「ヤベツの祈り」~歴代誌上4:9-10より~
2008年、世界で最も有名な牧師の一人であるブルース・ウィルキンソン氏が書いた『ヤベツの祈り』という本が全米でベストセラーになりました。当時はスーパーマーケットの店頭にも並んだ人気振りでした。ヤベツが祈った祈りは、簡潔で短い祈りですが、とてもパワフルな祈りです。今回はヤベツの祈りの中に秘められたパワーがどんなものなのかを学んでいきましょう。
①逆境に打ち勝つ力
ヤベツという人は聖書の中に、後にも先にもここにしか出てこない人物です。しかし「名は体をあらわす」というように「ヤベツ」という名前から、また彼がそう名づけられた事情からいくつかのことを推測することができます。
9節に「彼の母は、『私が悲しみのうちにこの子を産んだから。』と言って、彼にヤベツという名をつけた」とありますように「ヤベツ」という名は「痛み、苦しみ、悲しみ」を表わしています。親が子どもにそんな名前をつけるというのは、現代ではちょっと考えられないことですが、古代のイスラエルではあり得たことでした。たとえば、ラケルが夫ヤコブに12番目の息子を産んだ時、あまりの難産で出産した後亡くなるのですが、その間際に自分の子どもに「ベン・オニ」つまり「苦しみの子」と名づけたという例があります。
ヤベツに名前をつけたのは母親でした。イスラエルでは父親が子どもに名をつけましたから、これは普通のことではありません。おそらく、ヤベツが生まれた時には、父親が亡くなっていたのでしょう。夫を亡くし経済的にも、精神的にも大変な苦しみ、悲しみの中で、子どもを産み、育てなければならなかったのでしょう。ヤベツは逆境の中に生まれました。生まれながらにして彼は、家庭的に重いハンディキャップを背負わされたのです。
しかし、ヤベツは、「イスラエルの神」、生きて、私たちの人生の中に働いていてくださる神を信じ、祈りました。神は、世界でただおひとりの主権者、すべのものの創造者、偉大な絶対者ですが、私たちひとりびとりを心にかけ、導いてくださるお方なのです。ヤベツは苦しみの中に生まれました。しかし、彼はそれを「運命」とも「神のおぼしめし」とも考えていません。ヤベツはそれをチャレンジと考えました。そして、神に助けを呼び求めたのです。神はその祈りに答えてくださり、ヤベツは逆境を乗り越えました。「ヤベツは彼の兄弟たちよりも重んじられた」というほどになったのです。まことの神を信じて祈る時、運命に打ち勝たせる力、逆境を乗り越えさせる力が与えられるのです。
②制限を広げる力
祈りはまた、私たちの制限や限界を広げてくれます。私たちの能力にはそれぞれ限界があります。休みなく働けば疲れますし、一度にたくさんのことを覚えられません。しかし、私たちは本当はもっと多くのことができるのに、自分で自分にリミットを設けてしまって「私はここまでしかできない」と決めてかかり、そのリミットの中に安住してしまうことがあるかもしれません。ヤベツは「私の地境を広げてください」と祈りましたが、私たちも、同じように「私のリミットを広げてください」と祈ることができるのです。
ヤベツの生きた時代は、イスラエルの十二部族に約束の土地が分割されたころでした。ヨシュアが大まかな割り当てを決めましたが、それは地図の上でのことであって、実際に土地を自分のものにするには、先住民と戦い、町を建て、畑を耕さなければならなかったのです。ヤベツは、苦しみの中にあった自分の家族のために、また将来のために「私の地境を広げてください」と祈りました。彼は自分のリミットをひろげようとしたのです。
ヤベツは実際の地境が広がるように祈りましたが、実は、そう祈ることによって、彼はまず信仰を広げていったのだと思います。神の力をより信じれば信じただけ、彼はより広い土地を手にすることができました。私たちも、全能の神を信じる信仰に制限をつけることなく、信仰を増し加えてくださいと祈ることから始めたいと思います。信仰の歩みにおいても、伝道においても、奉仕においても、いま少しリミットを広げてくださいと祈りましょう。神がどんな方法でそれを実現してくださるかわかりませんが、祈りには制限を打ち破る力があるのです。
③神への信頼の力
ヤベツの祈りに見られる祈りの力の第三は、神への信頼です。ヤベツは祈っています。「御手が私とともにありますように!」と。「神の手」ということばは、聖書では「神の力」と「神の祝福」を表わすのに使われています。ヤベツは「地境を広げてください」と祈りました。そのためにはもちろん彼自身の努力が必要でした。しかし、ヤベツは、自分の努力だけでそれが達成できないことを良く知っていました。神の御手、つまり神の力、神の祝福が必要なことを良く知っていました。祈りは、神の力に信頼し、神の祝福を受ける第一歩なのです。
私たちは、私たちの日常の生活の中にどれだけ神の御手を見ているでしょうか。私たちの心に、神の御手のタッチを感じているでしょうか。神は、いつも私たちと共にいてくださると約束してくださっているのに、また、教会の集まりの中には、イエス・キリストがそこにいてくださるというのに、キリストを信じる者の内には聖霊が住んでいてくださるというのに、日々の生活の中にも、教会の礼拝の中にも、私たちのたましいの内側にも、神の御手のわざを見ることがないとしたら、それは、神の御手を意識して求めていないからかも知れません。ヤベツのように私たちも、生活の一こま、一こまで神に信頼し「御手が私とともにありますように」と祈りましょう。その時、私たちは、神がわたしの生活にその御手で触れてくださったことを見て喜び、感謝する生活を送ることができるのです。そして、この神の御手によってマイナスをプラスに、困難をチャンスに変えて前進していく生涯を送ることができるのです。
最終更新:2012年01月11日 01:21