ハダカンボ11世

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ハダカンボ11世 - (2019/03/25 (月) 22:35:06) の編集履歴(バックアップ)


ハダカンボ11世
王朝 スッパダカ朝
全名 ヌギ・スッパダカ・ハダカンボ(Nugghi Spadhakah Haddha-Khaanbo)
出生 7595年11月11日
リンディスヴァート領南西タヴェリア植民地
在位 7612年5月13日-
王妃 クリスティ
子女 マルルダシ
父親 ハダカンボ10世
母親 マミ


来歴

7595年、スッパダカ王朝第10代皇王ハダカンボ10世の第11王子として誕生。末子であったことと、母親であるマミが王宮付き召使いであったことから扱いは良くなく、12歳までは自分が王族であることを知らなかった。
7607年、自身の血統による王位継承を安定させようとした王妃ワビカの策謀により母マミとともに王府を追放される。その間面倒を見たのは先年宰相を解任され失脚したイマラ族族長のティガソであった。
7610年、ワビカ王妃死去とティガソ派の働きかけもあり、王宮に呼び戻され王族としての教育を受ける。
7611年、16歳のときラータイ=ティガソの乱が勃発。ティガソの陰謀によりハダカンボ10世と王太子ヘアヌドを始めとする王族が殺害されると各部族を短期間でまとめ上げこれを討伐する。
7612年にティガソを処刑し国内の反対勢力を一掃すると生存している王族の最年長ということで即位する(この時生存していた王族はヌギ以外では王太子ヘアヌドの嫡子ネイのみであった)。
7613年、影でイマラ族を支援してきた隣国ザルバチ海岸共和国がザルバチ人宣教師殺害を口実に侵攻。王国建国以来最大の対外戦争となる第3次ハダカンボ=ザルバチ戦争が勃発する。残留リンディス兵団などの活躍もあり、最終的には7614年に国境がほぼ確定するという形で講和を結ぶことに成功する。
この戦績により、国際的な知名度が大きく上がり、一躍有名人となる。
この年に、甥である ネイを後継者とするためにスルガに留学させる。
7615年、リンディス兵団の給仕クリスティと結婚する。
7616年、イクファターナ周遊へ出発。各国で取材を受けたり、文明の利器を体験するなど近代化に大きな関心を示した。周遊中に実子マルルダシが誕生する。

人物




逸話