スルガの人物

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スルガの人物 - (2019/04/28 (日) 17:48:48) の編集履歴(バックアップ)


スルガの人物一覧

藩主とその周辺

今川ユーナ

スルガの藩主。朱金の姫と呼ばれる。詳細は個別ページ

アンナマリア・レーセ

藩主秘書官兼護衛。ラパルナ族。詳細は個別ページ

ネイ王子

ハダカンボ王国からの留学生。ハダカンボ11世の甥。スルガ大学の国際政治学部に入学予定。現在はその前提として語学(韓語、スルガ語、ジャーガルク語、アトリオン語)とシンファナ史を学んでいる。衣装はユーナ藩主が見繕った。現皇王を簒奪者と見ている旧王妃派の輩に担がれており、正統な王はネイの血統だけとして反乱を画策されている。本人は皇王との対立を望んでおらず、それを危惧したハダカンボ11世はスルガに留学生として受け入れてもらう。ハダカンボ11世はネイを後継者として教育したいと考え7616年にスルガに送り出したが、同年ハダカンボ11世に実子マルルダシ王子が生まれる。

ミコト

レパノア。カラシュ公国の誘拐団に拉致され、ジャーカルク国に出荷されているところを、立ち寄ったスルガ港の税関に摘発され保護される。記憶が混濁し、自分の名前も言えない状態であったためにスルガ側で名付けられた。艶やかな黒髪を持ち、スタイルも抜群(ロリ巨乳)。抱き枕を常備するほどの眠り癖を持つ。フォンタニエ本国に照会するも現状で身元不明。
その容姿からユーナに気に入られ、朧宮で職を与えられている。

政府要人

蒼識アローン

スルガ家老。スルガの実質的支配者であり、冷笑派の長老的存在。詳細は個別ページ

斉藤ダガタール

参謀総長。スルガ分離独立の立役者。慎重な戦略を用いて目的を達成する。帝政時代の軍事教育所東学堂卒。ジャーガルク=礼戦争にも従軍した。礼王朝滅亡時から動乱の時代に備えており、中原共和国の崩壊時にはいち早く行動に出た。清河赤軍との戦闘に於いても勝利に貢献した。

外交官

Slack参照。

民間人

玄武スカンヤ

玄武財閥参照。

外国人

ソマリ

ハダカンボ駐スルガ大使。
モフモフ族出身。猫系亜人。ネイのお供として赴任。武芸は得意ではないため武人を尊ぶハダカンボ本国では冷遇されている。

ヴィヴィアンヌ・フォンタニエ

駐スルガ・フォンタニエ辺境伯国大使。
現辺境伯ミシェルの姉。ヤード帝国によるフォンタニエの占領期にスルガに亡命し、そのまま任期無しの大使に就任した。裏表の無い明快な性格で十五年以上の任期を持つため、スルガ側からは「副伯爵殿下」と信頼されている。大使館は古いスルガ建築の大きな屋敷であり、お月見会などが催されることもある。

エーリヒ・ハインツ・アイヒベルク

リンディスヴァート制憲諸邦同盟の駐スルガ大使。
巨大商人連合であるリエナ同盟の盟主ともいえるリエナ市長を父に持つ。

朱雀小鞠

リントヴルム朝ヤード帝国の駐スルガ大使。狐人。

リチャード・マクダウェル

駐スルガ大使。法学博士(リニス大学)。スルガ人の期待するアトリオン人イメージを崩さぬ教養ある紳士で、スルガ独立以前から外務省で清河政策に携わり、スルガ独立後はアトリオン=スルガ同盟の成立を主導してきた。
彼も天文学の学識と学究的性格を持った典型的アトリオン貴族で、彼の場合はその関心は西方の社会と文化に向かっている。本来の専門は比較法学であるが、しばしばその分析手法は社会人類学的と言われる。冷笑派にとってはアトリオン法学のスルガにおける紹介者の一人でもある。
【影の実力者/Gray Eminence】【偏見ある知識人/BIASED INTELLECTUAL】【端麗/Attractive】【明敏/Quick】【社交家/Socializer】【盤戯の達人/Game Master】【学者/Scholar】【慈善/Charitable】【忍耐/Patient】【社交的/Gregarious】【冷笑的/Cynical】

ピドズリ・リスタイ

年齢:86歳
役職:駐スルガ大使
最終学歴:リニス大学
 7530年に将軍八旗兵士の家に生まれる。新しく誕生した洋式学校を首席で卒業後、外務省に入省、直ぐに官費でリニス大学に入学して法学を学び、卒業後は古典や韓文にも精通していたため、対礼帝国外交を担うようになる。
 ジャーガルク・礼戦争前夜には、親礼帝国派外交官の中心人物として、ジャーガルクが礼帝国に妥協して開戦を避けるべきと主張し、新聞各社は彼を売国奴として非難した。(一説ではジャーガルクが敗戦した場合の保険として、わざと彼に親礼帝国外交官を演じさせたという説もある。)
 戦争終結後は戦前の言動により一時期閑職に左遷されたが、7601年に中原に人脈があるという理由で、対中原外交担当の一人となる。他の職員が動乱で混乱する中原の軍閥をいくつか支援し、ジャーガルクの傀儡緩衝政権を打ち立てようと画策する中、独自に入手した情報より大演習程度の戦闘しかできない軍閥に支援すべきではないと主張、さらに唯一政権運営がまともなスルガ藩へ使節を送り、関係構築を試みた。
 中原の軍閥内戦終了後、彼の予想どうり軍閥は全て崩壊し、社会主義勢力の清河とスルガのみとなったため、その功績により駐スルガ大使となる。
 個人的にスルガ政府関係者と対談することが多く、また散歩と写真撮影が趣味で大使となった今でも様々な場所に出かけることが多い。