わたしの散歩コースは三つに絞られていた。ひどく抽象的な行き先だが、それしかないように思われた。
セミを探しに行こうか。
―それとも今日見つけた綺麗な場所へ行ってみようか、、。
行ったことのない場所へ行ってみようか、、。
私は財布の中身を確認した。五千六百円。バスに乗って山のある場所まで、十分なお金だ。
よし、たしか6キロ程離れたところに、県境の連山ほどではないが、あるていど大きな山村地帯がある。
行ってみよう。
バス停まで、小高い丘を歩く。
五千六百円あれば、バスに乗れるに決まっている。400円使うかどうかだ。
そしてその山村地帯のどこかで何かを食べながらたそがれて、セミを聞いて、帰ろう。
6キロという距離感に多少の不安を感じつつ、私はバスを待つ。
この丘からは、私の学校が見えた。
私はバスの右側の、後ろのほうに座った。
6キロ以上はあるということで、もう25分ぐらい走っている。まあいいか。
勘違いしたな、、。
今。1時38分。日差しはまだまだ強い。
今日は8月24日。学校が始まってから初めての土曜日でございます。
ああ、そう。綺麗な場所というのは、市役所の前にある公園の奥のことだ。
夏限定なのかもしれないが、木々の生い茂る場所。
下の土には木漏れ日が落ち葉のように揺らめいている。
もう行くことは無いだろう。なぜなら、、。
、、バスから見える景色がだんだん青くなってくる。空はまだまだ青い。葉はまだまだ緑い。空の色と、夏の色だ。
山の中の小さな町。せらせらと流れる川の上の橋。私はそのバス停で降りた。
まだセミの音は聞こえない。川に逆らって森の方へと歩く。
私は転校する。
少しでも止まると、涙が溢れてしまいそうだから、早足なのかもしれない。
「はあ、、。」
1
思い返せば私。涼宮ハルヒは、破天荒なことをしてきた。
その報いだろうか、愛するあの街とあの高校からお別れするのだ。
高校での初めての春。始まりの季節。思い返せば懐かしい。ただ、あまり記憶に残っていないのは、周りに起こったことが多すぎたからだろうか。
春夏秋冬と、そして二度目の春と、申し訳程度の夏。
私はSOS団とともに成長してきた。
ずっと一緒に活動してきたわけだ。たぶん、。
「別れを告げる日が来たのだ。」
転校という響きは軽いものなのだが、自分にとってなんだかとても悲しい。空虚感と、寂しさと。
別れの言葉を選んで、最近は眠るのが遅い。
今日だけは、その寂しさから逃れようと、知らない場所にやってきたのかもしれない。
それでも寂しさはついてきて離れない。
川沿いの道はいつの間にか登山道になって、濡れた土と、緑と、小さく流れる川が、生命力の尊さをきらめかせているように見えないでもない。
看板がある。
このまま1キロほど登ると、小さな神社があるらしい。私はそこへ行ってみることにした。
「あのね。」
「私、転校するの。」
口に出して言ってみる。
頭の中の景色は、あの部室だ。
キョンはどんな顔をするだろうか。
私の好きな、あの可愛い顔を思って少し笑った。
今日は土曜日で、役所に手続きする日だ。
そして明日は引越しの準備をする日で、月曜日は最後の普通の日。
そして火曜日は、私がいなくなる日だ。
だから、明後日しかない。
―思い残したことは、もう、無い。
いや、一つある。でも、、、、。いや、ある、、。
あるに違いないという本心と、わからないとはぐらかす恥ずかしさが、転校の決まった日からずっとこの心にあった。
それはつまり、恋の告白である。
「好き」と声に出して言う。だれもいないはずなのになんだかだんだん顔が赤くなって、森の冷えた空気がそれを咎める。
登山道では人に会わなかったが、小さな神社の前には少し人がいる。小さな売店もあって、ところてんを食べた。
その売店で、小さな子どもがお母さんに木刀をねだっていた。
セミが鳴いていることに気づいた。
ミーンミーン。
ミーンミーン。
2時31分。やかましく晴れた日は、少し落ちて、この場所の影をどんどん長くして、そのまま沈もうとしている。
私は来た道を帰る。
2 終
俺は今日もまた学校へ行く。いつもどおりの授業を聞いて、後ろを振り返れば、いつもどおりの仏頂面がある。
夏には、SOS団の活動が活発になるから、大変だ。やれやれ。何を考えているのだろうか。どんな恐ろしい企画が俺を待っているのだろうか。楽しみでもある。
いろんなことをしてきたが、一番俺が覚えているのは、こいつがどんな顔をして過ごしてきたか、なのかもしれない。可愛い顔になるときや、怒った顔になるとき、まるで季節のように綺麗に変わる。
春夏秋冬。一緒に過ごしてきた時間。
今日はいつもの通り仏頂面。まあどうでもいいか。
今日も放課後がやってきた。
まったく、、今日はまた仏頂面か、、なにかいやなことがあるのか?
俺に相談するなんてこともあるのかな、未来には。
無いだろうな。
夏が始まるんだな。廊下がちょっと暑いや、、。
部活の最後にハルヒは言った。
きっと、最後の部活を寂しくさせたくなかったのだろう。
解散とともに、さようならを言った。
泣いていた。涙を出さなかった奴も、心の中で泣いていた。
、、、そして俺は今、涼宮ハルヒと一緒に帰っている。
いつもだったら折れる筈の道をまっすぐ進んでついてくる。
ゆっくりゆっくりついてくる。
口を開こうとして、閉じる。
大きく息を吸って、なんとか、いつもの調子の声が出る。
「解散か、、。」
返事は、ない。後ろに泣き顔のハルヒがいる。
「悲しいな。」
一人で喋っていたら、喉のおくが熱くなってきた。
「寂しい、、な。」
返事はない。俺の目に、涙が流れて、夕日が少し濁る。
俺もゆっくりゆっくり歩く。
ゆっくり。ゆっくり。
ハルヒが追いついて、今は真横を歩いている。
なぜか、いつのまにか手が絡まっている。
さらっとした手だ。
ゆっくり歩く。
今、足が揃っている。
右、左、右、左。
ハルヒの口が開く。
俺は聞こえなくて、かといって足を止めるのは恥ずかしくて、歩いていってしまう。
ゆっくり歩く。
ハルヒが止まる。
ゆっくり止まる。
俺が振り向く。ハルヒの口が開く。
俺はもう思いっきり泣いていた。幸い鼻水が出なくて、そんなにみっともない顔はしていない筈だ。
ハルヒの方はティッシュを沢山使っている。
「、、、。」
「聞こえないぞ。」
「、、、!」
「聞こえない。」
「、、、。」
「聞こえない。」
「今のは、、言ってないわ。」
夕暮れが街に赤を運ぶ。
「好き。」
「え?」
「好きだ。」
「・、、なんであんたが言うのよ、、。」
ゆっくり歩く。
俺の家が見える。涙はもう止まった。俺は手を離さない。家まで連れて行く。
玄関から俺の部屋へ。
ゆっくり歩く。暑い廊下を。
ドアを閉めて、抱きしめた。
抱いた体は強く抱いたら折れてしまいそうで、怖い。
ベッドに引き倒されて、驚いた。
抱いたら、壊れそうだった。
「遠距離恋愛って知ってる?」
物理的な遠距離と、この絡み合うようにお互いを求める近さ。大して遠くは無いと後で聞いたが、俺はどこでも、週末は一緒にいようと思った。
終わり。