~わたしの痛みを知っておられる主~
私たちは、何かの病気や疾患や怪我などで痛みを覚えるときに、その辛さに「どうして早く痛みが治まらないのか‥‥」と思う時があります。しかし、「痛み」は、私たちの体の防御装置であり、生命を維持して行くために必要不可欠のものです。ある医者は「医療は痛みに始まり、痛みに終わる。」と言いました。痛みは、私たちの体の中に何かの異常があることを知らせてくれる警報装置の役目を果たしているのです。
「先天性無痛覚症」という非常にまれな病気があります。生まれつき「痛み」の感覚がない病気で、怪我の傷はそのまま放置され、そこから菌が入り感染症を引き起こします。また、痛みがないために力を入れすぎて自分の骨を折り、自分で歯を抜いてしまう子供たちの例もあります。性格的な特徴は、短気で怒りっぽく、自己中心的、かつ冷淡という性質を持っているということです。 このように、痛みというのは健康を維持し、人格形成においても重要であることをこの疾患は物語っています。
ある癌に罹った医者がいました。余命はあと二、三年と診断されたのです。そして、その医者は癌と診断されてから変わってしまったのです。悩める患者と同じ悩みを持つ医者がともに痛みを担いつつ、治療する医者に変わって行ったそうです。それは、彼自身が患者になり、その痛みを共有するようになったからであるということです。
「彼らが苦しむときには、いつも主も苦しみ、ご自身の使いが彼らを救った。その愛とあわれみによって主は彼らを贖い、昔からずっと、彼らを背負い、抱いて来られた。」(イザヤ書63:9)。
さて、上に記したイザヤ書の言葉は、人類の救い主となられた神の御子が人の姿をとってこの地上に誕生される七百年以上も前に、預言者イザヤによって預言された旧約聖書の言葉です。ここで「彼」というのは、イエスキリストのことを示します。彼は、私たちの病を知り、その痛みを担われました。主イエスは人々の涙も痛みも知っておられます。このように、私たち罪人のために身代わりに十字架にかかられて尊い血を流して死んでくださったのです。
イエスキリストを信じた者たちが行く天国では、痛みや苦しみはありません。しかし、イエスキリストの救いを拒む者の行く所は、「永遠の苦しみ」が続くところです。「彼らは、永遠に昼も夜も苦しみを受ける。」(ヨハネの黙示録19:10)とあります。どうか、私たちの痛みを共に担い、最後には十字架で死んでくださったイエス様の愛を拒むことなく、信じて救われてくださいますように心からお祈りします。
「彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださる。もはや死もなく、悲しみ、叫び、苦しみ(痛み)もない。なぜなら、以前のものが、もはや過ぎ去ったからである。」 (ヨハネの黙示録21:4)
最終更新:2011年11月28日 20:18