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547 名前: 774RR 投稿日: 2008/02/23(土) 16:40:38 ID:pELwxJ7h
自分にとってバイクを運転するという事を初めて理解できた出来事。

はっきりいってそれまで自分はプラグ交換すら出来ない、バイクという機械に股がって動かす事しか出来なかった。
大体週末に30分程トコトコ走ってコーヒー飲んで、タバコすってまた30分程走るという事を繰り返し、洗車以外は放置、、、
そんな事を繰り返していたある日、自分と同じバイクに乗っている人に出会った。

いつもの休憩所で停めようとしていたら50m位先で自分に向かって手招きしている。周りには自分以外いない。
「俺の事か?」と、とりあえずその人の所までバイクを走らせた。
その人はニコニコしながら、
「やっぱり同じだ。エンジン音が独特だからすぐわかったよ。」
と話しかけて来た。

「同じっ!?」

思わず声に出してしまった。何故なら自分は車重が300kg前後あるバイクに乗っている。
当時26歳の自分でも車重とパワーに振り回されてしまう時がある。
しかし同じバイクに乗っているその人はお世辞にも初老の域を超えていたからだ。
ツナギを着ているが、見るからに年で細くなった身体。分厚い老眼鏡。コーヒーを持つその手は寒さでは無くプルプル震えていた。
一言で言うとおじいちゃん。普通におじいちゃん。
何故なら年は73歳。奥には一際古いバイク。確かに同じ車種だった。
当然の事ながらお互いの車両を見て回った。自分もつたない知識で一所懸命話をしていた。
Tさんが
「エンジン掛けてみて」
と言われるがままにエンジンを始動する。
すると、「?」な顔をしている。どうやら自分の車両に不審な音が混じっているらしい。
Tさんが
「家が近くだからちょっと寄ってコーヒーでも飲んでかない?ついでにキャブも少し調整してあげる」
と言われ、警戒心を残しつつもコーヒーを頂く事にした。

Tさんの自宅に到着して、奥さんに煎れてもらったコーヒーをすすりながら、
キャブのスクリュー調整とニードル段数の調整をチョロっと弄ってもらい格段に調子が良くなった。

「ちょっwww何ですかコレっwwwすごい調子が良いです!!ありがとうございます!!!」

ほんの30分程度の作業で吹け上がり、回転の戻り、排気音の歯切れ、トルク等々格段に良くなっていた。
それから1年半の間、Tさんの自宅でガレージと工具をお借りして整備を色々と教えてもらった。
その間、自分の知識の無さ、技術の無さ、そして何よりバイクに対しての愛情を痛切に感じながら自分なりに一生懸命作業した。


その内、Tさんの仲間とツーリングに行ったり、一緒に整備兼飲み会をやったり、自分にとって濃い時間を過ごす事が出来た。
何よりも人間的な暖かさと厳しさが嬉しくて楽しくて、とにかくTさんの家にしょっちゅう遊びに行っていた。
一年程経って整備のスキルと共に、自分で整備する事によって得られる情報を元に走ったりと、いっぱしのバイク乗りを気取っていた。
それを見たTさんが、

「いつでもどんな時でも、何が起こるかわからない。ぶつけてもぶつけられても飛んで行くのは運転しているキミだよ。
死んでからでは遅すぎる。残された人の気持ちを考えなさい。そして君と同様に機械も生き物なんだよ。彼らの声をもっと聞いてあげなさい。」

その時、アフォだった自分はまったく理解出来ていなかった。
言葉としては理解していたが、そんな経験が無かったのでリアリティーに欠けていたんだと今では思う。
そんな事はおかまい無しに色々な事を試していた。

それから半年後、3週間ぶりに相変わらずバイクを一緒に弄くる為、Tさんの家に遊びに行った。
その途中、ちょっとした連続のカーブが有り、そこに新しいオイルの後があった。
そこはよくスポーツ四輪が事故を起こしていたので特に気にせず、そのままTさんの家を目指して走って行った。


そして、Tさんの家にたどり着く100m程前で何かが違った。見た目ではなく、何かが違う。
Tさんの敷地の入り口に入った途端に目に入った物。
それはフロントフォークがひしゃげ、リア全体が「クシャっ」と潰れ、横倒しにされているバイクがあった。

事実を受け入れられず、ただただ呆然と突っ立っていたが、あの古めかしいエンジンの塗装を見て、
それがTさんのバイクだと理解出来た時には足がまったく動かなかった。地面から足が離れなかった。
5分程立ち尽くしていたと思う。ふと気がつくと、Tさんの奥さんが窓から自分を見ていた。
そして泣いていた。その瞬間、自分も泣いた。ポロポロと涙が出て来た。喜怒哀楽から来る涙とは違う感じ。
「悲しいから」や「怒りから」では無い感覚。ただただ、涙を流す事しか出来なかった。

それからTさんの奥さんがいつものコーヒーを持って来てくれた。いつもあれだけ美味しかったコーヒーが砂の味しかしなかった。
Tさんの奥さんが事故状況をポツポツと話してくれた。


Tさんは仕事を引退した後、普段はボランティアとして週三回程出かけていた。
その日は朝早くから用事があるとの事で朝の5時に家を出て行った。
そこで、Tさんの家の近くの連続したカーブで後ろから来た猛スピードの四輪に後ろから突っ込まれそのまま現場で亡くなった。
即死だった。来る時に見かけたオイル痕。それがTさんのバイクのオイル痕だった。
それを聞いた途端、胃に入っているコーヒーと食べ物を全部吐き出してしまった。
何故か自分にものすごい罪悪感が感じられたからだ。

それから3時間程、一人でTさんのガレージで突っ立っていた。
工具のオイルのシミやサビ、未だに動き続けているエアコンプレッサー、分解作業途中のキャブ、組み立てメモ、皆でツーリングに行った時に撮った写真。
全てが同時に目に入って涙が止まらなかった。結局夕方過ぎまで思い出に押しつぶされ、立ち尽くし、涙を流し続けた。

最後にようやくTさんにお線香をあげて帰る事にした。帰り支度を始めようとした時にポツポツとTさんの奥さんが話してくれた。
「Tさんが死んだのを言ったら二度と来てくれないんじゃないか」と、、、
正直、今までのように頻繁に行く事は出来ないだろう。きっと押しつぶされてしまうから。だから自分は正直に
「しばらくは来れません」
と言った。
それでもTさんの奥さんは
「また来てね」
と言ってくれた。本当に嬉しかった。


玄関先に横倒しにされたTさんのバイクを見た。
古ぼけた味のあるエンジンとタンク、ハンドルにくくり付けられたデジタル時計は驚く程無傷だった。
今後、Tさんの家に行く事は出来ない。だが、没頭出来る物が有れば顔が見せれるんじゃないか?
いや、自分がやらなければならないと思い、思い切ってTさんの奥さんに聞いてみた。

「こんな20年以上も前のバイクなんだから気を使わなくていいわよ」

と言われたが、Tさんに諌められた話をして

「好きにしてもいいよ。その代わり、作業はここのガレージでやってね。きっとそれが最後のガレージでの作業だから。」

それから毎週末、Tさんの家に通いTさんの作業メモをチェックしながらエンジン交換、作業途中だったキャブのオーバーホール、
タンクの交換、書類の書き換え等々、半年掛かりで作業し、ようやく全て終わった。

エンジンをスタートして試走してみた。さすがに12万km走っているエンジンだけあってトルク、吹け上がりが大分弱っているが、
元気に爆発してくれている。他も問題無さそうだ。
Tさんの自宅に戻って、今度は奥さんを後ろに乗せて走った。さすがに御年71なので気を使って二時間程走った。
その間、ずっと「ありがとうね。ありがとうね。」と後ろで言ってくれた。
その後、ガレージの中の荷物を片付けた。今はもうそこにガレージは無い。

それからは最低でも一ヶ月に一回は顔を見せるようになり、自分は結婚した。
最初は嫁と一緒にタンデムで遊びに行っていたが、今は一人で顔を見せている。
何故なら6ヶ月後には三人で顔を見せる事になるからだ。

俺は子供が出来た時、初めてTさんが言った事が本当に理解出来たような気がする。
けれどもそれは人それぞれ違う感じ方だと思うが。
でもそれでも良いと思っている。何故なら行き着く所は

「大事な物は大事にね」

物だけでは無く、人、自分、それを取り巻く環境全てをひっくるめての言葉なんだと思う。
だから自分にとってバイクを運転するという行為は大事な人、大事な物を大事にするという事を再認識する為に乗り、
楽しむという事。

それをバイクを通じてTさんが教えてくれた事だと思う。

だから皆もバイクに限らず、四輪に乗る時に思い出してほしい。自分の大切な物を。

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最終更新:2008年03月30日 22:10