[曽野・秦対談](2)
(中略)
大江健三郎と古本屋
秦 そういう時に、できるだけ事実に即して偏りなく見ていこうという基本態度をとるのと、そうじゃないのとでは、結果的に雲泥の差が出てきますしね。また「事実よりは真実を見なさい」と言いだす人が出てくると、つい迷う人もでてくる。
曽野 真実は人の数だけあると、私は思っていますが。
秦 そうそう。
曽野 私なんか小説家ですから、悪い意味でもいい意味でも思い込んだら命がけなんですよ。だから、思いこんだことは、自分にとっての真実ではあっても、事実かどうかは分からないと絶えず思いなおしています。でもそう思わない方もいらっしゃいますから。
秦 大江健三郎さんを指しておられるのかもしれませんが、彼は「私は小説家なんだから」を口実にしています。文学の世界では、交流し合う余地がないんですか。
曽野 小説の場合はそうですね。でも小説とノンフィクションははっきり違っています。小説はよろしいんです、惚れられたでも、惚れたでもどっちでもいい。そう思いこめたら、それが真実なんです。事実ではなくても……(筆。だけどノンフイクションなら徹底的に調査をして、結果をそのまま書くことになります。
秦 そこは歴史家も原則は同じなんですね。ところが原理主義的なイデオロギーを優先させる人も少なからずいますので、ややこしくなってくるんですが……。
ところで大江健三郎さんといえば、こんな「インタビュー」記事があります。第一審で勝訴した直後の2008年5月、ニューョーク,タイムズ」の東京支局長がインタビューをして、”This time He had Won”。これは支局長の表現ですが、大江氏自身はこの二年、沖縄裁判にかかりきりで、たくさんの関係資料を集めて、それを読んで消化するのに時間をとられちゃったので小説が書けなかったとこぼしたあと、集めた本を古本屋に500ドルで全部売り払ったというんです。さて五万円ぐらいになりますか。
その五万円というのが安いのか高いのか、なんとも言えませんけれどもね。でも不思議だなぁと思ったのは、原告側は即日控訴でしょう。普通は控訴審が終わるまでは取っておきそうなもんですが、最高裁までの勝利を確信したんでしょうか。
曽野 (笑い)。自信がおありか、大江さんの所蔵の本なら特別高く買います、という古本屋がいるのかもしれませんね。私は大江さんとは多少の因縁があるんです。
渡嘉敷の赤松隊がまとめたガリ版刷りの「戦闘詳報」があって、私が「ある神話の背景」をまとめているときに戦友会からもらったんです。私はあらゆる史料を集めるというのを原則としていまして、右も左もというか、上も下もかまわず集める原則にしているので、ありがたく頂きました。思いついて大江さんに電話したんです。そして「お送りしましょうか」と言ったら、言下に「要りません!」と言われたんです。
その時から大江さんは無縁の人だと思いました。その言葉の激しい調子を今でも覚えてます。あわてて「どうもごめんなさいね」と私はお詫びしたんですが、先日、大江さんが「曽野綾子の書いたものはいい加減だから読まない」と断言しているのを見て、この人は気に人らない史料は読まない主義の人なんだなとあらためて思いました。反対意見ならなおさら読まなきゃいけないと私は考えるんですが--
。
秦 当然そうですよ。
曽野 ですから私は、赤松隊側だけでなく反対側の文献も目を通しました。また赤松隊の人たちにせよ村の人たちにせよまとめて一緒に会ったら口裏を合わせるかもしれないと用心して、一人ずつ会って聞く事にしたんです。
個別だと、こっそり隊長の悪口を言う人も出てくるだろうと思いました。それでも、富山さんという方から曽野は自分の証言はぐあいが悪いので採用しなかったと言われたらしいですね。
秦 村役場の兵事主任だった故富山真順氏から、赤松隊の兵器係軍曹が少年たちに手榴弾を配ったという証言が裁判で争われた件ですよね。大江側は集団自決の軍命があった証拠に取れると強調しましたが 。
曽野 私の本から富山証言をなぜ落としたかって、責められても分かりません。私はヒアリングしたすべての情報を書いてはいません。ノンフィクション・ライターのすべての人が、整理した内容を書いていると思います。
私たちが書くのは警察の調書ではないんですから。たとえば「ひどい戦争でした」としかき言わない人もいるんです。「どうひどかったんですか」「とにかく、ひどかったんです」式の具体性を欠いた発言は取り上げません。
富山さんがそうだったというんじゃありませんが、とにかく手榴弾の話が出ていて、それがそれまでにない内容の話だったら、私は必ず書いていたはずです。
秦 富山氏は村史の手記ではまったく触れていないし、戦後40年も経ってから、家永教科書裁判の時、家永側の人が採取してきたのが初めてなんです。だから、あとで作り出した話かと疑われるんです。ところで、隊長の赤松さんはどんな印象でしたか、お会いになって?
(中略)
秦 あの判決はむちやくちゃなんです。ただ、裁判官は初めから結論ありきで、大江氏を勝たせる、沖縄に配慮した、という見方も多いですよ。
ところが、そんな上品な話じやなくて、もう少し次元が低いんだという見方もあります。原告護団のT弁護士という人はずぼらな人なんでず。「天才的だ」と評する人もいますが、準備書面の提出が遅くて裁判官がじっくり読めないわけですよ。
曽野 それは、それは。
秦 もちろん被告の大江・岩波側も読む時間がないので苦情を申し立てる。裁判長が怒って叱責した。
曽野 お困りですよね。それは。
秦 Tさんはさらに法廷へ遅れて来るんですね。まだ到着しませんので、もう少しお待ちくださいと裁判官を待たせたとか。
曽野 じゃ、アフリ力的な人なんだ。
秦 ええっ?
曽野 アフリ力的です(笑)。私なんか、アフリ力や中南米でそんなつき合いばかりでしから。地球上にはそういう人もいることに馴れていますけど。
秦 日本の裁判官は礼儀がうるさい。それにプライドの高い人が多く、裁判官が入廷しますと、「全員起立」と号令がかかります。
曽野 私は一時、裁判の傍聴が趣味だったのでよく知っています。いろんな裁判官を見ました。
秦 ですから堂々と遅れてくるというのは、誇り高い裁判官の心証を悪くします。日本の裁判は、裁判官の心証主義ですから、こんな礼儀知らずの弁護士に勝たせてたまるかとなっても不思議じゃないと友人の弁護士は言っています。原告側支援グループの申でも、T弁護士が心証を悪くしたので、勝てる裁判を負けてしまったとこぼしてぃる人がいるんです。
曽野 大勢の人を待たせるのはよくないですね。人間の時間は、労働の価値を生むものですから。
秦 私は第二審に証人で出廷することを承知してたんです。そのこともあって、2008年六月二五日の第一回公判の傍聴に行ってきました。
そのあと弁護団の打ち合わせがあったんですけど、そこでT弁護士が「今度は勝てるのがほぼ確実だ」と自信満々なんです。でも私はダメらしいなと思ったのは、私の証人申請は書いたものがいくつもあるので不要だとして裁判長から却下されたんです。
曽野 へえ。
秦 第一審で負けた本当の原因は、わからずじまいなんですが、六月から始まった控訴審(大阪高裁)は六月二五日に第一回法廷があって裁判官が次は九月九日と発表したんですね。ところが結審だということです。事実審理をやり直す気はないらしいので、専門家は悲観的に見ています。
曽野 私は家永裁判に国側の証人として出廷したんですが、国側、つまり被告側の弁護士の主尋問に答えるのはほんとうにむずかしくて緊張しました。事前の打ち合わせどおりに答えなくてはならないのですが、私ほんとうにアタマが悪くてその時になると何を言えばいいか忘れちゃうんです。ところが相手方弁護士の反対尋問になった途端に、楽になりました。
秦 私も家永裁判に国側の証人に出たんですが、やはりそうでした。
曽野 向こう側の弁護士が、「あなたは当時、日本船舶振興会の理事ですか?」と聞き、「はい、そうです」と答えたら、次は「あなたは松下政経塾の理事ですか?」「そうです」となりますでしょう。ははあ、あちこちそういうところからカネをもらっているたぐいの人間だと印象づけたいんだなと、相手の魂胆が読めたので、ひと呼吸置いて「いずれも無報酬でやっております」と付け加えました。反則かもしれませんが、プロレスだって、ニ、三秒なら反則も許されますしね。
秦 それはお見事でした。私も家永裁判で若い女性弁護士から、読んだ文献のタイトルを言ってくださいとつっこまれたことがありました。うっかり言うと、その本の中味を追及するつもりだなと思ったので、何冊も読んだが、タイトルは覚えていません、で押し通しました。すると向こうはある本のタイトルを持ち出して、読んだでしょうというので、読んだかもしれないが、中味は覚えていません、とつっぱねたら、やはり絶句しましたよ。心の中で「お嬢さん、しっかり」と声援していたんですがーー。
曽野 ほんとうに反対尋問は楽ですね。聞かれたことに答えりゃいいんですから。
秦 そぅですね。
曽野 でも主尋問は失敗したなぁ、と思っています。
秦 ただ、反対尋問は、上手く切り返せれば、一番効果があるわけで、どうせ主尋問は八百長だってお互いに分かってるんですから。できが良かろうと、悪かろうと、大勢には影響しません。
曽野 でも、なおさらちやんとできないとバカか、と思われるでしょう。
秦 反対尋問は、何回もリハーサルをやってから出ていくわけですよね。アマチュアであればあるほど。ところが、渡嘉敷出身の金城重明さんという牧師が裁判で大江側の証人として出てきたんです。すると反対尋問で大波乱が起きました。
曽野 どんな波乱ですか?
秦 山城さんという人が、「沖縄県史」に手記を寄せているんですが、17歳の金城らしき青年が兄と一緒に自決しそこねた島民を次々に叩き殺したと書いているんです。山城少年はまだ14歳ですから、背中を後ろから抱いて支え役をやらされた。
女性の場合は本人に左の乳房を持ち上げさせて、グサッとナイフで刺したという。反対尋問で弁護士がそれを取り上げて、「これは事実ですか?」と聞いたら「事実です」と認めたんです。それまで集団自決事件の語り部として有名になっていた金城牧師は、親兄弟を殺したのは「愛」からだと告白していたんですが、「あなたは親兄弟だけじゃなくて、第三者の人たちも殺害しましたね」と聞いたら、意外にも「はい」と認めたんです。
つづいて「計何人殺しましたか?」と聞いたら答えない。もう一回聞きますと言ったら、今度は裁判長が介入して、証人が言いたくないことをそれ以上問いつめるなと。
曽野 お優しい裁判官なんですね。
秦 これは、全裁判を通じての決め手かなと思ったんですよ。 要するに金城牧師は、一種の「殺し屋」だったということ、しかも彼は他の人も殺したのを今まで隠してたんですよ。それを認めちゃった。ですから、彼の証言は、すべて当てにならないということにもなります。彼はその後も集団自決は軍命だと声高に叫びつづけているんです。偽善者の典型ですね。
曽野 私は調査の時に、金城牧師に会って聞いています。そのとき私は、この方は後で証言を変えられる方じやないかと思いました。「そんなことは言ってなかった」とあとで言われそうだと思ったので、金城さんの証言の分だけは文藝春秋に頼んで買い取り原稿にしてもらったんです。
秦 なるほど。
曽野 私は勘だけはいいほうなんです。
秦 最近になって分かってきたんですが、座間味にも似たような「殺し屋」的役割をした人がいるんですよ。その人は山城安次郎という小学校の教頭なんです。ところが金城牧師は、トラウマをずっと抱えていたけれども、あとで沖縄キリスト教会のトップまでいった。座間味の小学校教頭も沖縄テレビの社長になったんですよ。
曽野 功成り名を遂げられたわけですね。
秦 そうなんですよ。そのあたりを島民に知られているので、二人とも島にいられなくなって沖縄本島へ移ったんですね。そんな人たちがトップまでいけるというのは沖縄の特殊性ですね。
曽野 その通りでしょう。
秦 本当に不思議でしょうがないんですが。
曽野 家永裁判の記録にあると思うんですが、法廷で金城牧師が「一人の人間の命は地球よりも重いとイエスが言われているとおり」と述べたんですよ。それで私は、イエスはそんなことはおっしやってません、と反論しました。あの人は聖書をしっかり読んでないんですよ。私は「なんて変な人なんだろう」と思いました。牧師さんなのにね。
秦 勉強してるも何も、向こうはプロの牧師でしょう?
曽野 反対の意味の文言はなくもないのです。「友のために命を捨てる。これより大きな愛はない」というくだりですが。
秦 不勉強のせいなのか、それとも都合が悪いからそういう言い方をしたのか。
曽野 わかりません。
秦 「人命は地球より重い」というのはハイジヤック事件のときの福田首相(父)のセリフで有名になったので、金城さんはそれを借用したんじゃないでしょうか。
曽野 そうでしょうね。
(2008.7.11、曽野邸で)