ここは総司令官の日記を拝見してください。
11月6日
今日はF-3ドライバーの長屋宏和さんが私が通っている中学校に講演会をしに来てくれました!
長屋さんは2002年鈴鹿サーキットで2週目のコーナーで先頭を走る車とタイヤが接触そして
車両が中に飛びフェンスを乗り越え、地上に激突!
2週間からの昏睡状態から目が覚めた!
体の自由は無く16時間に及ぶ手術により死の淵から帰ってきた!
だが気管支を切開され何も言えずただ目でかろうじでお母さんや妹さんと会話。
その時は主治医から怪我の事は何も聞いておらず。
その後東京都の病院に移転、その病院の主治医から聞いた怪我の名前は頸椎損傷四肢麻痺という重度の障害だった。
だが日本とアメリカでのリハビリでかろうじで指が動くようになった。
F-3にも復帰し、世界で始めて重度の障害者いや障害者が無事完走!!
その後は障害者がオシャレしたいという気持ちに答え、会社を設立、
だがまだまだ高い壁がある!
下半身の自由はないが長屋さんは自分ためにも生きてます!!
10月21日やっと転校生が来ました。
その人は9月に転校して来た人ですが
少しの間登校拒否をしていたらしく、学校に来なかったそうです。
合唱コンクールも近いので速く来て一緒に練習したいなと思っていました
と10月21日が来ましたクラスメイトと練習をしていた時、チャイムがなり、みんな席に付きました、とそのとき転校生が来ました。
よーく顔を見ると誰かに似てるなーと思いずっと考えていました。
カツカツとチョークで名前を書くと私はあっと思いました。
その人は保育園の時の大親友でした。私の親と彼の親は同じ工場で働いており、知り合いでした、よく遊びよく泣きいつもが一緒でした。
卒園後私達は別々の小学校になりました。
彼は小学校1年の冬、親の出身地である、沖縄に引っ越しました。
私はそのことを知らずに3年がたち。
その時は小4の冬の事でした。
埼玉に住んでいる、友達のお母さんから、沖縄に引っ越した事を聞きました。
彼は別れることが悲しく言い出せなかったそうです。
そして今彼と再会し仲良く今も遊んでいますしかも彼の家と私の家は隣同士で、まだ名札が張っていない為彼の家族とは知りませんでした。
そのことを親に話すと早速家に招きみんなでパーティーをしました。
ドンチャン騒ぎが夜10時まで続き特別にベランダを2人とも広くして貰い。
ドアを付けて移動出来るようにしてもらいました。
彼とは一生親友として仲良くしていきたいです。
(作文みたいになってしまってw)
最終更新:2008年11月12日 00:00