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 部室から見えるその空は曇っていた。曇っていたが青かった。快晴よりも晴れ、部室の皆がそれを見ていた。開けはなわれたカーテン。冷えたテーブル。青臭い衝動で満ち満ちていた。
 梅雨は昨日を最後に終わったと、天気予報士も言っていた。誰も口には出さなかったが、朝比奈さんを除く部員たちは、二度目の夏に心を浮かせていたに違いない。
 見たことも無いような模様のうちわが、元文芸部のタンスの中に入っていた。三つテーブルの上におかれたそれ。出番は無い。夏風が彼女の黒い髪を揺らしていた。
 彼女は顔を背けるようにして、窓のほうを向いている。さらさらと髪がゆれ、肌を撫でているようだ。きっといつもの、仏頂面であろう。そう思った。
 土曜講座の後の部活にしては、みなの気分が低かった。それは彼女が、原因かもしれない。いつもと真逆の気分。夏の空気のような彼女の、気まぐれで爽快。上にさらりとした行動は見られなかった。
 それはうちわも物語っていた。鎮座するようにあるそれは沈黙の象徴のようにもとれた。
 俺はテーブルに肘をつけた。そして寝そべった。俺の中で倦怠感と青臭い衝動が戦っていた。肘の上に頭を乗せると、風が一層強く吹いてきた。どこかの部室にかかった風鈴が揺れたのか、チリリと声を上げる。
 向かいの校舎に人影が見えた。別に何も不審では無いのだけど、俺はそれを目で追った。それほど退屈だったということだ。それが見えなくなった頃、彼女はこちらを向いた。何か話すのかと思うと、薄紅の口を尖らせ、息を吸う。彼女もまた退屈だったということだ。
 議論する点はいくつかあった。明日のこととか。あるいは三日後に始まる夏休みのこととか。
 夏に心を躍らせない人だっているのだろうが、彼女の顔はむしろ憂いを秘めていた。目は優しく悲しかった。
「なにかあるかしら」
 返事は無いようだ。みな不意をつかれたような顔をして、彼女の元気の無い姿を見ていた。
 それに気づいたのかどうか、、わからないが、彼女はまた窓のほうを向いた。明らかにいつもの彼女ではなかったし、それは彼女も気づいているようだった。それはそうとうな悩みがあるということに違いない。だがそれを聞く勇気は、部員の誰もが持ち合わせていなかったのだ。
 影が目立つようになった。太陽が更に顔を出し、外と内を断片的に区切る。俺は埃っぽい空気を吸って、何かを忘れて部室を出た。廊下が長く感じた。
 戸惑いを隠せないわけじゃないが、それをしたら今までの関係が崩れてしまいそうな気がした。彼女が、そんな姿を見せるなんて初めてのことだったから。何か言って欲しそうにしているなんて、全く初めてだったから。
 でもきっと誰かが、何か聞いてくれるんだろう。なんて、そんな気持ちもあった。だから俺は部室を出たのかもしれない。
 廊下は暑かった。窓は全て閉じていて音も無い。開けていくと、仄かに線香の匂いがした。
 トイレに行く廊下の中で、俺は今日の彼女について考えてみた。何か不審なところはなかったか、何か匂わせていなかったか。思い出そうとしても、出てくるのは、ノートと鉛筆の幻影だけだった。
 トイレの鏡に映った俺は、なんだか根の暗そうな、あるいは冷たそうな顔をしているように見えた。それは全くもって嫌な顔であった。本当に気の弱そうな、そんな人間の見得を張ったような目。昔隣に座っていた、暗い奴の目にそっくりだった。
 俺は不安に襲われた。彼女にもこんな顔をしてはいなかったかと。嫌われなかったかと。
 もしかしたら俺は彼女に嫌われ始めたのかもしれない。そんなことを思っても、鏡に映る顔は俺の一番嫌いなそれだった。それはいくら髪をいじっても消えなかった。
 トイレのドアの向こうに誰か立っているのが見えた。彼女かと思ったが、それは俺の勝手な想像だろうと思った。知らない女子だろう。そう思った。
 ドアを開けて、部室に向かうと、10歩歩いたところで呼び止められた。果たしてそれは彼女だったのだ。
 その目は先ほどと変わる。心細そうな表情を隠せないでいる。強がりも意味をなさないほど、切なそうな顔をしていた。
 何も話さない。何か言いたそうにしているが、それを聞いてしまったら、今までの関係が壊れそうだった。かといって彼女から視線を離すことはできなかった。話したら砕けてしまいそうな、それほどにか弱い。
 「何でも話してみろ」なんて言わないし、言えなかった。彼女が何か重要なことを言おうとしていることがわかったから。それでいて、それを聞くのが怖かったから。なぜ今なんだ?何故それを今言わなければいけないんだ?なんて。
 「なんかようか?」とでも聞くしかなかったのだ。それが彼女を失望させると知っていても。
 彼女の顔の色がさあと冷めて、少し厳しい一瞥を与えられた。廊下には線香の匂いが立ち込めていた。静かというより、無音。
 上履きがキュキュと鳴る。彼女は振り返って去った。その後姿は恐ろしかった。
 俺はなんとなく悔しくて、同じように上履きを鳴らして振り返った。廊下に二つの足音が響いた。
 部室の前に古泉が立っている。なにもかも聞いていたようで、俺に話しかけてくる。
 俺は力いっぱい胸を押して、突き飛ばした。何故自分がそれほど憤っていいるのかわからなかったが、さっさと帰り支度をして、転がっている古泉に目もくれず、できるだけ冷静に歩いていった。朝比奈さんはその騒動に気づいていないようだったが。長門は気づいたかもしれない。
 そも、古泉が立ち聞きしていたかどうかなんてわからない。あいつはいつも知ったような顔をしているのだ。何か違うことをいいたかったのかもしれない。
 少し、俺の大事な部分にひびが入ったような気がした。戻って、古泉にあやまろうかと思った。あいつは許してくれるだろう。
 笑って許してくれるに違いない。それでも俺は戻らなかった。もしあいつが立ち聞きをしていたのであれば、一つの友情が壊れてしまう。俺にはあいつが謝るのを待つか、時間に任せることしかできなかった。
過去に、こんなことはあっただろうか?考えるだけ無駄だ。俺達は、一定の間隔を置いてこそ付き合ってきた。なのに彼女は俺に近づこうとする。そして俺は古泉を突き飛ばしてしまった。重い重い足で階段を下る。彼女が待っていてくれるかと思ったが。それはなかった。深い喪失感を味わった。昇降口は相変わらず、暗くて広かった。

 日曜に開放感を感じないのは、ハルヒと古泉のせいだった。俺はなにか全てをクリアーにするものを探したが、生憎ない。
 ベッドに横たわったまま、右手を上げる。毛布は熱くて邪魔だ。今日も暑いらしい。身体は習慣で目覚めたが、身体を起こす気力が無い。一種の金縛りのように、ベッドにへばりついているのだ。
 開かれた窓から、車の騒音が入ってくる。歌手の生まれ変わりの蝉が、狂おしく鳴いている。それは不快ではなく、俺の存在する場面を彩った。
 上げた手をさらに伸ばす。それを推進力として起き上がる。だんだん狭くなっていく部屋。俺はどこかへ行かなければいけないような気がした。
 罪悪感に耐え切れなかったのかもしれない。自分を正当化する自分に、少々の不安と嫌悪は持っていた。彼女の勇気を裏切った自分は、俺の中に存在した。
 それに古泉を突き飛ばしてしまった俺の、表情が、子どもよりも幼かったのではないかという不安もあった。
 そんなことを思うと、自分がとても小さく見えてやりきれなかった。それに相反してどんどん身体は大きくなっていく。その成長にまだ追いつけていない自分を認めるのは、どうしても嫌だった。
 ベッドにこうしている自分が、ベビイベッドに寝転がった巨大な幼児のように見えた。それは幻想であったが、うまく自分を直喩している。自嘲の笑みを浮かべて、俺は歯を磨いた。


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 そうして日曜日をどう過ごそうか決めるわけだが、飯を食ってあてもなく家の中をふらついていると、図書館を思い出した。がしかしそれではいけないような気がした。その隣、図書館の隣にあるホールで、北高のオーケストラ部が、なにかやっているのだ。それは今日限りなのだ。時計を見ると、九時には間に合いそうも無い。さてどうしたものかと思う暇もなく、今まで溜めてきた衝動を全て発散するかのように家を出た。
 玄関のドアノブは冷えていたが、入ってくる風は真夏のそれであった。庭の長い長い草が一束になって揺れている。坂を駆けると、風は向かい風になり、追い風になり、頬に打ち付ける。足が惰性で動くようになったころ、空を見ると、何かを予見するような入道雲がでんとそこにあった。
 街は遠くにあるように見える。それは白く光を反射し、すっと消えてしまいそうでもあった。
 走る俺の後ろから、バスがやってきて追い越した。その後姿はおもちゃのようにおどけているように見えた。だんだんとそれと自分との距離が開き、視界から消えた頃、俺の体力は限界に達した。
 暴力的な息を、喉いっぱいから吐くと、汗が頬を伝っているのに気づく。暑い。
 ホールまでの道を、軒下を経由して歩いていく。いくつかの生徒の影が、ホールへと歩いていく。知る顔はいなかったので、半ばうつむきつつ、太陽に手を翳して歩いていく。
 そんなこんなしているうちに、長門の家までそう遠くないことに気づく。行ってしまったらそれこそ新しい観念が生まれてしまいそうだったが、誘わないのは少し残酷だと思ってしまった以上、俺の足はそちらへと向かうのだった。

 ふらふらと千鳥足で炎天下を歩き、彼女の部屋に入ると、びっくりするほど涼しかった。
 冷房もついているわけではないのに、この涼しさはどうしたものか。魔法使いか。と、半ば昂揚した頭で突っ込みを入れると、彼女は軽くうなずいて見せた。
「水打ち。」
 フローリングに映るのは太陽光だけだった。彼女はあまり電気が好きではないのかもしれない。小さなテーブルの上でちょこんと、うちわと麦茶と単行本がお話をしていた。
簾がかかったベランダのドア。そのむこうに少しだけ水が打たれている。
彼女は黒いシャツと黒い短パンという格好をしている。実に省エネで、実に有意義な休日を過ごしている。そんな風情であった。
 熱い熱い靴を脱いで、そこに上がらしてもらう。もしかしたらあのベランダから海が見えるんじゃないかと思うほど、ざっくりとした空気。彼女の着た黒いシャツに、乳首が軽く浮き立っていた。それは見るからに切なかったが、彼女に性感というものがあるのかわからない以上、咎めるのもおかしいという気がした。
 彼女はようも聞かず、青いグラスに茶を入れてよこした。そしてちょこんと座り、また本を読み始めるのであった。
 それは同時に俺の幼児的な部分をくすぐった。かまってくれというのではないが、なんだか彼女のその様子は絵になりすぎているのだ。
 ただその様子がいつもより軽く、明確に楽しそうなように見えた。その様子は天使が鳥と戯れているように、神聖で静かだった。俺はそれを黙ってみていた。
 こういう静かな空気は嫌いではなかった。壁に寄りかかっていると、彼女が不意にこちらを向いて、また目を本に戻す。
「ふう」
 と言ってみても、ベランダに出てみても、その空気は壊れなかった。それは俺を全肯定するようであった。この存在と空間を、彼女と俺が寸分の狂いもなく好いていた。
 彼女が本を読むのをやめたときには、もう10時を過ぎていた。彼女が解説を読み終わり、しおりを一番前のページに挟むと同時に、俺は身体を起こして声をかけた。他愛もないことを話した後、本の感想を聞く。
「おもしろかった」口だけ動かして話す。
「どこが」
「いろいろ」
 彼女の胸。少しだけあるふくらみの、その先端の突起に、tシャツが引っかかっている。それは全くもって淫らではなかった。彼女の心、目のように、若さを象徴しているようでもあったのだ。
 当初の目的を忘れかけたころ、彼女が用を聞いてきた。もしかしたら彼女は俺にいて欲しかったから用を聞かなかったのかもしれない。それを聞くとき、少しだけ寂しそうに見えたから。
 だがその目はまた嬉しそうになった。ように見えた。彼女はそのままの格好で家を出ようとした。俺がそれを止めると、気づいた彼女は赤面した。体育のときはブラジャーしているんだ。気づかなかっただけなのだ。少し玄関前で待って、着替えてくるのを待つ。音もなくドアを開けて、俺に話しかけた彼女の姿。小さな上着を羽織っているのが、俺を秘密を共有した中のような気分にさせた。
 なんて、俺の思い違いかもしれないけど。

 そうしてやっとホールに着いた、、。と思うと、図書館がそこにあるのだった。
 が、彼女はそちらには目もくれず、ホールのほうに歩いた。9時から12時までだから、もうすぐ半分を超すわけだけど。ホールの中の空気は一味違うのか、彼女は軽く驚いた。紅い席に腰を下ろす。隣に座るのが少し恥ずかしかったが、そんなことは言ってられない。なるべく人の少なそうな、二階の右端に座った。周りに知る顔はなかったし、これから入ってくる客はそういないだろう。ちょっとテンポを遅らせて帰れば、誰とも会うことはないだろう。
 彼女は隣で熱心に聞いていた。何かを得ようとするその姿勢は、賢い子どものようだった。彼女が何を感じているのか聞こうとしたけれど、それがなんだかとても恥ずかしいような気がした。
 かくいう俺は、ただなんとなく耳から入るそれを、彼女とともにいる風景のバックグラウンドミュージックにしていたのかもしれない。少々陳腐なbgmだが、それも少し、俺達二人の大人びたような空気をくすぐった。
 客層は生徒が主だった。半分の半分以上の生徒はいた。もしかしたら古泉もいるのではないかという不安が、俺の孤独の部分を軽く突いた。
 それと肉親たちが集まって、数は多いように感じた。演奏するのは生徒だけでなく、obもするそうだから、あるいはその人のファンかなにかが、席を埋めているのかも知れなかった。
 演奏会という雰囲気を感じさせるに十分であった。適度な緊張感を感じているであろう生徒たちが、大人びて見えた。隣に座る彼女は何を考えているのか表情からは解しかねたが、俺のような暗い感情は持ち合わせていないようだった。
 拍手が会場を包むと、演奏が区切られ、生徒の司会によって、更に大きな拍手が起きた。OBの登場らしい。
 OBの演奏、彼の演奏が始まると、会場内はしんとし始めた。
 照明もいきいきとし始め、ピアノの低い音に会場が震え、高い音に驚く。テンポが速くなると体がつられる。その感覚を感じたのか、彼女の顔が少し変わったように感じた。俺はOBに嫉妬を感じずにはいられなかった。落ち着いて座る彼は間違いなく大人に見えた。
 彼女がそれに惹かれているのではないと感じつつも、嫉妬はだんだん大きくなった。それは彼がうまくピアノを弾くたびに、自責の念に変化する。
 それに引き込まれている自分もいた。それを嫌う自分もいた。それは、大人という観念だったに違いない。それがわかるからこそ、彼女の目が俺に向くたびに、比較されているような気がするのだ。
 それでも自分に優越感は持っていた。彼女を笑わすことができるのは、自分だけだろう。と。そんな小さな妄想も、若い心の中では自身になりうるのだ。その矛盾は、自分の脳内をくすぐった。快感だった。
 OBの演奏が終わり、拍手の中に入っていく感じがした。それはとても気持ちがよかった。もしかしたら彼女も、鳥肌を立てているのかもしれない。そんな想像が更に俺の優越感を阻害するのであった。
 ちょこんと置かれた手を握ろうとしている俺がいた。それは彼女の目を自分に向けさせたいという幼児的な考えも秘められていたのかもしれない。ただ切なかったのだ。彼女の前では大人でいたかった。それで俺は、開いた手をそのまま閉じたのだ。
 あるいはそれは、子どもと手を繋ぐお父さん的な意味を秘めていたのかもわからなかった。
 ワンテンポ置いてから、会場の外へ出る。いつもよりまぶしい太陽が、図書館の脇の噴水に反射していた。
 図書館に入ると、冷房で冷えすぎた空気がうるさかった。彼女の肩に、俺のシャツをかけた。すっぽりと入る彼女は少し驚いていたが、すぐに礼を言った。
 とんとんと流れていく空気がとても気持ちよいのであった。俺は今朝のやるせなさを全て忘れていた。大きな窓から噴水を見ながら、彼女の目当ての本を探していた。
 一つが見つかり、もう一つを見つける。
 彼女も見つけたのか、後ろに気配がした。と思い振り返ると、そこにいたのはハルヒであった。
 何故引きつった顔なのか解しかねたが、自分の目が泳いでいることにも驚いた。場面は最悪だった。凍りついたという表現がぴたりとしていた。
「おう、ハルヒ」
 と言った途端、長門がハルヒとは反対側から現れた。つまり俺は、本棚の中二人に挟まれたのである。が、長門と俺の距離のほうが近い。それが更にハルヒを怒らせた。
「、、、、、、、!」
 彼女はまた靴を鳴らして去っていった。わざとか?と思い裏にいる長門を見ると、いつもどおりの無表情なのであった。


 そんなこんながあって。月曜日は終業式。ハルヒと顔を合わす機会が多いというか、「話していてもおかしくない時間」が多すぎた。それを繕うのは本当に至難の業なのだ。
 だから俺は早く仲直りをしようと、朝早くに学校に着いたのだが、彼女は最後に来て、すたと座るのであった。背中に殺気を感じつつ、クラスは体育館へと向かった。
 危険因子、、古泉と長門のことだが、、、が多すぎて、俺は背を低くして歩いたのだが、国木田がヒョイとやってきて、演奏会のことをからかうものだから、俺は割りと本気で彼を殴った。
 彼女の目が一層厳しくなった。あれ?と思って振り向くと、切なく悲しい目をしているのである。本当にたちが悪いというか、なんだかわからない。
 氷漬けにされたように立っていると、長門と目があってしまった。割と遠くなのに、彼女はこちらを見ていた。そしてそれは救いの目ではなく、悪魔の目になるのであった。
 ハルヒが、おもちゃをなくしたと気づいた子どものように、目を伏せたのがわかった。
 そしてそれが元通り、、、つまり三日より更に前の、俺が思ういつものハルヒの目に戻ったのがわかった。それは俺にはただならぬことのように思えた。
 そしてその日の部活でも、彼女は「いつもの」彼女のままであり続けた。それがたまに、「今日の朝の」ハルヒに戻ったりするのだ。なんだか不安になった。空には夕立、、もとい昼立を予感させる積乱雲があった。
 彼女は合間無く夏休みの予定を話し始めた。予定と言っても、天気のよい明後日に、静岡のどこそこ、海の近くのどこかに泊まるという、決定事項の確認だった。俺が。
「おいおい」と突っ込みを入れると、うるさいわね。と返されるそれはいつもの寸劇のようで、少しリアリティに欠けた。
 古泉は、そのままであった。身体に傷はないし、いつもの目であたりを見回していた。その目が俺に向けられると、俺は少し目を逸らしてしまう。
 長門は長門で本を読んでいる。音楽の本、昨日借りた本を熱心に読んでいた。
 朝比奈さんは、傘がないから、と言って積乱雲の出方を凝視していた。風も強くなり、雨が降るのは確実だろうと思われた。
 ぽつぽつと窓に雨粒が当たると、彼女は落胆した。
 そんなそれぞれをよそに話はだんだん進み、集合時間を告げて終わった。
 空はいつの間にか灰色になっていた。校舎は少し不気味になり、もしかしたら停電が起こるかもしれないとうスリルが皆を昂揚させた。
 無駄話もだんだんと間が開くようになってきて、そして話が途切れたころ、解散という言葉で終わった。古泉に話しかけると、彼はいつものように応対した。
 古泉と共に帰ることになって、二つの傘をぶつけながら歩いた。別れ際に謝ると、なんのことかという顔をして見せた。
 こうして自体は収束した。かのように見えた。

 二日は淡々と過ぎてゆき、旅行の日がやってくる。洗われてぴしゃりとした顔に、夏の上昇気流が吹き付ける。幾分熱い気もしたが、間違いなく旅行日和だった。
 日がそろそろ真上に行くというころ、彼女らの荷物を電車から降ろすと、駅から海が見えるのだった。水平線が、少し曲がっていた。地球は丸いと言っていた。なにもかも受け入れるようだった。
 知っている人以外から見れば、間違いなくひと夏の恋に落とすような、大人びた格好をした朝比奈さん。それが印象に残った。
 五人一緒に旅館へ向かい、二つの部屋に別れた。以降更に仲良くなった古泉と、二人海を見ていると、彼女らが散歩を提案した。
 旅行は平穏に始まった。
 その間も、砂時計は音を立てていた。

 別れは突然だったなあ。と、思う。
 彼女の口が閉じたとき、俺は聞き取れずにいた。
 本能が働いたのだ。
 こうしてベッドに横たわっていると、長門と遊んだ日の朝を思い出す。
 しかしあの時の気持ちは、ただの不安、であり、今のような絶望ではなかった。
 朝。騒音はやかましく、蝉は鳴いてすらいなかった。
 俺は何もする気になれず、重い身体をおのまま地面に貼り付けさせている。
 涙も出ず、目が地面を見つめることしかできなくなる。
 ドアの外もやかましく、頭は石より重い。彼女は、もういない。

 散歩は浜辺へと向かい、少々の波遊びの後、海の家の進化したような場所で、それぞれの腹調子で食事をした。
 長門はフォークで焼きそばを食べ、ハルヒは箸でスパゲティを食べていた。朝比奈さんはナンパをかわせず、俺に助けを求めているようだったが、なんとかしなさいと目で合図し、自分のスパゲティをフォークで食う。
 古泉は逆ナンのお姉さんがたをさらりとかわし、それでもかわせず、水着美女に囲まれていた。
 こっけいな男達がうろうろしていた。目をあわさないようにしていると、それらが朝比奈さんに目をつけた。
 瞬間俺は立ち上がり、彼女を助けた。ただ手を引っ張っただけだが。そして俺の麦藁帽子をかぶせて上げた。可愛すぎる顔は、帽子の影の中で照れくさそうに笑った。
 そのまま海辺まで出て、バイクが走る音を二人で聞いた。もしかしたら口紅を塗っているのかもしれない。直視することができないのは、そのせいかもしれなかった。
「あ、あの」
「え?」
「これが最後の夏ですね」
 、、、、、。
「そうですね、、、。」
 憂う顔はまさに天使だった。
「キョンくん。今までありがとうね」
「こちらこそ。」
「もっと二人でお話したかったなあ。」
「、、、。」
「キョンくん。もしよかったら、五時ごろ、あの岬まで来てくれませんか?」
「え?」
「あの、岬です。」
 岬、、。なかなか高い岬だった。塀が少しだけあって、落ちたら死ぬだろうな。という風だった。岩石の男らしさと、岬の曲線がアンバランスというか、少し浪漫チックな岬であった。俺が返事に苦しんでいると、ハルヒ達が駆けてよってきて、朝比奈さんを連れ去ってしまった。残された俺は、古泉とともに、波を見ていた。水着美女達は遠くで、違う男をナンパしている。
「なあ」
「なんですか」
「お前、あのとき立ち聞きしていたのか?」
「ええ」
 ちっとは悪びれろ。
「聞く気は無かったのですが。」
「いいよ。もう」
「そうですか」
 その言葉たちは、波に吸い込まれて消えた。
「なんだったんだろう、ハルヒ。」
 彼は意外な顔をした。
「手紙を受け取ったんじゃないんですか?」
「え?」
 彼はあちゃーという顔を、いささかアメリカ風にして、肩をすくめた。
「手紙って」
「さあ
私たちも行きましょう。」
「おい」
「さっき、いいよと言っていたじゃないですか。行きましょう。」

 そして、泳ぎを終えた。俺はいつのまにかハルヒと二人になっていた。髪はすぐ乾き、少しベタベタとした体。
 元通りの俺達は、海の成分のことなんか話して、去年の夏のことを話した。
 楽しかったねえ。
 今になってみれば、このときハルヒが悲しそうだったことに気づかなかった自分が悔しい。
「楽しかったな」
「ええ」
「いろんなことがあったな」
「そうね」
「何が印象に残ってる?」
「、、。」
 彼女は時計を見て、立ち上がった。
「五時に、あの岬で会いましょう。」
 頬は赤かった。それはあのときの顔と同じだった。何かを言おうとしたときの顔。指差す岬は先刻のそれと同じであった。
 俺はまた打ちひしがれて、声をだすことも忘れて呆然としてしまっていた。
 これはただごとじゃない。ただ事じゃなさすぎる。もう4時半なのだ。ハルヒの背中は追いかけるなと言っていた。朝比奈さんはまだ泳いでいる。通りかかった古泉に事情を話すと、彼は冷静に、作り話を作った。
 俺が行かなければいけない用事ができたということにして、それを古泉が朝比奈さんに伝えるということだった。もし彼女がそれでも岬へ向かうようだったら、彼が入り口で待ち伏せし、彼女を止める。
 改善の余地はありそうだったが、俺は本当に忙しかった。走って岬へ向かった。岬への道が二つあることにどうして気づかなかったのか、疑問だ。きっと焦燥でそれどこではなかったのだろう。
 夕暮れの方に、細い道を駆けていく。海と一緒に彼女たちが現れた。
 古泉、、。お前って奴は。
 息を吐いていると、朝比奈さんが耳打ちをした。「残念ですね」と。
 ハルヒは黙っている。どうやら状況を一瞬で理解したようだ。失望の色をした目で俺を見下し、口を開いた。
「私、転校するんだ。ここの近くに」
、、、、、、、、、、、、。
 夏が終わる。始まったばかりの夏は、そのとき一瞬にして無に帰った。



2

 重い頭を毛布で包み、また眠りにつこうとしたが、無理だ。
 思い出すのは昨日のこと。昨日の朝、駅でのこと。
 彼女は見送る側に移っていた。
 だんだん離れていくときの失望感。
 そして電車の、冷たすぎる冷房。
 俺はそのまま、家に入ってベッドに倒れこんだ。徹夜越しの頭は重く、ベッドが包み込んでくれた。
 悪夢を経て、現在に至る。

 第一幕 終



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最終更新:2008年09月06日 13:50