清河人民社会主義共和国

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清河人民社会主義共和国 - (2020/05/10 (日) 22:15:38) のソース

|>|国名|h
|>|清河人民社会主義共和国|h
|&bold(){国旗}|&ref(シンハ.jpg,,height=150)|
|首都|栄都|
|地域|シンファ大陸北西部|
|公用語|韓語|
|国歌|万国の人民よ団結せよ|
|国制の特徴|中央集権 社会主義 人民民主主義?プロレタリア独裁 一党独裁 [[モーリス主義]]|
|国家元首|頭 光盟|
|人口|約3億人|
|通貨|人民銭|
|条約|[[ジャーガルク・清河不可侵及び通商条約]]|
|関連組織|[[ヤーディシア人民解放革命戦略会議]]|

#contents()

&bold(){-政策スライダー}
|地方分権|-------◆|中央集権|地方の反革分子は全て抹殺した、これからは中央から派遣された優秀な党幹部が地方行政を改良していくだろう!!|
|貴族中心・富豪中心|-------◆|党幹部中心|貴族も資産家も富農も抹殺した!!|
|農奴制|-------◆|自由農民|農奴・小作人は存在しない、これから全ての農民同志は人民農園や村民組合で農作業に励むだろう!!|
|保守主義|-------◆|革新主義|古いもの・退廃的なもの・資本主義的なものは全て破壊し、人民主義的な社会を築こう!!|
|重商主義|◆-------|自由貿易|自由貿易は貧富の格差を生む悪だ!!全ての生産活動は人民政府が管理・指導する!!|
|攻撃主義|◆-------|防御主義|世界には未だ虐げられている農民・労働者が沢山いる!!そして外国の帝国主義者・資本家・封建領主は我が国を侵略する気だ!!|
|陸軍重視|◆-------|海軍重視|精強な革命的青年たちが自ら銃を持ち戦うだろう!!|
|精鋭|-------◆|大軍|200万の兵士が大軍でないはずがない!!|

*&bold(){・概要}
 &bold(){シンファ大陸}北西部に存在する&bold(){社会主義}国家、略称は清河である。&bold(){NPC国家なので加筆編集自由&いくらでもボコボコにしていいんだよ(ニッコリ)}

*&bold(){・政治}
 人民革命党による&bold(){1党独裁}体制、一応、憲法(&bold(){革命歴1年人民憲法})が存在し、&bold(){人民議会}(立法)&bold(){人民裁断所}(司法)&bold(){人民行政局}(行政)によって3権分立がなされていることになっているが、実際は&bold(){人民革命党指導局}が実権を握っている。

*&bold(){・地理}
 地方行政は4層の垂直構造によって構成されており、最も大きな行政区画は5つの&bold(){省}と3つの&bold(){直轄市}で、省の下に&bold(){地級市}と&bold(){地区}が、さらにその下に&bold(){市轄区}と&bold(){県}が、そして最下層に&bold(){郷}と&bold(){鎮}が存在する。
 行政のトップは地域人民の選挙によって、&bold(){人民革命党地域問題研究局}の指導の下選ばれ、&bold(){地方議会}は存在しないが、必要に応じて臨時の地域住民による直接選挙がおこなわれる。

|省・直轄市名|人口|番号|詳細|特産物|h
|&bold(){氷刹省&br()(ピンクァン)}|約5000万人|12|人民革命党の元本拠地であり、最も党を支持している地区、寒冷でコーリャン・モロコシ・ソバ等の栽培と牡蠣・ホタテなどの養殖が盛ん、また鉱業も盛んであり、鉱山労働者が党の支持基盤となっている。|鉄&br()貴金属|
|&bold(){紺築省&br()(コンチク)}|約5000万人|6|寒冷で大麦・芋類・砂糖大根の栽培が盛んであり、油田が存在する。|穀物&br()ボーキサイト&br()石油|
|&bold(){央妙省&br()(チョンクァイ)}|約6000万人|10|小麦・野菜・芋類の畑作が盛んであり、古都洛都・陽安を有す|綿花&br()硫黄&br()石炭|
|&bold(){直栄省&br()(ジーロン)}|約7000万人|9|水耕稲作と茶や紅の栽培が盛んであり、最も人口が多く港湾・鉄道・電信・発電所などのインフラストラクチャーが整備されているため、工業化も比較的進んでいる。|茶葉|
|&bold(){沙南省&br()(シャーナン)}|約7000万人|8|水耕稲作と漁業が盛んであり、沿岸部であるため港湾整備が比較的整備されているため軽工業を中心に工業化が進んでいる。|魚類&br()米|
|&bold(){栄都直轄市&br()(ロンチャン)}|約250万人|9の中央|清河の首都にして最大の都市、||
|&bold(){充啓直轄市&br()(シューチー})|約200万人|10の中央|清河第3の都市であり、製鉄・ガラス工業・治金・食品加工が盛んである。||
|&bold(){顛信直轄市&br()(ティンシン)}|約220万人|8の中央|清河第2の都市であり、紡績など軽工業が盛ん||

*&bold(){・経済}
 土地の所有は完全に禁止されており(富農・地主は全て処刑された。)各地に国有の&bold(){人民農園}(ソフホーズ)&bold(){村民協会}(コルホーズ)が存在し、農業生産を担っている。工場は全て国有化されており、労働時間は8時間となっている。((但し、ほぼ全ての工員が自主的に就業時間後も働いており、実質12~16時間労働となっている。))しかし、工場の設備は古く、生産性も高くない、技術力?技術者は富裕層なのでほとんど処刑されたよ、通貨は人民銭であるが、何度かデノミを行った為、商売は外貨(闇市などでは特に流通する。)又は物々交換で行われる。

*&bold(){・外交関係}
 &bold(){社会主義}国家なので各国との外交関係はまだあまり構築されていない、しかし一方で各地の社会主義・共産主義勢力との協力関係は強く、色々と援助している。

|国名|清河人民社会主義共和国の対外感情|>|各国の対清河人民社会主義共和国感情|h
|[[ジャーガルク・シャー国]]|>|古くから我が国を攻撃する夷狄の国、更には我が国の正当な領土を不当に占領しているブルジョワ帝国主義者共、いつか殲滅しなきゃ(使命感)|連中がもし工業を中心に生産力を手にしたら、我々は我が国を防衛できるだろうか…|
|~|[[ピスカ・ハウイカウサイ部族連合]]|ジャーガルクの蛮族に支配されてる哀れな迷信深い民族、いつか解放軍を送ってあげなきゃ!!||
|~|[[トゥガ国]]|折角開放してあげたのにジャーガルクのせいで封建支配に戻ってしまった国、でもまた開放してあげるよ|今まで仲良くしてきたのにいきなり侵略してきたのは許せない|
|~|[[ムスルマーネン=カリフ国]]|腐った宗教を信じる封建国家、早く殲滅しなきゃ|無神論者の屑は地獄に堕ちろ|
|[[ザルバチ海岸共和国]]|>|極端な白人至上主義・反共主義には反対だけど、帝国に逆らう国としては応援したいな、取りあえずこの惑星から封建制と資本主義を殲滅するまで同盟してもいいんだよ?(二段階革命論)その後は誤った思想を直してあげなきゃ(使命感)||
|[[レオネッサ王国]]|>|ファシズム?社会主義の一種かな?極端な民族主義はあり得ないし、そもそも王国じゃん、封建的貴族国家だね(蔑視)|劣った共産主義を自ら証明する劣等国家だ|
|[[ソフィア王国]]|>|典型的封建制国家、殲滅対象|殺す|
|[[立憲王政アーカルソン=リペルニア]]|>|半封建的・帝国主義的・資本主義的国家、殲滅するしかない(使命感)|封じ込めねばなるまい|
|[[ハダカンボ王国]]|>|原始共産主義国かな?支援してもいいんだよ||
|[[リントヴルム朝ヤード帝国]]|>|腐った封建主義国家、奴隷制とか貧富の格差が大きすぎて隷下の人民がかわいそう、いつか解放軍を送って、平等な国に変えてあげなきゃ(善意)||
|[[フォンタニエ辺境伯国]]|>|この国も二段階革命を経て、立派な共産主義社会の一員になるんだろうなぁ(しみじみ)あっ、そうだ(唐突)あのうさちゃん達にも[[モーリス主義]]を教えてあげよう(宣伝員派遣)||
|[[カラシュ公国]]|>|古臭い迷信を信じる哀れな封建国家、現地の社会主義者を支援してあげなきゃ(使命感)||
|[[カノミス王国]]|>|お友達がいる所、早く王族を処刑してもっと仲良くなろう||
|[[シンファナ=タンクレート共和国連合]]|>|裏切り者と修正主義者の巣窟、殲滅対象||
|[[フィルモア合衆国]]|>|資本主義者の屑、シンガ・イクファターナ解放後に開放してあげなきゃ||
|[[インティ帝国]]|>|封建主義帝国の屑、シンガ・イクファターナ解放後に開放してあげなきゃ||
|[[ゴーシュ共和国]]|>|亜人を虐めるなんて最低、何時か解放軍を送って征伐しなきゃ||
|[[スヴィン民主共和国]]|>|今まで支援してきたのに我が国を非難するとか最低、カノミスの同志たちと協力して討伐してやる。||
|[[空賊連合組合]]|>|逃亡したブルジョワと軍閥の残党による犯罪集団、早く殲滅しなきゃ(使命感)|共匪共め…いつか絶対やっつけてやる!!|

*&bold(){・軍事}
 初期の軍には階級が無く、頭光盟元帥及び軍事委員会の者以外は全て役職無し兵卒であったが[[チュンハイ戦争]]侵攻の時に、軍を指揮する者がおらず惨敗、その反省により下士官・士官が復活した。しかし王朝時代・中原共和国時代の士官はほぼ全て処刑されており、古参人民革命員の将校も半数以上権力闘争で粛清されているため、経験の浅い士官が殆どである。また軍隊が党と政府に反抗しないよう、政治将校が中隊ごとにいる。

**・陸軍
 平時で120師団(&bold(){4単位編制})合計&bold(){約240万人}を有する。しかしその内ライフル銃を装備する師団は100師団(残り20師団は良くてマスケット銃、最悪の場合冷兵器装備である。)さらに分隊支援火器として機関銃を配備している師団はその内80師団であり、砲兵連隊がある師団はその内65師団、軍用車両が取りあえず存在する師団は10師団であり、戦車が配備されている師団は2師団のみである。

|師団名|装備|師団数|h
|&bold(){歩兵師団}|マスケット銃又は冷兵器|18|
|&bold(){騎兵師団}|馬・マスケット銃又は冷兵器|2|
|&bold(){狙撃師団}|ライフル銃 大隊ごとに機関銃 75㎜以下の砲5門以下|18|
|&bold(){衛列師団}|ライフル銃 分隊ごとに機関銃 75㎜以下の砲10門以下 75㎜以上の砲5門以下|15|
|&bold(){竜騎兵師団}|馬 カービンライフル又はピストルカービン|2|
|&bold(){火砲師団}|ライフル銃 分隊ごとに機関銃 75㎜以下の砲約15門 75㎜以上の砲約5門|55|
|&bold(){偵察師団}|ライフル銃 分隊ごとに機関銃 75㎜以下の砲約15門 75㎜以上の砲約5門 非装甲車両約1輌以上|8|
|&bold(){機動竜師団}|ライフル銃 分隊ごとに機関銃 75㎜以下の砲約15門 75㎜以上の砲約5門 非装甲車両約10輌 戦車5輌|2|

***・保有兵器
|名称|区分|製造国|武装|詳細|装備数|h
|&bold(){機銃馬車}|機銃馬車|清河人民社会主義共和国|機銃|馬車に雑多な機銃を搭載した所謂タチャンカ|不明|
|&bold(){武裝改裝車}|戦闘車輌|清河人民社会主義共和国?|機関銃1丁|普通のトラックに機銃を搭載した所謂テクニカル、装甲は無い|約500輌|
|&bold(){人民一号小戰車}|豆戦車||8mm重機関銃等|とある軍閥が購入した某国の豆戦車を接収したもの、清河最強の戦車|約10輌|

**・水軍
 基本的に礼帝国水軍の装備を引き継いでいる(士官は内戦で死亡した者が多く、また貴族・ブルジョワが多かったのでほぼ処刑済み)但し練度は低く、装備も旧式である。

***・現有勢力
-前弩級戦艦×2
-巡洋艦×2
-装甲巡洋艦×1
-防護巡洋艦×1
-駆逐艦×15
-水雷艇×10
-敷設艇×4
-掃海艇×2
-海防艦×5

**・空軍
 装備は旧式で練度は低い…が嘗て軍閥の一人が全財産を叩いて買った飛行戦艦を所有している。

***・現有勢力

-空中戦艦×1

-&bold(){複葉戦闘機}×約400機
-&bold(){単葉金属戦闘機}×約200機
-&bold(){双発戦闘機}×約50機

-&bold(){複葉爆撃機}×約300機
-&bold(){単葉金属爆撃機}×約160機
-&bold(){双発爆撃機}×約60機

-&bold(){複葉偵察機}×約1000機
-&bold(){単葉金属偵察機}×約250機

-&bold(){練習機}×約1800機
-&bold(){輸送機}×約100機

***・保有兵器
|名称|区分|製造国|武装|詳細|装備数|h
|&bold(){定龍}|空中戦艦|[[リントヴルム朝ヤード帝国]]|40cm三連装砲&br()・3基6門&br()15cm三連装砲&br()・2基6門&br()10cm連装高射砲&br()・12基&br()35㎜機関銃&br()・三連装45基&br()35㎜機関銃&br()・10基&br()65cm臼砲&br()・2基&br()爆装&br()・|ある軍閥のトップが(趣味で)発注した空中戦艦、建造の為陸軍兵士の給与をピンハネしたため、就役後直ぐにその軍閥は消滅した。|1|
|&bold(){海鸥}|戦闘機|清河人民社会主義共和国?|13㎜機銃&br()・2丁br()爆装&br()・25kg|内戦中に拉致した外国人技師に設計させた複葉戦闘機|100機|
|&bold(){扑}|オー二ソプター|清河人民社会主義共和国|13㎜機銃&br()・1丁|&bold(){两足步行拖车机械}を用いたオーにソプター、垂直離着陸ができ航続距離も長いため、対外工作活動などに用いることができる。但し两足步行拖车机械自体が100基以下であるため温存されている。|60機|


その他、軍閥から鹵獲した各国の戦闘機を配備している。

*&bold(){・宗教}
 宗教は民衆を搾取する社会装置であるため全面禁止となっている。また近年&bold(){紅色清廉文化運動}という活動によって、寺院・祠・[[円十字教]]の教会・メトラ教のモスクが破壊され、反抗する者は精神障碍者として教化所に送られるようになっている。

*&bold(){・民族}
 全人口の90%に当たる約2億7220万人が韓語を話す韓族であり、その他、メトラ人200万人、亜人である、豚族約600万人・蜥蜴族約600万人・亀族約500万人・牛族約400万人・象族約300万人・鼠族約400万人・虎族約200万人・狼人約200万人、狐人約50万人、が少数民族として存在する

*&bold(){・オーパーツ}
 古代に技術・文化大国として繁栄した韓帝国の故地であるため、様々なオーパーツが存在し、発掘されたものの一部は現在でも利用されている。しかしその製法・加工技術は寒冷化による韓王朝滅亡、その後の戦乱と異民族の流入によって失われているため、現在製造することはできない(リバースエンジニアリングも何度か行われたが、貴重な遺産を破壊する結果としかならなかった。)現在多くのオーパーツは&bold(){人民の生活向上のため用いられている。}

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&bold(){&color(red){警告:以下の内容の閲覧には政治局委員長と人民保安隊長官の承認が必要であり、違反者は委員会決定1条に基づき処分されます}}
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 清河文明財産管理局は清河人民と文明の財産であるオーパーツ及び希少生物を極悪非道の帝国主義者・封建主義者から保護し、&bold(){将来的には敵性国家・組織を滅ぼし、世界開放闘争に貢献することを目的とする人民保安隊の部署である。}

・敵対組織

・資料保管庫
&bold(){完全敵対}
 敵国ジャーガルクのオーパーツ・希少種収集研究組織、世界を守るという名目で貴重な遺産・生物を秘密裏に独占し、現在の資本主義・封建主義社会を護持しようとしている、また我々が保管していた■■■■と■■を■■■地区の保管施設から強奪した大変危険な組織

・[[a+x=Ω]]
&bold(){完全敵対}
 野人・ダハーカ人研究で名高く円十字教司教でもあるイーブル・S・ゾンツ教授が提唱した&bold(){狂った宗教思想}であるイーブル主義((進化論と創造説の両立を説明するために生まれた説、地球上の動植物は神(Ω)が神を生み出すために創造した存在であり、最初の生命(a)は多様に進化し地球上の全ての環境で生存することによって、この世の全てを経験し完璧な存在となり、最終的に収斂進化によって神(Ω)に成長するという説、この考えの中で人間は物質面だけではなく文化的・精神的に高度な発明・経験をすることと、地球上に広がり共通性を増すことにより地球生物圏としての存在、即ち神に至る進歩の旗手となるべきものとされている。なお円十字教普遍教会からは異端とされている。))信奉者によって構成されている組織、彼らの理念は人間の生み出した技術(オーパーツ)や知られていない生物(危険種含む)を用いて神に至る進化を早めることとである。&bold(){しかしa+x=Ω内には地球上の元素は有限であるため、進化の落伍者である亜人・ソーラネウスを抹殺し彼らのリソースを円十字教徒の人類種人口増加に役立てようという過激派が存在する。}

・[[ナハト大学>ナハト市]]
 堕落した資本主義国家ヤード内で最も腐敗した封建国家[[カラシュ公国]]に存在する大学、非常に高度な技術を有している一方、文字どうり人民の血肉を啜る吸血鬼共が、非倫理的な活動を行っている。さらに我が国の遺産を狙っているとの情報もあり大変危険である。

#endregion
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-遺産一覧
|名称|製造時期|詳細|h
|錬土金|覇王朝~帝政韓王朝末期| 金属セラミックス複合材料(MMC)、割れにくく、軽量(鋳鉄の1/3)かつ剛性も鉄より高く曲がり難い物質、しかし耐熱性が高く熱膨張しにくいため加工は困難である。韓王朝時代では刀剣及び防具類・包丁・農耕器具として利用されていた。|
|浮遊石|帝政韓王朝中期~末期|作用を制御可能な半重力物質、韓王朝時代にはこれを用い、浮遊可能な木造船(錬土金製の船もあった。)が造られていた。|
|两足步行拖车机械|韓王朝初期~末期|形状記憶合金を用いた人工筋肉の1種、馬力は900HPであり古代にはこれを利用した歩行する乗り物が存在した。|

*&bold(){・文化}
 堕落した帝政時代・資本主義時代の遺物はほぼ全て破壊されており、また帝政末期よりイクファターナ諸国から流入した貴族主義的洋装・文学・芸術は人民の精神を汚染するため禁止となっており、その代わりとして党は革命と社会主義発展を鼓舞する文学・絵画創作を援助している。
 特に伝統的な&bold(){京劇}を前衛主義的に改良した革命劇は清河国内で人気を博している。また文盲の人民達に映像で革命精神を教育するため、次世代的映画の作成にも取り組んでおり、特に元京劇脚本家&bold(){好色}が巨匠として国内外両方で広く評価されている。

**・代表的な映画
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|>|~&bold(){「もし週末開戦したら」}|
|&bold(){監督&脚本}|好色|
|&bold(){制作会社}|栄都影業公司|

&bold(){・概要}
 清河のプロパガンダ映画、7615年に行われた演習の映像を切り貼りしてジャーガルク・スルガ・アトリオンとの戦争シミュレーションに仕立てた作品、監督は前作「戦艦充啓」でモンタージュ理論を確立し、清河国内で一躍有名となった好色
&bold(){・あらすじ}
 近い将来のとある日曜日、善良な農民たちが国立農園で休日であるにも関わらず自主的に労働し、また勤勉な労働者達が休みを返上し祖国のため働いている中、周辺諸国の軍隊(軍装からアトリオン軍・ジャーガルク軍・スルガ軍と思われる)が突然祖国を攻撃する。敵の卑怯な侵略行為に対して清河紅軍は頑健に抵抗するも、奇襲の効果によって初期は負けが続く、しかし帝国主義者と封建領主を憎む同志人民達が国土防衛に協力し、広大な我が国土に引き込まれた侵略者は包囲殲滅される。
 その後紅軍は敵国本土開放に着手し、東の封建国家と西の帝国主義国家で抑圧されていた労働者・農民が歓喜で解放者たる紅軍を出迎える。終盤では帝国主義の巣窟たる小さな島国へ亡命しようとする帝国主義国の老皇帝と、封建国家の鬼畜淫乱領主達が乗船する戦艦に、家族を残虐無道な敵軍に殺された青年パイロットが操る戦闘機が特攻し、その報告を聞いた偉大なる指導者頭光盟(本人が出演)が同志たちに「勇敢な戦士達の犠牲を無駄にしないため、シンガのみならずこの惑星全ての労働者・農民を非道な支配者から解放しなければならない」と語り終了する。

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|>|~&bold(){「50銭銀貨の男」}|
|&bold(){監督&脚本}|馬路痲|
|&bold(){制作会社}|栄都影業公司|

&bold(){・概要}
 好色の弟子である馬路痲の処女作、内容が複雑であるという理由で、あまり好評ではなかった。
&bold(){・あらすじ}
 礼王朝時代末期、労働者の欣聾者は1日50銭銀貨一枚の賃金でガラス製品工場で働いていた。しかし、労働者を搾取することしか考えていない工場主は工員達に、「今日から日給を10銭銅貨4枚に下げる」と通告する。
 多くの労働者が不平不満を言う中で、欣聾者は「もっと働けば賃金が上がるはず」と思い込み、終業時間後も働き続け、それを見た工場主は労働者たちの勤労意欲増大を目論見工員達の前で欣聾者に10銭の報奨金を特別に支払い、他の労働者たちも時間外労働を行うようになる。
 しかし数日後工場主は「今度は今日から日給を10銭銅貨3枚に下げるが最も働いた者1人に報奨金10銭を支給する」と通告、労働者たちは報奨金に釣られさらに時間外労働に励むようになり、調子に乗った工場主はさらに賃金を10銭銅貨2枚に下げ、逆に報奨金を20銭へ上げる。
 その中でも欣聾者はほぼ毎日報奨金を得ていたが、ついに限界を迎え過労死してしまう。葬儀の席で工場主は遺族に対して特別に見舞金を支払った。それは欣聾者が欲していた50銭銀貨であった。

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*&bold(){・歴史}
**・先史時代(約50万年前~約1万年前)
 現在清河が存在する地域に人類が生息し始めたのは約50万年前とされ、&bold(){ホモ・エレクトス}の亜種の化石が山汪人民地区で発見されており、彼らの生き残りは野人として各地に生息している。
 約20万年前にはラ族等の先祖である&bold(){ホモ・ソーラネウス}に続き、&bold(){ホモ・サピエンス}が生息し始め、約1年前に清河中部において&bold(){畑作}が、同時期に清川下流で&bold(){水耕稲作}が開始され、その後各地で小国家が形成され始めた。

**・神話時代~前韓王朝(約1万年前~1287年)
 その後小国家群は&bold(){封建制}に基づき、清河中部の&bold(){&color(purple){前韓王朝}}を盟主とする韓国家連合と清河南部の&bold(){&color(purple){印王朝}}を盟主とする印国家連合に分かれて対立、最終的に韓の&bold(){&color(red){段王王継}}が印の&bold(){&color(red){柱王灰記}}を216年に倒し、韓が中原の盟主となり、その後約800年は平和な時代が続いた。

**・東西韓朝並立戦国時代(1287年~1921年)
 紀元1000年頃より各地の諸侯が独立傾向を見せ始め、また韓本国も1287内紛により東西に分裂、以後各地の諸侯は韓王を盟主と仰ぎつつ、中原の覇者を目指し争った。戦乱の中、中原の西部に存在した&bold(){&color(purple){覇}}と、東部に存在した&bold(){&color(purple){譲}}が辺境との貿易と新田・新畑の開発によって勢力を拡大、覇は西韓王を盟主として、譲は東韓王を盟主として対立、結果として1916年、覇が譲を破り中原を統一、1920年には禅譲によって&bold(){&color(red){覇王羅聖}}が&bold(){&color(red){西韓の圧王王銘}}より盟主の座を譲られ、翌1921年に皇帝の称号(&bold(){&color(red){聖明帝}})を用い始めた。

**・覇王朝(1921年~1965年)
 &bold(){&color(red){聖明帝}}は貨幣・測り・暦の統一を進め、郡と県を設置(&bold(){郡県制})また北方に5度侵攻し現地人を服属させることに成功、しかし北方遠征によって得られた土地は少なく、また同時期に侵攻してきた[[ヘファイスティオン>エルフ]]軍撃退のため、長城を建設する等の賦役を人民に課し、戦費獲得の為のおこなった増税により各地で反乱が続発した。
 &bold(){&color(red){聖明帝}}の死後各地の反乱軍は旧諸侯の末裔を盟主として各地を占領、それでも2代皇帝&bold(){&color(red){聖酎帝羅胡}}は宦官を重用し、政務を行わず宴会ばかり行い酒の飲み過ぎで崩御、1965年に覇の都である柱都が反乱軍によって陥落し、3代皇帝&bold(){&color(red){聖酎帝羅黄}}は処刑され、覇王朝は滅亡した。
 その後、各地の反乱軍・復活した諸侯・覇王朝の生き残り軍等が戦いを続け、最終的に韓王朝の(自称)末裔である&bold(){&color(red){王玲}}が功臣達の助力もあって1968年に覇の旧領である中原を再統一、再び侵攻してきたヘファイスティオン軍も撃退した。

**・後韓王朝(1968年~4221年)
 &bold(){&color(purple){後韓王朝}}は覇王朝が急速な中央集権化を推し進めて失敗したことから、&bold(){群国制}に基づき一部の地域には皇族や臣下を王として治めさせ、ほかの地域を中央が直接管理できるようにし政権を安定させた。
 一方で覇王朝以降の&bold(){貨幣経済}の浸透と韓王朝時代の&bold(){製紙}技術向上&bold(){科挙制度}確立による識字率の向上により科学が進歩し、&bold(){金属セラミックス(MMC)}や&bold(){作用を制御できる半重力物質}が開発され、帝国は[[ヤード帝国]]に比肩するほど経済的・文化的に繁栄を極めた。
 しかし一方で王朝中ごろより貧富の格差が増大、王朝末期(4100年代)には寒冷化も相まって、生活の苦しい農民は各地で農民反乱を引き起こし、鎮圧のため軍事費が増大、そして費用を賄うため増税を行うという悪循環に陥り、また豪族等、各地で勢力を拡大する者も現れ、帝国は分裂し始めた。
 4152年には群王である&bold(){&color(red){王貝}}が反乱を引き起こし、4158年に首都陽安を占領、皇帝である&bold(){&color(red){哀涙帝王蜜}}を誅殺、&bold(){&color(red){王貝}}は翌年に皇帝へ即位、しかし反乱後、味方を増やすために王貝が豪族の地方における裁量権を大幅に認めたため、各地の群王・有力者は皇帝に従わなくなり、韓王朝は地方への統治能力及び徴税能力を喪失、中央では宦官と外戚の争いが続き、それらの勢力と結託して有力豪族が朝廷を制圧、反発する有力豪族と相争い、そして4221年に&bold(){&color(red){終彌帝王緑}}が諸侯の一人で政争に勝利した&bold(){&color(red){魏紺}}に禅譲し韓王朝は名実ともに消滅した。

**・皇帝分立時代(4221年~4319年)
 皇帝の座に就いた&bold(){&color(red){魏紺}}(&bold(){&color(red){香麓帝}})は国号を&bold(){&color(purple){宗}}とし、国土統一と諸制度の整備を推進、しかし韓王朝時代から独立していた諸侯は正当な皇帝ではないとして従わず、特に韓王朝の王族で元群王の&bold(){&color(red){王微}}は&bold(){&color(red){魏紺}}を簒奪者と見なし、自身こそが正統な韓の皇帝(&bold(){&color(red){継道帝}})であると主張、それに同調して南東部で独立勢力を築いていた&bold(){&color(red){遜圏}}も宗への臣従を止め、皇帝を名乗り国号を&bold(){&color(purple){御}}として独立、以後中原に三帝が並立することとなった。
 3国は中原統一を目指し相争い、特に&bold(){&color(red){王微}}の&bold(){&color(purple){韓(継韓とも呼ばれる)}}は韓王朝復活を目指し、何度も北伐を繰り返すが、逆に国力を疲弊させ、4283年、2代皇帝&bold(){&color(red){王全}}の時代に宗の軍門に下り消滅、御国も河川と有力な水軍によって根強く抵抗を続けたが、宗国の物量と名宰相&bold(){&color(red){磁派川}}の活躍もあり4308年に滅亡、&bold(){&color(red){磁派川}}の息子である&bold(){&color(red){磁円}}が4319年に堕落し酒乱となった宗の&bold(){&color(red){案帝魏前}}より禅譲を受けて皇帝となり、国号を&bold(){&color(purple){芯}}とした。

**・芯王朝(4319年~4378年)
 &bold(){&color(purple){芯王朝}}の創始者&bold(){&color(red){項連帝磁円}}は群王や諸侯を味方にするため中央集権的な&bold(){科挙制度}を廃止し貴族主義的な&bold(){九品官人法}を採用、しかしその結果、諸侯・群王が派閥を作るようになり、さらに&bold(){&color(red){項連帝}}が堕落し、後宮に籠り政務を行わなくなったため、皇族・貴族の派閥が政治を動かすようになる。
 &bold(){&color(red){項連帝}}死後、無能な2代皇帝&bold(){&color(red){項方帝磁儀}}を皇族である&bold(){&color(red){磁面}}が暗殺したことを皮切りに、皇族同士の皇位を巡る内乱が勃発、約10年で皇帝が12人変わる事態&bold(){(十二龍の乱)}となった。
 各派閥は異民族((帝政韓王朝の末期より世界的な寒冷化によって異民族が中原に流入していた))の傭兵を雇い兵力を拡充し相争ったが、4256年に&bold(){&color(red){磁芭}}が皇帝に即位した際、約束の給金と封土を与えなかったという理由で虎族カプラン氏族の酋長である&bold(){&color(red){寅診}}が反乱(&bold(){寅山の乱})を引き起こし、芯の都である洛都は陥落、国土の北半分を占領した&bold(){&color(red){寅診}}は芯からの独立を宣言し国号を&bold(){&color(purple){汪}}とした。一方南部では芯の王族である&bold(){&color(red){磁器}}が亡命政権を樹立し&bold(){&color(purple){(南芯)}}抵抗を続けていた。その後、北部の汪は前王朝の旧官僚取り込みに失敗し分裂、諸国が相争う場となった。

**・六族十二国時代(4256年~4486年)
 韓王朝末期の寒冷化と戦乱により中原の人口は減少((一説には韓族の人口は3分の1にまで減少したとされている。))していたため、中原の諸王朝は自国への移民を推奨、内地へ移住した諸民族は、それまでの部族形態を維持したまま王朝の傭兵として使われた場合が多い。&bold(){&color(purple){汪王朝}}崩壊後、&bold(){虎族}&bold(){&color(purple){(黄・黒・穏・彌を建国)}}&bold(){狼族}&bold(){&color(purple){(楼・宍・甚を建国)}}ダハーカ系の&bold(){ラ族}&bold(){&color(purple){(後羅・磨・欣・布を建国}})同じくダハーカ系の&bold(){ヌグ族}&bold(){&color(purple){(地・射・痔・撫を建国)}}&bold(){テリシュ人}&bold(){&color(purple){(紀・淡・列・途を建国)}}銀髪金目の&bold(){銀族}&bold(){&color(purple){(呂・膳・吏・斗を建国)}}が有力となり各地に新国家を建立、それに対して多くの&bold(){韓族}は南部(南芯)に亡命したが、北部に残った韓族は芯王朝を見限り、新しい国家&bold(){&color(purple){(李・望・剃)}}を建てた。
 4387年に&bold(){&color(purple){後覇}}の&bold(){&color(red){腕王神賢}}が韓人宰相&bold(){&color(red){亜美摩}}を重用し内政の充実を図り旧汪領を制圧、さらに4411年には南方の(南芯)を滅ぼし中原を統一するが、&bold(){&color(red){亜美摩}}の死後内政を担当できる者がおらず、4415年には各地の将軍が裏切り中原は再度分裂、その後、羅の将軍であった虎族の&bold(){&color(red){飛個}}が建てた&bold(){&color(purple){蕗}}の3代皇帝&bold(){&color(red){飛治}}が中原北部を纏め上げ、南部の韓人王朝と対峙した。

**・南北朝時代(4486年~4602年)

***・北朝の動向
 &bold(){&color(purple){蕗王朝}}は5代皇帝&bold(){&color(red){制文帝飛陽}}の時代に隷下の部族を統制・解体するため、&bold(){三長制}による村落統制制度確立し、さらに&bold(){俸禄性}を復活させ、今まで官僚が支配下の土地より給与として自由に徴税していたのを、中央政府が定めた税率の下徴税役人が徴税し、その一部を給与として支給することにより、地方勢力が独自に行動できないようにした。
 また荒廃した農地を再整備し税収を拡大、さらには農民から徴兵できるように&bold(){戸籍}を整備し&bold(){府兵制}と&bold(){均田制}を実施、非韓人貴族に部族ごとの習俗を改めさせ、韓人風の生活を強制し、国の一体化を図った。しかし、その韓化政策の是非を巡り宮廷内で派閥争いが発生、7代皇帝&bold(){&color(red){制政帝飛紋}}の死後に後継者争いと相まって、内乱が勃発、皇族・官僚・軍人が殺し合う内乱の後、関中の軍閥である&bold(){&color(red){裳武}}が正統な8代皇帝に&bold(){&color(red){譲代帝飛免}}を擁立した。
 しかし&bold(){&color(red){裳武}}に帝位を奪われると疑心暗鬼になった&bold(){&color(red){飛免}}は宴会の席で自ら裳武を刺殺、それを見ていた裳武の息子&bold(){&color(red){裳治}}は飛免をその場で殺害、その勢いで皇族飛家の人間を全て殺し、皇帝に即位&bold(){&color(red){(正義帝)}}国号を&bold(){&color(purple){欣}}とした。
 その後、&bold(){&color(red){正義帝裳治}}は飛家の娘が各軍閥に嫁いでいることを思い出し、飛家と繋がりのある軍閥討伐を開始、しかし逆に簒奪者に対する反裳治同盟を組まれ敗北、&bold(){&color(red){正義帝裳治}}は処刑され、軍閥内で一番勢力があった陽軍閥の&bold(){&color(red){陽健}}が皇帝となった。 
 その後&bold(){&color(red){聖武帝陽健}}は国号を&bold(){&color(purple){瑞}}とし、&bold(){&color(purple){蕗王朝}}以来の中央集権化政策を押しすすめ、旧来の地方行政を改め&bold(){郷里制}を整備、在野の優秀な人材を確保し貴族や豪族の力を削ぐため&bold(){科挙制度}を一部復活、内政を充実させた後、南部の韓人王朝へ遠征、南部&bold(){&color(purple){珍王朝}}最後の皇帝を捕縛して4661年に中原を再統一した。

***・南朝の動向
 南朝では&bold(){&color(purple){芯王朝}}崩壊後、現地の豪族と北部から逃れてきた貴族の間での派閥争いが続き、皇帝の権力は有形無実で、政治の実権は現地豪族と軍閥が牛耳り、&bold(){&color(red){腕王神賢}}が率いる&bold(){&color(purple){後覇}}軍によって&bold(){&color(purple){(南芯)}}は滅ぼされた。
 &bold(){&color(purple){後覇王朝}}崩壊後、権力の空白地帯となった南部では韓人貴族・豪族が相争い、また皇帝が疑心暗鬼より皇族・貴族を虐殺するという事態が相次いだため、&bold(){&color(purple){瑞}}に征服されるまでの186年間で6つの王朝&bold(){&color(purple){(里・悶・厳・犲・峨・珍)}}が興亡した。
 &bold(){&color(purple){犲王朝}}の時代には&bold(){&color(red){合部帝士萬}}が戸籍を整備し&bold(){土断法}を実施、官位の上下を9品から18班とし新興の貴族人材を取り入れることにより、一時的には中央集権化と税収増加に成功したが、後の時代にかえって皇帝に逆らう貴族を増やすこととなり、また北朝との争いでは全ての王朝でほぼ劣勢だったため、&bold(){&color(purple){珍王朝}}の時代に北朝&bold(){&color(purple){瑞}}に併呑された。

**・瑞(4602年~4642年)
 &bold(){&color(purple){瑞}}による中原統一後、&bold(){&color(red){聖武帝陽健}}は宮廷費を節約し水路や道の整備を進めたが、跡を継いだ&bold(){&color(red){炎蔡帝陽代}}は華奢に溺れ、更に中原を南北に貫く大運河を人民を動員し掘削させたが、各地で重税と賦役に耐えられなくなった農民が蜂起し群雄が乱立、4639年に陽代は武将の&bold(){田古}に誅殺された。

**・柱王朝(4642年~5631年)
 群雄の一人で先帝の婿養子であった&bold(){&color(red){理縁}}は3男の&bold(){&color(red){理清民}}の助言に基づき支配地への重税を避け、人民の支持を集めることにより、他の群雄が被支配者の反乱で悩まされる中、安定した収入を確保し勢力を拡大、4641年に中原を再統一し、&bold(){田古}に幽閉されていた&bold(){&color(red){杏譲帝陽吉}}を皇帝とし、4642年には禅譲を受けて皇帝(&bold(){&color(red){才武帝}})となった。
 そして跡を継いだ&bold(){&color(red){聖常帝理清民}}の時代に&bold(){律令}を作製し全国の&bold(){検地}を進め&bold(){均田制}を強化、中央官庁として&bold(){三省六部}を設置し、&bold(){租庸調}と&bold(){府兵制}の制度を整備し財政を安定化させ王朝の基礎を築いた。
 しかし次代の皇帝は暗君が多く代わりに皇帝の寵妃が実権を掌握、だが彼女たちに対して門閥貴族が反発した為、逆に科挙官僚や実力のある者が代わりに優遇されるようになり、庶民が貴族の汚職や生活の実態を朝廷に上奏するシステムも創られたため、汚職が減少し経済は発展した。
 4780年に後宮の傀儡とはならない聡明な&bold(){&color(red){完仙帝理武}}が即位、増大した国力を背景に[[トゥガ王国>トゥガ国]]や西方諸国へ遠征し国土を拡大し帝国の最盛期を築く、しかし彼の死後、軍事費が増大しその負担に耐えられなくなった農民が地主の土地へ逃げ、&bold(){均田制}と&bold(){祖庸調}の制度が崩壊、また徴兵に応じる者も居なくなったので、財政難の結果なし崩し的に&bold(){両税法}が導入され、兵力確保を目的とし職業軍人制度である&bold(){長征健児制}も辺境地区を中心に開始され、軍人達を統括する&bold(){藩鎮}が地方行政を支配するようになった。
 そして&bold(){藩鎮}に任命される者の中にはそもそも異民族で王朝に忠誠心などなく、勝手に独立したり((その代表格が[[ジャーガルク・シャー国]]))王朝に反抗する者が多く居り、そして5631年に最後の皇帝が退位させられ、柱王朝は崩壊した。
 


**・三民八国時代

**・冨王朝(前冨王朝)

***・北冨王朝

***・南冨王朝

**・モスン帝国~狼王朝(6515年~6687年)
関連項目:[[モスン帝国]]
 北冨王朝は当時、[[トゥガ国]]やジャーガルクの諸邦による入犯に悩まされており、長城等の城柵を築き対策していたが、自国軍の反乱を恐れるあまり、軍の指揮官には王朝に忠誠を誓う科挙官僚を任命し、優秀な武官は粛清していたため、侵略を防ぎ切れていなかった。
 そこで北冨王朝は「夷を以て夷を制す」の精神で、北方の小部族族長達を支援、その中に&bold(){&color(purple){モスン族}}&bold(){&color(red){アルタ・ハーン}}((彼は優れた戦略家でもあり、氏族ごとにバラバラであった民を千人隊や百人隊へ再編、戦術を動く藪の陣形・湖の陣形等に体系化して、手旗信号や銅鑼の合図で騎馬隊を運用し、また諜報戦と補給線の確立も重視した。))がおり、王朝からの支援や馬の売買によって勢力を拡大、また自国領の北に鉄鉱石がある事に気づいたため、コークス製鉄が盛んである王朝に鉄鉱石を売り込み巨万の利益を得た。
 そしてその経済力と軍事力によって北方((現ジャーガルク領ハルラ盟国))を統一、&bold(){6515年}に遊牧民のクリルタイでカン(王)に推挙され、その勢いで南方(現ゼン国)を制圧、さらに交易路開拓のため送った使節を殺害した[[トゥガ国]]に対して懲罰遠征を開始、&bold(){6527年}に王を捕縛し処刑して同国を併合した。
 一代で大帝国を築いたアルタ・ハーンを警戒した北冨王朝は、経済制裁として&bold(){朝貢}・&bold(){互市}の停止処分を行ったが、&bold(){6534年}に激怒したモスン軍が侵攻、首都皇安(現栄都)は陥落し皇帝は捕縛されたものの、皇族が南部に逃れ、臨時政府を樹立(&bold(){&color(purple){南富}})、南富王朝は直ぐにアルタ・ハーンへ謝罪の使節を送り、逆にモスン帝国へ臣従し、歳幣を送ると約束、折しもハーンが危篤であったため、モスン側も遠征継続は不可能と判断し、休戦条約が結ばれた。
 その後、アルタ・ハーンの次男である&bold(){&color(red){オゴ・ハーン}}が即位し、長男の三男である&bold(){&color(red){パリ}}((後のジャル・ウルス初代ハーン))に東方遠征を命じ、また&bold(){駅伝制(通称ジャムチ)}を帝国全土に広め、&bold(){官僚}制に詳しい韓人官吏を重用した。
 しかし過度の飲酒によって55歳で病没、集会を無視してオゴ・ハーンの次男である、&bold(){&color(red){ドヅジュ・ハーン}}が即位、それに反発した東方イクファターナ遠征中のパリ・ハンはドヅジュ・ハーンの即位を認めつつも反発、東方領土の税が一時滞るようになる。
 ドヅジュ・ハーンの死後、アルタ・ハーンの4男イルの長男である&bold(){&color(red){クン・ハーン}}が即位、彼はすぐさま使節を送り東方パリ・ハンとの対立関係を解消し、さらに学問を推奨して、首都テングルに学者を集め、皇族・貴族の子弟を教育し、次代の官僚育成に努めた。
 また前南冨王朝への侵攻を積極的に進めたが、その陣中にて病没、クン・ハーンの死後その同母弟である&bold(){&color(red){ライ}}と&bold(){&color(red){アリケ}}がハーンの地位を巡り対立、クン・ハーンの前南冨王朝遠征に従っていたライはアリケが集会の用意を行っている間に遠征軍の支持を集め、さらに各地の方面軍を味方につけ、アリケのいる首都テングルへ侵攻、寄せ集めのアリケ軍を破り勝利し、アリケはライの軍門に下った。
 即位したライ・ハーンは前南冨遠征を再開し、先に臣従させた[[ムスルマーネン>ムスルマーネン=カリフ国]]に南冨との貿易禁止を命じ、また優勢な南冨水軍に対抗するため、ムスルマーネン人の船乗りを雇い水軍を整備、さらに&bold(){金鱗族}((鉱山開発に長けたラミア系民族))の工兵に敵の要塞を水攻めにさせ、救援に来た北冨水軍の&bold(){水上機動部隊}を自国水軍で殲滅、主力部隊を失った南冨王朝は劣勢となり、&bold(){6598年}にモスン帝国は前南冨を滅ぼし中原全土を制圧、&bold(){6600年}には国号を&bold(){&color(purple){狼}}とした。
 前南冨征服後ライ・ハーンは2つの新しい都((景都と完安))を建立、塩を基にした&bold(){兌換紙幣}の発行や&bold(){運河}建設によって商業を推奨し、また安定した社会の下技術も発達、&bold(){染付陶磁器}など新しい特産品が登場した。反抗的な一族は粛清する一方で同母弟が建国した&bold(){&color(purple){アル・ハン国}}や&bold(){&color(purple){ジャル・ウルス国}}と緩やかな連合体制を創出し、商人の安全を確保した。
 しかし&bold(){6621年}に6代皇帝&bold(){&color(red){テルー・ハーン}}が没すると外戚・貴族・軍閥を巻き込んだ皇位争奪戦が続き、さらに商業の推奨によって、世界的に伝染病((緑死病))が蔓延、また[[浮屠教]]の大寺院を建立するため韓族へ重税を課したため、飢饉に伴い政情は不安定化、&bold(){6687}年には韓族の反乱によって中原の領土を喪失した。


**・五国時代

**・冨王朝(後冨王朝)

**・柱王朝(後柱王朝)

**・復韓王朝

**・礼王朝(7289年~7599年)
 7289年に農民出身の大将軍&bold(){&color(red){浮錬嘉}}が韓の&bold(){&color(red){蝋経帝王閥}}より禅譲され&bold(){&color(purple){礼王朝}}が誕生、礼王朝は前冨王朝に習い、官職を細分化して皇帝独裁体制を確立し、また、朝貢関係の強化及び拡大を目的として各国へ調査団を派遣、7329年には滅ぼされた復韓王朝の王族である&bold(){&color(red){王遺}}が&bold(){洋南諸島}((現アトリオン領ニューリペルニア諸島))建国した&bold(){&color(purple){南韓}}を降伏に追い込み併合、7347年には大船団を率い宦官&bold(){&color(red){オラン}}が現[[ハダカンボ王国]]に派遣された。
 7417年には&bold(){一条鞭法}を実施し、複雑な税体系を簡便化して銀納の一本にまとめ、また7422年には対立関係にあった[[ジャーガルク・シャー国]]と開戦し一部領土を獲得、一方で7500年代より門徒開放や移住を求めるイクファターナ人の越境が増加、礼王朝はイクファターナ諸国に対して朝貢及び服属を要求するが、イクファターナ人達は拒絶、時の皇帝&bold(){&color(red){安霊帝浮埒}}は国内のイクファターナ人を見せしめに殺害するが、それを理由に7511年イクファターナ諸国連合軍が侵攻(&bold(){嘉門戦争})、首都皇安が陥落した。※ その翌年に停戦条約が結ばれ、礼国は莫大な賠償金の支払い義務が発生、重税によりその資金を調達しようとしたため、各地で農民反乱が多発、一時国土の北半分を反乱軍に占領されるが、科挙官僚・王族が創設した近代的軍、及びイクファターナ諸国の支援によって、反乱を鎮圧した。
 その後礼王朝は鉄道・電信の敷設、教育制度の確立、軍の再編などを進めたが、その資金を重税によって調達したため、各地の王朝に対する不満が増加、それを打開するため時の&bold(){&color(red){失哀帝浮雲}}は7586年に[[ジャーガルク・シャー国]]へ侵攻([[ジャーガルク・礼戦争]])、しかし逆に攻め込まれ、7588年の&bold(){山南条約}締結によって、広大な領土を失う結果となった。
 敗戦後、&bold(){&color(red){失哀帝}}は王朝を立て直そうとしたが7594年に病没、息子の&bold(){&color(red){陽哀帝浮敏}}が皇帝となったが、5歳の彼に王朝の滅亡を止める力はなく、民主派・反王朝派による革命が各地で発生、その中で7599年に南衛軍閥のトップ&bold(){&color(red){射剣}}元帥によって廃位され、礼王朝は滅亡した。

※イクファターナ諸国連合軍のうちソフィア王国軍は類まれな残忍さを見せ、ソフィア王国軍が通過した周辺は人一人残らず皆殺しにされ、凡そ3万人の民間人が殺戮された。講和会議ではソフィア王国軍が会議場の付近で2万人余りの捕虜と拉致した民間人を1人1人殺害していき、ソフィア王国代表が礼国代表団に対して
「会議が纏まるまでに「あれ」が全部片付いたら次はあなた達の番です。楽しみですね」
と威嚇した。講和会議期間中に凡そ2万5千人余りの礼人が殺戮され、これらの虐殺事件はソフィア人に対する怨讐を抱かせた。

**・中原共和国~原王朝(7599年~7602年)
 礼王朝を滅ぼした&bold(){&color(red){射剣}}元帥は、民主派・反王朝派との協議の上、中原共和国大統領に就任、しかし大統領就任後に政治を牛耳るため
各地へ刺客を送り、民主派・反王朝派の指導者層暗殺を画策、その事実を知った民主派・反王朝派は団結し、&bold(){国民連合}を結成、誕生間もない議会において、射剣大統領解任決議を行った。しかし射剣は隷下の軍を動かし、議会を占領、その場にいた議員を反逆罪で処刑し、7601年には皇帝に就任、国号を&bold(){&color(purple){原}}とした。

**・[[ヤーディシア大戦]]への参戦(7601年~7602年)
 共和制(中原共和国)を破戒し、自称皇帝となった射剣元帥は列国に政権承認を求めたが、議会制民主主義の国々は自国世論を考慮し、承認を拒否する又は承認の条件として利権を求めた一方、[[ヤード帝国>リントヴルム朝ヤード帝国]]は鉱山の割譲という”比較的”軽い条件で帝政を承認、しかしそれでも中原の民は政権の為利権を割譲したとして射剣元帥を非難した。
 大戦勃発直後、列強が大戦に注力し租界から一部兵力を引き上げる中、射剣元帥は諸国が対応できないうちに租界を奪還、さらに領土を拡大すれば人気を獲得し、帝政を根付かせる事かできると考え、早速[[ジャーガルク>ジャーガルク・シャー国]]が自国に攻めてこないように不可侵条約を打診、ジャーガルク政府は複数の鉱山利権に加え、自国に対する関税自主権の廃止と鉄道利権の譲渡を条件に受諾、後顧の憂いを断った原帝国軍は租界へ、さらに&bold(){タンクレート王国}軍と共同で&bold(){ロードレス諸国}へ侵攻した。
 両軍の攻撃に対して列強の租界防衛軍は近隣諸国から弾薬・食糧を購入し応戦、終戦までチュンハイ等の租界は維持された一方、ロードレス方面は原帝国・タンクレート王国軍によって制圧、しかし急激な侵攻に兵站が追い付かず、兵士による略奪・虐殺が横行、また異教徒の侵攻に対してアレルギー反応を示した[[カノミス王国]]の円十字教騎士修道会&bold(){サンタ・クロース騎士団}や&bold(){シンファナ社会民主主義推進同盟}(([[シンファナ=タンクレート共和国連合]]の前身))によるパルチザンにより戦闘は長引いた。
 7602年、長期化する戦闘に対して働き手を徴兵された農村は疲弊、食糧・燃料の値段が高騰し((この時ジャーガルクは無関税であることを利用し、食糧・燃料を輸出、暴利を得た。))それによるデモや暴動が相次いだ、この様な中で7602年の10月9日に射剣は病没、同時に本土を防衛していた将軍たちが前線への食糧・兵員輸送を中止し、任地での自立を図るようになった。
 跡を継ぎ2代皇帝となった&bold(){&color(red){射閔}}は駐留していたロードレスより兵を引き、裏切った首都預かり将軍&bold(){&color(red){厘庫}}に戦いを挑んだが、厭戦機運が高まった兵たちは次々と脱走し、最後は部下に裏切られ同年11月28日に処刑された。

**・軍閥内戦時代(7602年~7613年)

・&bold(){7602年~7613年に存在した勢力}
|名称|トップ|支配地域|概要|h
|&bold(){直隷軍閥}|厘庫&br()大総統|直栄省&br()(9)&br()南部| &bold(){南衛軍閥}を前身とする軍閥、皇安を支配していたため、正当政府とされており、一時は真陽軍閥に滅ぼされたが、租界へ逃げ込み立て直し復活、しかし[[趙裂天爆殺事件]]直後に勢力を増大させた紅軍に敗れ滅亡した。|
|&bold(){案騎軍閥}|団瑞&br()総理|直栄省&br()(9)&br()北部| 南衛軍閥の分派で共和国残党討伐強硬派が分離して誕生、直隷軍閥と激しく争った。真陽軍閥に滅ぼされた後にまた復活したが、直後に総理が死亡し、その後も勢力が振るわず多くの将兵が紅軍へ吸収された。|
|&bold(){真陽軍閥}|趙裂天&br()大元帥|旧西三省&br()(現氷刹省)|総督に帰順し、ジャーガルク・礼戦争に従軍した元馬賊の&bold(){趙裂天}が、旧礼帝国時代の官僚組織を基盤に結成した軍閥、彼は礼帝国時代に政府支援下で馬賊の統率を行い、原帝国時代は大戦の後方兵站基地を整備するという名目で領内に自国資本鉄道や大学等のインフラを整備し、&bold(){原帝国}崩壊直後に軍を動かし帝国の総督を追放、更に勢いに任せて紺築省(6)へ侵攻し同地を支配した。&br()趙裂天は他の軍閥と違い、不在地主の土地を小作人に分配し、各種インフラの整備を行う地域密着型の軍閥であり、支配下の民は彼を支持し、また早くからジャーガルク陸軍に接触し、軍事顧問や物資を支援してもらったため、彼の軍は軍規が行き届いており、7604年には北釣軍閥と惹章軍閥を配下に収めた。&br()7605年には案騎軍閥と同盟し、共和国残党の陽安・充啓両政府を挟撃、多くの領土を獲得、さらに直隷軍閥と案騎軍閥の争いに付け込んで直隷軍閥と同盟し、案騎軍閥を打倒、その後連立政府の役職を巡って直隷軍閥とも戦い7607年に皇安を占領した。&br()しかしそれが列強の介入を招き、また中原の統一を望まないジャーガルクも占領地からの撤退を勧告し、盛り返した直隷・案騎軍閥によって直栄省(9)・央妙省(10)の領土を喪失、さらに同年鉄道で本拠地真陽へ期間中に爆殺された。(趙裂天爆殺事件)|
|&bold(){顛信軍閥}|峡王&br()大将軍&br()↓&br()鋼雨&br()神聖皇帝|沙南省&br()(8)|内紛が絶えず清河侵攻時には殆ど勝手に壊滅していた。|
|&bold(){中原共和国陽安政府}|央盟&br()大総統|央妙省&br()(10)&br()陽安付近|旧中原共和国共和派の残党議員が結成した政権、軍閥融和派で地方行政をある程度軍閥に任せる事を条件に、彼らの帰順を勧め、中原の再統一を図ったが、軍事力・経済力共に微弱だったため、その勧告は無視されおり、紅軍侵攻直後は無血開城し、降伏した。|
|&bold(){中原共和国充啓政府}|完民&br()大総統|央妙省&br()(10)&br()充啓付近|陽安政府から分離した軍閥強硬派、軍閥は飽くまで討伐すべきとし、中央集権的な共和国の復活を目指していた、7608年に紅軍の呼びかけで同盟し、最終的に清河政府へ吸収された。|
|&bold(){北釣軍閥}|金浪費&br()宇宙大将軍|北釣島&br()(12)|真陽軍閥支配下でもその空軍力を消耗させるのは勿体ないと判断した趙裂天により、帰順を許され同軍閥崩壊後も勢力を保ったが、空軍派と陸軍派の争いで陸軍派が紅軍を呼び込んだため壊滅、残党が空賊連合組合となった。&br()→[[空賊連合組合]]|
|&bold(){田家軍}|早蛇王&br()田盛|央妙省&br()(10)&br()紺築省&br()(6)|した蜥蜴亜人系軍閥であり、紅軍に最後まで抵抗したが、7612年に壊滅した。|
|&bold(){惹章軍閥}|運胡&br()大将軍|氷刹省&br()中部&br()(84)|支配地で地主と結託し、貧民に重税を課したため民心を失っており、支配地では紅軍が跋扈していたが、7604年に真陽軍閥の討伐を受け帰順、同地の紅軍も討伐を受け山岳へ逃げ込んだが、同軍閥崩壊後復活、しかし復活後も民を搾取していたため民心を失い、山岳に籠っていた紅軍の攻撃で消滅した。|

 その後は各地で自立した射剣元帥の元部下・国民連合残党・その他有力者の勢力が地方政権として乱立し、各地で自称大統領・自称皇帝・自称委員長が現れた。そのような中偉大なる指導者にして、天才的軍事指導者であらせられる&bold(){&color(red){頭光盟}}委員長が&bold(){中原社会民主主義推進同盟}の指導者として、各地で善良な農民・労働者を苦しめる勢力を討伐、7613年には人民の為中原を統一し、清河人民社会主義共和国を建国、7618年には[[ジャーガルク・清河不可侵及び通商条約]]を締結し国家の存在を確固たるものとした。

*&bold(){・人物}
|名前|役職|年齢|詳細|h
|&bold(){頭光盟}|政治局委員長|114歳| 7502年に誕生、家は元々亀族の富農であったが少年時代にソフィア兵によって土地を荒らされたため生活は貧しかった。7526年に親戚の伝手で外国の高等学校に入学、大学進学予定であり入学試験にも合格していたが、入学10日前に学費の為働いていた工房の労働争議に参加したため入学を取り消さた。その後故郷に帰り、同地手習い堂の教師として働きつつ、誕生間もない中原社会民主主義推進同盟に参加、&br()数少ないインテリ(当時の礼帝国において中学校を卒業した者は、全人口の5%以下であった。)として教育局局長に就任、7585年の[[ジャーガルク・礼戦争]]においては多くの党員が民族主義的感情により戦争を賛美する中、ただ一人「この戦争は封建領主が飢餓と貧困より人民の目を逸らすために引き起こした贅沢な劇である。」と主張、同戦争終結後は発言力を増大させ、7593年には同組織の最高委員長に就任、&br()都市における革命を主張する古参幹部に対して、「人民の90%以上は農民なのだから、農村を支持基盤とすべき」と独自の考えを持ち、7598年には国民連合と合作し礼王朝滅亡に協力、初期議会の議員となるも、あまり議会に参加しなかった為射剣による議員虐殺を免れた。その後は同組織の本部を北部&bold(){零雹県}に移し同地を統治、侵攻してきた軍閥軍をゲリラ戦によって撃退し、更に軍閥の統治する地域に工作員を送り込み、内部分裂と農民反乱を誘発した。&br()7611年に射剣の元部下である&bold(){厘庫将軍}が統治していた皇安を占領、国土のほぼ全てを制圧した。その後は世界革命を目標とし先ずは国を安定させ、国力を増やすべきとし、7613年に清河人民社会主義共和国建国を宣言、土地・生産手段の国有化・外国の利権接収・海外革命組織との連携強化・反革分子の粛清を進めている。|
|&bold(){頭光美}|軍事員会委員|42歳|7574年に誕生した頭光盟の長男、当時父親は革命家として活動していたため、一時逮捕される。(その時、頭光盟は「息子なら何時でも作れる、あれは放置しろと発言している)脱走後、官憲の捜査が及びにくい外国人居留地で生活、同地の中等学校を卒業後、偽名と偽の身分証(韓人とレオネッサ人のハーフと偽った)を用いて[[レオネッサ王国]]士官学校に入学、&br()韓語を話せるという理由で居留地防衛軍の指揮官となる。そこで韓族系兵士を教化し、彼らの多くを中原社会民主主義推進同盟党員とした。内戦時には退役した彼らを率い同党精鋭部隊として活躍、しかし現在父との関係は良好とは言い難い|
|&bold(){頭凡々}|書記局長|21歳|7595年に誕生した頭光盟の次男、父親が老いた時に生まれたため、兄弟の中で一番可愛がられている。父親の伝手で偽名を用い外国の私立学校に入学した。|
|&bold(){虎錬}|軍事委員会委員長|55歳|中原社会民主主義推進同盟の初期党員で頭光盟の親友である虎倫の息子、虎族軍人の家柄であったため帝政時代の軍事教育所東学堂に入学、卒業後は[[ジャーガルク・礼戦争]]に従軍した。7588年に革命家である父と初めて会い、中原社会民主主義推進同盟党員となる。&br()入党後は当時教育局局長であった頭光盟より革命思想を学び、7591年に軍事委員会委員となる。内戦勃発後は革命軍指揮官として活躍し、また旧東学堂時代の人脈を用い、敵軍閥内の将校の引き抜きにおいて活躍した。|
|&bold(){孤李古}|人民保安隊長官|45歳|王朝崩壊後に入党した党員、狐人で元々は地方の警察所長官であった。拷問術に精通しており、また一介の警察署長から秘密警察長官に取り立ててくれた頭光盟を表では信奉している。&br()…が実際は堕落した資本主義文化の象徴とされる少女趣味者であり、時間があれば町や教化所を巡り、気に入った少年・少女を入手(一般人の子供であれば、親を反革命分子として教化所に送る)自身の邸宅へ招き、資本主義国から秘密裏に購入した服を着せ、上等な食事を与える、外国産のアニメ映画を見せるなど優しく接した後、地下室に連れてゆき「&color(red){自主規制}」した後「&color(red){自主規制}」し「&color(red){自主規制}」している。|
|&bold(){孤斐子}|政治局委員|43歳|王朝崩壊後に入党した党員、狐人で元々は工場の事務員であり、兄が秘密警察人民保安隊長官孤李古である。|

*&bold(){・固有種}
|名称|大きさ|解説|画像|h
|&bold(){野人}|身長約150~200cm|ホモ・エレクトスの生き残り、高度な石器と火を用い、山岳地帯の洞穴で生活する。[[ジャーガルク・シャー国]]に生息するイェレェンの亜種||
|&bold(){視肉}|1g~5t| 陸生単細胞緑藻類の一種で、どの様な土地でも発生する。見た目は文字通り茶色い肉で目玉の様な模様があるためこの様な名称となった。食べることができ、味は鳥のささ身のようであるとされ、清河の人口を支えている。一説では災害続きの末期後韓が食糧問題解決のため、合成したとされている。||
|&bold(){シンガキリン}|| シンガに分布するキリンの仲間、主に荒野で生息し、一部は観賞用に飼育されていたが、キリンを麒麟と同一視してきた歴代王朝への反発として、飼育されてきたキリンは多く殺され、野生のものも食糧不足により狩られている。||

*&bold(){・旧設定集}
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|[[スルガ]]|>|封建領主とブルジョワに支配されている国、スルガの労働者はかわいそう、開放して偉大なる家族の一員にしてあげなきゃ(使命感)|落ちぶれた宗主国。学ぶより忘れることの方が多い。かつては尊敬できるところもあったが、今やどこにもない。|
|[[リンディスヴァート制憲諸邦同盟]]|>|自国の封建領主と海外の帝国主義者によってひどい目に遭わされたのに、未だ封建制度が続いているなんて、隷下の人民が可愛そう、工作い…じゃなくてボランティアと武器…じゃなくて支援物資を送って、現地の社会主義者を支援しなきゃ(使命感)|まずは患部の切除あるいは治療。後に病原の根絶。|


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