決してあきらめない(その2)

ヨハン早稲田キリスト教会 文書宣教部

決してあきらめない(その2)




弁護士 佐々木 満男

■本文は“恵みの雨”連載記事「あらゆる問題は解決できる」の99年1月号の原稿です。



1.七転び八起き


大きな問題を解決するために必要なことは、何度転んでもまた起き上がることです。

先日韓国の金大中大統領が訪日しました。金大中氏のように苦難の生涯を歩んだ人はあまりいないのではないでしょうか。かつて大統領選挙に三度も落選しました。1971年の選挙中に他党議員のトラックに衝突され、未だに歩行不自由に悩まされています。73年には東京のホテルから拉致され行方不明になりました。80年には死刑判決まで受けたのです。その他数限りなく苦難がつづいた人生です。

しかし、韓国の民主化と人権の回復という大きな使命が与えられている金大中氏は、イエス・キリストを信じる信仰に堅く立って決してあきらめることなく、高齢にもかかわらず四度目の大統領選挙に出て、ついに当選しました。

「正しい者は七たび倒れても、また起きあがる」(箴言24章16節)とありますが、正しい使命(目標)を持っている人は、何度挫折してもまた立ち上がって、その使命(目標)を達成するために挑戦すべきです。

けれども、「人の和」に最大の価値をおく日本の社会においては、あくまでも正義を貫くという姿勢は必ずしも歓迎されません。正義を貫こうとする人は多くの場合、「変わり者」として村八分にされてしまい、たいがいの人々は「事なかれ主義」に流されてしまうのです。

日本の政治の腐敗、バブル経済の破たん、家庭や教育におけるモラルの衰退の根本的な原因は、正しいことを言い、これを実行する人が少ないからではないかと思います。

キリストを信じる者は「世の光」となり、「地の塩」となることが求められています。それは、この世の人々の希望の光となり、社会を堕落・腐敗から守り、住み心地の良い所とする使命が与えられいるということです。



2.あるえん罪事件

A弁護士は神戸で起きたある殺人事件の弁護を引き受けることになりました。必死の弁護にもかかわらず、第一審で死刑判決が下されました。控訴した高裁においても死刑判決が支持されました。最高裁でも上告が棄却され、死刑が確定してしまいました。

しかし、被告人の無罪を信じていたA弁護士は決してあきらめることなく、新しい証人、新しい証拠を探し集めて、再審に持ち込みました。そしてついに無罪を勝ち取ったのです。

私は弁護士会のある小さな会合でそのことが話題になったときに、A弁護士が「無罪になってようやく肩の荷がおりました。でも疲れました」とだけ言ったのを聞きました。「ずいぶん謙虚な人だなあ」と思っていたところ、仲間の一人から「A弁護士はこの事件のために手弁当で百回以上も東京・神戸を往復したんだよ」と言われました。「手弁当で」というのは「自費で」という意味です。

「いやあ、すごいなあ」とびっくりして胸が熱くなりました。そして「このような人が一人でもいれば、まだまだ日本は大丈夫だ」などと思いました。数ヶ月後、A弁護士が亡くなったという悲しい報せが届きました。A弁護士はそのえん罪事件の解決のために精魂を使い果たしてしまったにちがいありません。

だいぶ前のことなので、A弁護士がクリスチャンであったのかどうかはわかりません。しかし、友のために命を捨てたA弁護士の生きざまは、多くの人々の心に非常に深くかつ強いインパクトを与えたことと思います。私はA弁護士から、「本気で人を助けるには、決してあきらめてはならない。そして時には、命さえも懸けなければならない」ことを学びました。

事件や問題の解決に非常に手間どることがよくありますが、そのような時にいつもA弁護士のことが想い起こされて励まされます。



3.神のタイミング(時)


金大中氏が92年の三度目の大統領選挙に出馬した時に、苦難を共にしてきた李姫鎬(イ・ヒホ)金大中夫人は、あの死刑判決から夫を救い出してくださった神は、必ず夫を当選させてくださると信じて疑いませんでした。しかし落選でした。一時は神を恨んだそうです。ところが、神の御心はIMF管理という戦後の韓国経済最大の非常事態に対処させるために、この時まで金大中氏を待たせておかれたのです。神の綿密なご計画には驚くばかりです。

私たち人間の考えるタイミングと、主のお考えになっているタイミングとは、往々にして一致しません。しかし、「神のなされることは皆その時にかなって美しい」(伝道の書3章11節)のです。

なぜなら、人の考えには限界がありますが、主はすべてのことをご存知の上で物事を運んでおられるからです。ですから、私たちは物事が自分の思うようにはかどらないときでも、決してあきらめないで、主の解決を信頼しつづけていけばよいのです。私たちが主を信頼しつづけるなら、主は、ご自身の時に、ご自身の方法で、問題を解決してくださいます。

主は問題を通して私たちを鍛錬してくださり、主のご計画を悟らせてくださり、ついには主のご栄光を見させてくださるのです。


わたしは思う。今のこの時の苦しみは、やがてわたしたちに現されようとする栄光に比べると、言うに足りない(ローマ8章18節)









最終更新:2012年04月21日 22:41
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