「青春の日々にこそ、お前の創造主に心を留めよ。苦しみの日々が来ないうちに。『年を重ねることに喜びはない』と/言う年齢にならないうちに。」(コヘレトの言葉12:1)
「生きる意味が分からない」「生きることに疲れた」「死にたい」などの言葉が、ネット上で氾濫しています。今の私たちが直面している問題は「生きる意味の不在」ではないでしょうか。インターネットで世界の情報をリアルタイムに得ることができる便利な社会。しかし、それは必ずしも幸福と満足を与えているわけではなく、人々は生きることの空しさを感じています。
人は生きて行くうえで、多くの悩みと苦しみ、逆境と試練を通らなければなりません。これら問題の根底にある「人生の意味」が明らかにされない限り、どんなに対策を講じようとしても水面に描いた絵のように空しいものです。「生きる意味は何なのか。」だれも、その質問に答えることができないのです。政治によって、この問題の答えを与えることができるでしょうか。その答えは「NO!」です。青少年の健全な成長や犯罪防止のために、国で法律を作って一般道徳や生きる術を教えることはできても、一人一人が生きる「意味」を与えることはできません。これは、日本だけではなくどこの国でも直面している問題であり、若者だけの問題ではなく、すべての年代の人に関する深刻な問題なのです。
世界保健機関によれば、2,000年には100万人が自殺しています。日本では、年間自殺者が3万人を越えています。現実にはその10倍とも言われる自殺未遂者がいるため、毎日1.000人の日本人が自殺に追い込まれていることになるのです。交通事故の年間の死者数が6.000人台であることを考えると、これは異常な数字ではないでしょうか。
自分だけはそういうことにはならないと言えるでしょうか。どんな逆境に遭遇しても、「生きるのはこのためだ!」という明確な目的を持っていますか? あなた自身も周りの人たちも、追い込まれてから生きる目的を探すのでは遅過ぎます。そのときには、苦しみに耐え切れず自殺してしまう人が多いのです。「生きる目的」など、そこまで深刻に考えなくてもと思っている人も、肉体的にも精神的にもまだ元気なうちに真剣に考えなければなりません。
問題の解決は、聖書の中にあります。「生きる意味は何か。」という深刻な問題の解決は、目先の表面的なことでは不可能です。人間の「原点」に帰らなければなりません。学校で教える進化論はあたかも科学的であり、事実であるかのように大部分の人たちが考えていますが、偶然をその根拠においている点で全く非科学的であり、非理性的であります。時計は時間を計るためにあり、家は人が住むために造られます。人間は、偶然に出来た産物ではなく、創造者(God)によって造られた存在なのです。造られた存在であれば、当然、そこに創造者が与えた意味と目的があるのです。聖書を読んで初めて、創造者に触れその人生の暗い闇の中に光が差し込むのを体験することができます。
人間は神に造られ、生かされている存在です。人類の始祖アダムは神の掟を破りましたが、愛なる神は人類が自分勝手な道を歩んで滅びに向かっているのを憐れんでくださり、御子イエス・キリストを救い主として遣わしてくださいました。この方が十字架で私たち罪人の身代わりに死んでくださったのです。この神の御子イエス・キリストを自分の救い主と信じる者は救われ、永遠のいのちを受けます。慈しみに満ちた神は疲れた者をも招かれ、真の平安をくださいます。
「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。」(ヨハネの福音書3:16)
最終更新:2011年11月28日 20:18