イエス・キリストの身代わりの十字架
ある少年のエピソードがある。彼の母親の顔には醜い火傷の傷があった。少年は母親の醜い火傷の傷ゆえにいじめられたり、母親と一緒に外出することもできないでいた。少年は醜い顔の母親をひどく軽蔑していたが、母親はなぜそのような火傷の傷を負ったのかを話してくれなかった。少年が15歳の誕生日の時に母親は自分の火傷の理由を話してくれた。少年がまだ幼かった頃のこと。冬の日にストーブの上でお湯を沸かしている時に、少年は誤ってストーブの上のやかんをひっくり返してしまった。その時に母親は少年を自分の体でかばって煮立ったやかんの中のお湯を浴びたのであった。それが母親の醜い火傷の原因であった。それを知った少年はどう思ったであろうか。母親の醜い火傷は実は自分を救う為であったのだ。本来は自分が受けるべきであった火傷の傷を、母親が身代わりに受けてくれていたのだ。今まで軽蔑と憎しみの対象であった母親の火傷の傷は、少年に対する母親の限りない愛の印へと変わった。少年はもはや母親を軽蔑するのではなく、母親を心から愛し、誇るようになった。イエス・キリストの十字架も私達にとって同じ意味がある。本来は我々が受けるべき死の刑罰を、イエスは私の身代わりに受けてくれたのだ。十字架は神の限りない愛の印である。
最終更新:2012年01月23日 23:54