ラータイ

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|生年|7589年7月7日|
|王朝|スッパダカ王朝|
|父親|ハダカンボ10世|
|母親|シリカ|

*経歴
7589年、ハダカンボ10世の次男として誕生。母親は大貴族イマラ族族長ティガソの姉シリカ。母親の身分が高いことも有り、すでに嫡男ヘアヌドが生まれていたのにもかかわらず、イマラ族の支持もあり後継者争いの最前線として担がれていた。
自身も王位に対して野心的なまでに追い求めていたため、ヘアヌドの立太子後も宮廷闘争で工作をし続けていた。
しかしハダカンボ10世からはその粗暴な性格と、能力的な問題から王にふさわしくないとされ、後継者として不適格との烙印を押されていた。
7610年、ヘアヌドの後ろ盾であった王妃ワビカが死去すると、ヘアヌドの立場は徐々に悪くなっていくも、イマラ族を除く貴族の支持はヘアヌドに偏っており、ほぼ状況は変わらなかった。
7611年、中央政界復帰を狙ったフーエラ族による反乱鎮圧に赴いたハダカンボ10世が従軍していたイマラ族によって暗殺されると、それに呼応して兄ヘアヌドを殺害。
フルヌゥドに入ったティガソを宰相としてセキラ10世として即位を宣言する。もとより貴族の支持が薄かったこともありこれに従わない部族が続出。イマラ族とフーエラ族という大貴族以外は従わなかった。とはいえこの時点で軍事的にはほぼ王国の軍事力を掌握しており、他の部族の従属も時間の問題と思われた。

しかしこのときフルヌゥドを離れていた第11王子ヌギが反旗を翻し、モフモフ族と有志の戦士を率いてフルヌゥドに進軍してきた。逆賊ヌギ討伐令を発し、フルヌゥド近郊のビリア河畔でヌギの軍を迎え撃つ。([[ハダカンボ王位継承戦争]])
この[[ビリア河畔の戦い]]でラータイ軍5000、ヌギ軍1500という10倍の戦力差で迎え撃つも、ヌギの巧妙な戦術の前に惨敗。多くの貴族や兵を見捨てて戦場から離脱する。敗戦後は内陸部のジャングルに逃亡し、さらにタヴェリア縦断山地を経由しザルバチに亡命した。
ザルバチに亡命した後はザルバチ政府に再度権力の座につくため支援を要請し、その見返りとして領土の大幅割譲を提案。この売国的な提案を行ったことにより、付いてきた側近たちからも離反されることになるが、ザルバチ政府からの全面的な支援を受け「ハダカンボ王国正統政府首班」として就任。これらの支援を受け、再度「ヌギ討伐令」を発令しザルバチ軍とともにハダカンボ王国に侵攻。ここに[[第3次ハダカンボ=ザルバチ戦争]]が始まる。しかしこれもハダカンボ王国軍により撃退され、さらにザルバチも国土が一部占領されるなどの憂き目にあうと、終戦後は腫れ物扱いされ、ザルバチからも追放される。ザルバチから逃れ、次に向かったのはソフィアであった。ソフィアにてイマラ族とコネがあった数人の政治家に働きかけるも、芳しい返事はもらえなかった。この時有力政治家の一人である[[ピエール・デュカス]]に接触し、一時は手を結ぶ直前まで行ったが、同胞を通じた王国政府との「密約」もあり結局は破談となる。
しかし諦めきれず打倒ヌギを掲げ各国の首脳に現在もロビー活動を継続している。

*人物

*特性
|カテゴリ|その1|その2|
|教育|稚拙な陰謀家&br()Amateurish Plotter|小賢しい悪党&br()Underhanded Rogue|
|健康|狂気&br()Lunatic||
|先天性|端麗&br()Attractive|低脳&br()Imbecile|
|ライフスタイル|拷問者&br()Impaler|詩人&br()Poet|
|個性|野心的&br()Ambitious|強欲&br()Greedy|
|リーダーシップ|騎兵リーダー&br()Cavalry Leader||
|その他|準正嫡出子&br()Legitimized Bastard|同族殺し&br()Kinslayer|

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