ヴァイオリンの名器、ストラディバリ。
クラシックの名曲。
どちらも今から300年ほど前に創られた。
いや、この場合、300年『前』という表現は適切ではない。なぜならそれらは、300年前に創られてから現在まで、300年『間』ずっと愛され続けてきたから。
名器は年月を経るうち、少しずつその数を減じ、失われつつも、その時々にふさわしい使い手、名手が現れ、受け継がれ使われ続けた。
そして名曲は、様々な人に指揮され、演奏され、今日まで多くの人々の耳に入り、魅了し続けてきた。
どちらにも共通して言えるのは、単に保存・保管された、いわば『止まった』状態で年月を経たのではなく、常に演奏され、演奏に供され、実用されてきた、『動いている』状態で年月を経たこと。
経過時間。
これは有機生命体にとって重要な意味を持つ概念。
有機生命体は、時間の経過と共に変化する存在。発生し、成長し、最後には死を迎える。その限られた時間を『一生』と呼び、限られた時間で何かをなそうとする。
その行動の内容は、生まれつき備わったその有機生命体固有の活動から、思考により変化する活動まで、その有機生命体の知的段階に応じて様々。
ところで、音楽、更に言うと『音』とは、経過時間が密接に関連する情報である。
そして、経過時間とは、情報生命体である情報統合思念体には、どちらかと言うと本質的には存在しない概念。
もちろん、記録等で経過時間という情報は扱えるが、あくまで付帯情報でしかない。
その情報が『いつ』の物であるかは、情報統合思念体にとっては意味がない。過去であろうと未来であろうと、情報統合思念体は同一であってそこに隔たりはない。有機生命体に置き換えると、過去・現在・未来の自分すべてが、常に『同期』した状態といえる。
その違いが分かるのも、自分が有機生命体という器に収まっているからである。
有機生命体の肉体は、損傷したり死滅したりする。また、生命活動を行っている状態では、常に『新陳代謝』を行っていて、肉体が常時作り変えられている。
すなわち、常に変化し、『揺らいで』いる。
――有機端末の手紙――
最終更新:2007年05月10日 02:01