターがこの屋敷を管理しきれていないということだった。
元々ピーターは贅沢を当然とする貴族じみた生活を嫌っていた上に、工房は必要でも広いリビングなど
必要ではない生真面目な魔導師であるために、キャロット家から与えられたこの屋敷を持て余していたらしい。
そこで、アリスが勇気を出して提案したのが―――。

「………なるほど。それでその恰好というわけだ」

リューがきゅうっ、と目を細める。

「え、えへへぇ」

照れ笑う。アリスは、メイド服に身を包んでいた。
ようは畑仕事だけでなく、ピーターにとって広すぎるこの屋敷で清掃、洗濯、炊事を担当すると
言い出したという話。ピーターもそれならゴーレム使役のトレーニングに時間を裂けるので、
畑仕事のオート化も近づくだろうと受け入れたそうだ。うさみみメイドの爆誕である。

「しかも住み込みなんでしょ?すごいじゃん、頑張ったじゃーん」
「あ、ありがとうございますっ!」

にこにこしているアリス。その後ろから、ピーターが顔を覗かせた。

「ああ、皆さん。いらっしゃっていたんですか」
「あ、す、すみませんご主人サマ。お客様なのに……」
「ご主人サマ?」
「ご主人サマ……」

ぺこぺこ頭を下げるアリスの台詞を聞いて、リューとリオルが口元をひくつかせる。
ピーターは困ったように笑って、

「自分もどうかと思うのですが……アリス。それはやめてくれと言っただろ」
「ですが、ピーターさんはご主人様ですっ。ご主人様はきちんとご主人サマとお呼びしないとぉ!
で、ですよねっ!?まお……リュリルライアさんっ!」
「………まぁな」

リューが肩をすくめると、アリスはほら!とピーターを見上げた。
ピーターは参ってしまって、頭を掻く。その様子がおかしくて、一同は笑った。
しばらく談笑した後、それじゃあ、とヒロトたちは二人に背を向けた。
その背中に、ピーターは声をかける。

「最後に聞かせてください!貴方たちは、本当は何者なんですか?」

ヒロトは立ち止まり、隣にいたジョンと顔を見合わせる。ジョンは、一息ついたあと、頷いた。
ヒロトも頷き返し―――そして、荷物からマントを取り出してその背に羽織る。
ジョンもまた、荷物からグローブを取り出して手にはめた。

マントは紅。世界最高権力、聖堂教会の十字紋様を背中に背負う、ヒロトが翻す勇者の証。
ブローブは黒。世界最高権力、聖堂教会の十字紋様を手の甲に刻む、ジョンが握りしめる勇者の証。

ピーターは、もちろん知っている。
勇者ヒロト。彼はかの『はじまりの勇者』と同列に数えられるほどの武勲を生み出した、
歴代最強クラスの戦闘力を持つ生きる伝説であると。
そして、ピーターにとってはその伝説より遥かな憧れである、その小さな勇者。
勇者ジョン。ピーターが留学し、魔道の技術と在り方を学んだ技術大国ラルティーグの希望を背負う英雄だと。

ふたりの勇者はピーターに大きく手を振った。

「応援しています、ピーターさん!」

―――それが、誰からも認められず、家族にさえ追放を受けたひとりの魔導師に、どれほど響いたことだろう。
世界を巡り、何人もの人を助け、様々な発見をした勇者たち。尊敬を集める彼らに支持された、
それがどれほどピーターの救いになったことだろう。『変人』と呼ばれた彼は知らず、涙した。


――――――自分は、間違っていなかったのだ、と。


「あたしからも、聞いてもいいですかぁ!?」

アリスも叫んだ。ずっと気になっていたのだ。アリスに最後の―――逃げ道を塞いでくれたのは
魔王リュリルライアだが、それとは別に―――勇気をくれたのは、彼女だったから。
お礼は言ってもいいきれない。だから、これがお別れというのなら、聞いておかなくては。


「ローラさんはどこにいるんですぅ!?」

ヒロトたちは立ち止まった。
『ヒロトたち』―――そこにいるのはヒロト、ジョン、リュー、そしてリオルの四人だけ。
ローラがいない。というか、昨日からずっといない。最後にローラを見たのはアリスたちであり、
それはアリスを勇気付けてヒロトたちを―――というか、ヒロトを探しにいった後ろ姿だというのだ。
それを聞いたのはとりあえずキャロット家に報告に行って、もしかしたら宿に帰っているのかもと
いったん引き返して、でもいなかったからまたピーターたちの屋敷に戻って、そのときである。

なんとなく嫌な予感はそのときからしていたのだが……みんなで『ないない、それはない!』と
強引に思い込んで朝を迎え、それでも戻ってこないので今から探しに行くのである。
というか、迎えにいくのだ。

「……どこへですぅ?」

決まっている。


「ワンダーランドへだ!!」


………………………………。
………………………。
………………。


ローラは森を彷徨っていた。
森には深い霧が立ち込め、数歩先はもう真っ白で何も見えない。
いったいどのくらい歩いたのか、森に入ってどのくらい経ったのか。もうさっぱりわからなかった。
そもそも、この霧はヘンだ。強い魔力の塊であり、方向感覚も何もまったく狂わされてしまう。
ローラは知らない。リューがヒロトをいざなったあのとき。
森は異次元空間、魔の霧による特殊結界で覆われていたことなど。
無論、結界にはお茶会の相手、ヒロトにしか侵入できないのだが、リューとヒロトの逢引きを
邪魔しようと森に侵入したローラは強引に霧に入り込み、そのまま結界に干渉してしまったのだ。
げに恐ろしき乙女の執念。リューが『変化』と『幻想空間』の二つの魔法を同時に行っていたのが悪かったのか、
それとも恋する乙女に不可能はないのが悪かったのか。その二つが重なり合って、ローラはリューの作った
別位相に乗り込むことができたのだが、そこでまた最悪のタイミングでリューが結界を解いてしまったのだ。
もともと正式なゲストでもないローラは結果、霧の中―――別位相に取り残されることになり、
しかし『そこにローラが存在する』以上、その別位相と元の世界の繋がりも消えてしまうことなく、
こうやって次元の狭間である霧の中を彷徨っているのだった。

出れる気配は、あんまりない。

「………………………私、今回恰好いいこと言いましたのに……」

リューが再び森の中に幻想空間を作り、ローラを救出するのは、彼女の体感時間ではまだ先の話である。



ワンダーランドでつかまえて~新ジャンル「うさぎ」英雄伝~ 完

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最終更新:2009年01月24日 01:46
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