覇韓思想

「覇韓思想」の編集履歴(バックアップ)一覧はこちら

覇韓思想 - (2019/04/25 (木) 16:22:36) の最新版との変更点

追加された行は緑色になります。

削除された行は赤色になります。

*概略 &bold(){覇韓思想}とは、韓族と朝廷を世界の中心と考える&bold(){自民族中心主義(エスノセントリズム)}に基づく思想である。 韓王朝の統治体制は&bold(){礼楽}に基づく&bold(){徳治}であり、これが浸透した&bold(){中原一帯}を&bold(){王畿(省や県、郡で構成)}と称し、王畿外の&bold(){内蕃}と&bold(){外蕃}、更に版図の外にある&bold(){化外の地}へと四方へ同心円状に広がる序列構造が形成されている。 これが&bold(){覇韓思想に基づく世界秩序(覇夷秩序)}である。 覇夷秩序において重要なのは、皇帝の徳治の外にいる&bold(){化外の民}は礼楽が欠如した&bold(){夷狄}であるということである。 しかし、夷狄が皇帝に&bold(){入貢}するならば、徳に感化されたと見做して皇帝は爵位を授与してこれを&bold(){蕃臣}として扱う。これを&bold(){冊封}と呼び、冊封を結んだ国はそのまま入蕃し、韓王朝の版図と同一視された。 &bold(){冊封国}には定期的に入貢を行う義務が生じ、その人民も韓王朝の礼楽や法に従う義務がある。その対価に貿易権と安全保障を受けることができる。 このように韓王朝の版図の広さはその時の皇帝の徳の広さであるとされるため、より遠方から冊封を求めた国がいた場合、近方の国よりも高位の爵位を授与する傾向がある。 ただし歴史的に見て遠方の国や異民族が素直に冊封に従う例は珍しく単に朝貢を交易と合わせて不定期に行って通交を結ぶに留まる国や異民族が多い。 このような国や異民族を&bold(){蕃客}として遇し、形式的に爵位を授けて排外せずに接する。形式的な冊封であるため、冊封に伴う諸義務は生じない。逆に韓族を脅かすほどに強大化した異民族勢力も登場するようになり、それに対しては排外的態度に転じて&bold(){夷狄膺懲の戦い}が行われた。 ただこうした戦いで韓王朝側が敗れ、その上に異民族勢力が君臨することもあり、そのことで結果的に彼らも覇韓思想を接受し、統治者として利用することになった。 これにより覇韓思想は&bold(){これまでの韓族が世界の中心という思想から、中原一帯に君臨するものが礼楽を持ち、皇帝を称することができるという形に変質}した。 *関連用語 -&bold(){徳治} 有徳である皇帝が道徳を基本として国家を治めること。 -&bold(){礼楽} 韓の礼儀と音楽。 社会秩序を定める礼と、人心を感化する楽で、転じて文化。礼は行いを戒め,楽は心を和らぐというのが礼楽の思想で、韓族の芸術観の根本である。 個人の礼楽としては琴の楽があり,皇帝や国家の礼楽としては、天地祖先を祀るときの雅楽がある。 -&bold(){朝貢使} 皇帝に奉献品を差し入れるために派遣する使節。大まかに冊封を受けるために定期的に行われるものと、貿易という形をとるために不定期的に行われるものの二種類があり、後者を&bold(){朝貢貿易}という。 -&bold(){冊封使} 爵位を授ける皇帝の勅書を携えた使節。皇帝に蕃臣が謁見することは基本的に不可能であるため、爵位の授与も使節を通じて行われる。 -&bold(){冊封国} 冊封を受けた国家。 定期的に朝貢し、韓王朝の定める法と礼楽を守る義務が君主及び人民にも生じるが、その義務を果たす代わりに韓王朝から安全保障を受けることができるほか、相互に人民の移動も許されるので交易がしやすい。 形式的な冊封に留まり、義務を免除されている国にはこれがない。 -&bold(){国王} 冊封において授けられる最も高位な爵位。 一定程度の礼楽を備えている君主に与えられるもので、皇帝と対等ではないが実質的には限りなく対等に近く、主に蕃客を対象とする。 これはすなわちその君主を覇夷秩序に対する脅威と見做している証でもあり、あえて少しでも厚遇することで臣下に引き入れようとするためである。 -&bold(){藩王(蕃王)} 国王に準ずるベーシックな爵位。 -&bold(){土候(候)} 最も低位な爵位。これを授けられる君主は礼楽において優れてはいないとされる。徳化が進むと上に昇格することもある。 *冊封を受けたことのある国一覧 [[スルガ]]:藩王 [[シンハ=スルガ戦争]]において独立。 [[ジャーガルク・シャー国]]:藩王 [[朔角土邦]]:土候 ※[[角]]は朔角土邦を継承した国家であるが、継承した時点で最後の韓王朝の礼帝国が滅んでいるため、冊封を受けていない。
*概略 &bold(){覇韓思想}とは、中原王朝の韓族と朝廷を世界の中心と考える&bold(){自民族中心主義(エスノセントリズム)}に基づく思想である。 王朝の統治体制は&bold(){礼楽}に基づく&bold(){徳治}であり、これが浸透した&bold(){中原一帯}を&bold(){王畿(省や県、郡で構成)}と称し、王畿外の&bold(){内蕃}と&bold(){外蕃}、更に版図の外にある&bold(){化外の地}へと四方へ同心円状に広がる序列構造が形成されている。 これが&bold(){覇韓思想に基づく世界秩序(覇夷秩序)}である。 覇夷秩序において重要なのは、皇帝の徳治の外にいる&bold(){化外の民}は礼楽が欠如した&bold(){夷狄}であるということである。 しかし、夷狄が皇帝に&bold(){入貢}するならば、徳に感化されたと見做して皇帝は爵位を授与してこれを&bold(){蕃臣}として扱う。これを&bold(){冊封}と呼び、冊封を結んだ国はそのまま入蕃し、韓王朝の版図と同一視された。 &bold(){冊封国}には定期的に入貢を行う義務が生じ、その人民も韓王朝の礼楽や法に従う義務がある。その対価に貿易権と安全保障を受けることができる。 このように韓王朝の版図の広さはその時の皇帝の徳の広さであるとされるため、より遠方から冊封を求めた国がいた場合、近方の国よりも高位の爵位を授与する傾向がある。 ただし歴史的に見て遠方の国や異民族が素直に冊封に従う例は珍しく単に朝貢を交易と合わせて不定期に行って通交を結ぶに留まる国や異民族が多い。 このような国や異民族を&bold(){蕃客}として遇し、形式的に爵位を授けて排外せずに接する。形式的な冊封であるため、冊封に伴う諸義務は生じない。逆に韓族を脅かすほどに強大化した異民族勢力も登場するようになり、それに対しては排外的態度に転じて&bold(){夷狄膺懲の戦い}が行われた。 ただこうした戦いで韓王朝側が敗れ、その上に異民族勢力が君臨することもあり、そのことで結果的に彼らも覇韓思想を接受し、統治者として利用することになった。 これにより覇韓思想は&bold(){これまでの韓族が世界の中心という思想から、中原一帯に君臨するものが礼楽を持ち、皇帝を称することができるという形に変質}し、韓族以外でも皇帝となれるという論理に転用された。 *関連用語 -&bold(){徳治} 有徳である皇帝が道徳を基本として国家(版図)を治めること。 -&bold(){礼楽} 韓の礼儀と音楽。 社会秩序を定める礼と、人心を感化する楽で、転じて文化。礼は行いを戒め,楽は心を和らぐというのが礼楽の思想で、韓族の芸術観の根本である。 個人の礼楽としては琴の楽があり,皇帝や国家の礼楽としては、天地祖先を祀るときの雅楽がある。 -&bold(){朝貢使} 皇帝に奉献品を差し入れるために派遣する使節。大まかに冊封を受けるために定期的に行われるものと、貿易という形をとるために不定期的に行われるものの二種類があり、後者を&bold(){朝貢貿易}という。 -&bold(){冊封使} 爵位を授ける皇帝の勅書を携えた使節。皇帝に蕃臣が謁見することは基本的に不可能であるため、爵位の授与も使節を通じて行われる。 -&bold(){冊封国} 冊封を受けた国家。 定期的に朝貢し、韓王朝の定める法と礼楽を守る義務が君主及び人民にも生じるが、その義務を果たす代わりに韓王朝から安全保障を受けることができるほか、相互に人民の移動も許されるので交易がしやすい。 形式的な冊封に留まり、義務を免除されている国にはこれがない。 -&bold(){国王} 冊封において授けられる最も高位な爵位。 一定程度の礼楽を備えている君主に与えられるもので、皇帝と対等ではないが実質的には限りなく対等に近く、主に蕃客を対象とする。 これはすなわちその君主を覇夷秩序に対する脅威と見做している証でもあり、あえて少しでも厚遇することで臣下に引き入れようとするためである。 -&bold(){藩王(蕃王)} 国王に準ずるベーシックな爵位。 -&bold(){土候(候)} 最も低位な爵位。これを授けられる君主は礼楽において優れてはいないとされる。徳化が進むと上に昇格することもある。 *冊封を受けたことのある国一覧 [[スルガ]]:藩王 [[清河=スルガ戦争]]において独立。 [[ジャーガルク・シャー国]]:藩王 [[朔角土邦]]:土候 ※[[角]]は朔角土邦を継承した国家であるが、継承した時点で最後の韓王朝の礼帝国が滅んでいるため、冊封を受けていない。

表示オプション

横に並べて表示:
変化行の前後のみ表示: