Die Imitation des Nashornes

かつて、その王国はあったという。
栄華を極め、繁栄を極め、この地に存在する全てを制圧せんという意思の元で。
かつて、全ては彼らの手中にあったという。
万物は、その理論通りに動き、そこには輝くばかりの未来しかなかった。
勿論、彼らも最初からそのような存在ではなかった。
いや、それどころか、彼らはその地上で最もか弱き存在と言ってもよかった。
超越した存在(一般にはこの存在は神と呼ばれるようだ)は互いに相撃ち合い、滅びたという。
残された彼らは、庇護者を失い恐慌に陥った事は想像に難くない。
だが、彼らは生存について諦めたりはしなかった。
何故なら、庇護者より既に贈り物を貰っていたからだ。
しかし、と思う。
その贈り物は、果たして純粋な善意の賜物なのか・・・優越からくる多少蔑視混じりの賜物ではなかったのかと。
それは、彼らの末路を知っている我々だからこそ邪推してしまうのだが。
とにかく、彼らはその贈り物によって生き抜くことができた。
それに縋り、さらに研鑽し、そして覇者となることが叶ったのだ。
だが、その繁栄は、彼らがそれを求めるまでに苦難の道を歩き続けた期間に比べるとあまりにも見返りとして僅かであった。
つまり・・・・彼らは、滅びたのだ。
それも自滅に近い形で急速に、呆気なく。
何故?と、疑問は尽きない。
彼らの偉業は、現在まで色濃く残っている。
彼らは、都市を浮かべ、魔神を従え、古き竜さえ僕にしたという。
精霊を思うように操り天候を支配し、星々の世界までその深遠なる知識は及んだという。
我々にもその偉業の跡は分る。
遺跡として、それらが残骸さながらに世界の各地に残っているからだ。
そこから得た、僅かな彼らの遺品でさえ、今の我々には大きな恩恵をもたらす。
結局のところ、彼らは運が悪かったというだけなのだろうか?
それとも、彼らは根本的なところで間違いを犯していたのだろうか?
「方法論としては・・・そうね、間違っていなかった・・・と私は思うわ」
胡桃材の卓に肘をつき、僅かに唇を悪戯っぽく微笑の形に作ったその女性は涼やかな声で呟いた。
柔らかく、艶やかな髪が肩にかかり背中まで伸びている。
特徴的なのは、その大きな黒目勝ちで少し吊上がった瞳だった。
見るものがそこに吸いつけられるような、宝石のような輝きを放っている。
白皙の肌を持ち、全てにおいて優雅な造形をもつ、一枚の絵画の中心と言ってもよい女性がそこには居た。
「・・・・根拠はなんですか?」
静かな、囁くような声でその女性に尋ねるのは長身の青年だった。
その女性と同じく、黒髪を持つがこちらは彼女の髪がまるで黒絹のように艶やかで真っ直ぐなのに対し、まるで手入れがされていないような乱雑さで方々にはねる様に伸ばし放題になっている。
おまけに、その口元は同じく手入れがされていないのだろうが、不精髭がまばらに生えていた。
顔は彫が深く、造形は彫刻のように整ってはいたが、そのような事は自覚も考慮もしていないだろうと思われる。
目を半眼にして女性を真っ直ぐに見つめ、同じく所々に花をあしらった胡桃材の椅子に姿勢良く座っていた。
目の前の卓に、薄く紫がかった茶が注がれた杯が置かれ、甘い香りと湯気を放っていたが手をつけた様子は無い。
「根拠?・・・そうね・・・まぁ、実際には実感すると一番理解できると思いますけど、例えば」
その女性は、卓に羽のペンと共に置かれた白紙の羊皮紙に少し目を落とすと、そこに形の良い手をかざす。
青年の耳に不思議な音階の歌にも聞こえる言葉が僅かに聞こえた。
その瞬間、その羊皮紙は空気が破裂するような音と共に燃え上がった。
女性は、慣れているのか、落ち着いた動作で窓際にある花瓶を手に取ると、すぐさまその燃え上がった羊皮紙に水を注ぐ。
僅かな煙とじゅうという音と共に、燃え上がったばかりの炎は消火された。
青年は、半眼にしていた目を少し開いて驚いたようにそれを見守っていた。
「・・・・と、これが、彼らの使っていた『力』の一端。本当に、初歩の初歩で、現在ではこの『着火』の術なら、指輪とかに封じ込める事で誰でも使えるように加工する事も出来るわ。でもね、同じ火をつけるという事ならば、私なら今の方法は取らない。そうね、初めから火をつけるなら火口の道具を使ってするでしょうし、まぁ、火種持っている人が近くに居るようならその火種を借ります」
「・・・・何故ですか?」
青年は不思議だった。
火付けの作業は、確かに道具を使えば容易く出来るが慣れないと結構面倒だし上手くいかない時もある。
それに、引き換え今は一瞬で火は見事に燃え上がったではないか、と。
「・・・簡単よ。今、私がやった『着火』の術ですら、やるんじゃなかったと思うほど消耗するから。普通に火を着けたほうが遥かにましと思えるほどに。事実、今の本当に簡単な呪文ですら、私には・・・そうね、二十回は出来ないかな。おそらく、倒れてしまうでしょうね」
「・・・・ヴァネッサ導師ですらですか?」
「そうよ。どんな偉大な、私などよりもっと優れた魔術師でも・・・まぁ、同じでしょう。それは、どうしたって人間である以上超えられない一つの法則のようなものだと思っていいでしょうね・・・つまりね、ハインツ」
ヴァネッサ導師と呼ばれたその優雅な女性は、灰となった羊皮紙を片付けながら、ハインツという名の青年に慈愛に満ちた笑みを浮かべる。
「・・・この『魔法』という手段は非常に人間には効率が悪いの。確かに、とても偉大な力ではあるのだけれど、その器には人間があっていないというか・・・・一人の人間には大きすぎる服のようなものね。だから、古代カストゥール王国の人々がその源を外部に求めて、あの『塔』を造り無限の力を行使しようとしたのは自然の成り行きだと思うわ」
「あの・・・伝承に出てくる『塔』ですか。あれは、真実の話なのですか?」
「さぁ・・?ただ、そういう考えに至るというのは魔術師ならば、多分当然のように理解できるという事だけ分る。それが根拠。滅びの原因がそれであったとしても、誰かがいずれは必ず辿り着いたであろう結論。つまり原因はまるで底意地の悪い罠であるかのように不可避だったのかもしれません。だから、もしも、次があるのだとしたら・・・」
ヴァネッサは、言葉を切り、少しだけ悩むかのように眉根を寄せた。
「・・・?・・・あるのだとしたら?」
ハインツは、首を傾げヴァネッサの次の言葉を待つ。
「そうね・・・まだ、私の考えも纏まっていませんから、言葉にするのはよしましょう。貴方にはあまり先入観は持って欲しくはないの。今まで通り、自ら考え、自らの意志で結論を見つけてね」
「・・・分りました」
ハインツは、特に表情を変える事無く頷いた。
ここで、初めてハインツは、目の前にある杯を持ち上げゆっくりと一口飲む。
静寂が、一瞬場を支配する。
僅かに開かれた窓から、心地よい潮を含んだ風が室内に流れ込む。
「それで?」
ヴァネッサは首を傾げ、ハインツにその大きな黒い瞳を向ける。
その問いかけの仕草は、無邪気な少女のようでもあった。
「はい。やはり、僕は古代王国の魔法を学ぶ事にします。そう決めました」
「そう。わかりました」
落ち着いた声で、ハインツが静かにその決意を言ったのに対しヴァネッサは同じく、一言呟いたのみで静かに頷いた。
特に、理由を聞こうとはヴァネッサは考えなかった。
黙々と、お茶を飲むハインツを、彼女は柔らかい笑みで見守る。
「・・・ご馳走様でした。また、伺います」
ハインツは、お茶を飲み終えると、微かに頭を下げてそう言い、席を立ち部屋の出口の扉へと向かった。
少しだけ、部屋の壁一杯に収まっている書物に視線を泳がせ、羨望の表情をしながら。
「・・・ええ。また、来るのを楽しみに待っています。あ、え・・・ところでねハインツ」
ヴァネッサは、先程の優雅な所作から一変して、落ち着き無く両手の指を絡ませながらまるで恥らう少女であるかのように顔を下に向けて上擦った声でハインツに尋ねる。
「あの、あのね・・・その・・・ヴァルト様はお元気かしら」
「・・・・父上は変わりないですよ。母上」
ハインツは、僅かに苦笑の表情を一瞬だけ浮かべ、そう、と下を向きながら呟いた母親の言葉を背に聞きつつ部屋を出て、扉をゆっくり閉めた。

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最終更新:2008年06月16日 22:50